58話 ただただ嬉しい
間違えない。
間違えるはずがない。
見た瞬間、引き込まれた。
体があの人だと叫んでいた。
『フィリア~? おーい?』
あの温もりが手から消えない。
伝わってきた鼓動が、体から離れない。
でも、
視界に入ってきたのは、知らない紅蓮の髪で。
宝石みたいなルビー色の瞳で。
『うりゃあ! 戻ってこぉい!』
「ぶふっ!」
スクルの尻尾がダイレクトに顔にぶつかってきて、後ろにそのまま倒れそうになったけど、「おおっと、スクルは大胆だなぁ」とか呑気な声で呟いている殿下が支えてくれた。
……殿下?
「わあ! なんでいるんですか⁉」
「え、酷い。さっきからずっといたじゃないか」
『全然覚えてないの? 全く動かなくなったあんたをここまで連れてきたのに』
スクルに言われてバッと周りを見てみると、さっきまでスクルといた中庭だった。椅子とテーブルの周りにはスクル宛のプレゼントがある。……増えてない?
混乱真っ最中の私をおかしそうに笑って、殿下が「座ろうか」と椅子に促してくれた。はっ! こんな所をまた誰かに見られたら、また変な誤解が生まれる!
「殿下! この際だからはっきり言いますね!」
「うん、唐突。今日もフィリアは元気だね」
「私との接触は本当に迷惑です! あと病弱設定をどうにかしてください! それと――」
指を折りながら矢継ぎ早に捲し立てる。短く殿下に伝えることを伝えなければ、と、考えた時に、ついさっき馬車から現れた人のことがまた脳裏に過った。
殿下は待っていたみたいだった。
じゃあ、あの人が誰か知っている。
グワッと殿下の襟元を掴むと、殿下がパチパチと目を瞬かせていた。
「殿下!」
「うん?」
「あの人、お姉さまじゃないんですか⁉」
「えーと……」
一瞬お姉さまに見えた。でもすぐに目の前で違う人に変わった。あれは何⁉ 本当に幻だったの⁉
お姉さまだと、そう思ったのに!
でも殿下は落ち着き払った様子で、「とにかく深呼吸でもしない?」とか言って、静かにゆっくり私の手を放していた。こっちはすぐ教えてほしいのに!
スクルにも『とりあえず座ったら?』とか言われるから、仕方なしに椅子に座ると、いつの間にかいた昔馴染みの殿下の侍女さんが紅茶を用意してくれている。殿下がスクルにリンゴを渡していたから、ねえ、それよりもさっきの人の話をしてくれないかな? なんて思ってしまった。
「とりあえず、さ。フィリア、どうして彼女をセレスだと思ったの?」
「お姉さまだからです!」
「あ、うん。それじゃあ、答えになってなくてね?」
「あの人はお姉さまでした!」
見間違えない! 絶対に!
なのに、一瞬で変わった。顔を上げたら、知らない誰かに変わっていた。
殿下は、困ったように微笑むばかりだ。
「フィリアがセレスに会いたい気持ちは分かるよ。ずっとそばで見てきたし、応援だってしてきた。セレスが生きていてくれたらいいなって、今は僕も思っている」
心のどこかではもう死んだと思っているよね、殿下。
「今までも、そうやって似た人を見つけては違うって繰り返していた。だから、今回もそうじゃないかなって僕は思うんだけど、どうかな?」
……た、確かに、これまでもそうやって、同じ銀髪の人を捕まえては全然違うを繰り返していたけども!
うっと言葉を詰まらせると、殿下が紅茶を一口飲んでから、はっきりと言った。
「彼女はね、セレスじゃないよ」
ちょっと沸き起こった望みが、どんどん消えていく。
「髪色も瞳の色も、なにより顔も、セレスとは違かっただろ?」
返す言葉が出てこない。諭すようなその声に、ついテーブルの上にある紅茶を見つめてしまった。黙ってしまった私を気遣う空気が侍女さんたちから流れてくる。
確かに、確かに髪も瞳も、顔も、違う人に見えたけど、でも……最初はお姉さまだって思ったから体が動いたわけで……。
じゃあ、じゃあ……。
「……じゃあ、誰だったんですか?」
「叔父の娘だよ。つまり僕の従姉妹」
「叔父……?」
顔を上げると、困ったように目を伏せている殿下がいる。叔父ってことは、話題になっている王弟殿下ってこと? 娘?
「いきなり帰ってきて、娘を学園に通わせたいって言ってきたんだ。僕が今在学中だから面倒見ろってさ。それが彼女、ルミナス嬢」
ルミナス。
今までの時間軸でも聞き覚えのない名前。
「僕も初めて会ったんだよ。フィリアが彼女をセレスと間違えると思ってなかったから、びっくりしたけど」
軽く肩を竦めて、スクルにまたリンゴの欠片を与えている殿下を見ると、本当にお姉さまだとは思っていないみたいだ。
……じゃあ、なんで私はお姉さまだと思ったんだろう?
膝の上に置いていた手首からは、お姉さまから貰ったブレスレットが見えている。
間違えるはずがない銀色の髪とサファイアの瞳。
それとは真逆の紅蓮の色の髪とルビー色の瞳。
目つきはお姉さまとは確かに違うけど、でも全体的にはお姉さまに近い気もする。
それになんだか、今思い出すと、やけにぼやけていたような……この感覚を知っている気がする。
「ああ、それと、病弱設定の方? なんか不便でもあった? 学園休むいい理由になると思ってるんだけど……あ、もしかして他の子が何か言ってるとか? 接触が迷惑とか言ってたよね?」
「へ?」
その感覚をどこでとつい記憶を探っていたら、きょとんとした顔をしている殿下と目が合ってしまう。病弱? は! そうだよ!
「余計な心配させてしまうんですよ。本当は元気なのに!」
「誰に?」
「ミランダ様とかミランダ様とか、あとミランダ様とか?」
「……あー……うん、彼女か。ああ、余計な詮索もしてくるかもね、彼女。百パーセント善意だけど」
うんうんと納得したかのように頷いている殿下を見てしまうと、さっさと婚約してしまえばいいのにとも思ってしまう。彼女、純粋に殿下のことが好きだと思うから。前に殿下のことで「お似合いですよ」と言ったら、顔を真っ赤にした記憶がある。
「わかった。彼女には何とか言っておくよ。他に何か困ってることある?」
『あ、王子! これこれ! これ全部屋敷に届けて!』
「ん? スクル? これ持ってけばいいの?」
『そうそう! さっすが王子! 言葉分からなくても伝わるから便利だよねえ!』
……スクル。完全に殿下を僕にしてるよ。腕引っ張って指さしただけで伝わる殿下もどうなの? しかも「ああ、後で他国から取り寄せた新種のリンゴも送るからね」とかサラッと言ってるし。言葉通じてないよね? 鳴き声だよね、届いてるの?
ちょっと呆れつつ二人のやり取りを見ていたけど、殿下はその荷物たちを送る手配を侍女さんに言っていて、もう王宮に帰るみたいだった。今日はそのルミナス様のために学園に来たらしい。
「ああ、そうだ。今度の休みに侯爵に会いたいって伝えてくれる?」
「王宮で会っているのでは?」
「そうだけど、叔父から頼まれていることが僕だけじゃ捌けそうになくて……はは」
一瞬にして遠い目になってる。忙しいみたいだからね。学園に来る暇もないくらいに。確かバールもお父様も今朝そんなことを言っていた気がする。
お姉さま探しも手伝ってくれてはいるけど、やっぱり王族という立場のせいか、この年齢になると色々とやることが増えてるみたい。よく見ると、目の下に少し隈があった。
殿下にこれだけ苦労させてるのが、王弟殿下なんだ。
その人の娘が、ルミナス様。
……あれ? スクルはどう思ってるの? スクルも勘違いだよって思ってるのかな? あのスクルが? それに、私が飛び出す前に何か言ってなかった?
『んじゃ、王子! よろしく~!』
ジトーッと殿下を呑気に手を振って見送っているスクルを見下ろすと、きょとんとした様子で見上げてきた。
「……スクル?」
『……ああ、えーと。何かなぁ?』
わざとらしく視線をソッと逸らすから、ピンときてしまう。これ! なんか知ってる、これ!
グワシッ! とスクルの体を持ち上げると、『あ、やっべ』とか呟いていた。
「スクル~?」
『ひぃぃぃ! フィリア! ちょちょっ! 落ち着こう、ね⁉ あたしは知らなかった! 本当に!』
「知らなかった⁉ 何がかなあ⁉」
『しまった! 墓穴掘った!』
知らなかったってことは、何かを知っているってことだよね⁉ そうだよ、殿下じゃなくてスクルに聞けば分かることじゃない!
スクルとお姉さまは魔力で繋がってるんだから! さすがにあんな間近だったら、スクルだって分かるに違いない!
「ちゃんと教えて!」
『うえっ! ちょっ! 待っ!』
「スクルなら分かるよね⁉ お姉さまだよね、あれ⁉ どうなの⁉ お姉さまに見えたのに、違う人だったなんてありえるの⁉」
『フィっ! フィリア! ぐえっ! 喋れなっ! やめろって言ってるでしょうが⁉』
「ぶへっ!」
私の手から逃れたスクルが振り回した尻尾がまたまた私の顔にダイレクトに当たって、その勢いのせいか、お尻から盛大に地面に転んでしまった。さすがに痛い。
でもスクルは華麗に地面に着地して、汗を拭うかのような仕草をしてからビシッと指を差してくる。
『あのさぁ⁉ いい加減興奮したら、体を上下に振るのやめなよ⁉ 言いたいことも言えやしない!』
「そんなことより、ちゃんと教えてよ! お姉さまだよね、そうだよね⁉」
『……』
え、なんでそこで黙るの……? 何、その目?
「お姉さま……だよね……?」
ちゃんと触れた。
鼓動もあった。
違う髪色だけど、違う瞳だけど、でも、ちゃんと最初お姉さまだったよ? あの人だったよ? そう信じたい気持ちが強い。
ハアとスクルが溜め息をついて、私の膝に乗ってくる。小さい手で頬を軽くペタンと叩いてきた。
『ちゃんと教えるから、泣くのはなしだよ、フィリア』
涙を拭うかのようにゴシゴシと目元を擦ってくる。泣いてたの、気づかなかった。
今までも、こういうの何度もあった。
似ている髪色だったり、背格好だったり、そういう人たちに会っては勘違いして、悲しくなる。
また違う人だ。
またお姉さまじゃなかった。
ベッドの中で、シーツに包まっては恋しくて泣く日も多かった。
お姉さまを想うだけで、会えないだけで、胸がギュッと押し潰される。
でもお姉さまはこの世界のどこかで生きているからって、何度も何度も心の中で繰り返して、前を向いてきた。
今回もそうなのかな? 今回も違う人?
会いたい気持ちばかりが育っていくから、幻が本当に見えていたとしても、自分でもそうだったかもって思ってしまう。
自信がどんどんなくなっていく。
お姉さまの手ってどういう感じだっただろう? あの温かさはどういう温かさだった? あんな風に鋭い目だったかな? 背は? どれぐらい身長差があった?
忘れていないはずなのに、朧げになっている。
忘れたくない手なのに。
忘れたくない温かさなのに。
どんどん朧気になっていて、自信が一日経つ毎に失われていく。
今度こそ。
今度こそ今度こそ。
……いつまで?
そう思うと不安がジワジワ広がって、苦しくなって、勝手に涙が零れてしまう。
『あーもう、ほら! そんな顔で帰ったら、アネッサたちも心配するって!』
「う~!」
スクルが乱暴に私の制服からハンカチを取って、強く目元をまた擦り付けてきた。一度出たら止まらなくなる。
『そんなんで今からあたしが言うこと聞けるの?』
……だって、今回も違うってなったら、怖くなったんだもん! 勝手に悲しくなったんだもん! いつになったら会えるんだろうって、苦しくなっちゃったんだもん!
けど、ちゃんと聞かなきゃ。
あの人がお姉さまじゃなかったら、いつもみたいに探しに行けばいい。
会えるまで何度も、どこへでも、探しに行けばいい。
スクルが持っていたハンカチを奪い取って、自分でも乱暴に顔を擦った。ハンカチから顔を上げて、スクルを真っ向から見つめる。
泣くのは終わり。
また泣きたくなっても、部屋で泣こう。
うん、大丈夫!
……でも、期待はしていいよね?
「はい! どうぞ!」
『……泣くのか、聞くのが怖いのか、度胸がいいのか、今でもさっぱり分かんないんだよなぁ』
スクルが呆れたような表情を向けてきたけど、背筋を伸ばして、真面目な目つきで見上げてくる。少し緊張しながら、スクルの言葉を待った。
『フィリアはセレスだと思ったんだよね?』
「うん!」
『でも、違う人に変わっていた?』
「そう! 髪色も瞳の色も」
お姉さまとは真逆の紅蓮の髪色と、ルビー色の瞳だった。少し目つきも鋭かった気がする。
軽くスクルが肩を竦めているから、途端に不安になった。やっぱり、違う――
『あたしには、成長したセレスにしか見えなかったよ』
――え?
『多分、認識阻害だろうね。他の人にはよく認識できない。まあ、その髪の色と瞳の色も魔法で変えてたっぽいけど。ぼやけている感覚ない?』
「……あった」
ある。思い出そうとしても、そこまで深く思い出せない。
でも、そんなことより。
『だけどあたしと魔力が繋がってるから、あたしにはその魔法は効かない。ちゃんと認識でき――ってうぉわ⁉』
ガバッとつい勢いに任せて、スクルの体を持ち上げて抱きしめた。『ぐるじぃ!』ってペシンペシンと尻尾を叩きつけてくるから、そのまままたスクルの体を空に向かって持ち上げる。
「本当?」
『え?』
「本当に、本当?」
本当に、本当に?
「本当に、お姉さま?」
一瞬目を丸くさせたスクルが、すぐにおかしそうに笑ってくれた。
『そうだよ、あれはセレスティア』
はっきりと言ってくれたスクルに、また目の奥が熱くなってきた。
止めたはずの涙が、自然と込み上がってくる。
「本当にお姉さまなんだよね?」
『そうだって』
「本物のお姉さまなんだよね?」
『あの魔力は間違いないよ。精霊たちもいっぱいいたしね』
スクルの言葉が力強く感じる。
会いたかった。
ずっと、ずっと会いたかった。
さっき会った紅蓮の髪色の顔を脳裏に浮かべる。
確かに感じた温もりを思い出す。
探していました。
会いたくて会いたくて堪らなかったんです。
勝手に体が動いたのは、間違いじゃなかった。
『あーもー。だから、泣いたら目が腫れるよ?』
ペシンとまた尻尾を顔に落としてきたけど、でも、いいんだよ。
「嬉し涙だから、いいんだもん」
震えた声で返すけど、スクルも嬉しそうに温かい眼差しを向けてきてくれる。
お姉さまだった。
ちゃんとあの人がお姉さまだった。
それだけで嬉しくて、あったかい気持ちで溢れかえる。
ちゃんと生きていたことが、
無事でいてくれたことが、
ただただ嬉しい。
また会えたことが嬉しい。
抱きしめられたことが嬉しい。
もっと、もっとギュってするんだったなぁ。
嬉しさに浸っていたら、私の手から抜けて肩に飛び乗ってくるスクルが『それで?』と言ってきた。
「それでって?」
『このままでいいの? いいわけないよね?』
きょとんとしながら首を傾げると、また器用にペシンと頭を柔らかい尻尾で叩いてくる。
「こっちは嬉しさいっぱいなのに!」
『それでいいならいいけど? あたしはセレスが生きてればいいしさ』
そんな呆れた目をしなくても!
……でも、そうだね。
満面の笑顔をスクルに向けると、また目を大きく開けていた。
「会いにいく」
お姉さまがそこにいる。
なら、会いに行かなきゃ。
だって、もう決めてるから。
「もう絶対離さないって決めてるから」
あの人をまた抱きしめにいく。
捕まえにいく。
どうして帰ってこなかったのかとか、お父様たちも心配しているとか、そういうことも伝えたいし、色々とちゃんと聞きたい。
「私の気持ちを、ちゃんと伝えたいから」
一人にしてごめんなさいって。
守れなくてごめんなさいって。
大切だって。
大好きだって。
「お姉さまに会いに行こう」
もういる場所は分かっている。
なんで王弟殿下の娘役やっているかさっぱり分からないけど、今まで場所なんて分からなかったことを思えば全然楽だ!
早速王宮に行こうとしたらスクルに『さすがに明日にしたら?』とか言われてしまった。確かに。王宮に行くなら、殿下を通した方が早いかも。いきなりこの身一つで行っても門前払いかも。
お父様たちにはどうしようか? 王弟殿下の娘になってますって言ったら、さすがに倒れるかもしれない。前にお父様、ボコボコされたんだよね? そんなお父様をお姉さまが見たいかな? 悲しみそう。
うん、やめよう。まずは私がお姉さまに会おう。そしてもう絶対にギューして離さないもんね!
なんてことを考えて、とりあえず殿下に王弟殿下に会えるようにお願いしようと思っていたんだけども――
「あ、見て。あの方が、ルミナス様だって」
――次の日、学園に来たお姉さまが早速生徒たちに噂されていた。




