70年前のセカンドライフ
「当時の世界について教えて頂きたいのですが……」
「70年も昔だからね。もう、ほとんど覚えていないよ。」
もともと、半世紀以上昔の情報が正確に残されていることなんて、期待していない。
が、狼顔の編集長から「何でもいいから記事にできそうな話を聞いて来い」とせっつかれた手前、手ぶらで帰るわけにはいかない。
「当時はシステムが不安定で、『テレポート』しただけで落ちることもあったとか?」
予想外に、彼女はよどみなく答えた。
「それはもう。そんなことは日常茶飯事。一日に何度もリログしていたよ。テレポが億劫になって、ずっと同じSIMにいたわ」
「今じゃとても想像できないですね。」
編集室にあった古いNoteにも書いてあった。その頃は頻繁にトラブルが発生していて、なんの前触れもなくログインできなくなることもあったそうだ。
事前に調べておかなければ、彼女の話を信じることができなかったと思う。
「トラブルが起きる度に、みんな大騒ぎよ。リンデンドルがゼロになったとか、在庫目録から大切なものがなくなったとか。本当にもう、いろいろ。」
「『在庫目録』ってなんですか?」
「ああ、ごめんごめん。その名前はもう、とっくに使われていないものね。アイテムリストのことよ。
今とは違って、クライアントのほとんどはリンデンからダウンロードして使っていたの。そのときに使われていた日本語訳が『在庫目録』ってわけ。
こんな言葉を使っているから、すっかりおばあちゃん扱いされるんだわ、私。まあ、実際におばあちゃんだけどね。」
そんなやり取りが、しばらく続いた。
気づくと、さっきまで浮かんでいた雲は橙色に染まり、もう太陽が沈みかけていた。
「『東京タワー』って知ってる?」
今日初めて、彼女の方から話題を切り出した。
「『東京タワー』ですか? もちろん知っていますよ。昨日、取材してきたばかりです。」
「ちがうわ。本物の東京タワー。リアルの東京に、ずっと昔あったタワーのこと。」
「え? あれ、リアルのものだったんですか? てっきりIn Worldで作られたものだと……。エッフェル塔がリアルにもあった話は聞いていましたけど、まさか東京タワーもそうだったなんて。」
「きっと知らないと思って、聞いてみた。あはは。」
彼女の笑い声に、電子音のメロディーが重なった。
音の主は、壁掛け時計。
「なんだか、とぼけたメロディー……」
その真四角の壁掛け時計は、ちょうど6時を指している。
「もうこんな時間なんですね。そろそろ失礼します。今日は、いろいろと教えてくれてありがとうございました。」
「とんでもない。こんな老いぼれでよければ、いつでも。ところで、これからあなたはどうするんだい?」
「会社に戻って、記事をまとめます。かなり多くのお話が頂けたので、うれしい悲鳴ですよ。ところでFujiyamaさんは?」
「今夜はリアルに戻るとするわ。古い人間だから、週に一回はログアウトしているのよ。」
「なるほど……」
「今、『原始的』って思ったでしょ? 私がセカンドライフを始めた頃によく聞いた言葉を教えてあげる。『リアルライフあってこそのセカンドライフ』ってね。若い人にはわからないかな。」
正直、わからない。
でも、この場で反論するのもなんだかメンドウだ。
「そうですね。気が向いたらそうしますよ。では、今日は貴重なお話をありがとうございました。」
「はーい。じゃ、またねw」
そう言って、彼女はピンクの帽子とともに、ふっと消えた。
目の前で人がログアウトすることは、ほとんどない。
これも貴重な体験。
なんだか不思議な気持ちで、彼女のいない彼女の自宅を後にする。
噴水のパーティクルも、オレンジ色に変わっていた。
第一幕 注釈
【テレポート】
Second Life内の離れた場所へ瞬時に移動する機能。当時は基本的な移動手段である一方、動作が不安定になることもありました。
【リログ】
一度Second Lifeからログアウトし、再びログインすること。不具合が起きたときの定番の対処法でもありました。
【SIM】
「Simulator」の略。当時はSecond Life内の一つの地域を、日常的に「SIM」と呼んでいました。現在の用語では「Region」に相当します。
【リンデンドル】
Second Life内で使われる通貨「Linden Dollar(L$)」。商品やサービスの売買などに使われ、現実の通貨との交換も行われていました。
【在庫目録】
Second Lifeの「Inventory」に対して、初期の日本語表示で実際に使われていた訳語です。服、オブジェクト、ランドマークなど、自分が所有するデータを保管する場所を指します。
【In World】
Second Lifeの仮想世界「内」にいること、または仮想世界内で行われること。
【RL/SL】
RLは「Real Life」、SLは「Second Life」の略。当時の利用者の間では、現実世界とSecond Lifeを区別する言葉として日常的に使われていました。
本文の「リアルライフあってこそのセカンドライフ」という言葉は、作者が当時耳にしていた言葉の記憶に基づいています。




