傾国の酒場
ルーシアの働く酒場『モールの宴』は入り口の狭い半地下のような店舗だ。
客は二十人ぐらい入れば満席になるぐらい。
奥にピアノがあり、その前に歌手が立つようになっている。
歌手はもちろん、ルーシアだ。
で、この『モールの宴』の店員構成だが……。
まずはバーテンのゴードン。
禿頭のゴツイ体に反してカクテルから料理までなんでもこなし、そして美味しいらしい(ミライザ評)。
続いて、ドアマン兼用心棒のバール。だいたいドアの前に立っていて、満席になると入れない客を追い返すそうだ。
用心棒というだけあって、喧嘩も強いらしい。
あんなにゴツイゴードンがいるのに、用心棒がいるのだろうか?
次はピアニストのイース。
ザ・アーティストって感じの金髪ロン毛の優男。
顔も良くて女性客に人気があるそうだが、当人はピアノ以外に興味はないという。
そして歌手のルーシアとなる。
ミライザはウェイトレス兼掃除婦としてここに収まる。
「なんて可哀想! いいわ、うちで働きなさい!」
ルーシアがミライザの説明をすると、ゴードンが即決してくれた。
この口調でわかるだろうが、ゴードンはオネエである。
そして俺はオネエゴリラの腕の中に移動させられている。
「自分も苦しい立場なのに赤ちゃんまで守ろうとするなんて! とんだ天使ちゃんね!」
そう叫びながら髭面を当ててくるのはやめてほしい。
俺の扱いだけれど、この酒場が入っている建物は、地上階がパン屋で、さらに上はアパートとして貸し出しているそうで、ミライザと俺はそのアパートの一室を割り当てられることになる。
しかもミライザが働いている夜の時間は、パン屋を営んでいる夫妻が面倒を見てくれるという。
俺はすでに自意識があるので、夜泣きとかそういうのをするつもりはないし、暇な時は【幽体離脱】で見聞を広めるつもりなので、手のかからない赤子となること間違いなしだ。
パン屋を営むウィートン夫妻は俺の世話を喜んで引き受けてくれた。
というか「うちにも早くこんな子供が……」とか言って子作りスイッチが入っているんだが?
まぁ、俺が寝たふりしたところからスタートしてくれるから別にいいし、幸せになってくれよと思うだけなんだが……なんだが。
赤子の段階で自意識があるのも問題かもしれんな。
時々夜泣きとかしてやりたくなる。
ここだぁっていう、男だからこそわかるタイミングで。
やらんけど。
生活が落ち着いた頃に【幽体離脱】で外に出てみた。
実際にどれくらい体から離れられるかもわからなかったからな。
じっくり慎重にやるつもりだ。
まずは、アパートの部屋を出て、それから酒場に行ってみた。
ミライザの仕事ぶりとか、ルーシアの歌とか聞いてみたかったし。
ミライザは薄暗い店内をちょこちょこと動き回り、ゴードンの作った酒や料理を運んでいる。
すでに店の雰囲気に溶け込んでいて、マスコットキャラ的な愛され方をしているようだ。
ていうかミライザって十歳だけど、夜に働いても問題ないんだな。
まぁ、元の世界の労働基準法的なものがないんだから当たり前か。
酒場なんだから当たり前なんだけど、けっこうガヤガヤとしている。
だけど、ピアニストのイースを引き連れたルーシアが現れると、シンと静まる。
酒精の漂う静寂の中で自分の場所に立ったルーシアは、集まった視線を集中した顔で受け止め、イースの始めたピアノ旋律とともに歌い始める。
ああ、すごい。
あまり音楽のジャンルには詳しくないのだけど、ジャズっぽい気がする。
ルーシアの声は酒場の床を這うように響き、皮膚から体の芯に染み込むように伝わってくる。
足元から絡みつく蛇の如く、あるいは天上から差し伸ばされる天女たちの手のごとく、ルーシアの歌声は酒場の空気に染みて、客たちの心に入り込んでいく。
ああ、これやっぱ。
【幽体離脱】しているというのに、歌声が肉体に届いているのがわかる。
赤ん坊じゃなかったら煩悩スイッチが入っていたかもしれない。
客たちは大丈夫なのか?
あ、あんまり大丈夫じゃなさそうだな。
と、思ったら、最後の曲が凶暴だった。
観客たちは息を呑んで聴き入り、曲が終わるとみんなしてコップに残っていた酒を飲み干し、空になっていたらおかわりを頼んでいた。
それぐらい、肝が冷えるような、だけど、なにかすごい体験をさせられたような、そんな歌だった。
曲がすごいのか、歌い手や演奏者がすごいのかわからないけど……いや、ルーシアとイースがすごいんだろうな。
うん、これはいいものを見せてもらった。
歌い終わって舞台から去っていくルーシアとイースを皆が拍手で見送る。
その目には、ルーシアに支配された者たちっていう雰囲気があった。
これは【傾国】の力なんだろうか?
カウンターの側にあるバックヤードに入る隙間。
隅っこのイスに座る若い男性とルーシアの目が合った気がした。
これまた立派な容姿の若者だ。
ルーシアの隣に立ったとしても遜色ないかもしれない。
だけど、ほんのわずかに重なった視線はそれ以上に発展することなく、ルーシアはバックヤードに入っていき、男は拍手を止めると酒を楽しみだした。
なにかが起こりそうな予感を思わせるような一瞬だっただけに、ちょっとだけ残念だ。
いやぁ、魂だけなのに、なんか本当に煩悩を刺激されまくった。
そんな【傾国】のルーシアが側にいて、『モールの宴』の店員たちは大丈夫なのかと思うのだが、大丈夫だった。
ゴードンは見た目と言動通りのオネエゴリラ。
バールは戦傷でタマナシとなってしまって性欲が欠如。
イースは受け専門の男色家だそうだ。
なんか、濃いメンツが集ってるな。
まるでルーシアのための居場所のようだ。
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