5.小夜子 たちばな日和
「亮平から卒業する」という儀式を失敗に終えた私は、泣き疲れ、そのままベッドに突っ伏し、眠ってしまった。
30歳になって初めての朝、私は今日が休日で良かった、と心から思った。きっと今の私の顔はひどいに違いない。私は泣き疲れただるさの残る体を起こし、いつものようにカーテンを開け、窓の外の景色を見る。よく晴れていた。いつもと変わらない。そう、何も変わらないんだ。私はそう思い、その変わらない景色を今日はスマホの中におさめた。
そのあと、私は大きく伸びをし、洗面台へ向かう。鏡に映る自分と対面する。目は腫れ、顔もむくんでいた。案の定何ともひどい顔だった。私はそんなひどい顔を両手でバシバシと叩く。「よしっ!今日から30歳頑張ろう!」と気合いを入れる。さっと顔を洗い、キッチンへ向かう。お湯を沸かしながら、私の目は亮平の姿を追う。「亮平、おはよう。」、いつものように声をかける。亮平も穏やかな顔をしていた。そして、「その顔ひどいな。」と苦笑しているようにも見えた。
私は、甘めに入れたミルクティーを飲みながら、亮平のポスターと自身の部屋に積み上がった、と言うより積み上げた段ボールを交互に見る。「はぁ。」っと大きなため息をつく。これを元に戻す作業をしなくちゃいけないのかと、ガックリと肩を落とす。今日はそれをする気にもなれず、再びベッドに転がりこむ。そして、スマホを手に取り、先ほど何気なく撮った窓の外の景色の写真を確認する。そこにはいつも見慣れた景色があった。ふと「変わらない」ことについて考える。私は普段から「変わらない」っていいな、と思うことがあった。今の仕事だってそうだ。転職せずにずっと働いている。工場に行けば、いつものメンバーがいる。そして、出入りする取引先の人もずっと同じだ。当たり前のようなことだが、私はこの「変わらない日常」が好きでもあった。本屋に行けば同じ店員さん、通勤時にすれ違う人、自分で入れる紅茶の味、変わらないことに身を置いていられる安心感があった。窓の外の景色だってそうだ。季節は巡るが、常に同じようにそこに存在している。
私は、「亮平から卒業する」という儀式を持って、「変わろう」とした。けれど、変われなかった。結局、私は「変わらない」ことを選んだのだ。「変わらない」という安心感の中に、また潜り込もうとしていた。
しかし、先ほど撮影した外の景色を写真を見ると、別な感情も湧いてきた。私は、基本的に誰にも亮平が好きだと言ってこなかった。友人の美郷を除いては。美郷は、私の亮平好きを唯一理解してくれている友人だ。そんな彼女は、Earthのアッキーのファンで、私が亮平を好きになって2年後くらいにアッキーにハマったと、記憶している。彼女は活動的で、Earthファンの友達も数人いるし、情報通だった。私は、いつも彼女から情報を教えてもらうことが多かった。私も彼女のように行動できたら、何か違うものが見えるのだろうか。ちょっと「変わる」ことができるんだろうか、そんなことを考えていると、見透かしたように、美郷から電話が入る。
「もしもし、小夜?誕生日だね、おめでとう。」
「うん。ありがとー。いつも気にかけてくれて。」
「友達だから、当たり前じゃーん。あれ?何か元気ない?何かあった?」
「ううん。大丈夫だよ。」
「何?亮平のこと?また何かこじらせてる?」
「ううん。いつものように自己解決したから大丈夫。でも、ちょっと違うことで相談があるんだけど?」
「うん。相談って何?」
「美郷ってさ、Earthが好きな人と友達になったりしてるじゃない?」
「うん。」
「私もできるかなぁって思って。」
「急だね。小夜がそんなこと言い出すなんて、どういう風の吹き回しなわけ?」
「“私、昨日30歳になったから”ってのが理由じゃダメ?」
「節目ってことね。いいんじゃない?ブログとか始めてみたら?」
「ブログかぁ。美郷と同じところでやってみようかな?」
「違うとこにしなよ。リア友とそういうところで絡むの気まずいでしょ?私を気にせずにできる環境でやってみなよ。」
「うん。やってみようかな。」
「うん、できるって。そんなに難しく考えなくていいんじゃない?1人で悶々と亮平好きよりよっぽどいいって。」
「うん。そうだね。美郷ありがと。」
うん。いいって。また何かあったら相談してよ。じゃあ、またね。」
美郷に一つ大きな決意を吐き出した私はその勢いのまま、PCの前に向かった。




