3歳の近況と三輪車
あれから時がたち、私は3歳になった。
もう歩くことも出来るし、しゃべることも出来る。
普通の子供なら12歳ごろまでは使えない魔法をすでに使えるので、両親は成長が速い、天才だと喜んでくれている。
兄さんであるルーカスも勉強と運動の時間以外は私につきっきりで遊んでくれている。
彼は魔法をまだ使えないので、私が魔法を使えるのが羨ましく悔しく…
でも兄という立場と妹への愛情のほうが上で、誇らしく嬉しいという複雑な感情のようだ。
彼は自分が守るべき妹に劣る部分がある事が許せないらしく、真面目に勉強と訓練に打ち込むようになった。
両親は微笑ましい目で兄さんを見守っている。私もそんな兄さんが大好きだ。
兄さんに読心術でもかけてるのかと言われそうだが、彼はまっすぐで正直な性格なので、
「カレンはいーなー、魔法が使えて!あーもう悔しい!」と遊んでる時に言い出したり、
「自慢の妹だぞ。かわいいだろ!もう魔法も使えるんだ」と街の子供に紹介してくれたり、
「カレンを守れるようになりたいのに僕は魔法が使えない。だから魔法の勉強を勉強したい!」と両親に頼んだり、
全部口に出してるだけだったりする。いい兄さんである
今の生活は母であるカーラと話し、本を読んでもらい、兄さんの勉強と訓練が終われば一緒に遊ぶだけだ。
メイドのリッツと母さんは椅子に座って、お茶を飲みながら微笑ましくそれを見ている。
二人は仲が良いようで、主人とメイドというよりお友達のような雰囲気だ。
というか実際に友達付き合いがあって、それがきっかけでメイドになったらしい。
彼女はメイドだけでなく家庭教師も兼任している。
かなり有能な人のようだ。
よくよく思い出してみれば、前前世、魔兵学校で見たことあるような。
3学年下だったのでこちらからは意識することがなかったが。
父、ルークと会うのは朝と晩だけだが、いつも満面の笑みで抱っこしてくれる。
「うおおーい、今日も元気かーカレンー、ルーカスー。んーチュッチュッ」
「お前たちの笑顔がパパの元気の源だぞおおおおおおお」と言いながら兄妹に抱きついて
「じゃ行ってくるぞッ!怪我するなよ!仲良くしろよ!カーラ愛してるぞッ!」
とウインクしながら軽めのおどけた敬礼をして出発するのである
いつもこんな感じである。前前世では
「ザルツ、お前平民のくせに生意気なんだよ」とかいいながら手下をけしかけたり、
「平民共、邪魔だ。どけ!」と、学校では廊下の人混みをモーゼのように割って歩いたり、
「おまえそんなに頑張っても無駄だぜ?所詮平民なんだから僻地に飛ばされてお終いだよ」と挑発してきたり、
「ほうら、言ったとおりに辺境勤務になっただろう?これが生まれながらのエリートの権力だ。」と実行に移してきたり、
とんでもないクズだったのだが。一体何があったのか未だにわからない。
…あなたの愛する娘はそのザルツの記憶持ってるんですよ。
とはいえ、前世以前に関してはただの記憶になりつつあることもあり、
今こんなに私を愛してくれている人を、記憶でこうだったから恨めと言われても無理がある。
新しい体に慣れるうちに、精神も引きずられ、観測者の「私」はカレンになり、前世以前の記憶は本棚の隅にある辞書やアルバムのような存在になっている。
今の環境が恵まれてるので、カレンである自分を肯定しやすいのも、前世以前の記憶が主導権を握りにくい理由であると思う。
体がないときは前世と前前世を等価として見ていたのに不思議なものだ。第三者視点で記憶を認識出来てたんだろう。
そもそも、前世の私も前前世の私もあまり人を恨むタイプではなかった。
ザルツはルークの行いに対して、ウザいけどしょうがないやつだなと流してしまうような人間だったし、
前世の私は、虐待をしてきた親が丸くなってしまったために、復讐が出来ないような人間だった。
今、私は自分がカレンだという認識が強いとは言え、根本の部分は知らず知らずに引き継いでいる
前前世体験した嫌な記憶はあれど、私としては、今の父であるルークの溢れる愛の前にはその程度のことになってしまった。
さて、長々と近況報告をしたところで、自転車製作の進展を話そう。
少し前のことになるが、外で遊べるようになってから、おおっぴらに魔法を使うことにした。
もう隠し通すのが面倒だったし、家族は早熟を嫌がるタイプではなかったので思い切ってみたのだ。
家族は目を丸くしていたが、極稀に誰からも教わらずに魔法を使う子はいるので
「天才よ!」「アメイジング!」「精霊の生まれ変わりかも知れないわ!」とはしゃぐ程度で済んだ。
はじめに作ったのは構造が簡単で今の状態でも乗れる3輪車。
チェーンやブレーキなどが不要な簡素構造なので練習に最適だ。
土魔法でせっせと部品を組み立てていく。なるべく部品点数は少なくした。
まずはサドルまで一括でフレームを形成し、それにハンドル一体のフォークを組み込む
それにタイヤをつけて、前輪にはペダルを生やす。
小さい頃から鉢植えの土やおもちゃとして与えられた粘土で遊んでいたおかげもあるが、
3輪車には面倒な部品が無いのでなんとか形になり、一応の成功を見た。
家族も、足に地を付けずペダルを漕ぐことで進む乗り物に大層驚いていた
兄さんは「すごいすごい!僕にも乗せて!」と三輪車に乗りたがり
母さんは「こんな大きい物をもう作れるの?この形は自分で考えたの?すごいわねえ。これは魔法で動かしてるの?」
といろいろと信じられないようだった。
早速、兄さんにも乗ってもらったのだが、すぐに壊れた。
ペダルが折れ、車軸もイカれてしまった。
兄さんは泣きそうな顔になりながら
「ご・・ごめんカレン」と頭を下げてたので、
「大丈夫です。また作ればいいですから。今度はもっといいものを作ります。」と笑って返しておいた。
兄さんは救われたような顔で「ほ、ほんと?楽しみに待ってるよ!」と安堵していた。
彼はあまりクヨクヨせず、切り替えが早い。素敵だ。
兄さんは全く悪くないのでこちらも申し訳ない気持ちだったりする。
もっといいものを作れれば。
とはいえ魔法である程度硬化させてるとはいえ、素材はただの土なのだ。
3歳の体重は支えきれても、7歳の体重は難しかった。
数日、兄さん用の乗り物のことで悩むことになった。
どうやって強度を増すか…
魔法でレンガを作るのは形を作るまでで、後は干したり、窯で焼き上げるのが一般的だ。
じゃあ人を乗せられるような土製のゴーレムはどうしているのか。
ゴーレムは硬化と軟化、形状保持、形状変化を組み合わせた複雑なものだ。
土を硬化させ、人の形を作る。動かす際は一部を軟化させた状態で形状変化を起こさせる。
この際には形状が一定以上に崩れないように魔力で保持する。
土を事前に硬化させておくことで、形態保持のための魔力を少なく出来、
動かす際には一部の変化と保持だけで済むという仕組みだ。
私の三輪車で行ってるのは硬化と保持だけだ。なにせ柔らかくするところはない。
三輪車に乗る際は、強度に問題の出る箇所を魔法で常に保持、微修正すれば問題なく乗れる。
しかし、兄さんが安心して乗るには魔法を使わない状態で形を保持しなければならない。
私自身、形の保持に魔法を使うことは本意ではない。そんな魔力があるならペダルを踏む力に回したい。
次に作ったのは、4輪化し、車軸をうんと太くし、もっとも破損しやすいペダルを廃した試作品だ。
要するに子供が遊ぶ足蹴り車である。
今日完成したばかりの力作だ。
これは無事兄さんの体重を支えきり、とても喜んでもらえた。
でも、こんなものは私の理想じゃない。それに耐久性には問題が出て、2時間程度で摩耗箇所の再形成が必要になったし、
兄さんもやはりペダルをこいで進む乗り物を体験したいようだった。
やはり、木や金属の扱いを覚える必要がある。魔法でいじれる物質とは言え、前前世で扱ったことはない。
どこから知識を仕入れればいいのか…材料も必要だ。
今日はもう疲れたので、明日両親にいろいろと聞いてみよう。
何はともあれようやく自分の目指してたものが空想から形になった今日はぐっすりと眠れそうだ。