波乱の幕開け5
そのままアスターはシルヴィアの手を握り裏庭へと向かった。アスターは相変わらずシルヴィアのことなどお構いなしに歩いていく。背の高いアスターの歩みに小柄なシルヴィアは歩幅が合わず小走りなる。
「ハアハアハア、あの…。きゃっ!」
足が絡まり、シルヴィアはとっさにアスターの腕にすがった。そこで、ようやくアスターの歩みが止まった。
「すっ、すみません」
荒い息を吐きながら、シルヴィアは謝る。すると、頭上からチッと舌打ちが聞こえた。ズキッと胸が痛んだ。アスターにとって、自分の相手をするのは面倒なことなのだと感じた。
瞳が潤む。
『泣いてはダメ』
シルヴィアは自分自身に言い聞かせる。アスターに関わることで泣いてしまえば認めてしまうことになる。アスターに優しくしてほしいと思っているということを。
『ダメ。もう決めたのに。何も期待してはいけない。この人は、お父様を殺した憎むべき仇。それ以上でも、それ以下でもないと』
そうシルヴィアは自分に言い聞かせていた。
その時、アスターの腕がシルヴィアの背と膝の裏に回り、シルヴィアを抱き上げた。
「きゃ」
突然のアスターの行動に驚き、理解できず、シルヴィアはアスターの顔を見上げた。
「遅い……」
アスターはボソッと一言発しただけでシルヴィアの顔を見ることもなく無言で歩いていく。
『もしかして、私のことを気遣ってくれたの』
そう思ったが、シルヴィアはすぐに心中で否定した。
『違うわ。ただ、単にドジな私に苛立っただけ。ただそれだけ……』
時たまアスターの腕が優しくシルヴィアに触れるときがある。その刹那の優しさがシルヴィアを苦しめる。彼が、そんな風に触るたびに、憎しみが減っていく気がするのだ。
『お願い。もうこれ以上かき乱さないで。私の心を』
シルヴィアは辛そうに唇をかみ締め、両手をきつく握り締めていた。すると、風に乗ってどこからか、花の香りが漂ってきた。
「シルヴィア、見ろ。着いたぞ」
言われるがまま、顔を上げると、そこには一面の花畑が広がっていた。花の種類、植え方などすべてが計算されつくされた王城の庭園とは違い、無造作に植えられていたが雑草は丁寧に除去され毎日欠かさず手入れされているのが分かる。自然の美というものがそこにはあった。
「きれい」
感嘆の声がシルヴィアの口から漏れる。
アスターは静かにシルヴィアをその場に下ろした。すると、シルヴィアは一歩一歩色とりどりの花々に近づいていく。花に顔を近づけその香りを堪能する。強張っていたシルヴィアの表情は自然とほころぶ。
そんなシルヴィアにアスターは眼を奪われていた。太陽の下、光り輝く髪。白い肌。そして見る者の心を癒すその微笑。アスターは吸い寄せられるかのようにシルヴィアへと近づいた。そして、シルヴィアが今まさに、その芳しい香りを堪能していた白百合を彼女の目の前で手折ったのだ。
「えっ」
シルヴィアの戸惑いの声が聞こえる。屈んでいた身を起こし、アスターを見る。アスターは手折った白百合に口付けていた。そして、視線だけシルヴィアに送って寄越した。その壮絶な流し目に、シルヴィアの心臓がドクッと脈打つ。お互いの視線が絡み合う。シルヴィアは自分の頬が赤く染まり火照っているのを感じた。
すると、アスターは視線を絡めたまま、白百合から唇を離した。そして、シルヴィアの髪に白百合をさした。アスターが微笑む。それは、シルヴィアが見る初めてのアスターの優しげな微笑だった。
しかし、次の瞬間アスターの表情が一変する。一瞬驚いたような顔をしたかと思うと眉をひそめ、険しい表情になり、アスターはシルヴィアの髪にさした白百合に手を伸ばした。
それから、そのまま花を掴むとシルヴィアの目の前でグシャッと握り潰したのだった。シルヴィアは、呆然と彼を見つめることしかできなかった。アスターの指の隙間からはらりと白百合の花びらが一枚地面に落ちる。そして、手の中でばらばらになった白百合をシルヴィアに向かって投げつけた。
アスターの手から放たれた白百合の花びらが頭上から降ってくる。それと同時にシルヴィアの瞳から涙がこぼれ落ちた。ぽろぽろと涙の粒が頬をぬらしていく。アスターはシルヴィアに背を向けると、いつものように冷たく言い放った。
「飽きた。俺は先に戻っている。お前は、気が済むまでここにいればいい」
言うだけ言うとシルヴィアの返事も待たずアスターは建物の中に入っていってしまった。
混乱しているシルヴィアを置き去りにして。そうシルヴィアは混乱していた。一瞬だけ垣間見えた彼の優しさ。そして、一瞬にして奈落の底に自分を突き落とした彼の非情さに。
考えても考えても出ない答えに、シルヴィアの心は張り裂けそうになり、アスターが消えた建物の出入り口を見つめたまま、そこに立ち尽くすことしかできなかった。
だから、読み取ることができなかった。シルヴィアの背後から近づく、怪しい気配を。




