5話【背負うもの】
補給所から西北西へ。
輸送道を外れ、荒野を疾走する。
砂漠化した大地。
削られた禿げ山。
枯れ果てた森林。
踏み込むたび、ひび割れた地面が軋む。
朔夜と雫が駆ける。
怪人の脚力で。
人の域を遥かに超えた速度。
だが――
踏みしめるたび、伝わってくる。
爪先から、骨の奥へ。
自然の痛みが。
削られ、搾り取られ、壊された――
大地の声が。
「ごめんね……」
背中から、紡の声。
小さく。
揺れていた。
朔夜は前を見据えたまま、短く返す。
「舌噛むから」
それだけ。
だが――
背に伝わる温もりが、確かにあった。
軽くはない。
だが、重すぎるわけでもない。
守ると決めた重み。
逃げないと決めた重み。
朔夜はそれを、確かに背負っていた。
空はスモッグに濁り、太陽は霞んでいる。
光はある。
だが、清らかではない。
ただ、照らすだけの光だった。
数時間。
休まず走り続け――
ようやく辿り着く。
鉱山の麓。
崩れた坑道跡。
抉られた斜面。
かつて資源を吐き出していた場所は、
今やただの“傷跡”だった。
雫が足を止める。
リュックを下ろし、水と食料を取り出す。
短い休息。
肺に空気が流れ込むだけで、身体が軽くなる。
「ここに天岩戸があるはずよ」
静かな声。
確信と、わずかな緊張。
「これからですね……」
朔夜の胸に、かすかな違和感が走る。
未知の領域。
怪人の里。
受け入れられる保証は、どこにもない。
紡も同じだった。
白夜の都では、怪人が迫害される側。
だが――
ここでは違う。
自分が、その対象になる。
視線。
拒絶。
敵意。
想像しただけで、喉が狭まる。
息が、浅くなる。
「……良い人達だと、いいね」
ぽつりと零れた声は、願いに近かった。
朔夜がペットボトルを口元へ運ぶ。
その瞬間――
「危ない!」
雫が、身体を弾き飛ばす。
スパッ。
空気が裂けた。
ほんの一瞬前まで、朔夜の頭があった位置。
そこを、見えない刃が通り過ぎる。
ペットボトルが、真っ二つに裂けた。
断面が、わずかに遅れてずれる。
中の水が宙に散り――
乾いた大地へと吸い込まれていく。
一気に、空気が張り詰める。
三人は低く身を落とす。
呼吸を殺す。
視線を走らせる。
――いた。
岩影。
二つの気配。
ゆっくりと、こちらへ歩み出る。
「紡は隠れて」
雫がリュックを押しつける。
紡は頷いた。
だが――足が一瞬、動かない。
胸が詰まる。
それでも無理やり身体を動かし、岩陰へ滑り込む。
息を押し殺す。
鼓動だけが、やけに大きく響いた。
雫は水を一気に飲み干す。
喉が鳴る。
戦うための準備。
朔夜は指を二本立てる。
迎撃の構え。
嘴の男が、羽団扇を振る。
「――鎌鼬」
シュッ。
シュッ。
姿なき刃が、空気を裂く。
「一線」
朔夜の指が走る。
青白い境界が、瞬時に展開される。
ビシンッ!
ビシンッ!
風の刃が弾かれる。
衝撃が空間を震わせる。
その直後――
ドンッ!!
角を持つ大男が地面を踏み砕く。
振り上げられた金棒。
渾身の一撃。
バゴォンッ!!
境界が、大きく揺れた。
波紋のように歪む。
衝撃が、そのまま朔夜の背中へと返る。
「っ……!」
歯を食いしばる。
腕が軋む。
骨が鳴る。
それでも――割れない。
沈黙。
二人は攻撃を止め、距離を取る。
ドン。
金棒が、地面に突き立てられる。
「……お前達は怪人か?」
低く、重い声。
敵意はある。
だが、ただの殺意ではない。
「雨の怪人。雫です」
一歩前へ。
逃げない姿勢。
「天狗の怪人。烏丸」
「鬼の怪人。剛鬼だ」
名乗りが交差する。
朔夜は、静かに息を整える。
一歩、前へ出る。
「……境界の怪人、朔夜です」
声は揺れない。
隠さない。
誤魔化さない。
境界が、消える。
戦意を下げた証。
烏丸の視線が、後方へ滑る。
「彼女は?」
羽団扇が、紡の位置を示す。
空気が止まる。
雫が、半歩前へ出る。
庇うように。
「……私の娘。紡です」
「どんな怪人だ?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ――躊躇。
だが。
「……人間です」
空気が、凍りついた。
風の流れが変わる。
「人間だと……?」
紡の喉が引きつる。
息が、吸えない。
視界の奥で、白い光がちらつく。
吊るされた影。
向けられた視線。
あの時の、冷たい空気。
違うのに。
ここは違うはずなのに。
足が、動かない。
「俺達の仲間を狩ったのは誰だ」
「里を焼き払ったのは誰だ」
剛鬼の声が低く響く。
「……光の下で、吊るしたのは――誰だ」
烏丸の声は、静かだった。
だが、その奥にあるものは――重かった。
逃げ場はない。
紡はリュックを強く抱き締める。
指が白くなるほどに。
だが――
朔夜は、動かない。
境界を張らない。
拒絶しない。
一瞬だけ。
紡を見る。
震えている。
それでも、逃げていない。
だから――
「……それでも」
低く。
だが、確かに届く声。
「怪人でも、人間でも関係ないです」
一歩、踏み出す。
「天岩戸へ案内してください。お願いします」
視線を逸らさない。
逃げない。
烏丸の目が細まる。
剛鬼の金棒が、わずかに下がる。
「人間を背負う覚悟があるのか?」
静かな問い。
「あります」
即答。
迷いは、もうない。
「拒むなら、拒んでくれていいです」
さらに一歩。
「でも――」
風が吹く。
削られた山肌を撫でる風。
「もう、逃げません」
沈黙。
烏丸が、ゆっくりと羽団扇を腰に差す。
剛鬼が、金棒を背中へ戻す。
「……里長に通す」
短い言葉。
だが――それは、許可だった。
「だが」
視線が、紡へ向く。
「天岩戸は甘くない」
朔夜は、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
彼はもう、逃げる青年ではない。
怪人として。
境界として。
背負う者として。
五人は、崩れた鉱山の奥へと進む。
怪人が、息を潜めて生きる場所――
天岩戸へ。




