第2章【崩れる日常】6話【未熟者】
「ところで、神通力とやらは使わぬのか?」
構えたまま、綱が静かに問う。
「……?」
ボクサーの見よう見まねで拳を胸前に構えていた朔夜。
言葉の意味を探るように眉を寄せた。
"神通力"聞いたこともない単語だった。
答えようがない。
「隠しても無駄ぞ。捕縛した怪人達から多様な記録を集積しておる」
淡々とした口調。
だが、視線は氷のように冷たく鋭い。
いつでも斬れる距離を保ったまま、観察している。
『怪人故、身体能力は高いが……構えは素人』
値踏みするような沈黙が流れる。
『僕の両親も光統院に捕まった……』
『怪人は記録を録るための実験体じゃない……』
怪人を“資料”のように語る声に、朔夜の胸の奥が煮えた。
目には怒りの火が宿る。
見たこともないはずの光景が脳裏をよぎる。
拘束具。
白い部屋。
叫び声。
想像なのに、やけに生々しい。
「お前なんかが……怪人の何を知っているんだ!」
今まで我慢してきた朔夜。
ついに、怒りが爆ぜた。
地面を抉るように踏み込み、猛獣のように跳ぶ。
爪を立てるかのように手を広げ、涙を滲ませた目で綱へ襲いかかった。
遠目から見守る紡の喉が詰まった。
魍魎のようだった。
誇張されたポスターの怪人だった。
朔夜の動きは、人間のそれではない。
怖い……。
そう思ってしまった自分に、さらに胸が痛んだ。
キュイン!
機械音が空気を裂く。
風圧が頬を叩き、髪を巻き上げる。
「殺してやる!」
怒りに任せ叫ぶ朔夜。
闇堕ちした禍々しい目。
しかし、捕まえたのは残像だった。
残像の冷徹な目が、朔夜を見据える。
目前にいたはずの綱が消える。
朔夜の背筋が凍った。
一瞬で背後に回り込まれた気配。
『やばっ!』
振り向くより早く、上段から躊躇のない一太刀が落ちる。
バシュッ。
肉が裂けた音。
直後。
ジュッ――。
焼ける音。
「グァァァ――!」
背中を叩き割られ、受け身も取れずに、朔夜の身体が前方へ転がる。
激痛が脊髄を走り、視界が白く弾けた。
呼吸ができない。
地面が遠い。近い。
分からない。
背中から熱が広がる。
血が流れる感覚と同時に、焼けた臭いが鼻を刺した。
焼き切る刀ゆえ止血されているが、肉を抉られ、言いがたい痛みが全身を駆け巡る。
意味が分からない。
指が土を掴む。
掴んだはずなのに、感覚が薄い。
遠くで、紡の声が聞こえた気がした。
『……逃げろ』
言おうとしたが声にならない。
唇だけ動いた。
タンポポが揺れる光景が、脳裏をよぎる。
両隣に朔夜と紡。
屋上の風。
白い空。
短い静けさ。
次の瞬間、それも崩れ闇に沈んだ。
意識が途切れる。
紡を守れなかった後悔を残して……。
「他愛もない」
綱が無表情に見下ろす。
終始冷徹な振るまい。
刃を軽く振り、血を払う。
赤い光が刀身から消えていく。
「神通力も使えぬ未熟者か」
小さく呟いたその言葉は、評価というより判定だった。
興味を失った研究者の、つまらなそうな声。
朔夜は動かない。
ただ、白夜の光だけが均一に降り注いでいた。
「朔夜――!」
紡の泣き叫ぶ声が、虚しく響く。
朔夜を救えなかった後悔。
怖くて動けなかった自分を責めた。




