波乱の幕開け4
次の日、シルヴィアは、アスターが騎乗する漆黒の馬に乗せられ、王都郊外の丘へと連れて来られていた。
「見ろ、シルヴィア。これが今のシェファーズだ」
眼下には復興中のシェファーズの街と王城が見えた。戦後初めて見るシェファーズの痛々しい姿に悲しくなる。黄金の大地と呼ばれた麦畑は所々焼け焦げ、澄んだ色をしていた湖も輝きを失っていた。アスターはシルヴィアの腰を抱き寄せると耳元で囁いた。
「その眼に焼き付けておけ。お前が俺を裏切れば、この辺り一帯に今以上の災厄が降りかかるだろう」
シルヴィアはギュッと眼を瞑る。事あるごとにアスターはシルヴィアを脅す。『逃げるな。拒むな。逆らうな。』と。
悲しかった。直接的ではないにしろ暗にアスターにそう言われるたび、心に杭が打ち込まれるような痛みを感じる。そして左の足首には鎖の代わりにはめられた銀のアンクレットがシャランと鳴る。まるで奴隷の証のように。
「シルヴィア。眼を開けろ」
アスターの命令に従い、シルヴィアは眼を開ける。アスターは丘の反対側に馬首を返した。その丘の麓には一つの教会が立っていた。
『エル・ファミーロ教会』
シェファーズ最古の教会にして、代々シェファーズ王室の婚礼の式を執り行ってきた場所。
「今日、俺たちはあそこで婚礼の式を挙げる」
アスターの言葉にシルヴィアは無言で頷く。
『そう。私は、今日ここでこの方の妻になる。操り人形という名の妻に』
そして、数人の供の者たちと一緒に、丘を下り、教会へと入っていった。それをシルヴィアは他人事のように眺めているだけだった。
「ようこそ、いらっしゃいました。シルヴィア様。アスタリオス様。お待ちしておりました」
中に入ると教会の司祭が出迎えてくれた。
「世話になる。司祭殿」
アスターがそっけなく答える。一方シルヴィアはというと……。
「お初にお目にかかります。司祭様」
丁寧にお辞儀をしていた。
「初めてだと?」
アスターがシルヴィアに聞き返す。
「はい」
シルヴィアは恥ずかしそうにうつむく。
「エル・ファミーロは、今まで多くの式典や儀式などで使われシェファーズ王室とは密接に関わってきたと聞く。なのに、お前は、ここに来るのは初めてなのか?」
突き刺さるようなアスターの視線から逃れるかのごとく、シルヴィアの背はますます縮こまっていた。
「…はい」
かすかに聞こえるほどの声でシルヴィアは答えた。
「私は、生まれてから王城の城壁を越えたことがないのです」
アスターは驚きに眼を見張る。
二人の間になんともいえない空気が流れる。
そこににこやかな笑みを浮かべた司祭が割って入った。
「シルヴィア様の初めての訪れが、この教会だとは光栄の至り。しかも、ご結婚の地として選んでいただき喜ばしい限りでございます。ご婚儀の準備が出来次第、お呼びいたしますので、今しばらくお待ちいただけますか?」
「わかった。急に婚礼の儀を行えと無理を言ったのはこちらだ」
「そう言っていただけると助かります。では、ご用意ができるまで、ご自由にお過ごしください。そうそう、教会の裏にある庭園は我々が、精魂こめて毎日手入れをしている自慢の庭でございます。ぜひ、見てやってください」
「では、そうさせてもらおう。失礼する」
そういうと、アスターはシルヴィアの手を取り裏庭の方へと歩き始めた。お付きの者たちも二人に同行しようと付いてくる。アスターはチッと舌打ちをすると振り返り、彼らに命じた。
「付いてくるな」
無愛想に一言。従者たちもアスターのこの物言いには慣れているので、何も言わず一礼。
その場にとどまりアスターとシルヴィアを見送った。