5・犬!
「……犬だよねえ?」
「ひゅー?」
あなたは腕の中の存在に頬ずりをした。
犬は犬だ。どう見たって犬だ。
猫でも良いけど、あなたは犬派だった。記憶が戻っていなくても魂が覚えている。
「でも一郎がまだ気づいていないから、特別な犬だったりして? しっぺい太郎や早太郎の伝承ってどの地域だっけ? 魔物退治の犬、猿退治の犬なんだよね?」
「ひゅーひゅー」
「座敷牢の花嫁……もしかして私、なにかの生贄にされるのかな。一郎は魔物の依り代で?」
だったら良いのに、とあなたは思った。
この三日間であなたは一郎に好意を抱いていたのだ。
端正な顔をしていることだけが理由ではない。彼は食事のときは好き嫌いを聞いてくれたし、盥で体を洗うときは背中を向けて見ないでいてくれた。あなたを自分の花嫁だと言いながら、いつも申し訳なさそうな表情を浮かべている。
座敷牢に閉じ込めているのが一郎の意思でなく、彼を依り代にしている魔物の仕業だったら良いのに、とあなたは思う。
だからといって助かるわけではないのだけれど。
あなたは腕の中の犬に言った。
「一郎がただの依り代だったとしたら、憑依している猿神を退治してくれる?……しっぺい太郎も早太郎も今風じゃないから、ハヤ……そうね、千早ちゃんとかどう?」
一緒に暮らして三日も経っているのだから今さらかもしれないが、あなたは犬に命名した。
「ひゅー……猿はもう倒したの」
「え?」
「あ、しゃべれる!」
「え? え?」
あなたの腕の中で犬改め千早は香箱を組む。
「人間は蛇に見初められるほど霊力が強いし、今名前をつけてくれたことで千早と絆ができたのね。それで千早、しゃべれるようになったみたい」
「そ、そうなの?」
「千早はね、安房の国と土佐の国に落ちて犬神になった鵺のかけらなの。ふたつが一緒になって、讃岐の国の猿も倒して合体したの。後、伊予の国からここへ逃げて来て封印されていた蛇を倒したら元の鵺に戻れるのよ!」
「えー……」
あなたの唇から、思いっきり嫌そうな声が零れた。
「どうしたの、人間?」
「鵺ってあれでしょ? 猿の頭に狸の体、虎の手足に蛇の尻尾、鳴き声はトラツグミ」
「そうなのよ」
「……犬のほうが可愛いよ」
「そう?」
「今の千早ちゃんが一番だよ!」
「ひゅー!」
あなたは腕の中の千早を撫で回した。
まだ自分の名前も思い出していないけれど、それでもわかっていることがある。
千早は可愛い。世界で一番可愛い犬だ(あなた調べ)。
「人間がそう言うなら、蛇を倒しても鵺に戻らなくても良いかも」
「良い良い」
「あ、蛇が来たの」
あなたが千早に頷いたとき、部屋の扉が開いた。
花婿衣装の一郎が入ってきて、千早の姿に赤い目を丸くする。
いつもの彼の目は赤くはない。
「昔捨てた体の一部が追ってくるとは驚きました」
「千早、捨てられてないのよ。倒されてバラバラになっただけなの」
千早が溜息を漏らす。
「伊予の国で退治されかけて、この辺りに逃げてきたのは良いけれど、思ってたより気温が低いから体が動かなくて封印されたのが、近ごろの温暖化で活性化して動き出したってとこ?」
「……私の花嫁の霊力に隠れていた臆病者に莫迦にされる筋合いはないですね」
「えー? 人間の霊力に隠れてたくらいで本当に気づいてなかったの? 所詮尻尾なのよ」
「ッ! 体は狸で手足は虎だったはずなのに、犬になっているようなおかしな存在に尻尾と見下されたくはありませんよ!」
「でも犬のほうが可愛いでしょ?」
こてんと首を傾げた千早を見て、あなたは大きく首肯した。
「私の花嫁から離れなさい!」
「良いの? 千早が人間から離れたら、戦いの始まりなのよ」
「鵺に戻るつもりなどありません。私は一郎の体に宿って彼女を花嫁とし、霊力ごと食らって完全復活を遂げるのです!」
「千早も鵺には戻らないの。だって犬のほうが可愛いから!」
あなたの腕を蹴って、千早が跳ぶ!
「ははははは。威勢の良いことを言っておいて、窓に飛びつくとは! 確かに今のあなたは小さい。鉄格子の隙間から逃げられるでしょうよ」
「……蛇は変温動物でしょ?」
千早が肉球で器用に開けた窓から、冬の夜の冷たい空気が入り込んでくる。
「あ……あ、あ……」
一郎の体が膝をつく。その瞳の赤い輝きが消えていく。
「十度以下で冬眠するの。人間が蛇の本を読んでたときに千早も覚えたのよ」
「賢ぉ~い!」
あなたの賞賛を受けながら、千早が一郎に駆け寄って犬パンチを放つ。
一郎の体から冬眠中の蛇神が弾き出されるのがわかる。
蛇神になにかされていたのだろう。あなたの記憶が蘇っていった。あなたは大学で民俗学を研究している学生で、この村に来たのは――
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