104. 監視する者、される者
不意にラウラが顔を上げ、何かを見定めるように目を細める。それからすっと手を上に伸ばし、空に浮かぶ綿雲をつかむような仕草をする。
「ラウラ先輩? どうかされましたか」
セラフィーナが問いかけると、ラウラは肩をすくめて片目をぱちりとつぶった。
「ああ、ちょっとね。のぞき見をされていたみたいだから、目くらましを少しね」
「……のぞき見、ですか?」
「動物の目を借りて景色を見る魔法よ。自分の手足として使役するの。でも驚いたわ。今もこんな古典的な方法を扱える魔女がいるなんて」
「魔女……」
思いもよらない単語が聞こえてきて渋面になってしまう。
ラウラは小声のまま、補足をする。
「これは従属の契約が必要なの。古い契約術式でね、とっくに廃れたのだと思っていたわ。まだ残っているなんて奇跡に近いわね」
「す、すみません。魔法は詳しくないのですが……魔法使い、という可能性は?」
魔女と魔法使いでは完全に異なる。どちらも魔法を使う者という意味では同じだが、女性の場合は忌むべき者として魔女狩りの対象になる。
セラフィーナは毎回、魔女として謂われのない罪で火あぶりにされている。
否応なしに、どくんどくんと心拍数が上がっていく。
緊張が顔に出ていたのだろうか。きょとんと目を丸くさせていたラウラは短く否定した。
「ないわね。これって魔女の血を媒介にする術式だから。女である必要があるの。魔法使いは使わないんじゃなくて使えないのよ」
「…………」
初めて知る情報に、セラフィーナは口を噤んだ。
ループ人生では、どの国にいても必ず魔女だと通報された。監視者はシルキア大国に縁のある魔法使いではないかと思っていたが、考えを改めなければならないのかもしれない。
(わたくしを監視しているのは……おそらく魔女で間違いない)
この仮説が正しければ、魔女が魔女を罰していることになる。ラウラは味方だが、他の魔女の中に敵がいるということだ。魔女を保護しているのはマルシカ王国だ。けれども、セラフィーナはマルシカに住む魔女と会ったことすらない。
面識がない以上、ここまで執拗に恨まれる理由が思い当たらない。魔女だと通報して炎に身を焼かせるほどの所業は、よほど強い殺意がなければできないことだ。
それに、本当に監視者が魔女ならば、魔法でセラフィーナを殺めることもできるはずだ。しかし、魔女狩り以外で、不可解な命の危険が迫ったことは一度もない。
(現時点では何もわからない。魔女はただの監視者なのか、わたくしを魔女狩りに遭わせた犯人なのか……)
犯人の正体を暴くには、圧倒的に情報が足りない。
なぜ、セラフィーナを狙うのか。魔法で時間を遡るだけならば、魔法が一切使えないセラフィーナを殺したところで意味があるとは思えない。
それとも、あれらはすべて、偶然の事故だったのか。そこまで考えて、さすがにそれはないと断じる。一度や二度の偶然ならあるかもしれない。けれども毎回火あぶりになってから時が戻っていることを考えれば、もはや必然だ。
とはいえ、他の魔女狩りに遭った女性たちも、自分のように貶められて命を落とした可能性もある。被害者が自分だけとは限らないのだから。
敵の狙いがわかれば少しは対策が立てられるが、現状ではいずれも推測の域を出ず、明確な答えは出せない。ただ、向こうは魔女の手助けがある状態なのは確かだろう。
ラウラやアルトは息を吸うように魔法を操りながらも、一般人を装っているので、おそらくラウラが施した目くらましには気づいていないかもしれない。魔女界の常識はわからないが、二人のすごさは明らかに常人のそれより群を抜いている。二人とも前世の記憶があるということだから、昔の知識量によるところが大きいかもしれないが。
(どちらにせよ、わたくしはやはり監視されていた。今までにも同じことが起きたらラウラ先輩が教えてくれたはずだから、監視は不定期なのかもしれないわね)
果たして、残された時間はどのくらいなのだろう。
忍び寄る終わりの足音には聞こえないふりをして、セラフィーナは顔を上げた。今は下級女官の務めが先だ。考えるのは後でいい。
そう自分に言い聞かせ、ラウラとともに足を踏み出した。
◇◆◇
別の場所の同時刻──。
突然、視界が真っ暗になった。
先ほど見えていた夕焼けの空は闇に染まり、閉じていた瞼を上げる。瞼の裏に広がっていた映像が突如として途切れ、現実の感覚が戻ってきた。
「……弾かれた?」
こんなことは初めてだ。顎に手を当て考え込んでいると、遠くから雷鳴の音が聞こえてくる。窓辺に近寄り、重く閉ざしていたカーテンを開ける。案の定、外はぶ厚い雲で薄暗くなっていた。ぽつぽつと降っていた雨音は強くなり、次第に地面を叩きつけるような音に変わる。
ごうごうと風は唸り声を上げ、窓枠がミシミシと悲鳴を上げる。井戸のそばにあった木製のバケツが風に煽られ、遠く彼方へ飛んでいく。
もうじき夏が終わる。季節が移ろいゆく中、天気の急変は珍しいものではない。
突如繫がっていた景色が途切れた原因に何者かの介入を疑ったが、よく考えれば、あの女のそばに魔女の味方などいるはずがない。だから嵐のせいだろうと結論づけた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
九章は終わりです。続きは鋭意執筆中です。今しばらくお時間をください。
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