12 カーテン1
それから洗濯を終えて部屋に戻り、カーテンを吊った。少し色褪せたような気がしないでもない。ロンドンの水は硬水だからか、洗濯物の色落ちが激しい。解ってはいるけれどこればかりは仕方がない。埃でくすんだ黄色と、褪せた黄色とどちらがマシかって、そりゃあ、決まっている。
次は居間のカーテンだ、と階下におりると、ちょうどマリーが出かけるところだった。ドアを開けようとしていた手を止めて振り返り、「夕飯は一緒にたべましょ。なにか買ってくるから」と彼女は明るく言い放った。
また、僕の都合はおかまいなしだ。
もっともこの家に越してきてからというもの、土曜も日曜もどこかに出かけたことはなかった。だから彼女が僕の予定を訊かないのも当然なのかもしれない。だって、この家は寮と違って、温かくて落ちついた快適な居間があるんだもの。それに自分でコーヒーなり紅茶なり淹れれば、カフェに行くよりも安くすむ。気が向いたらすぐに掃除もできるし。
僕はこの穏やかな空間がすっかり気にいっている。大切にしたいんだ。
そう自分を納得させながら、居間のドアを開けた。
窓下の白い蛇腹のラジエーターの前、乾いた青草のような蒼色のラグの上に、アルビーが細くて長い身体をコンパクトに丸めて眠っていた。
洗濯機の音のせいで、帰っていたのに気づかなかったんだ。マリーは知っているんだろうか? あんなに心配していたのに。
そうか、知っているから――。アルビーに煩く問い質してしまいそうになる自分が嫌だから、出かけたんだ。頭を冷やすために……。
僕は眠っている彼から離れたテーブルの椅子を、音をたてないようにそっとひいた。
色とりどりのクッションに埋もれて眠る彼の白い頬に柔らかな赤が映え、上気しているような朱に染まっている。
仄暗い草の上に横たえられ、鮮やかな花に囲まれた白雪姫。眠っているように死んでいた白雪姫。王子さまのキスで生き返る――。
あの人形の唇は固かった。磁器でできているのだから当たり前だ。でもアルビーは――、
僕は頭を振って立ちあがった。カーテンを外して洗わなくちゃ。じっとしているとすぐ、あらぬ妄想に堕ちてしまう。
――アルは、あんたのこと気にいっているのよ。だから、あんたに決めたのに。
アルビーとマリーがどういうつもりで僕を同居人に選んだか、なんて関係ない。僕はここにきて、家賃を節約して、その分を労働で補って、浮いたお金で本を買って、それから、もっとしっかり勉強して――。
――あんただって、もっと歩みよってくれたっていいじゃないの。
カーテンポールに手を伸ばし、一つ一つ留め具を外した。カチャカチャと、小さな音をたてるその間をぬって、マリーの声が僕に囁き続ける。
僕はちゃんと義務ははたしている。朝食の用意をしているし、約束の洗い物も、掃除も。
手に触れる薄手の生地には、白地に黄色の大輪の花が咲く。南国風のカーテンは、ここだけがいまだに夏のようだ。灰色の空にも、落ちついた室内にも不釣り合いな浮かれ飛んだ花。ぽっかり浮いた異物。今の僕。
「カーテン、どうするの?」
背後から蝋のように白い腕が伸びてきて、僕より先に留め具を外した。ふわりとお酒の臭い、それに、すっとしたコロンの香りと混じるすえた臭いが鼻をつく。
慌てて振り返ると、はだけた襟元から覗く鎖骨が目の前にあった。そこに残る赤い痕に、あっと息を呑んでしまった。顔が勢いよく火照っていくのが自分でも判った。アルビーは固まって俯いてしまった僕のことは一向に意に介さずに、どんどん留め具を外していく。
バサリ、とカーテンが落ちる。
「こっちのも?」と、彼は反対側のカーテンも外し始めた。
「冬用に交換するの?」
僕はそっと視線をあげた。返事しないと変に思われる。
「洗おうと思って」
「ついでに冬用にしようよ。取ってきてあげる」
外しおえたカーテンをまとめて置き、僕の傍を通りすぎる時、アルビーはさらりと僕の髪を撫でていった。
「コウは、赤ちゃんだね」
そんな言葉を残して。




