「静かな増幅」
森の奥は、いつもより静かだった。
風は弱く、葉の揺れる音さえ遠く感じるほど、空気が落ち着いている。
その中に、小さな開けた空間があった。
そこには、いくつかの木製の機材が並べられている。
内部には金属枠と魔力導線が組み込まれ、淡い魔力が通る準備が整っていた。
トワはそれらを一つずつ確認していた。
「通電チェック完了。スピーカーも問題なし」
短く、機械的な声。
リュナはその言葉に首をかしげる。
「……すぴーかー?」
トワは木箱のひとつを軽く見やった。
それを指で示す。
リュナの視線がそちらに移る。
「へぇ……スピーカーって言うんだ」
納得というより、「そういう名前なんだ」という受け入れ方だった。
すぐに疑問が浮かぶ。
「なんでスピーカーって言うの?」
トワは少しだけ間を置いてから答えた。
「よく分からないけど、これが一番しっくりくる」
それ以上の説明はない。
理由も根拠もない。
ただ、そうであるという確信だけがそこにあった。
リュナはその言葉を聞いて、さらに困ったような顔をする。
「なにそれ……」
クロウは少し離れた位置で腕を組んでいた。
この場のすべてが、彼の常識からわずかに外れている。
それでも止めようとはしない。
止めても意味がないことを、経験として理解していた。
リュナが楽器を構える。
弦に指を置き、軽く鳴らす。
ぽろん。
その瞬間、空気が変わる。
音はその場に留まらず、森の奥へと滑るように伸びていく。
地面を伝い、水の気配へと触れながら、消えずに広がっていく。
トワは目を細めた。
「……減衰率、低いな」
独り言のように呟く。
リュナは周囲を見回す。
「なにこれ……いつもと違う」
そのとき、湖の方で水面が不自然に盛り上がった。
ぽこり、と空気を押し返すような波紋。
クロウの視線が湖へ向いた。
その表情がわずかに変わる。
「……嫌な感じがする」
低い声。
次の瞬間だった。
水面が割れる。
そして――
“長い影”が持ち上がった。
首だ。
太く、岩のような質量を持ったそれが、水面からゆっくりと立ち上がる。
湖の縁に近い木々が、上から押されるように軋み、倒れていく。
クロウの声が鋭くなる。
「動くな」
トワは顔を上げた。
そしてそれを見た。
湖竜。
この地域に棲みつくA級指定危険種。
本来なら遭遇した時点で撤退が前提となる存在だ。
その巨体は、湖そのものの一部のようだった。
だが今は、その“顔”がこちらを向いている。
リュナの顔が青ざめる。
「……嘘でしょ」
クロウは構えを取るが、湖竜は動かない。
攻撃の気配はない。
ただ、じっと見ている。
視線はただ一点、音の発生源に向けられていた。
ぽろん。
音が鳴るたびに、水面がわずかに揺れる。
呼吸のように、ゆっくりと。
トワは小さく頷いた。
「聴いてるな」
クロウが短く言う。
「ありえん」
リュナは声を荒げる。
「ありえないって言ってるのよそれ!」
だが湖竜はそこにいた。
動かない。
離れない。
ただ待っている。
次の音を。
トワは少し考えたあと、手を打った。
「あ」
リュナが肩を跳ねさせる。
「今の“あ”は何?」
トワは淡々と言った。
「もう少し出力いける」
クロウが目を細める。
「何をする気だ」
トワは機材へ視線を戻す。
「客が増えたから、音響調整」
「客じゃない!!」
リュナの叫びが森に響く。
トワはすでに動いていた。
スピーカーの角度を変え、地面に魔法で台座を形成する。
音の通り道を整えるように、淡々と配置を修正していく。
湖竜はその様子をじっと見ていた。
まるで、次の音を待っているかのように。
クロウは深く息を吐く。
「止めても無駄だな」
リュナは頭を抱える。
「なんであいつと通じてるのよ……」
トワは振り返る。
「じゃ、もう一曲」
リュナは即答した。
「嫌!!」
そのとき。
森の外側で、枝が折れる音が続いた。
空気が揺れる。
人の気配が一気に増える。
「――いたぞ!!」
騎士団の声が響いた。
クロウの目が細くなる。
「……来たか」
リュナは顔を引きつらせる。
「最悪……」
トワは一瞬だけそちらを見て、すぐに湖竜へ視線を戻した。
「観客、増えすぎだな」




