第1章【偽りの日常】3話【星】
「反思想の小娘だ……」
吐き捨てられたその言葉に一切反応しない娘。
ただ真っ直ぐに朔夜の元へ歩み寄って行く。
一定のリズムで 迷いのない足取り。
俯いたままの朔夜と、朔夜に蔑視を向ける同僚の間に、娘は割って入る。
まるで、そこに立つのが当然であるかのように。
「チッ。紡か」
同僚が露骨に顔を歪め、吐き捨てる。
その言葉にも、紡は一切反応しない。
視線すら向けない。
ただ一点、朔夜の作業台だけを見ていた。
「貸して」
柔らかく、しかし躊躇いのない声の紡。
『……』
朔夜は答えない。
背中を丸め、手は小刻みに震えている。
……数秒の沈黙。
紡は決して急かさない。
責めない。
朔夜の心が現実へ戻るのを、静かに待ち続けた。
『……』
しかし、朔夜の心は戻れなかった。
やがて紡は、そっと息を吐き――。
「よいしょっ」
紡は、朔夜の作業台に置かれていた未完成の装置を抱え上げた。
その動作は驚くほど自然だった。
まるで最初からそうするつもりだったように。
紡は、朔夜が反応しなかったことを咎める様子もない。
そのまま何も言わず、自分の作業台へと持ち帰っていく。
紡の背中を見送りながら、同僚たちは一瞬だけ顔を見合わせた。
やがて興味を失い、各々の作業へ戻っていく。
ガタッ。プシュ。ガタッ。プシュ。
再び無機質な機械音が作業場を満たす。
だが、朔夜の耳には、その音すら遠く感じられた。
――屋上
重たい扉を押し開けると、白い光が視界いっぱいに広がる。
相変わらず、昼夜の区別がつかない白く塗られた空。
雲も、星もない。
ただ光だけが存在する世界。
遠くには、巨大な光の鉄塔が規則正しく並んでいる。
まるで、世界の監視者のように。
屋上の中央では、数人の同僚がベンチに腰掛け談笑している。
この光景に誰も疑問を抱いていないかのように、空を見ることはない。
屋上の隅。
配管の影にできた小さな土の割れ目。
そこに咲く花の横に、朔夜は静かに腰を下ろしていた。
『……』
朔夜は、指先でそっと花弁に触れる。
柔らかな感触。 微かな香り。
鼻に残る機械油の臭いを和らげてくれる。
「その花はタンポポ?」
突然、頭上から声が降ってきた。
はっとして顔を上げると、紡が少し身を屈め、覗き込むように立っていた。
「……ああ」
一瞬、返答が遅れた朔夜。
人と話すこと自体、久しぶりに感じる。
紡は花を挟むように腰を下ろし、同じよう見つめた。
しばらく沈黙が続く。
だが、不思議と居心地の悪さはなかった。
「ねえ、朔夜は、星を見たことある?」
紡は白い空を見上げながら言った。
その声には、純粋な好奇心が滲んでいた。
「ある」
短く答える朔夜。
それ以上語るつもりはなかったが、紡はそれだけで嬉しそうに微笑んだ。
「良いな~。私も、一度で良いから、本物の綺麗な星を見たいな~」
ぽつりと漏れたその言葉は、夢を見る子供のようでもあり、 どこか切実でもあった。
「そんなこと言ってるから、反思想扱いされるんだ」
朔夜は軽く嗜める。
責める気持ちはない。
ただ、心配だった。
「あぁ……」
紡は苦笑いを浮かべ、頭をかいた。
「さっきは、ありがとう」
ぽつりと、朔夜が言った。
自分でも驚くほど自然に言葉が出た。
紡は一瞬だけ目を丸くし、すぐに柔らかく笑った。
「どういたしまして」
二人を静かで優しい空気が包んだ。
突如――。
ビー!ビー!
光統院の対魍魎警報器が鳴り響く。
二人を包む空気を引き裂かんばかりに。
「助けて!」
鋭く裂けるような悲鳴が、屋上まで響き渡った。
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