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第18回

「どうなってんの,これ。」  

 無意識につぶやいてた。わたしは,ぬかるみに足を取られながら歩く。

『本当にここでいいんですか?』

 さっき降りたタクシーの運転手が何度も訊いた。わたしは,住所が書かれたメモを手にうなずくしかなかった。

「わっ!」

 思わず飛び退いた。近くの茂みが突然揺れたからだ。

「おっ。来たね。」

 顔を出したのは,中年の女性だった。ガサガサと草を揺らしながら出てくる。

「もう。驚かさないでくださいよ。ただでさえ気味の悪い場所なのに。」

 わたしはあたりを見回す。昼間なのに,ひどく暗い。目の前で,背の高い草が壁を作ってる。見上げても,その向こうも,うっそうとした森だし。それだけじゃない。足元もでこぼこ。車も入ってこれないような場所だ。

「まあ,いいじゃない。肩の力抜きなよ。」

おばさんは,のんきに言う。肩だけじゃない,腹にも力が入ってない。

「どうしてこんな場所に呼び出すんですか。仕事をたのみたい,って言っただけなのに。絶対おかしいですよ。」

「おかしい?頭がおかしいJKに言われたくないね。普通しないよ,あんな宙返り。」

 そう。このおばさんは,決勝で超絶テクを見せつけたギタリストだ。その正体は,わたしの曲のアレンジャーだったりする。でも,今はジャージ姿で,靴も泥だらけ。パッと見,農作業中のおばさんにしか見えない。

―『炸裂!!勝利のムーンサルトプレス』―

 元木さんのブログのタイトルだ。わたしの優勝を伝えてるんだけど、やっぱりズレてる。結果発表前,莉世さんは会場を後にした。そのことを書いてるのが…

―『跳び技でギブアップを奪うなんて,異次元の戦いだよな』―

 ほんとわからない。というか,目の前のおばさんは,もっと謎だ。

「わたしのことはいいです。それより,浅岡さん。仕事の話です。」

 わたしは,バッグからCD−Rを取り出す。早くこの場から立ち去りたい。浅岡さんの胸のあたりに押し付けた。

「アレンジね。まあ,そうだわな。」

「中にメロディーと歌詞のデータが入って…」

「10万。」

「え?」

 手から力が抜ける。あやうくCD―Rを落としそうだった。予想はしてたけど,やっぱり高い。女子高生に簡単に払える額じゃないし。最近はバイトもできないから,なおさらだ。

「ね。だから,ここに呼んだんだよ。ついてきて。」

 浅岡さんは,意地悪く笑った。わたしに背を向けて,さっさと歩き始める。

「ちょっと,あの…」

 仕方なくついて行く。浅岡さんは,ためらいもなく茂みに分け入った。雑草に全身をなでられてすごく不快だ。むせかえるような熱気にも耐えられない。

「ここだよ。」 

浅岡さんが立ち止まった。その向こうで急に視界が開ける。えっ!?もう少しで声を上げそうになった。わたしたちを待ち構えてたみたいだ。くすんだ色した巨大な建物がそびえてる。

「ここは…」

「廃墟になったホテル。それ以外の何に見える?」

 言葉が出ない。あやしすぎる。でも,伯父さんから特に情報はなかった。アレンジャーに変な性癖があるとか。浅岡さんは,変わらずゆるい感じで続ける。

「じゃあ,こっちからも仕事の話。ねえ,モデルやらない?そしたら,アレンジ代チャラにしてあげるけど。」

「モデル…ですか?」

「そ。だから,ちゃんとメイクして来るように言ったんだし。うん。ま,いっか。」

 完全にペースを取られた。浅岡さんは,わたしの反応なんか興味ない。顔をのぞき込んで,うなずいてる。

「じゃ,決まりね。ほんじゃ,これ着て。」

 浅岡さんは,開いたバッグを手で探る。出てきたのは,黒い服だった。意外にも,シンプルなワンピースだ。差し出されて,反射的に受け取ってしまう。

「あの。撮影は構わないですけど,どうしてここなんですか?」

「いいから着替えて。さっき見て来たけど,この辺り誰もいないから大丈夫。」

 質問はスルーされた。浅岡さんは,バッグからケースを取り出す。わたしのほうを見ようともしない。

「あの,どうして?」

「あーあ。鈍いなあ。あんた,ほんとに現役のアイドル?」

 浅岡さんは,じれったそうに視線を向ける。いらだってるのは,わたしも同じだ。

「いちおうアイドルです。ご存じだと思いますけど。まあ,底辺ですけどね。」

「人気とか関係ないよ。アイドルなら,他のアイドルのミュージックビデオ見たりするでしょ?」

「ユーチューブとかで少しは…あっ…」

 なんとなくわかった。浅岡さんがうなずく。顔に「遅いよ」って書いてあるみたいだ。

「ね。アイドルと廃墟って組み合わせ,別におかしくないでしょ?」

 確かに。いくつかの人気アイドルのビデオクリップが頭に浮かぶ。最近は,廃墟とか,工場とか,ひそかに流行ってるのかもしれない。

「いいよね。廃墟のなかで歌って踊るアイドル。でも,それだけじゃ,もう新しくないでしょ。そこで…」

 浅岡さんは,笑ってケースのふたを開く。「演出」を考えてるときの伯父さんと同じ顔になってた。

「これの出番ってわけ。」

 出てきたのは,銀の鎖だった。ウォレットチェーンっていうんだっけ。大きな革の財布につながってる。

「あっ。」

 今度は何も言われなくても思い出した。以前見た有名な美形アイドルの動画だ。彼女たちは,全身にアクセサリーをつけてた。ブランドは知らないけど,すごくかっこよかった。

「わかったでしょ。アイドルと廃墟とシルバーのコラボ。最強だと思うんだよね,これで写真集作ったら。」

 浅岡さんは,得意げに言った。「最強」の根拠はわからないけど,マニアに需要はあるかもしれない。だけど…

「でも,モデルがわたしじゃ売れないですよ。」

「まあ。先物買いってヤツだよ。あんたのマネージャー頑張って拡散してるし。」

 確かに伯父さんは力が入ってた。お客さんが撮った写真を「奇跡の降臨」とか言ってばらまいてる。決勝戦でのダイブ。わたしの翼が開いた瞬間のものだ。空中に白い羽根が舞って,雪みたいに見えた。ネットでちょっと話題になり始めてる,とかいないとか。

「とにかく,今すぐ売れなくてもいいよ。何年かして,あんたが有名になったら,幻のファースト写真集って言えば,そこそこ売れるかもしれないから。」

 この発想。伯父さんとか,藤崎さんと一緒だ。思わず吹き出してしまう。浅岡さんは,わたしをにらんだ。

「なに笑ってんの?痛いおばさんだって言いたいの?」

「違いますよ。ちょっと安心しただけです。」

「安心?」

 浅岡さんのペースが崩れる。わたしの答えは,それほど意外だったと思う。

「それはですね…わたしの周りにいる大人って,こじらせてる人ばかりなんですよ。マネージャーを筆頭に,良識?のある人がいません。でも,それは,それなりに面白いから,いいんです。ですけど,ふと気づいたら,みんな男性なんです。」

「まあ,そうかもね。で,なんで安心した,って?」

「そんなに急がせないでください。ちゃんと答えますから。」

 もったいぶって言ってみた。すっかりわたしのペースだ。一歩踏み出して,チェーンを手に取ってみる。予想以上に重い。でも,木漏れ日に照らされて,すごくきれいだ。

「思ったんです。わたしもこじらせたおばさんになったら,どんな人生が待ってるのか,って。だって,近くに見本がないから。」

「見本,って…。でも,それほど悪くなく見える,って言いたいわけか。」

 わかってくれたみたいだ。浅岡さんも,まんざらじゃない,って感じだ。わたしは,うなずいて続ける。

「はい。だって,楽しそうじゃないですか,すごく。励みになります!」

 最後の部分に力を込めた。浅岡さんは,吹き出して,苦しそうに言う。

「あんた。ほんと頭おかしいわ。よくわかるよ。こじらせたおっさんたちが,あんたにハマり始めてる,って言われるのが。」

「それ,ほめてます?」

「そこそこね。それで,こじらせた中年になるのは確定なわけ?」

 わたしはちょっと考える。それで…ギター。なぜか頭に浮かんだのは,ギターだった。

「どうですかね。でも,こじらせないように頑張れ,って父に言われました。」



「へえ。この町にも,こんな場所があったんだ。知らなかった。」

「ね。意外にきれいでしょ。」

 伯父さんの横顔を見て言った。わたしたちは,市街を見下ろす城跡に来てる。どこかインスタ映えする場所を,って言われて思いついたのがここだ。復元された石垣から見る夜景は,絶景と言えなくもない。

「住んでるからこそ,近くのことって,わからないものなんだよな。どうせいつでも行ける,とか思って,結局行かなかったりして。」

「そうだね。」

 フェス前最後のライブを終えた後だ。まだ暑いのに,学校は始まってる。8月の終わりは,高校生にとって微妙な時期だ。31日まで休みだった頃がうらやましい。

「ガキの頃って,眠れなくて窓の外見てると,変な気持ちになってたんだ。見えてる1つ1つの灯りのなかに本当に人がいるのかって。実は,全部作りもので,その瞬間存在してるのは自分だけなんじゃないかって。それで,外に出て,『ピンポンダッシュ』して,人が出てくるの見て安心したりして。」

「ちょっと。大迷惑でしょ,それ。ほんとクズだなぁ。」

 声を出して笑って,気まずくなる。気づくと,周りはカップルだらけ。少し前まで2人だけだったのに。中高生の撮影スポットは,すっかり大人の場所になってる。

「夜景かぁ。わたしは,ちょっと違うんだよね。わたしが住んでるマンションって,高台にあるでしょ。いろいろあって眠れない夜に外を見ると,遠くのマンションの部屋の灯りが見えるんだ。そうすると,ちょっと安心するんだよ。他にも眠れない夜を過ごしてる人がいるんだ,って思って。」

「へえ。そんな見方もあるのか。おもしろいね。」

「うん。別にそこにいる,って思うだけで,会うことも話すこともないんだけどさ。でも,なぜかわからないけど,ちょっと救われた気分になるんだよね。まあ,ほんとは好きで夜更かししてるだけかもしれないけど。」

風が出てきた。肌に当たる感じが,真夏とは違う。それに,かすかに虫の声も聞こえる。どうしても,夏の終わりを感じずにいられない。

「あーあ。もう夏も終わりか。でも,いろいろあったけど,けっこう楽しかったよ,今年の夏は。」

「こんなふうになるなんて,想像してなかったよね。」

「それはそうでしょ。いきなり声かけてきて,『アイドルにならない?』なんて,どう考えても,おかしいでしょ。」

 はっきりと目に浮かぶ。夕暮れの商店街。そこに異物感全開なアロハのおっさん。圭治の親戚って一言がなければ,絶対相手にしなかった。

「そう言うけどね,こっちもいろいろ考えたんだよ。アイドルの運営してる人が書いた本とか読んだり。そしたら,路上スカウトから始めたグループもあるって書いてあったし。」

「それ,知ってる。でも,もう少し違う声のかけ方とか,あったと思うけど。それより,まずは,それ。」

 わたしは,伯父さんの胸のあたりを指さす。あの日と同じアロハだ。派手な色使いは,暗い場所でもわかる。

「ああ。そうか。スーツのほうがよかったか。」

「それは,もっとダメ。」

 わたしは,思い出して笑う。あの時の母さんの顔。玄関のドアを開けた後,しばらく黙り込んでしまうなんて。初めて知った。普通のスーツに,あんな破壊力があったって。

「うん。やっぱり慣れないことはするもんじゃないな。でも,結果オーライだったから,問題ないよね。それに,今までのライブも,みんな結果的になんとかなってる。実際,『異種格闘技』で優勝できたわけだし。」 

 結果オーライ?「異種格闘技」は,まさにその連続だった。一度は,失格や出禁を覚悟したくらいだ。

「ほんと,はらはらさせられてばっかりだったけどね。心が広い人が多くてよかったよ。看板やトイレ壊されても笑ってるとか。」

「いや。ライブハウスを壊すって,伝統芸能みたいなもんだよ。昔のインディーズのバンドなんて,どれだけ無茶するか競い合ってるところがあったみたいだし。」

完全には否定できない。ブルドーザーをネタにしてるアイドルもいるから。でも,実際に物を壊したりしてない。

「でも,毎回よく考えたよね,次から次へと。」

「そりゃそうだよ。だって,それなりに人気があるアイドルだって結構無茶してるのに,『格闘技』が大人しくちゃダメでしょ。」

「そうだけどさ。それにしても,会場にキャットウォークがあるの見て,すぐにダイブするのを思いつくって,普通じゃないよ。」

そう。会場を下見したときだった。伯父さんは,あっさり言った。「決勝戦の演出,思いついた」って。まだ1回戦も終わってないのに。

「普通じゃないのは,そっちだよ。本番であんなアドリブかまして。」

「だから,ちょっとしたサプライズだよ。いつも驚かせていただいてるから,せめてものお礼。」

「ちょっとした,って。下手したら大ケガしてるとこだけど。」

「まあいいじゃない。無事だったんだから。結果オーライ,でしょ?」

 思い切りふざけた口調で言った。でも,伯父さんは笑わない。何か考えてるみたいだ。

「もちろん最初は,腹立つこともあったよ。勝手にいろいろ進めちゃうから。でも,振り返ると,トータルでは楽しかったって思うよ」

「そう。うん。そう思ってもらえて,よかった。」

 伯父さんは,ほっとしたように笑みを見せた。わたしは,違和感を感じながら言う。

「だって,今までなかったからね,こんなフリーダムな夏休み。いろんな場所でライブして,たくさんの人に会って。それで,母さんも先生たちもあきらめて,もう何も言わないし。伯父さんのおかげかもね。」

 感謝なんて,いつもなら絶対口にしない。場の空気が大胆にさせたのかも。わたしは,素直な気持ちを言葉にした。不思議と照れはない。

「そうじゃないよ。聡ちゃんが頑張ったんだよ。」

「ちょっと。どうしたの?急にほめたりして。」

 おかしい。わたしはともかく,伯父さんはキャラが違いすぎる。周りの雰囲気のせいじゃなさそうだ。

「でも,夏が終わっても,活動は続くんだし。どうせまたバカなこと考えてるんでしょ。『フェスの向こう側』とか?」

 わたしは茶化して言った。でも,答えは返ってこない。伯父さんは,街の灯りを見つめてるだけだ。やっぱり変だ。

「秋以降の予定もそろそろ立てなくちゃね。こんなだけど,受験と両立させることになるかもしれないし。」

「そのことだけどね。俺…」

 かすれた声が,そこで途切れた。暗いけど,はっきりわかる。伯父さんは,完全に真顔になってる。わたしは,視線をそらして,待とうと決めた。続きを聞くのがこわいから。

「前に言ったよね。海外に行ってたって。まあいろいろ商売やってたんだけど,戻らなくちゃならなくなったんだ。」

 わたしは驚かない。そんな自分さえも意外に思わない。いつか伯父さんがそう言い出すかもしれない。そう感じてた。何かが終わるのを予感してセンチメンタルになる。それは,父さん譲りのマイナス思考のせいだけじゃなかった。でも,わたしは…

「ちょっと待ってよ。いなくなるって,急に言われても困るんだけど。伯父さんが言い出したことでしょ?それを,こんな途中で…無責任だよ。」

無責任?そんなことない。十分すぎるほどわかってる。伯父さんは「きっかけ」をくれた。それだけで十分だ。言葉が見つからないのが,すごくくやしい。それで,声が大きくなった。近くのカップルの視線を感じる。ようやく伯父さんがわたしを見てくれた。

「もちろん申し訳ないと思ってるよ。でも,始まったことには,全部終わりがあるからね。例外なんてないんだよ。」

「聞きたくないよ,そんな一般論。」

 頭のなかにいろんな場面が浮かぶ。初めて一緒に入ったスタジオ…地元駅前でのライブ…両親を説得したリビング…奈津を見送ったライブハウス…莉世さんにディスられた物販コーナー…それから,決勝前のフロア…悲しかったり,緊張したり…そんなとき,いつも隣に伯父さんがいた。

「いなくなるなら…終わりにするなら,今までみたいに,わたしを言い負かせてからにしてよ。」

期待するしかなかった。伯父さんが,納得させてくれることを。いつもの「言葉のマジック」を使って。

「そうだな…うまく話せるかは,わからないけど,とりあえず話してみるよ。聞いてくれるかな?」

 伯父さんは心を決めたみたいだ。自信なさげだけど,優しい顔をしてる。わたしは,声をしぼり出すように答える。

「わかった。話して。」

「ありがとう。うん。本当はね,この町を出たとき,二度と戻ることはないと思ってたんだ。あまりいい思い出がないし,最初会ったとき言ったけど,家を追い出されたようなものだから。でも,歳を取ってくると,いろいろ思い出すようになってね。特に,高校時代かな。その気になれば,もっと楽しめたはずだとか思うことが増えてさ。まあ,自分が全部悪いんだけど。」

「それで,やり直そうと思って戻って来たの?」

 伯父さんは,言葉を選びながら言う。おかげで,わたしも少しだけ落ち着いてきた。

「うん。取り戻せるなんて思えないけど,できることはあるだろう,なんて思ってね。で,戻って来たら,たまたま圭治を見かけたんだ。」

「すぐわかったでしょ?よく似てるから。」

「そうだね。でも,あいつが,予想以上にダメなヤツで。」

「でしょ。どうしようもないよ。」

 わたしは,腹立たし気に吐き捨てた。いつものやり取りみたいだ。もちろん,それは表面だけ。心はまだ乱れたままだ。

「それで,気になって…ストーカーみたいで悪いんだけど,しばらくあいつの様子を見てた。そしたら,聡ちゃんと別れちゃって…」

「そう。あっけなくね。」

 少し笑うことができた。それでいい。冷静にならなければいけない。伯父さんの言葉をひとつも聞きもらさないように。

「申し訳ないよ,ほんと。」

「謝らなくていいよ。だって,仕方なかったのかも,って思うから。考えてみれば,全然好きなものが違うし。」

「そうそう。音楽の趣味とか。それで,2人が話してるのを聞いて,聡ちゃんがアイドル好きだってわかったんだ。」

 あの図書館での会話。伯父さんも,そこにいたことになる。あのとき,周りには…ダメだ。思い出せない。

「だから,手伝わせてもらおうと思ったんだ,聡ちゃんがやりたいこと。でも、実際やってみると,楽しくてさ。思ってた以上にハマれたよ。」

「そうだよ。ずいぶん大人げないことしたもんね。」

「うん。それについて否定するつもりはないよ。でも,それで…そう,こじらせた大人にはね,いくつかキーワードがあると思うんだけど,そのひとつが『非日常』だって言ってた人がいてね。ほら,こじらせちゃうとさ,一般的な価値観っていうのかな,普通に就職して,結婚して,子供育てて…っていうことができなくなるんだよね。とにかく,何をしてても退屈で,それで非日常を求めるようになるんだ。」

「非日常か。ほんと3年生になった頃は,想像もつかなかったよ。こんなふうになるなんて。」

 まだ半年も経ってない。でも,これまででこんな濃い時間はなかった。非日常。わたしも,ずっと求めてたのかもしれない。

「でもね,あくまでも日常があるから非日常なんだって。それは,わかってなきゃいけないんだよ。」

「わかってるよ。いつまでもこんな上昇気流が続くわけじゃない,って。最近,時々考えるんだよね。」

 そう。「異種格闘技」で優勝しても,心がすっきり晴れない。その原因は,きっとこれだ。

「うん。見てると,わかるよ。だから,ちょうどいい機会じゃないかな。さっき,受験って言ったけど,それも含めてさ。冷静になって,1人で今後のことを考えてもいいんじゃないかな。」

「大丈夫だよ。ちゃんと両立できるから。もともとそんなに高い希望じゃないし。」

「そうかもしれないけど,でもね…」

 伯父さんは,また視線をそらした。明らかに,言葉に切れがない。こんな姿を見るのは初めてだ。

「こんなふうに言ったら,怒るかもしれないけど…昔好きだったドラマがあってね,簡単に説明すると,主人公の男性が,偶然知り合った女の子と協力して,いろいろな事件を解決するっていうストーリーだった。2人は一緒に危機を乗り越えたりして,絆が強くなるんだけど…最終回は,あっけない感じで…」

「ただのラブストーリーになっちゃうとか?」

「ううん。そうじゃなくてね,女の子は,何事もなかったように,日常に戻っていく。でも,主人公は相変わらず夢見がちなまま,っていう。」

 伯父さんは,疲れたように息を吐いた。言おうとしてることはなんとなくわかる。

「男性と女性では違うってこと?」

「そう。望んでたラストじゃないけど,納得はできたんだ。」

「みんながそうだってわけじゃないよ。こじらせた女の人でも,楽しそうに暮らしてる人はいるよ。」

 浅岡さんの無邪気な顔が浮かぶ。こんな生き方も悪くない,って思えた。それに…

「それにね,父さんが許してくれたんだよ。将来こじらせないように,アイドル頑張れ,って。だから,どっちにしたっていいんだよ。こじらせても,こじらせなくても。」

「だけど…」

 伯父さんは,とうとう黙り込む。もう言葉は見つからないみたいだ。わかってた。伯父さんも,わたしも。ここで終わりにする理由なんてない。

「ねえ。何か言って。」

 責めるつもりなんかない。でも,こんな伯父さんは見たくなかった。涙が,視界をふさいでいく。伯父さんの肩越しに,町の灯りがにじんで…

「えっ…聡…」

 頭の上から声が響く。衝動的に伯父さんの胸に飛び込んでた。目をこらすと,向こうにも抱き合ってる男女が見える。もう考えるのはやめよう。このまま風景の一部になってしまえばいい。わたしは,腕にぎゅっと力を込めた。

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