第45話
やわらかい陽射しがレースのカーテンをすり抜けて部屋を明るくする。あれから何度目かの夏。クマゼミたちがまたがらがらと大合唱をはじめる頃。
「嘘でしょ。これで終わり?」
「うん、まあ」
「えええ。それはやだ」
里香の無茶な注文に笑ってしまった。
「やだって言われても」
「だって、ハッピーエンドがいいじゃん。これは悲しすぎだよ」
まあね。でも仕方ない。
「だって仕方ないよ。ハッピーエンドじゃないんやから」
「だから、夢がないよ。実際はバッドエンドだとしても、せめて物語の中だけは主人公は幸せであってほしいじゃん」
里香は弾丸のようにとめどもなく喋り続ける。それにさ、と言って、
「私、ずっと考えてたんだけど、きっと、現実もこれで終わりじゃないと思うんだ」
里香の夢見る少女ぶりには辟易とする。ある時期はそんな里香と会うのも辛くて、連絡を絶っていた時期もあった。
何度か漫画コンクールに応募しているうちに、編集者から連絡をもらって、なんとか漫画家と呼べるところまで、なることができた。貯金も底をつきかけていたころなので、なんとか仕事として確立できそうでほっとしている。
その中で『カーマインレッドの明けない夜』は、私の代表作となった。
これを書ききることで、私の中でようやく片が付く。そんな気がしていた。ただ、ラストはどんなに書き直しても、どうしてもハッピーエンドにはできなかった。
里香の家からの帰り道。夕暮れの梅田は一層華やかさを増す。虚構も真実もごちゃ混ぜになって、きらびやかな世界への扉を開く。以前はそんな世界に憧れを抱いていた時もあったけど、今は少しばかり疲れてしまった。
新しいものが生まれては瞬時に消える。消耗されるエネルギー。すさまじいスピードで流れていく時代。取り残されまいと必死にもがく人々。もし、波にのれなかったら。脱落したら。焦燥感は不安に変わり、急ぐ雑踏のリズムは、加速してゆくばかり。
私は、少しずつ沈んでゆく遠くの太陽を眺めていた。立ち止まっている人は私だけ。私はあの時から、ずっとがむしゃらに生きてきた。何も考えないようにして。ただひたすらに走り続けてきた。でももう、管理人は、私のところには現れてはくれないのか。
「何をしているんだ」
とは言ってくれないのか。
「絹夏!」
反射的に振り向く。時計塔の下にあおいが立っていた。あの、カーマインレッドの明けない夜を過ごした日と同じ。
「呼んだ?」
「うん」
「呼び捨てにすんなや」
「口、悪いなあ」
自分の意思とは無関係に、涙が溢れてきた。
あおいはへらへらと笑う。
「お待たせしました」
「なんやの、それ」
聞きたいことは山ほどある。でもそんなもの、今は必要ない。あたりまえみたいにしてあおいは私を抱きしめる。周囲の人々は、振り向きもしない。さすが大都会。こんなドラマチックなシーン、滅多にないのに。
「面白いやん」
私が鼻声でやっとそう言うと、何が? みたいな顔をするので「登場の仕方」と言うと、ああと言って「絹夏さんを笑わせるのが僕の使命なんで」と面白そうに笑った。
「ずいぶん待たされたわ」
そして、
「で、あの時、何を言おうとしてたん」と聞いた。
あおいはちょっと考えて
「忘れた」
「嘘やん、勘弁してよ。ずうっと気になってたのに、教えてよ」
「いや、まじで忘れた。きっとめっちゃたいしたことない。オムライス好き? とかそんな感じのことやったと思う」
「あほちゃう」
「だってしゃあないやん。きっと、ごっそりとった前頭葉の中に残ってたんやと思う」
そうか、と私はため息をついてから「でも、また奇跡はおこるかもしれへんしね。そんときは教えてね」と言った。
あおいの笑い声が好き。
あおいの指の感触が好き。
あおいの変な癖が好き。
あおいの瞳の中の私が好き。
ああ、
私、あおいが好き。




