26・収れん進化
「蝙蝠は、頭蓋が脆い……?」
あなたは頭に浮かんだ言葉をひとりごちてみた。
どうしてそんなことを知っているのだろう。
記憶がないので、自分の知識の理由と由来がわからない。
「蝙蝠は頭蓋が脆い。蝙蝠は……収れん進化?」
気になる言葉を繰り返していたら、唇からべつの単語も零れ落ちてきた。
収れん進化とは、系統の違う生物が同じような環境で生息することで、よく似た姿を持つようになることである。
鳥に似た昆虫のスズメガなどが例に当たる。
「姿が似たものは性質も似通う。そこから類感呪術の発想が……」
言葉を重ねるうちに、あなたの脳裏に記憶が蘇っていく。
蝙蝠は頭蓋が弱い。
姿が似たものは性質も似る。……蝙蝠に似ているのはなぁに?
★ ★ ★ ★ ★
一郎は花嫁を監禁した座敷牢のある部屋に入った。
死人の血を吸っても同胞にはできない。
正式に迎えるための儀式の日まで、花嫁を生かしておく必要があった。
愚かな人間どもに前のアジトを襲われて、今の一郎には奴隷がいない。
みんな一郎を庇って退魔師達に破壊されてしまったのだ。
これから少しずつ花嫁を増やして、奴隷も集めなくてはいけない。
長い吸血鬼としての生活で、一郎は人間がする大抵のことができるようになっている。
人間社会に溶け込まなくてはいけなかったのだから当然だ。
たとえ自分に食べる必要がなくても、食事を作るくらいお手の物だった。
栄養のある食事で整えた最高の花嫁でなければ、吸血とともに魔力を与えて同胞にする価値もない。
花嫁なのだから動く屍人を作り出すだけの奴隷ではなく、奴隷をも作り出せる同胞に変化するための魔力を与えなくてはならないのだ。
せっかく魔力の強い人間を見つけたのに、元の体が弱っていたのでは一郎の魔力を受け入れられずに壊れてしまう。
「食事の時間ですよ」
そう言って鉄格子の向こうを見て、一郎は硬直した。
花嫁がいないのだ。
奥の窓も閉まっている。どこからも逃げられるはずがないのに――
「……ああ、クソッ」
一郎は夕食を載せた盆を落とし、服の中から鍵束を取り出した。
しかし焦っているので座敷牢の鍵が見つからない。
業を煮やした一郎は、蝙蝠に姿を変えた。鉄格子の隙間から入ろうというのである。
「うわあああぁぁ!」
座敷牢の内部に入って、一郎は叫んだ。
激しい痛みが彼を襲っている。
花嫁は座敷牢の中にいた。ただ見えなかっただけだ。彼女は梁を掴むことで天井に張り付いて、一郎が訪れるのを待っていたのである。
天井から落ちてきた花嫁の攻撃によって、蝙蝠と化していた一郎の頭蓋が割れている。
蝙蝠は頭蓋が脆いのである。
とはいえ一郎はただの蝙蝠ではなく吸血鬼だ。人間の姿に戻り、割れた頭蓋を吸血鬼の魔力で超回復していく。
「なんですか、貴様は。許しませんよ。もう花嫁になどしてあげません。僕に絶対服従の奴隷にして、永遠に苦しめ続けてやりますからね!」
吸血鬼は怪力だ。
頭蓋が割れていても、手の届く位置に彼女がいれば捕まえて血を吸うことができる。
それがわかっているのだろう。天井から降りた元花嫁は、畳に転がる一郎に近づかない。彼女はゆったりとした歩調で奥の窓に近づき、それを開けた。
「ぢぢぢぢぢっ!」
窓の外へ向かって、元花嫁はシジュウカラが仲間を集めるときの声を上げる。
「つぴぃ、つーぴぃ」
羽音が響く。
嬉しいときの声で鳴きながら、無数のシジュウカラが窓から入ってくる。
シジュウカラは冬眠から覚めた蝙蝠の鳴き声を聞いて集まり、その頭蓋を割って脳を食べる習性があるのだ。
「さっきのあなたの悲鳴、蝙蝠の目覚めの声に似てたみたい。私が呼ぶ前から、シジュウカラが近くに集まってたようね」
シジュウカラ達が一郎に群がり、露出した脳を食らう。
「う、うわあ、うわあああぁぁ!」
苦痛の叫びを上げるごとに増えていくシジュウカラ相手では、吸血鬼の超回復も間に合わない。
★ ★ ★ ★ ★
あなたは退魔師である。
いくら不老不死で怪力と超回復力を持つ吸血鬼でも、脳が無くては動けない。
一郎の脳は蘇るたびにシジュウカラに食われていった。
怪力の吸血鬼でも、数多のシジュウカラをすべて一撃で倒すことはできない。
それにこの辺りのシジュウカラには、少し一郎の魔力への耐性があるように見える。
一郎が動くときに生じる魔力を感知して飛び上がるのだ。
小さな窓からでも陽光は入る。
むしろ花嫁になるまでのあなたの健康に留意していたのだろう。
朝が来ると座敷牢は光に包まれた。
光を浴びた一郎が灰になると、シジュウカラ達は去っていった。
まるで役目を終えたかのように。
――単に食べるところが無くなったからかもしれない。
灰と化した一郎は、折った鉄格子を捻じ曲げて作った箱のようなものに詰めた。
もう記憶はすっかり戻っている。
あなたは鬼の血を引いていて、普通の人間より力があるのだ。鉄格子を折ったのは、蝙蝠に変身した一郎が着ていた服と鍵束を座敷牢の外へ落としてきていたからである。手を伸ばして鍵束を取るより、鉄格子を折るほうが早かった。
折った鉄格子を見て、あなたは気づいたのだ。
一郎が持ってきた夕食用の湯飲みに灰を入れて布で塞がなくても、この鉄格子を加工すれば良いのではないかと。
思いついても普通はできない。あなただからできたことだ。
知識は素晴らしい、とあなたは思う。
一郎が吸血鬼だと気づいたのは退魔師の勘だが、蝙蝠は頭蓋が脆いと知っていたから蝙蝠に変身する吸血鬼の弱点がわかった。
冬眠明けの蝙蝠の頭蓋を割って脳を食べるシジュウカラの鳴き声を知っていたから、利用しようと思いついたのだ。
あなたが一郎に花嫁として選ばれたのは偶然だ。
退魔師であることも鬼の血を引いていることも知らず、強い妖力だけを求めた彼に攫われたのだ。記憶を失っていたのは、攫われるときに魔力をぶつけられたからだろう。
それでもあなたは知識があったから勝て、彼は知らなかったから負けたのである。
朝の光の中、一郎の灰入り鉄のなにかを持って人里へ向かうあなたは気づいていない。
普通の人間は長時間梁を掴んで天井に貼り付けないということを。
たとえ知識があったって、できないことはあるのだということを――まあ、あなたにはできるので問題は無いのだが。
【小鳥遊エンド】
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