1話【朝焼け】
――救護室――
コト……
外された首枷が、静かにテーブルへ置かれる。
もう役目を終えたそれは、ただの冷たい金属の輪だった。
ベッドに横たわる結月。
窶れた顔。
焦げた衣服の臭いと、消毒液の刺激的な香りが、白い部屋に満ちている。
紡は手際よく処置を続けていた。
まだ震える指で、それでも確実に。
「ありがとう」
結月が、静かに礼を告げる。
力の抜けた声。
だが――どこか穏やかだった。
「朔夜をお願いね」
唐突に落ちた言葉。
紡が手を止める。
「えっ……?」
戸惑いが滲む。
「見えない分……感じることに鋭くなったの」
結月は、わずかに微笑んだ。
「あなた達のことも、ね」
意味深な言葉。
紡の頬が、じわりと赤くなる。
「は、はは……」
視線を逸らし、逃げるように立ち上がる。
そのまま、そそくさと部屋を出ていった。
静かになった救護室。
結月は、ゆっくりと目を閉じる。
シーツを握る指が、まだ、痺れていた。
――監視室――
コト。
一人ひとりの前に、コーヒーが置かれていく。
湯気が立ち上る。
香ばしい香りが、張り詰めた空気を少しだけ緩めた。
配り終えた光統院の若い隊員。
何食わぬ顔で、朔夜たちの輪の中に腰を下ろす。
コーヒーを啜った一鉄が、ふと視線を向ける。
「って。お前は誰だよ!」
思わずツッコミが飛んだ。
「直元です」
格好つけた顔で名乗る。
……
微妙な空気が流れる。
顔を見合わせる雫と紡。
「調子いいな、お前。さっきまで泣き喚いていたのに」
呆れながらも、どこか笑いが混じる一鉄。
直元は、真面目な顔に戻った。
「怪人は魍魎と同じくらい危険だって、教えられてきました」
一度、言葉を区切る。
「でも……」
視線を上げる。
「実際に会って、話して……」
「皆さんは、“教えられた怪人”じゃなかったんです」
沈黙。
重くない。
考えるための間。
「結月さんは……まだ怖いですけど」
正直な言葉。
だが、逃げない目だった。
直元は、雫へ向き直る。
そして――火傷跡の残る手を握った。
「命を救ってくれた、雫さんの力になりたいんです」
真っ直ぐな言葉。
少しだけ、熱がこもっている。
雫の切れ長の目が瞬く。
困惑と、わずかな照れ。
ゴンッ!
軽い拳骨が落ちた。
「調子に乗るな」
一鉄の声。
「いった……!」
頭を押さえる直元。
朔夜と紡が、思わず吹き出す。
張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。
――
「次の行動を決めないとな」
一鉄が口を開く。
「朝になれば、魍魎も闇に隠れるわ」
雫の落ち着いた声。
「それから、天岩戸へ向かいましょう。ここからなら、昼のうちに着くはずよ」
「少しは……休めるね」
紡が、ほっと息を吐く。
だが――
「ただ、人間を良く思わない怪人もいるわ」
雫の言葉に、空気が引き締まる。
「匿ってもらえるかは……正直、分からないわね」
「怪人を迫害してきた、人間のツケか」
一鉄の声が低く漏れる。
ピピッ。
ピピッ。
通信音。
全員の動きが止まる。
空気が、固まる。
直元がゆっくりと受信する。
「こちら、光統院・第9輸送道補給所」
――
「……了解しました」
通信が切れる。
「7時に、資源部隊が来ます」
皆が時計を見る。
4時30分。
「あと……2時間くらいか」
朔夜が呟く。
「燃料の補給は終わってる」
一鉄が立ち上がる。
「ベッドを荷台に移して、すぐ出るぞ」
「待ってください!」
直元が慌てて声を上げる。
「僕がいないと、不審に思われますよ」
「お前は来なくていいんだよ!」
強い口調で睨む一鉄。
だが、その奥にあるのは――気遣い。
「それに……先輩もいないと……」
直元の言葉が詰まる。
沈黙。
「……じゃあ、どうすんだ」
一鉄が荒々しく椅子に腰を落とす。
――屋外――
空が、わずかに白み始めている。
急ぎ、トラックの荷台にベッドを固定する。
結月の身体が、慎重に運ばれる。
「こんな場所で、ごめんなさい」
紡が小さく言う。
「こちらこそ……ごめんなさい」
結月が、静かに返す。
「ほんとに大丈夫か?」
振り返ると、一鉄が光統院の白い制服を着て立っていた。
先輩の代役。
「受け答えは、僕がしますから」
直元が胸を張る。
「ヘルメットを深く被っていれば、問題ありませんよ」
「一鉄さん。トラックを裏側にお願いします」
朔夜が指示を出す。
エンジンが低く唸る。
車体が静かに移動し、シートで覆われる。
進む道を、二つに分けた。
天岩戸へ向かい、交渉を行う班。
朔夜、雫、紡。
補給所に残り、資源部隊をやり過ごす班。
一鉄、直元。
そして、
動けない結月は、トラックと共に隠れる。
一歩間違えれば、どちらも戻れない選択。
一鉄は、壊れた扉と照明を修理している。
無骨な手つき。
だが正確だ。
通信機を手に、直元が紡に操作を教えていた。
「ここを押して……この周波数に」
「うん……こう?」
「そうです」
軽く頷く直元。
「分かったわ。交渉が終わったら、連絡するね」
紡が明るく言う。
空が、さらに明るくなる。
ズズズ……
魍魎たちが、闇へと沈んでいく。
音もなく。
存在を隠すように。
抉られた大地。
濁った川。
削られた山。
そのすべてを――朝日が照らす。
赤く。
逃げ場なく。
「……綺麗」
紡が呟く。
大きな瞳が輝く。
誰も否定しない。
美しい。
嘘ではない。
傷も、現実も、ありのまま照らしている。
朝焼けが、彼らの背を押すように。




