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白夜の都 ~処刑の光でも死ななかった怪人は、世界の境界を書き換える~  作者: もろ
第6章【過去】

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1話【失われた日常】

チッ。チッ。


木漏れ日が、ゆらりと揺れる。


深い緑の隙間を、やわらかな風が通り抜けた。


枝先で、小鳥が軽やかにさえずる。


清流が、さらさらと音を立てる。


土の匂い。


葉の匂い。


命の匂い。


穏やかで――

何ひとつ、欠けていない世界。


壊れる理由など、どこにもない世界。




「が――……ず――……が――……」


木陰。


一体の怪異が、無防備に眠っている。


大きく開いた口。


間の抜けた鼾。


あまりにも平和な寝顔。


その隙へ――

ぽいっ。


「……が?」


鼾が止まる。


一瞬の静寂。




次の瞬間――


ツ――ン。


鼻を突き抜ける刺激。


喉が焼ける。


目の奥が熱を帯びる。


クスクスッ……


押し殺した笑い声。


木の陰。


潜む、人間の子供たち。




「かっ――!! 辛っ……!!?」


怪異――焔が、跳ね起きた。


喉を押さえ、激しく咳き込む。


赤い髪が暴れる。


涙が溢れ、顔がぐしゃぐしゃになる。




「だははははっ!!」


子供たちは腹を抱えて転げ回る。


地面を叩く。


無邪気な、残酷さのない笑い。




「ぺっ、ぺっ……!」


焔は口の中の山葵を吐き出す。


鼻が痛い。


喉が焼ける。


涙が止まらない。




「こら――」


すっと、声が差し込む。


やわらかく、けれど通る声。


「焔様の昼寝の邪魔をしないの。夜の見廻りで、お疲れなんだから」


振り向く子供たち。


境内の奥。


白衣と緋袴の巫女が、静かに歩いてくる。


風に揺れる裾。


長い黒髪を後で束ねる。


凛とした立ち姿。


けれど――その眼差しは、どこまでも優しい。




「あっ、環さんだ~!」


子供たちは駆け寄る。


自然と距離を詰める。


そこに壁はない。


「焔様はね」


環はしゃがみ、目線を合わせる。


「太陽を司る、すごい怪異様なの。厄災から、私たちを守ってくださっているのよ」


叱るでもなく、責めるでもなく。


ただ“知ってほしい”という声。




「……まぁ……大丈夫だから……」


焔が、小さく呟く。


涙を拭いながら。


困ったように笑う。




子供たちの視線が、二人の間を行き来する。


「……ねぇ」


女の子が、焔の耳元で囁いた。


「環さんのこと、好きなんでしょ?」


「なっ!!」


焔の顔が、一瞬で真っ赤になる。


「わ~ 赤くなってる~!」


「図星だ~!」


子供たちの、からかう声。


逃げ場のない視線。


「……ち、違う……!」


焔の否定は弱い。


視線は泳ぐ。


耳まで赤い。




――その様子を見て。


環が、ほんの一瞬だけ微笑んだ。


誰にも気づかれないほど小さく。


「すみません。すぐ、お水を持ってきますね」


背を向ける。


ほんの少しだけ早足で。


逃げるように。




「……あ」


焔が、何か言いかけて――やめた。


言葉にできない距離。


懐の金細工の綺麗な櫛を握る。




暖かな空気。


澄んだ光。


自然を敬い、生きる時代。


怪異と人間が共に暮らし、互いを尊重する。


それが――“当たり前”だった。




――




「おめでとうございます」


白無垢の環。


静寂が場を満たす。


あまりにも美しくて――

誰も、すぐには言葉を出せなかった。


隣に立つ焔は――

完全に固まっている。




「……焔様、息してる?」


「止まってる~」


子供たちがつつく。


無反応の焔。


笑いが弾ける。




焔が、ゆっくりと口を開く。


ぎこちなく。


けれど逃げずに。


顔が引き締まる。




「怪異には寿命がありませんが、人間には寿命があります。それは、自然の摂理であり……円環です」


一度、言葉が詰まる。


それでも――続ける。


「だからこそ、環が天寿を全うできるよう、寄り添っていきます」


静かに。


けれど、揺るがずに。


「……私と環は……怪異と人間の架け橋になりたい」


沈黙。




――次の瞬間。


拍手が溢れた。


祝福。


笑顔。


疑いのない未来。


壊れるなど――

誰一人、考えなかった。




――




「おぎゃ―― おぎゃ――」


産声。


新たな命。


怪異と人間の混血――怪人。


壊れそうなほど、小さな体。


一瞬、触れるのをためらう焔。


それでも――

そっと、抱き上げる。


「……これが、未来か」


感慨無量の焔。


命の温もりが掌に広がる。


「可愛い~!」


子供たちが集まる。




怪異も。


人間も。


誰も違いを見ない。


境界など存在しない。


ただ受け入れる。


ただ愛する。


それが、この世界の“普通”だった。




――だからこそ。


それは――許されなかった。


光が。


“境界のない命”を――拒絶した。




――常闇――




「……」


かつて“焔”と呼ばれた存在。


今は――常闇の主。


ゆっくりと、目を開ける。




世界は、生温い闇。


境界のない闇。


上も、下も。


内も、外も。


すべてが溶け合い、区別がつかない。


千年。


変わらない世界。


腐り続ける時間。


違う。


変わったのは――

“自分だけが、世界から切り離されたこと”




ジャリン……


鎖が鳴る。


重く。


冷たく。


現実を刻む音。


未だに、都の穢れた臭いがする鎖。




何百年ぶりに見た――夢。


『……環……』


あの時間が永遠に続くと。


疑いもしなかった。


壊れるなど――

考えたことすら、なかった。




だが。


押し寄せる。


黒。


虚無。


怒り。


絶望。


すべてを呑み込む、底なしの闇。




「……環は、もう……いない」


ギシッ――!


鎖が食い込む。


骨の奥まで軋む。


「白々しい光が……奪った……」


低く。


押し殺した声。


「……奪っておいて」


わずかに、笑う。


歪んだ笑み。


「まだ照らすのか」


吐き捨てる。


――沈黙。




「反吐が出る」




その視線の先――

遥か彼方。


白夜の都が滲んでいた。


今は、ただの――処刑の光。




かつて。


あの光の中に――

すべてが、あったはずだった。


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