第3話 いま、いちばん聞きたくない声
「エルナ」
睨み合い(こっちは睨んでないよ!)の続く、沈黙の渡り廊下に響いたのは、やけにいい声だった。
その声がした瞬間、ノーラ様とエリス様の背筋がぴしりと伸びた。
振り返るまでもなく分かる。この声は、まごうことなき元凶様――クリストフ殿下だ。
渡り廊下の向こうから歩いてくる殿下は、いつもの涼しげな表情……じゃないやーつ!
やめてー!その顔を向けないでー!
建国祭以来、氷結王子の氷が溶け始めたともっぱらの噂だ。
いかなる時も表情を崩すことのなかったあのクリストフ殿下が、ひとりの令嬢にだけ表情をやわらげるとかなんとか。
それが自分じゃなければと何度願ったことか!
しかも、今はいちばんタイミング的にきつい!
「遅いから迎えにきた」
しかもー!迎えとかー!
ホントその口、一旦閉じてもらえませんかね!
顔も仕舞ってもらえませんかねえー!
クリストフ殿下が近づいてきた瞬間、ノーラ様とエリス様の空気が一気に変わったのを感じる。
エリス様は息を呑み、ノーラ様は微笑みを保ったまま、しかし心持ち目が、目の奥がきも〜ち鋭くなった?
「あといくつだ?」
「え〜とお……」
ふたりのご令嬢を無視、してるわけじゃないんだろうけど、あからさまに内輪の会話を始めた殿下に返答を言い淀んでいると、これ幸いとエリス様が口を開いた。
「ご機嫌ようございます、クリストフ殿下。実は私たち、エルナ様のお手伝いを申し出ていたところなんですの」
おおう、さっきまでの顔のひきつりが見事に引っ込め成功してるよ〜
すごい「善意感」が出てる。
「手伝いを?」
「うぐぅ」
エリス様の言葉に、私の顔を確認しようとするクリストフ殿下。
あんまりこっち見ないで〜
「クリストフ殿下。学園祭のご準備で生徒会もお忙しいかと存じます。僭越ではございますが、よろしければ私どももお手伝いをさせていただければと……」
うん、きみは腹芸のノーラという二つ名を授けよう。
本心が隠れてるわけじゃないけど、語尾を推測させようとする手法だったり、これ見よがしに譲歩するような態度もいやらしくってすごく貴族らしい!
ヨッ!これぞ貴族令嬢!
こんな初歩の腹芸がわからない殿下じゃあない。
ノーラ様の真意は伝わっているだろう、さあ、希望者を採用して、イヤイヤ仕事をする私を解放してくれえ。
「そうか、大変ありがたい申し出だな」
やった!
ご令嬢ふたりからも、喜びの声が漏れかけたが、次の瞬間殿下はバッサリとその申し出を断った。
「だがすまない。今回の生徒会では、側近候補の選定も兼ねているのだ。そのため、いくつか課題をこなしてもらっている最中でな。その気持ちだけありがたく受け取っておこう」
断りよった。
すげなく断りよった。
側近候補の選定中というのは、嘘ではない。
建国祭前、王太子指名を受けていなかったクリストフ殿下は、クーデターを未然に阻止した功績から無事立太子することが決まった。
元々、王太子指名のタイミングを待ってもらっていたらしい。
そのため、側近はすでにある程度固まっているものの、さらに有望な人材を採用しようとしているのだ。
ハングリー王太子、やりたいことがいっぱいあるんだと。
追いすがる先を失ったご令嬢方はややこわばった顔で「承知いたしました」と言わされていた。
だったら私もご遠慮していいですよね〜と、辞退を申し出ようとするとすんでのところで、すんごい笑顔を向けられ思わず怯んでしまった。
「エルナ、さっさと残りを配ろう。さあ、行くぞ」
当たり前のように差し出される手。
ここでその手を無視するなんて高等テクニックを私が選択できるはずもなく、おずおずと指の端っこだけ、触れるか触れないかぐらいの位置に持っていけば、ガシッと掴まれた。
「では、ご令嬢方。我々は急ぐので、ここで失礼する」
クリストフ殿下が前を向いた瞬間、ふたりからギラリと睨まれた私は、残り短い命を確信した。
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