14話【各々の覚悟】
――荒野――
ギュイン――
ホバーブーツが砂塵を巻き上げる。
地面すれすれを滑るように、朧は疾走していた。
風が頬を裂く。
視界が流れる。
補給所は、もう近い。
それでも――胸の奥は、静まらない。
紡から聞いた話が、頭の中で何度も反芻される。
雫と再会できた奇跡。
そして――結月。
未来を視る怪人。
かつて、自分の人生を狂わせた存在。
偶然か。
必然か。
それとも――罰か。
答えは出ない。
それでも。
「……神よ」
風に溶けるほどの、か細い声。
もし、この巡り合わせに意味があるのなら。
それが与えられたものなら。
受け入れよう。
逃げない。
「これを届けることが……私の贖罪だ」
脇差しを握る手に、僅かに力がこもる。
――ほんのわずかに、震えた。
それでも、離さない。
――補給所――
「……うっ……!」
一鉄が血を吐いた。
鉄の味が、舌に広がる。
腹を押さえ、膝が崩れる。
呼吸が、浅い。
遅れて痛みが、全身を貫いた。
拳は――
一度も届かなかった。
かすりもしなかった。
相手は人間。
それでも。
まるで別の生き物だった。
気付けば懐に入られ――
一撃。
それだけで、すべてが終わっていた。
地面に叩きつけられた時には、もう立てなかった。
視界が白く弾ける。
耳鳴りが残る。
ゴンッ。
拳を床に叩きつける。
悔しさを、ぶつけるように。
覚悟はあった。
死ぬ覚悟も。
だが――
“届かない”覚悟は、していなかった。
それでも。
一鉄は顔を上げる。
睨む。
綱を。
せめて――
心だけは、折らせない。
その隣。
直元は、立ち尽くしていた。
呼吸が、うまくできない。
喉が締まる。
全身が、冷たい。
目の前で、一鉄が倒された。
その間、自分は――
ただ、立っていただけだった。
一歩も、動けなかった。
知っている。
綱の強さを。
光統院にいれば、嫌でも叩き込まれる。
“絶対に勝てない相手”。
身体が、拒絶する。
――動くな。
――関わるな。
本能が、命令する。
『……何も、できなかった』
拳を握る。
震えが止まらない。
それでも。
逃げない。
逃げられない。
その場に、立ち続ける。
それだけが、今の限界だった。
「経緯を報告しろ」
声が、落ちる。
重い。
白い空間が、さらに冷える。
綱の視線が、直元を射抜く。
逃げ場はない。
「え……」
声が、出ない。
舌が動かない。
思考が、止まる。
カツ。
一歩。
綱が近づく。
「お前も光統院だろ」
目の前で、止まる。
距離が、近すぎる。
息が詰まる。
――逃げられない。
パンッ!
乾いた音。
視界が横に流れた。
頬が、熱い。
遅れて痛みが走る。
涙が滲む。
それでも――声は出さない。
「……申し訳ありません」
震える声。
それでも、絞り出す。
「そいつは何も知らねぇ……!」
一鉄が叫ぶ。
血を吐きながら。
「俺が脅して言うこと聞かせてただけだ……!」
直元の目が揺れる。
一鉄を見る。
「お前は用済みなんだよ!」
睨み返す一鉄。
その目は、死んでいない。
――折れていない。
『……一鉄さん』
胸が、締め付けられる。
何もできなかった自分。
それでも。
拳を、さらに強く握る。
「貴様に訊いていない」
綱が一鉄を見下ろす。
感情のない声。
次の瞬間。
ゴキッ!
踵が肩にめり込んだ。
「あがっ……!」
骨が軋む。
身体が跳ねる。
呼吸が、潰れる。
ピピッ。
ピピッ。
通信音。
空気が、一瞬で変わる。
綱が振り返る。
歩く。
端末を取る。
「一鉄さん?」
紡の声。
若く、震えた声。
――沈黙。
綱が一鉄を見る。
「……やはり、こやつが一鉄か」
静かに。
確認するように。
重い間。
「……誰?」
警戒の声。
「……綱」
その一言で――
空気が凍りついた。
ガガ……
通信が、切れる。
――トラック荷台――
ギシ……
ベッドが、軋む。
結月がゆっくりと身体を起こした。
まだ残る痺れ。
だが――動ける。
それよりも。
胸の奥が、ざわつく。
嫌な予感。
ガチャ。
静かに扉を開ける。
外へ。
シートを潜る。
スモッグで霞む光。
柔らかな太陽の熱。
頬に触れる。
それだけで分かる。
――外だ。
自然の光。
「……」
一歩、踏み出す。
その瞬間。
ズキンッ!!
激痛。
頭を貫く。
膝が崩れる。
『自然が……』
流れ込む。
抉られる大地。
砕かれる岩。
削られる命。
重機の振動。
音。
痛み。
すべてが、直接。
脳へ。
歯を食いしばる。
声を、押し殺す。
涙が滲む。
それでも――
「……行かないと」
小さく。
だが、確かに。
「……今度こそ」
一鉄達。
守るべき存在がある。
仲間がいる。
――もう、1人じゃない。
ふぅ――
深く息を吐く。
壁に手を当てる。
冷たいコンクリート。
確かな現実。
空気の流れ。
匂い。
触れるすべてで、世界を捉える。
一歩。
また一歩。
結月は、歩き出す。
迷いは――もう、なかった。




