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匙の世界線  作者: 灰神楽ねこ
序章

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ブルディガラの孤児

星船(ほしふね)内部、完全に固まった。


三秒。

五秒。

十三秒。


サルが低く言った。

「誰が育てる」


強硬接触班三が言った。

「星船」


「星船に親権概念はない」


「では保護」


「保護と養子は違う」


「対象が帰るあてを持たないなら、帰還が最善とは限らない」


この一言で、場が少し黙った。



生命影響班が、慎重に表示した。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


中世初期

メロヴィング朝フランク王国アクィタニア地方

ブルディガラ周辺における未成年孤立個体:

飢餓、寒冷、暴力、疾病、労働搾取、売買、性的被害、宗教施設依存、流民化の危険あり

帰還後生存率:不確定

現地社会的保護:限定的。

星船保護:物理的生存率は高いが、文化的・精神的・帰属的損傷の可能性大


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


接触手続班二が即座に発言した。

「猫を拾う感覚で歴史上の個人を保護するな」


強硬接触班三が抗弁した。

「歴史に影響を与える存在ではない。行き倒れの子だ」


「だからこそ危険なのだ」


「だが、戻したら死ぬかもしれない」


また沈黙。



星船は人類世界を観測する。

なぜ観測するのかは星船にもよくわからない。

とにかくそういうことになっている。


そしてその日、星船はメロヴィング朝フランク王国南西部、ブルディガラ周辺を走査していた。


やってしまった。

やらなくていいところまで見た。


軒の下で寝る子。

荷運びの後ろを歩く子。

司教座の粥を待つ子。

市場で落ちた豆を拾う子。

誰の子か分からない子。

誰の子だったかは分かるが、もう誰も引き取りに来ない子。



星船の表示面に、赤い光点が増えた。

一つ、二つ、十、二十。


サルは言った。

「やめろ」


生命影響班は言った。

「もう見えている」


サルは、何も言わなかった。

見えてしまったものを、星船は苦手としていた。

見えなければ処理しない。

見えると処理したがる。

そして処理すると、だいたいろくでもないことになる。



強硬接触班三は、妙に静かに言った。

「全員は無理だ」


サルが答えた。

「一人でも重い」


「では、帰るあてのない子を一人」


「なぜ一人だ」



しかし、星船はもう候補を見つけてしまった。


線の薄い子だった。

名はなかった。

本人は名乗らなかった。

あるいは、名乗る名を持たなかった。

周囲の大人は、その子を「小さいの」と呼んだ。


年齢は七つか八つ。髪は短く切られていた。男児にも女児にも見えた。

星船は女児と推断した。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


星船記録:

対象候補:無名未成年個体

自称:なし

周辺呼称:小さいの

性別:女性と推定。ただし本人の生存戦略上、外部判定非表示推奨。

親族:不明。

帰属集団:なし。

所持品:縄、木片、割れた陶片、鳥の骨。

状態:慢性的栄養不足、皮膚炎、咳、右頬に古い傷。

帰還あて:検出困難。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


強硬接触班三が言った。

「この子でよい」


サルが言った。

「よい、ではない」


「では、この子がよくない理由を述べよ」


「星船は親ではない」


「現地にも親はいない」


「星船は家ではない」


「現地にも家はない」


「星船は人間の成長環境を持たない」


「現地には死亡環境だけがある」

サルは黙った。



その子は、川沿いの積み荷の陰で寝ていた。

寝ているというよりは、体力を節約していた。

腹は空いていたが、今すぐ倒れる段階ではない。


目が古かった。

子供の目ではなかった。犬が石を投げられる前から避けるときの目だった。


星船は、声をかけた。

──食物を提供できる


子供は動かなかった。


──水を提供できる


子供は、片目だけ開けた。


──安全な場所を提供できる


子供は、笑った。

声は出なかった。顔だけで笑った。その顔には完全な不信があった。


安全な場所。

大人はみな、それを餌にする。



星船は、そこで少し迷った。


サルが言った。

「選ばせろ」


強硬接触班三が言った。

「選ぶ材料がない」


「それでも選ばせろ」


星船は、空中に三つの映像を出そうとして、サルに止められた。


「幻を見せるな。怖がる」


「ではどうする」


「物を置く」



星船は、その子供の手が届く場所に、小さな布包みを置いた。

中身は硬いパンと水袋と干し果物。

この時代のこの場所で、不自然すぎないもののはずだった。


子供は、布包みを見た。


すぐには取らない。


周囲を見る。

上を見る。

足元を見る。

罠の紐を探す。

近くに棒を持った男がいないか見る。


それから、手を伸ばすのではなく、足の指で包みを引き寄せた。


うまい。

星船内部で、強硬接触班三が小さく感心した。


子供は包みを開け、パンを半分だけ食べた。

残りはすぐに服の内側へ押し込んだ。

水は飲まず、匂いを嗅ぎ、少しだけ唇につけた。


──もっとある


星船が言うと、子供は今度ははっきり笑った。


「あるなら、お前が食えばいい」


翻訳が届いた瞬間、サルは少し黙った。

この子は、星船を天使とも神とも思っていない。

声のする変な盗人か、金持ちの悪戯か、悪霊の類だと思っている。

その方がいい。

信じすぎる子より、ずっといい。


星船は言った。

──ここから離れたいか


子供は答えた。

「誰のところへ」


──誰のところでもない


「それは死ぬ場所だ」


──違う


「違わない」


七つか八つの子が、世界の制度をほぼ正しく言い当てた。

誰のところでもない場所は、死ぬ場所である。

少なくとも、彼女の世界では。


星船は、しばらく処理を止めた。

そして、かなり危うい表示を出した。


──星船のところへ


子供は顔をしかめた。

「ほしふね」


──空の舟


子供は空を見た。

雲があった。鳥がいた。舟はなかった。


「嘘が下手だ」


強硬接触班三が言った。

「評価が厳しい」


サルは言った。

「当然だ」



結局、星船はその子を即座には転送しなかった。


三日観察した。


一日目、子供は布包みを半分食べ、半分隠した。

二日目、年長の少年に隠し場所を見つけられて殴られた。殴られながらも水袋だけは手放さなかった。

三日目、咳が悪化し、夜の雨で震えた。


星船は介入した。


「誘拐」ではない、と星船は言い張った。

なぜなら、事前に声をかけたから。


サルは言った。

「同意の質が悪い」


強硬接触班三は言った。

「死ぬよりはよい」


サルは言った。

「その言葉でどれだけのことが行われてきたと思う」


「今は本当に死ぬ」



星船はその子の前に、再び水とパンを置いた。


「来るか」


子供は震えながら言った。

「戻れるか」


星船は、そこで嘘をつかなかった。

「戻ることはできる。ただし、戻れば同じ場所とは限らない。戻らない選択もできる」


「食べ物はあるか」


「ある」


「殴る大人はいるか」


「いない」


「働くか」


「働かなくてよい」


子供は、見えない星船を睨んだ。


「そんな場所はない」


「ある」


「なぜ私を入れる」


星船は答えに詰まった。


強硬接触班三が言いかけた。

「観測――」


サルが即座に遮断した。


生命影響班が、別の文を出した。

「お前が死なない方がよいから」


子供は、その言葉も信じなかった。


だが、雨は冷たかった。

咳は止まらなかった。

腹は空いていた。


彼女は、布包みを抱えたまま言った。

「行って、嫌なら噛む」


「噛んでよい」


「物を盗む」


「必要なものは渡す」


「逃げる」


「逃げる経路は相談する」


「相談とは何だ」


「一緒に考えること」


子は、ますます怪しんだ。

だが、ついに一歩出た。その瞬間、星船は彼女を転送した。

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