90. 密会はリネン室で
定刻で仕事を終えて、セラフィーナは第二資材庫の裏手に向かう。けれど、いつもは閑散としている場所から明るい声が聞こえてきた。
(この時間帯は人影ひとつなかったはずなのに、誰かいるみたい?)
木陰に身を潜めて、話し声の主を遠目に見る。
三人ほどの若い騎士だ。青地の騎士服だから近衛隊ではない。彼らはお喋りに夢中で、数分待ってみても、その場を離れる様子はなかった。
(……困ったわ。エディ様に報告したかったのだけど)
小首を傾げてしばらく考えた末に、ぽつりと独りごちる。
「この場合は致し方ないわよね。今日は別の場所にするしかないかしら」
「そうですね。いい候補はありますか?」
「えっ──」
思わず声を上げかけた口を、エディが手袋越しにそっと塞ぐ。
彼は唇に人差し指を当て、静かにするように促した。セラフィーナは驚きながらも、こくこくと頷く。
口を覆っていた手がそっと離れた。彼は小声で謝罪した。
「とっさのこととはいえ、失礼しました」
「い、いえ……大丈夫ですわ。うっかり大きな声を出すところを止めていただいて、むしろ感謝しています」
「そう言っていただけると助かります。ところで、今日はどうしましょうか。他に人目を気にせずに話せる場所があるといいのですが」
ひそひそ声で話しながら、セラフィーナは思案する。
女官の仕事部屋で適当な場所はなかっただろうか。できれば、夕方に人が出入りしない場所がいい。機密性の高い話をするのにうってつけの、鍵がかかる場所があれば。
「……リネン室はどうでしょうか」
「そこは女官が出入りする場所ではないのですか?」
「今の時間は誰も来ません。補充作業も昼過ぎには終わっています。あの部屋の業務は、何時までにと時間が決まっていますから、誰かと会う確率は低いと思います。近くに鳥の巣があるので、もし足音が響いても、誰も気に留めないでしょう」
「決まりですね。彼らに見つかる前に早速、移動しましょう」
エディが小さく頷いて応じる。
二人は人気のない回廊を抜けて、リネン室の前へたどり着いた。
セラフィーナが扉をそっと開けると、部屋の奥からかすかに石鹸と花の香りが漂ってきた。壁沿いには棚がぎっしりと並び、畳まれたシーツや制服が整然と積まれている。中央には長机がひとつ据えられ、仕分け作業用の道具や糸くずが残されていた。
部屋を見渡したが、誰かが居残り作業している気配もなかった。
「……中には誰もいません。どうぞ」
「ありがとうございます」
入り口の脇にかかっていた札を取り、「備品管理中」と書かれた面を表にして、外側の金具に引っかける。手早く施錠も済ませ、中で待つエディのもとに静かに歩み寄る。
「お待たせしました。棚卸しや備品管理のときによく使う札をかけておきましたから、鍵がかかっていても怪しまれないと思います」
「そういえば……以前、備品の紛失騒ぎがありましたね」
「ええ。いつもは夜間に鍵をかける程度ですが、今日お話しすることは誰かに聞かれると困りますから。念には念を、です」
エディが無言で頷き、扉を一瞥する。
日常の中に紛れた隠れ場所。外の気配は遠く、布に囲まれた室内は、宮殿内の喧騒がまるで遠くの出来事のようだった。
「鍵をかけたとはいえ、長居は無用でしょう。セラフィーナがここまで念入りにするほどです。大切なお話があるのでしょう?」
「……はい。わたくしが関わっている案件について、ニコラス様から話してもよいと許可をもらいました。ローラント様は、ニコラス様から密命を受けて脱税・横領に関する調査を行っていました。ですが、犯人の割り出しと証拠集めをしている中、姿を消されました。まだ遺体は見つかっていないことから、誘拐・監禁されたものと考えられます」
「犯人の目星はついているのですか?」
「実行犯はわかりませんが、首謀者はわかっています。ローラント様が失踪される前、わたくしにヒントをくれましたから」
「ヒント……ですか?」
エディが不思議そうに聞き返し、セラフィーナは書庫で最後に会ったローラントの横顔を思い出す。ズキリと胸に痛みが刺したが、気にせず話を続ける。
「ローラント様と会話したときの違和感が気になり、書庫を探したのです。そこで、隠された裏帳簿を見つけました。犯人に見つからないよう、革張りの表紙が付け替えられていたのです。それをニコラス様にお見せしたところ、裏帳簿の持ち主がジョルジュ・サルリマ財務官だと判明しました」
「サルリマ財務官が……? あの品行方正な?」
「ええ。ニコラス様も同じような反応をされていました。ローラント様の元部下だそうです。おそらく、誘拐の件は自首を促して断られたのではないかと」
「なるほど。そこまでわかっていて、すぐに逮捕に踏み切らないということは、彼を泳がす特別な事情があるということですか」
騎士団のエリートなだけあって、状況把握が早い。
すぐに動けない理由についても考えが及ぶことに、セラフィーナは舌を巻いた。
「さすが近衛騎士様ですね。サルリマ財務官は……開戦派です。彼は開戦派の資金源として動いています。資金を流して協力者を買収し、シルキアの武器商人から武器の密輸も行っていることがわかりました」
「……これは思った以上に大事件ですね。セラフィーナが慎重になるのも納得しました」
頭の中で整理するように、エディはそっと目を閉じた。
けれどそれも数秒で、言葉の続きを促すようにセラフィーナを見つめる。
「ニコラス様は、改革派を装った開戦派の一斉摘発をお考えです。まだ発見には至っていませんが、サルリマ財務官の性格上、開戦派の名簿リストがある可能性が高いと見ています。ただ、こちらが派手に動けば証拠隠滅や逃亡に繋がる恐れがあるので、ニコラス様は水面下で証拠集めをされているようです。あ、今は裏帳簿を複製した偽帳簿を財務室に渡るように手配し、数日は様子見ということになりました」
「……偽帳簿?」
「ええ。裏帳簿が返ってきたと思わせて、相手の動向を見守ります。うまくいけば、ローラント様が解放されるかもしれませんから」
セラフィーナがよどみなく答えると、なぜかエディは片手で顔を覆ってしまった。
(……わたくしの報告、そんなにひどかったかしら? わかりやすく要点をまとめたつもりなのだけど。あ、でもこの反応……レクアル様の突拍子もない提案に呆れていたときと似ているような? いえ、きっと考えすぎね)
自分を納得させる一方で、エディが小さく挙手した。
その顔色は、苦い薬を無理に飲み込んだように悪い。セラフィーナが手で発言を促すと、地を這うような声が返ってくる。
「裏帳簿を複製……というのは、ニコラス殿下の指示ですか?」