12. 秘密特訓開始……と思いきや、まさかの事態です
「じゃあ、本題に入ろうか。……魔法の練習がしたいんだって?」
「は……はい」
「アルトは私が魔女だってことを知っているけど、誰かに言いふらすような男じゃないから安心していいわよ」
魔女狩りに対する言葉だろう。ラウラが信頼を寄せている時点で、そこはまったく心配していない。だがせっかくなので、セラフィーナは気になっていた点を尋ねることにした。
「あの……アルト様も魔法が使えるのですか?」
「うん、そうだよ」
あっけらかんとした答えが返ってきて、とっさに言葉に詰まる。魔女は貴重だが、同じくらい魔法使いだって簡単に会える存在ではない。しかも、彼は高度な魔法を無詠唱で使いこなしていた。マルシカ王国やシルキア大国に行けば、引く手あまたなのではないだろうか。
ところがアルトは今の生活に満足しているようで、愛おしげにラウラを見つめている。一方のラウラはその視線には気づかないふりを決め込んでいるのか、そのまま会話を続けた。
「さっきもアルトが言ったように、ここには特別な結界が施してあるの。だから外部に音がもれることはないし、爆発しても衝撃を吸収して自動修復するから、火事になる心配もない。魔法の特訓には最適な場所なの」
「す、すごいですね……」
思わず感心していると、アルトが口を挟む。
「そうだろう? ラウラが新米だった頃、職場の鬱憤を晴らすのにちょうどいいからって、二人で改造したんだよ」
「鬱憤を……?」
「そうよ。こういう風にね」
突然ラウラの手から炎が飛び出したかと思ったら、そばにいたアルトを取り囲むように火柱が襲う。あわや火だるまになるかと戦々恐々としていると、真上から水がジャッパンと流れ落ち、水浸しのアルトが濡れた髪をかき上げた。
「いきなりやってくれるね……」
「標的があったほうがやりやすいでしょ?」
「……え、ええと……」
おろおろとするセラフィーナにウィンクし、アルトがパチンと指を鳴らす。すると、アルトの足元に風が生まれ、大きくなった風の渦はやがて全身を覆い尽くした。
心配するセラフィーナと正反対に、ラウラはゆったりくつろいで足を組み替えている。
「……服を乾かすのって、結構大変なんだよ? 微調整とかさあ……」
いつの間にか風はすっかりやんでいて、アルトの髪や服だけでなく、床までもきれいな状態に戻っていた。
(こ、これが魔法……! すごいわ)
夢のような光景が目の前で繰り広げられ、セラフィーナは胸が高鳴る。これが舞台だったら惜しみない拍手を送っていたことだろう。昔、魔法使いの絵本を読んだときの興奮が戻ったみたいだ。
目を輝かせたセラフィーナの視線にアルトは微笑で応じ、バスケット横の簡易食器棚から取り出したスプーンを手渡した。
「さてセラフィーナ。まずは、このスプーンを浮かしてみようか」
「……どうすればいいのでしょうか?」
「指先に魔力を流して、スプーンが浮くイメージをしてみて」
「…………魔力の流し方がわかりません」
「しまった。そこからか」
アルトががくりと肩を落とす。その腕をぽんと叩き、ラウラが立ち上がる。セラフィーナの横に回り込んで手を差し出した。
「魔力の流し方は私が教えるわ。まずは私の手を握ってみてちょうだい」
「こうですか?」
ひんやりとした手を握ると、ラウラが片目をつぶる。
「今から私の魔力を流すわね。言葉じゃ伝わらないだろうから、体で感じて。……いい? いくわよ」
冷たかったはずの手が温かくなり、電流のように何かが流れ込んでくる。くすぐったいような不思議な気分に包まれるが、その時間もすぐに終わった。
(何かしら……量は少ないけど、何かがわたくしの中に入ってきた……これが魔力?)
先ほどの感覚を忘れないように、自分の手のひらを開いたり閉じたりしてみる。なんとなく言われたことは理解できたと思う。体のずっと奥にある熱を相手に移すイメージだ。
「どう? 感覚はつかめた?」
「……おそらく、わかったかと思います」
「じゃあ、逆をやってみて」
ラウラの手を握って念じる。体内にある熱の一部を解き放ち、移動させるように。しかし、いくら待っても変化は訪れない。
「…………来ないわね」
「……すみません。イメージはできているのですが」
「アルト。原因がなにか、わかる?」
それまで傍観していたアルトが腕組みをほどき、そうだね、と言った。
「今度は僕と手を繋いでもらっていい?」
「え、はい」
ラウラより温かく大きな手が、セラフィーナの小さい手を包み込む。ラウラのときとは違って、何かが流れ込んでくることはなかった。だが何かを引っ張られるような感覚があり、首を傾げる。
アルトはそこで手を離した。
「……参ったな。これは才能がどうこうの話じゃない。魔力がない者ならともかく、魔力を強引に引き出すこともできないなんて、普通はあり得ない」
異常事態であることを断じられて、セラフィーナは肩身が狭くなる。
(一体、何が悪かったのかしら……アルト様の口ぶりだと、魔力の引き出しはできて当然って感じみたいだけど)
自分のために手助けしてくれているのに、拒否する理由はない。しかしながら、現実には彼の力を弾いてしまっている。どう考えても原因はセラフィーナにあるとしか考えられない。
アルトは苛立ったように、自分の髪をくしゃくしゃにした。
「す、すみません……わたくしは拒んだつもりはないのですが」
「……いや、こっちこそ取り乱して悪かった。ラウラ、これって魔力量が二重に見えていたっていう話と関係があるんじゃないか?」
アルトの問いかけに、ラウラが「え?」と聞き返す。それから何かに気づいたのか、聞き取れないほどの声量で何事かをつぶやく。しばらく待っていると、考えに没頭していたラウラがパッと顔を上げた。
「……もしかして、そういうこと?」
何かに思い当たったらしいラウラは、二人分の視線を受け止めて、ごほんと咳払いした。
「セラフィーナ。あなたの魔力量は普通の人が見たらゼロだけど、大魔女をはるかに凌ぐ魔力を秘めていることは前に話したわよね?」
「……はい」
「はっきり言えば、あり得ない数値なの。普通はキャパオーバーで死ぬレベルよ。でも、あなたはこうして生きている。それが答えだとすると、あなたの魔力は何らかの理由で使えない状態になっていると考えられるわ」
「使えない状態……ですか?」
セラフィーナが聞き返すと、ラウラは大きく頷く。
けれど説明しているラウラも動揺しているのか、思い詰めた表情だった。
「おそらく、魔力量が書き換えられているのと同じ理由でしょうね。平たく言えば、ロックがかかっているの。だから今の状態では魔法は一切使えないわ」
「そんな……本当に……?」
「ええ、残念だけど」
目の前が真っ暗になった。
(魔女と会えれば、活路が開けると思っていたのに……。まさか魔法が使えないなんて)
これでは、魔法による防御も攻撃も叶わない。
落ち込んでいるのはセラフィーナだけではなかったようで、心なしかアルトも表情が暗い。
「……魔力量が桁違いっていうから、すごい魔法が見られるかと思っていたんだけど」
「こればかりは仕方ないでしょう。本人にどうこうできる問題ではないようだし。問題はどうしてそんな状態になっているかだけど……何か心当たりはある?」
こちらに話が振られ、セラフィーナは渋面になった。
「…………いえ、何も思いつきません。魔女と出会ったのも、ラウラ先輩が初めてでしたし」
「そう。この件は私でも調べてみるから、今日はもうお開きにしましょう」
ラウラの宣言で、魔法特訓の時間は呆気なく終わりを迎えた。
非番だったアルトも翌日は仕事があるらしく、帰りは三人で宮殿まで戻った。道中、いつも通りの雰囲気に戻った二人は面白おかしく宮殿の七不思議を教えてくれた。気を遣われているのは明らかだったが、セラフィーナにできたのは、ただ微笑んでやり過ごすことだけだった。