4話【浸蝕する闇】
コト。
金属製のカップが机に触れる乾いた音が、やけに大きく響いた。
白い天井灯が、補給所の内部を昼のように照らしている。
光統院・第9輸送道補給所。
白夜圏外にありながら、ここだけは人工光で無理やり“昼”を作り出していた。
――本来なら、闇を寄せ付けないはずの光で。
外は闇。
中は白。
その境界は、不自然なほどに明確で――どこか、頼りない。
まるで、薄い膜一枚で隔てているだけのような。
「そして、女が振り向く……お前だっ!」
「ぎゃぁ――!」
後輩が椅子ごと仰け反る。
「あはははは!」
先輩は腹を抱えて笑った。
深夜二時。
丑三つ時。
眠気と、外の闇への恐怖を誤魔化すための、安い怪談話。
「もぅ~やめてくださいよ~……」
苦笑いを浮かべながら、後輩は窓へ目をやる。
ガラスの向こう。
補給所の白光の境界線ぎりぎりを――
黒い影が、揺れていた。
逃げるようではない。
近づくでもない。
ただ、光の“縁”をなぞるように、ゆらり、ゆらりと動いている。
まるで。
内側を、確かめるように。
魍魎。
光には近づけない。
――そのはずだ。
「先輩。何で今さら第9輸送道なんです? この辺、もう掘り尽くしたはずじゃ……」
資源部隊の後輩が、小声で尋ねる。
先輩はコーヒーを一口飲み、肩をすくめた。
「プレミアムアースの鉱脈が出たらしい」
「……あれ、本当にあるんですか?」
「あるから動いてるんだろ」
短い沈黙。
窓の外。
影が、止まる。
ガラス越しに――こちらを見ているような気がした。
「ちょっとトイレ」
先輩が立ち上がる。
ドアを開ける直前、振り返ってニヤついた。
「そうそう。最近“辻斬り”が出るらしいからな。ちゃんと監視しとけよ」
「またぁ……」
後輩は笑う。
だがその笑みは、どこか強張っていた。
――廊下――
トイレの水音が止まる。
手を振って水滴を飛ばす。
その時。
ジジッ……
照明が、明滅した。
一度。
二度。
三度。
そして――
消えた。
暗闇。
あり得ない。
この施設で、光が消えるはずがない。
ここは、白夜の代替だ。
ここは、安全のはずだ。
――予備電源も、非常灯も、作動していない。
「……おい」
軽く笑おうとする。
「さっきの仕返しか?」
返事はない。
静かすぎる。
音が、死んでいる。
耳鳴りだけが、内側で鳴っている。
ジャリン。
ジャリン。
どこかで、鎖が擦れる音がした。
先輩の笑みが消える。
ゆっくりと、腰のライトを外す。
カチッ。
白い光が、一直線に廊下を裂いた。
――そこにあった。
黒。
刀身。
光を吸い込むように。
反射しない。
輝かない。
存在だけが、そこに“ある”。
闇が、形を持ったような刃。
「……なんだ、それ」
シュッ。
何かが、通った気がした。
風でもない。
衝撃でもない。
ただ、“通過”した。
――痛みは、来ない。
バダン。
膝から崩れ落ちる。
遅れて、視界が傾く。
床が近づく。
白が、赤に染まっていく。
そこで――意識が途切れた。
ゴロ……
頭が、転がる。
白い床を、赤黒く染めながら。
ライトの光が、それだけを照らしていた。
トス。
心臓に、刃が突き立てられる。
「……酔闇」
闇の中から、静かな声が落ちた。
感情がない。
ただ、作業をするような声音。
ズグ。
ズグズグ。
刀身から、黒が滲み出る。
血ではない。
闇。
それが肉の内側へと侵入し、満たしていく。
骨の隙間を。
血管の代わりに。
意思の代わりに。
やがて、止まる。
引き抜かれる刀身。
ベチャ。
首のない身体が、ゆっくりと起き上がる。
関節が合っていない。
動きが遅れている。
それでも――立つ。
落ちた頭を拾い上げる。
両手で抱え、本来あるべき位置へ。
グチュリ。
肉が、繋がる。
神経が、繋がる。
“何か”が、通る。
眼球が、ぎょろりと動く。
焦点は合っていない。
だが――確実に、“見る”。
その色は、黒く濁っていた。
魍魎が、“完成”した。
――さっきまで、人だったものが。
――監視室――
わずかな物音。
「……先輩?」
戻らないことを不審に思い、後輩が廊下へ顔を出す。
「……えっ」
暗い。
光が、消えている。
あり得ない。
血の匂い。
鉄の匂い。
ぬるい、空気。
ベチャ。
ベチャ。
湿った足音。
視線が、動かない。
喉が、鳴らない。
逃げなければいけないのに。
身体が、動かない。
闇の中から、それは現れた。
ゆらり。
揺れる。
首が、わずかに傾いている。
繋ぎ目が、ずれている。
目は、合っていない。
それでも――
確実に、こちらを見ている。
「ぎゃぁぁぁぁ――!」
――第9輸送道――
ブロブロブロブロ――!
デコトラが闇を裂いて走る。
光を撒き散らしながら。
時折、魍魎を跳ね飛ばす。
光の弾丸。
「あれ!」
雫が前方を指差す。
白い光。
白い屋根。
補給所。
「光統院の連中はどうする?」
「出てきたら、私と一鉄さんで制圧しましょう」
「分かった……」
燃料は限界だった。
止まるわけにはいかない。
デコトラが滑り込む。
光の屋根の下へ。
魍魎が、一歩引く。
だが――
完全には、離れない。
境界のすぐ外で、留まっている。
何かがおかしい。
光統院の補給所なのに、誰も出てこない。
「俺たちの情報は届いてないのか?」
慎重にドアを開ける一鉄。
周囲を警戒する。
足を、地面につけた。
その瞬間。
給油機の裏から――
「だずげでぇ――!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの隊員。
這うように飛び出し、一鉄にしがみつく。
異常な震え。
言葉にならない嗚咽。
「な、何が――」
言いかけて、止まる。
その背後。
補給所のガラスの向こう。
開かれた監視室の扉。
その奥。
仄暗い闇が、あった。
白の中に。
あり得ないはずの、闇。
そして――
その中で。
黒い影が、ゆらりと揺れている。
外から、侵入してきたのではない。
――光の内側で、闇が“生まれている”。




