28・人類の夢
あなたは右下の奥歯を強く噛み締めた。
さすがに噛み砕くほどの力は入れられなかったのだ。
そして――なにも起こらなかった。まあ加速装置なんておとぎ話だよね、記憶がないからわからないけど、とあなたは思った。
「食事の時間ですよ」
やがて一郎が夕食を持って来てくれたので、あなたは美味しく食べた。
吸血鬼が料理をしたりするのだろうか、なんて考えたりもする。
とはいえ吸血鬼というのは、あなたが勝手に考えたことだ。
ただの勘違いかもしれない。
彼は吸血鬼ではなく、あなたを攫って座敷牢に閉じ込めただけの普通の人間なのかもしれない。
いや、普通の人間じゃねーよ。犯罪者じゃねーか。
「今持っている情報だけでは判断できないわね。……とにかく寝よう」
食事の後で一郎が持ってきたお湯で体を洗い、あなたは寝た。
――奥歯のスイッチを入れたことで発信装置が稼働し、仲間が助けにやって来たのは翌朝のことである。
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(……出せ、僕をここから出しなさい!)
吸血鬼は、その魔力で人間を魅了する。
相性もあって、すべての人間に効果があるとは限らない。
それでも一郎が閉じ込められている円筒状の培養槽の外にいる、徹夜続きで疲労困憊の元花嫁くらいなら魅了できるはずだった。弱った人間は言葉だけでも操れる。
しかし残念ながら、コンピューターに向かってキーボードを叩いている元花嫁は振り向かない。
振り向いたとしても、今の状況では魅了できるかどうかわからなかった。
吸血鬼の魅了は眼力と声を合わせることで効果がある。眼力は培養槽に満たされた液体で屈折率を変えられ、声は響かなくなっているからだ。
元花嫁は科学者だった。
普通の科学者ではない。いわゆるマッドサイエンティストのたぐいだ。
彼女は同じ志の仲間達と協力して怪しげな組織を作り、不老不死の研究していた。もちろん仲間達もマッドサイエンティストで、どいつもこいつも倫理観が欠如している。他人を勝手にサイボーグにして、音速を超える危険な加速装置をつけた人間もいた。
そんなのを花嫁にしようとして攫った一郎が莫迦だったのだ。
彼女は右下の奥歯に隠された発信装置で仲間を呼び、一郎を捕獲した。
一郎は複製されて、彼らの研究に使われる日々だ。
「……ふへへへ、ふへへへへ。不老不死の原理はまだわからないけれど、吸血鬼が変身するために使っている細胞はわかったわ」
一郎の声は彼女に届かないのに、彼女の楽しげな笑い声は一郎に届く。
あまり好ましくない笑い声だ。ふへへ、はない、ふへへ、は。
これから研究に使われるのも嫌だが、そもそも一郎はもっと気品のある淑女が好みなのである。+処女なら言うことはない。
(魔力の強さだけに目が眩んで、こんな女を攫うんじゃなかった……)
一郎が感じた元花嫁の力は魔力ではない。
MPはMPでもMagic POWERではなく、Mad Scientist POWERだったのである。
培養槽の中で彼がどんなに悔やんでも、もう遅かった。
【マッドサイエンティストエンド】




