92. 作戦会議(1)
三日後の午後、セラフィーナはラウラを伴って書庫を訪れていた。
ラウラが女官長にうまく言ってくれたらしく、二人とも午後は書庫の整理に来ているという名目になっているらしい。
カウンターにいたヘレーネに目配せすると、小さく手を振って出迎えてくれる。
「二人とも、お疲れ様! 今日はよろしくね?」
「……ヘレーネも大変ね。引き継ぎ期間があったとはいえ、ずっと書庫を一人で管理しているわけでしょ? 年配の司書さんの復職、夏じゃなかったっけ?」
「ああ、うん。春に娘さんが出産して、その手伝いで故郷に帰っているんだけどね。収穫祭の時期には戻ってくる予定だよ。難産だったらしくて、娘さんが回復するまで一時帰郷が延びちゃったんだって。でも、初孫が可愛くてたまらないって手紙に書いてあったから、忙しくても楽しい日々を過ごしているんじゃないかな」
「ふぅん。用事が終わったら、私たちも書庫の手伝いをするから。なんでも言ってね」
「本当? ラウラちゃん、セラフィーナさん、頼りにしてるね!」
眼鏡の奥の蜂蜜色がきらきらと輝き、ヘレーネは胸の前でそっと両手を握りしめた。
素直な喜びが伝わってきて、セラフィーナは思わず微笑みを返す。
(広い書庫を一人で管理するのは、ずっと大変そうだと思っていたけれど、本来は二人体制だったのね。年配の司書の方が戻られるまで、ヘレーネさんは一人で頑張っていらしたのだわ。わたくしもできる限り、お手伝いしなくては……)
セラフィーナが一人、胸に小さな決意の火を灯していると、書庫の扉がゆっくりと開いた。その人物を見て、ぽつりと声をもらす。
「レクアル様にエディ様、アルトさんまで……」
「なんだ、セラフィーナはもう来ていたのか。この様子では、皆はもう揃っているのか?」
レクアルの最後の言葉は、ヘレーネに向けられていた。
彼女は眼鏡を中指で押し上げ、凜とした表情で端的に答える。
「ニコラス様はすでに中でお待ちです。ご案内いたします」
「よろしく頼む」
ヘレーネを先頭にレクアル、エディ、アルトが続く。その少し後ろから、セラフィーナとラウラも静かに歩き出した。
司書室の中では、ニコラスがテーブルに複数の資料を広げていた。彼の背後には先日も見た壮年の文官が気配を消して控えている。ニコラスは難しい顔で地図に目を落としていたが、やがて顔を上げ、揃った面々を順に見た。
最初に一歩前に出たのは、弟のレクアルだった。
「……ニコラス兄上。お呼びと伺い、参上しました」
「わざわざすまないな。だが、この作戦を実行するのに、僕たちだけでは荷が勝ちすぎている。お前の協力が必要なんだ」
「兄上直々の頼み事を断る理由などありません。兄上のためなら、何があろうと駆けつけますよ。おおかたの状況は聞き及んでおりますが、彼らを一網打尽にする妙案はあるのですか?」
「それは今から説明する。各自、席に着け」
上座にはニコラスとレクアルが、下座にはセラフィーナとラウラ、そしてヘレーネが座る。他はそれぞれの主の後ろに控えている。
ニコラスは隣に座る弟に視線を向けた。
「レクアル、偽帳簿の件は聞いたな?」
「ええ。裏帳簿が戻ってきたと見せかけるために財務室に運んだと聞きました。……ですが、コントゥラ事務次官はまだ解放されていないようですね」
「そうだ。今は彼が無事なのを祈り、僕たちは次の作戦に移るしかない」
セラフィーナはそっとラウラの様子を窺った。覚悟はすでに決まっていたのだろう。胸の内まではわからないが、少なくとも外見は落ち着いて見えた。
「今、イネル・トレヴァンは僕の部下の家に匿わせているのだが」
「……ああ。ニコラス兄上が引き抜いた元補佐官ですね。彼は信頼に足る男でしたか?」
「二日間、部下を張りつかせていたが、特に問題はなさそうだ。気弱な性格は生まれつきのようなので、二重スパイという線もないだろう。彼は勤勉で頭もよく回る」
ニコラスが当然のように言った単語に、セラフィーナは胸の奥で心臓が嫌な音を立てたのを感じた。
(……それもそうだわ。裏切り者が、裏切ったふりをして敵の懐に入ることも珍しくない。ニコラス様はその可能性も見越して、イネルさんを部下のもとに預けていたのね。不審な様子がないか、見張らせるために)
忠誠の誓いは確かに心を打つ場面だったが、大公家の一員である以上、ニコラスも全面的に信じるわけにはいかないのだろう。信頼は一朝一夕で手に入るものではない。
(あ……そうか。だからイネルさんに名簿リストについて、あの場では聞かなかったんだわ。まだ本当に味方かどうか、確証がなかったから……)
ニコラスが開戦派を一網打尽にするために一番欲しているのは、名簿リストだ。
あれを入手すれば言い逃れのない強力な切り札になる。もちろん、関わっていたことを示す他の証拠も必要だろうが。
「開戦派の幹部についてはおおよそ候補が絞れたが、末端まではさすがに手が回らなかった。……元補佐官のイネルに、開戦派の名簿リストについて部下にさりげなく探らせたところ、『見たことはないが、あるとしたら自宅の隠し場所か、宮殿内の地下書庫にある可能性が高いのではないか』とのことだ。秘密裏に自宅はすでに捜索させたが、リストは見つからなかった」
「となると、地下書庫が怪しいですね」
「ああ。だが、もともとあの場所には人がほとんど近づかない。それをいいことに、ジョルジュが私物化しているらしい。入り口に私兵を配置させているようだ」
「騎士団ではなく私兵を……? 完全にそこに何かあると言っているようなものではありませんか」
レクアルが驚くのも無理はない。
なぜなら、セラフィーナも一瞬、同じ疑念を抱いたのだから。
「名簿リストの回収は秘密裏に行うしかない。幸い、私兵はずっとその場所から離れないわけではない。おおかた、他にも大事な場所があるのだろう。食事などで持ち場を離れることもある。彼らの注意を他に逸らし、地下書庫から離れた隙を突くしかない」
「あの、ニコラス兄上。リストの回収も急務ですが、今回は大規模な摘発をするのですよね? あらかじめ、連中を一箇所にまとめておいたほうが逃亡阻止によいと思いますが」
そのとき、ニコラスの後ろに控えていた文官がすっと三枚の封筒を机に並べる。
三枚のうちから、ニコラスが黒い封筒を選び取った。
「……これを利用し、連中をおびき寄せる」