第16回
「あの,すいません。ちょっといいですか?」
「アイドル異種格闘技」決勝を2日後にひかえた平日の夜。わたしは,ライブのため東京に来てた。物販が終わって,お客さんが消えた会場。わたしは,近くのブースに駆け寄るように近づいた。
「え?」
背中を向けてた女性が振り返る。わたしは,その表情が見える前に,言葉を押し出した。そうしないと,緊張で何も言えなくなってしまいそうだ。
「あの…中原莉世さんですよね?元キャッチ・ザ・スイート・ラブの…すぐにわかりました!だって…」
「だから?」
「え…」
心臓が凍り付きそう,とか言うことがある。わたしが感じてるのは,まさにそれだった。
「用がないなら,話しかけないでもらえるかな?見ればわかると思うけど,こっちもヒマじゃないんでね。」
莉世さんは,手に持ってるCD−Rをこっちに向ける。物販の片づけ中なのは,わかってた。でも,グッズを欲しいのもあったから,問題ないかも,なんて思って…
「すみません。空気読めなくて…」
「それにさ,どこで調べたか知んないけど,あの頃のことは,公式プロフィールに載せてないんだけど。」
そう。中学のときにライブを観たロコドル。わたしが,アイドルに憧れるきっかけになったグループ。莉世さんは,そのセンターだった。
「ごめんなさい。でも,わたし,ライブを観てからずっと…」
「どうでもいいよ。」
莉世さんは,グッズを段ボール箱に詰め始める。取り付く島もない,ってこういうことだ。
「……」
もしかしたら,「黒歴史」ってヤツかもしれない。うかつだった。でも,「異種格闘技」ではブロックも違ったし,話す機会がなかった。だから,ついうれしくなって…
「もういいかな?」
顔を上げた莉世さんは笑ってた。でも,目は…威圧するように光ってる。すごい迫力だった。
「え…あ…」
莉世さんは,しばらくアイドルから離れてた時期がある。そのとき何があったんだろう。もしかしたら修羅場と言えるような場面もあったのかもしれない。わたしなんかには,想像つかないようなことだって…
「ほんとにすみませんでした。わたし,これで…」
わたしは,思い切り深く頭を下げる。それから,逃げ出すように後ずさりしようとした。
「美宙祈さん。」
「え?」
名前。初めて名前を呼ばれた。相手は,憧れてた相手だ。本当ならうれしいはずなのに,だけど,こんな形じゃ…
「お互い頑張りましょうね,決勝。」
莉世さんの表情は変わらない。わたしを見下すように笑ってる。丁寧になった口調が,冷たさを際立たせてるようだ。
「あの…」
「こんなんでいいかな?それじゃ。」
そう言って,莉世さんは,また背中を向けた。もう振り返ることはない。そう思った。
「し,失礼します。」
わたしは,自分のブースまでなんとか歩いて戻った。全体重をかけて机にもたれる。そうしないと,倒れてしまいそうだった。
「アイドル異種格闘技」の決勝進出者が同じライブに出る。ネットでは,ちょっと話題になってた。っていうか,伯父さん得意の拡散作戦の結果だ。
「お疲れさまでした。」
声をかけられて振り向く。わたしの前にステージに出てた他県のロコドルだった。
「お,お疲れさまです。」
「え?あの,ごめんなさい。なんか変なときに話しかけたみたいで…あ,それじゃ。」
相手は,慌てて離れていく。無理もない。気づいたら,涙がこぼれ出してた。
ちょっと運命みたいに感じてたんだ。だって,なんの特技もない女子高生がアイドルになって,5年間憧れてた相手と対戦する。こんなの,偶然にしてはできすぎてる。だから,つい舞い上がって…
「気にすることないよ。」
気づくと,伯父さんが楽屋を引き上げて戻って来てた。
「と言っても,まあ無理なことかもしれないけどね。」
伯父さんは,わたしの斜め後ろから動かずに続けた。わたしの泣き顔をあえて見ないようにしてくれてる。そう思った。
「前に俺には体育会系の血は流れてない,って言ったけど,プロレスは好きなんだ。」
いつもの伯父さんだった。何を言いたいのかさっぱりわからない。でも,きっと聞いてみたら,ちゃんと意味があるはずだ。思い出した。そういえば,圭司もプロレスが好きだった。
『プロレスはサブカル好きもハマれるんだよ。』
なんてもっともらしく言ってたっけ。
「プロレスの引退試合ってさ,やる前からどう考えても勝てない,ってものがあってね。」
不思議そうな顔でスタッフが通り過ぎる。きっと,マネージャーにダメ出しされて,泣いてるように見えるんだろう。けど,気にならなかった。そのままで聞こうと決めた。
「だって,引退間近の選手が伸び盛りの選手と戦って,ふつう勝てないよね。でも,それでいい,っていうか,それこそを望んでるんじゃないかな。」
なんとなくわかってきた。引退間近のベテランが莉世さんで,伸び盛りの若手がわたし,っていう喩えだ。でも…ううん。とりあえず話題は変えないほうがいい。
「だけど,勝てる相手を選ぶってこともできるんでしょ?」
「うん。でも,納得して辞めたいんじゃないかな。いろんな意味で。」
意味…。莉世さんはアイドルを辞めたがってる?理由はわからないけど,伯父さんは気づいたのかもしれない。
「だから,とにかく相手が大事なんだよ。」
話に夢中になって涙はどこかに行ってしまってた。伯父さんは,それを確認するように顔をのぞきこんで言った。
「自分が認めた相手に負けて納得したいんじゃないかな。」
認める?莉世さんが,わたしを?ありえないと思った。
「そんなはずないよ。わたしなんて…さっきもあんなふうにひどいこと言われたし。」
「そうでもないかもよ。なんか試合前のレスラーのやり取りみたいだったからさ。絶対意識してるよ。誰だって,どうでもいい相手にからんだりしないからね。ほら。」
伯父さんがタブレットを差し出す。画面をのぞき込むと,莉世さんのツイッターだった。そういえば,まだ今日のツイートは読んでない。
―『異種格闘技の決勝ですが,絶対に負けません。何でもありのイベントだって思ってる人が多いのは事実です。でも,やっぱりアイドルはアイドルだって思うんです。』―
やっぱりディスられてる。どう読んでも,わたしを認めてるようには思えない。
「おかしいでしょ。どう考えても,悪口だよ,これ。」
「それがそうでもないんだな。」
そう言って,伯父さんは,画面に指を滑らす。わたしは,興味ないふりで,目で追う。
「これまではさ,対戦前に相手にふれてるツイートはないんだ。みんな,終わった後で,『お疲れさま』って書いてるだけ。」
「そうかもしれないけど…」
やっぱり納得がいかない。でも,それより,気になってるのは…
「そんなことより,どうして莉世さんが引退したがってる,ってわかったの?」
「ああ。それね。えーと…」
伯父さんは,またタブレットを操作し始める。指を止めると,わたしに差し出す。
「何,これ?『底辺アイドルの叫び』って…」
「裏アカっていうの?隊長が見つけたんだ。」
隊長が,こんなことまで…何でも屋かよ。って,つっこんでる場合じゃない。
「ちょっと貸して。」
わたしは,ひったくるようにタブレットを手に取る。乱暴に指を動かして、これまでのツイートに目を走らせた。タイトル通りだ。そこには,莉世さんの生の感情,といえるものが散りばめられてる。
短い時間だけど,いくつかわかったことがある。莉世さんは,もともと歌手志望だった。シンガーソングライター,っていうの?自分で詞も曲も書いて,ギターを弾きながら歌って…。それに,イメージ作りとかプロデュースも全部自分で…。
時々考えることがある。今って,アイドルを目指す若い子には,いい時代だって思う。名乗ってしまえばアイドルってことになるし,大きさを問わなければ,舞台だって用意されてる。でも,女性シンガーにとっては,厳しい状況かもしれない。実際,アイドルを「卒業」した人が,アイドルとして活動を再開するのも珍しくない。
「だけど,なぜわたしが…」
偶然と言ってしまえば,それまでかもしれない。でも,皮肉なことに,レッドさん,まどかさん…次は,莉世さんだ。思い詰めてる状況の相手ばかり…。
伯父さんが,静かに耳元で言う。
「みんなきっかけが欲しいんだよ。」
きっかけ。そう。選択が大きいほど,自分で決めるのは難しい。まどかさんの場合は,偶然だけど,続けるためのきっかけをわたしが作った。でも,今度は違う。なぜわたしが,そんな嫌な役回りを…
「それはわかるけど…」
わたしは,言葉を呑み込んだ。そう。きっかけ。莉世さんたちは,自分の意志でアイドルを始めた。それなのに,わたしは,伯父さんの強引さがなければ,始められなかった。ずっと甘えてきたんだ。自分に言い聞かせるように,ゆっくりと言葉を押し出す。
「そうだよね。逃げちゃダメなんだね。きっかけがほしかったのはわたしも同じだから。」
「気づいたみたいだね。」
伯父さんが笑ってた。これまでで一番優しい顔と声だと思った。わたしは,はっきりとうなずいてみせる。
「やるしかないよね。」
玄関のドアが閉まる音がした。わたしは,部屋から抜け出すと,真っ直ぐ両親の寝室へ向かう。姉ちゃんが珍しく出かけたこのときが,絶好のチャンスだった。
わたしは,中に入ると,クローゼットの扉を開ける。防虫剤のにおいにじゃまされながら,目当ての物を探した。
『やっぱり親近感を持ってもらうには,小さい頃の写真じゃないかな。』
前の晩に伯父さんがそう言い出した。確かに,バラエティー番組とかで,見られたくない昔の写真が出てくると,場が盛り上がる。幼い頃のブサイクな姿なんて見せたくないけど,間違ってない。
わたしは,誰もいない家のなかで,物色を続ける。アルバムがここにあるのは,以前親戚が来たときに知った。父さんが,みんなに見せたがって,姉ちゃんと止めようとしたのを覚えてる。姉妹で意見が合ったのは,記憶のなかで一度きりだった。
「え?」
伸ばした手を止める。意外なものを見つけたからだ。
「ギター?」
薄暗がりのなかで,それはハードケースに見えた。引っ張り出して,確かめてみる。
「…リッケンバッカー?」
興奮してケースを開けると,丸みを帯びたボディーが目に飛び込んでくる。バンドメンバーと楽器屋に行くたび,憧れのまなざしで見つめてた,あの独特のラインが,そこにあった。
「これって…」
わたしは,ケースから取り出して,ギターを構える。きちんと手入れされてる。弦は新しくて,ネックも反ってない。ピックを取って,鳴らしてみた。チューニングも完璧だった。そういえば,ケースには,ほこりも積もってない。
『誰の?』
姉ちゃんがギターを弾いてる姿は記憶にない。母さん?それは,ありえない。だったら…
反射的に背筋が伸びた。玄関のドアが開く音が聞こえたからだ。こんなに早く姉ちゃんが帰るのは想定外だった。たまに出かけると,しばらく外出しなくてもいいように,いろいろ買い込んでくるのに…
「えっ。」
「おっ。」
思わず声が漏れる。いきなり部屋のドアが開いた。見上げると,父さんが,慌てた顔して立ってる。
「そ…それ…」
「ギター…だよね。」
自分で言っておいて,なんだけど,元軽音部員とは思えない質問だ。でも他に言葉が出なかった。
「あ,ああ。昔ちょっとな。」
「そ,そうか。やってたんだね,バンド」
なんでもいい。気まずいときは,とにかくしゃべる。まだ短い人生だけど,学んだ知恵のひとつだ。
「うん。もしかしたら知ってるかも,なんて思ってたんだけどな。」
父さんは,カバンをおいて床に座る。話をしようと決めたみたいだ。ふと思った。いったいいつ以来だろう。2人だけで話すのなんて。
「知らないよ,だって全然そんな感じしないし。だって,楽器どころか,家にロックのCDとかもないし。」
「ああ。でも,木島から聞いてるんじゃないかと思って…」
「木島…さん?って,マスター!?っていうか,ライブハウスの?」
また大声が出た。夢にも思わなかった,2人が知り合いとか。あの店に出入りするようになって2年以上だけど,そんな話ちっとも…っていうか…
「もしかして,学生時代のバンドメンバーって!?」
「ああ。まあな。」
思考がついていかなくなってきた。マスターが学生時代に東京で組んでたバンドは,メジャーデビュー目前で,トラブルが…で,うわさでは,ギターの人がバンドを辞めるとかで,他にも抜けるメンバーがいて…それで,解散することに…それで,だから,そのギタリストが…
「そうか。その様子じゃ,メンバーが誰かは知らなかったみたいだけど,いきさつは知ってるようだな。」 父さんが,先に口を開く。わたしが,何も言えないでいると,ギターに手を伸ばしてきた。無言のまま手渡す。
「自信がなかったんだよ。あの頃,世間では『バンドブーム』に翳りが見え始めてた。ライブハウスで対バンしたことがあるバンドのなかには,テレビのオーディション番組をきっかけにメジャーデビューしたヤツらもいたけど,予想外なほど失速は早かった。」
わたしは,うなずきながら聞くしかできない。
「ずっと考えてた,バンドが解散した後のことを。人気が出始めた頃からね。曲が書けるわけじゃない。そうかと言って,特別にギターが上手いわけでもない。不安しかなかった。」
圭治や甲田君のことを思い出す。みんな同じ気持ちだったのかもしれない。
「でも,木島は違った。少なくとも,俺は,そう思ってた。バンドを辞めることを伝えたとき,言ったんだ。お前の足を引っ張りたくない,って。」
迷惑をかけたくない?そんなのずるい。自分の表情が変わるのがわかった。父さんは,それを見逃さない。
「そう。ずるかったんだよ。完全な言い訳だ。バンドを組んだ頃は,絶対にプロデビューするって,あれほど約束したのに。でも,何十年も続けるって考えたら…」
今度は奈津のことが頭に浮かぶ。2人で話したことがあった。東京で暮らしていくのはたいへんだって。しかも,バンドマンなら,なおさらだ。不安定な収入で,ずっと…
「言い訳ついでに,当時の状況を話すと,聞いたことがあるかもしれないが,バブルももう弾けてて,世の中に明るい見通しがなくなってた。友達の姉さん夫婦の引っ越しを手伝ったことがあるんだ。証券マンだった旦那さんの収入が減って,安いアパートに移らなきゃならなくなった。バイト代を受け取るとき,気の毒で,声がかけられなかった。」
「それで,地方公務員に…」
やっとそれだけ言えた。いつも母さんの言いなりで,何を考えてるかわからなかった人だ。それが,いきなりこんな…
「うん。逃げたんだ。こっちに戻るとき,引っ越しのトラックの助手席から見た東京の街並みは,今でも覚えてる。夕方で,家に明かりが灯り始めててね。どうして,東京に生まれなかったんだろうって。」
地方出身者がバンドを組むと避けられないもの。わたしにもわかる。それは,きっと,東京生まれ東京育ちに対するコンプレックスだ。
『東京に実家があって,手取り15万の収入があれば,それなりに楽しく暮らせる』
そんなことを言ってたミュージシャンがいる。そうなんだろう。東京に住む場所があれば,きっともっと思い切ったことができそうだから。でも,これはどうにもならないことだ。
「後悔してるの?」
恐々訊いてみる。後悔してないはずない。今の生活に満足してたら,家族に隠れてギターを弾いたりしない。でも,答え方によっては,自分の存在を否定されることになる。結婚しなきゃよかったとか…
「わからない。というのが,正直なところかな。」
わたしの考えてることがわかったみたいだ。父さんは,言葉を選ぶように,ゆっくり言う。
「きっと,答えなんて,死ぬまでわからないんじゃないかな。でも,木島がこっちに戻ったと知ったとき,ほっとしたんだ。だって,あれだけ才能があったヤツでも,うまくいかなかったんだから,俺だったら…」
雑誌で読んだことがある。最近アイドルのプロデューサーとして成功してる人のなかにも,自分のバンドでは成功できなかった人がいる。当時の曲を聴いてみたら,今と変わらずすごくいい曲を書いてたのに。そんな話を聞くと,音楽で生きてくのが怖くなっても無理はないと思うけど。けど…
「でも,マスター1人だけじゃなくて,メンバーがいたんだから。ほら,よく言うでしょ。マジックが起こるのが,バンドだって。」
そう。ミュージシャンのインタビューで言われることがある。メンバーとの出会いで,一気に風向きが変わった,とか。
「まあな。でも,誰にでも起こるわけじゃない。少なくとも,あのバンドじゃ無理だった。」
「でも,まだあきらめきれないんでしょ?だから,ギターを…」
「バカ言うなよ。いくつだと思ってんだよ。」
父さんは、あきれたように笑う。ふと思う。父さんの笑顔を見るのも,久しぶりだ。
「なんとなく安心するんだ。まだ指が動くのを確認して。別に,どうなるもんでもないのにな。あのな,聡子。」
一瞬だけ真顔になってから,父さんは,また表情を緩める。
「さっきの答え。後悔してるか,ってヤツ。うまく言えないけど,そんなに悪くないとも思うよ。子どもから見たら,母さんに言いなりの情けない父親にしか見えないだろうけど。」
「まあね。」
わたしは,正直にうなずく。この場でうそは要らない。
「でもな,ほんとにずるいんだけど,楽なんだ。東京でバンドをやるのを諦めてこっちに戻ってからは,余生だと思うようにした。だから,母さんが,決めてくれるから,いろいろ考えずに済む。ほら,あの調子だからさ,後悔してるヒマもない,って,やっぱり情けないか。」
「どうかな。いろんな関係があっていいと思うよ。」
フォローじゃない。これは本音だ。ずっと思ってた。母さんが,父さんを利用してきたって。けど,それは父さんも同じで,だから,2人は離婚しないで…
「こんなこと俺が言っても,説得力がないかもしれないけど,でもな,俺みたいな人間だから言えることだから,言うけど…」
少しためらう様子を見せて,父さんは,わたしを真っ直ぐ見て続ける。
「好きなことはやったほうがいい。飛び込む度胸があるなら。マネージャーさんも言ってただろ?こじらせるよりずっといいから。」
「それって,わたしがアイドルをやるの応援してくれる,ってこと?」
「まあ。そういうことになるかな。」
父さんは,この歳になって変わろうとしてる。全然気づかなかったけど。ギターを持つ父さんの手を見る。確かに,ギターを弾く指先になってる。ほんと気づかなかった。こんなに近くにいたのに。わたしは,静かに立ち上る。
「ありがと。頑張ってみるよ。」
気づいてた。わたしのネガティブ思考は父さん譲りだって。でも,やっとわかった。わたしの周りにダメな大人が集まる理由が。それは,わたしが,こじらせたオヤジの娘だからだ。
「ねえ,父さん,マス…木島さんに会いに行ったら?」
「無理だよ。会わせる顔がない。俺が,バンドを壊したんだ。きっと,まだ怒ってる。」
「ちょっと待って。」
わたしは,スマホを取り出した。撮りためた写真から目当ての1枚を探す。指が止まったのは,2年前に撮ったツーショットだった。初めてあの店でライブしたとき,マスターと撮ったものだ。そこには,照れ隠しで見せるいつもの厳つい顔がある。わたしは,無言で画面を向ける。
「そうか。でもな…」
父さんの表情は硬い。でも,言いたいことは伝わったみたいだ。そう。マスターがわたしにいろいろとからんでくる理由。きっと仲間の娘に目をかけてるつもりなんだと思う。マスターらしくひどく不器用なやり方だけど。
「父さんは,わたしよりわかってるはずだよ,マスターがどんな人か。」
わたしは,スマホをしまい,背を向ける。それから,ドアに手を伸ばしたけど,ふと思いついて,振り返った。
「そのギター,少し借りていいかな。そのあいだ,わたしの使ってよ。安物だけどね。」




