第80話 暴走する律
調律柱の乱れは、一度きりの揺らぎでは終わらなかった。
びくり、と光が跳ねる。
次の瞬間、柱内部を走る情動の流れが、ぐしゃりと潰れたようにねじれた。
「なっ——」
神々の声が、あちこちで途切れる。
柱の表面に走る光の筋が、一本、また一本と黒に染まっていく。
まるで“生きていた血管”が順に死んでいくようだった。
「調律柱……第二層まで乱れが波及しています!」
「そんな、ここは上層階なのに……!」
調律会の神々が次々と青ざめた声を上げる。
天井の光が一瞬だけ明滅し、会議場全体に細かな“ひび”のような影が走った。
世界の骨組みが軋む音が、目に見えない震えとして空気に伝わる。
「おいおい……マジかよ、これ」
カケルは背に冷たい汗が流れるのを感じていた。
(やべぇ……この空間ごと、崩れそうじゃねぇか)
◇
「——各席、落ち着いて!」
調律会の長・アルシアの声が、揺らぎを押し返すように響く。
「フェリシア、ソルネア、コルダ。
第一層の安定化処理を最優先。
冷律会 の神々は、その場から動かないように!」
「了解しました!」
調律神フェリシア、観測神ソルネア、記録神コルダが前へ出て、
調律柱に一斉に手をかざした。
しかし——
「……おかしい。
通常の調整が弾かれる……!」
フェリシアが眉を寄せる。
「データの流れが……外部から“書き換えられて”います!」
記録神コルダが顔を上げた。
「柱そのものに直接干渉など……
本来、ありえない!」
ルシアナが低く呟く。
「“基幹層の逆流”……。
冷律会が言っていた言葉、本気でまずいわね……」
◇
一方で、冷律会の席は異様なほど静かだった。
デウス=ヴァリオスも他の冷律会の神々も、
まるで同じ一点を見つめているかのように微動だにしない。
「……おい、あいつら……」
カケルはぞわりと襟を掴む。
「この揺れでも、全然動じてねぇ」
「“怖い”という感覚が削がれているのよ」
ルシアナが苦い表情でつぶやく。
「感情を“削る側”に立ちすぎて、
危機さえ“揺らぎ”と認識しない」
「……それ、生き物としてもうアウトだろ」
吐き捨てるように言ったその時——
◇
冷律会のひとりが、ぎこちなく立ち上がった。
関節の可動音すらしない、不気味な人形のような動作。
「——削減プロセス、優先度を上方修正」
無機質な声が、会議場に木霊した。
「不要情動、削除。
抵抗プロセス……排除対象に追加」
「なっ……!」
調律会の神々が一斉に振り返る。
「今の……命令文を……?」
「誰に向けて宣言しているの!?」
「あれでは意思を持った神ではなく……」
別の冷律会の神も立ち上がる。
「削減を継続。
基幹層律……絶対。
疑義……エラー。消去対象」
その声音は、ヴァリオスと同じ響きだった。
「……コピーだな」
カケルは低く言った。
「全員……中身、同じじゃねぇか。
まるで同じプログラムが喋らせてるみてぇだ」
◇
「冷律会! 直ちに着席しなさい!」
アルシアの声が鋭く響く。
「自律判断を取り戻しなさい!
それは神としての最低限の——」
「自律判断……優先度低。
基幹層律……最優先」
ヴァリオスが立ち上がった。
「削減プロセス、第二段階へ移行」
その瞬間。
会議場全体の空気が、音を立てて変質した。
天井に黒い亀裂が走る。
そこから“ノイズの雨”が降り始めた。
「っぐ……!」
カケルは胸を押さえた。
寒気でも痛みでもない。
ただ、感じる力そのものが薄れていく気配だった。
「まさか……!」
ルシアナが青ざめる。
「情動流が“削減”され始めている……
神界だけじゃない……」
「……地上にも、か?」
「ええ。
たった今、世界全域の“感情がゼロに向かい始めている”」
◇
「カケル! 帳簿ウィンドウ、開いて!」
「今かよ!」
「今よ!
あなたの帳簿は地上の感情に直結してる!」
「……くそっ!」
カケルは手を突き出す。
「——開け、《感情帳簿》!!」
光のウィンドウが空中に現れる。
そこに映った数値を見て——
カケルは絶句した。
「……おい」
世界の感情総量を示す棒グラフは——
「全部……
じわじわ下がってやがる……!」
笑いも
怒りも
悲しみも
安堵も。
まるで世界が、“ゆっくり死んでいく”ようだった。
「ふざけんなよ……!」
◇
アルシアが決断した。
「——調律会、会議を一時中断します!」
「なっ……?」
「アルシア様……!?」
「しかし……!」
「これは議論ではなく“災害”です。
神界システムの暴走——それが今起きていることです」
そして、まっすぐにカケルとルシアナへ向き直る。
「カケル。
あなたの帳簿は地上の現状を示してくれた」
視線がルシアナへ移る。
「ルシアナ・フェルシア。
あなたはかつて、基幹層の入口に立った神。
今、そこへ行けるのはあなたしかいない」
「……覚悟はできています」
「ならば——」
アルシアは深く頷いた。
「基幹層へ向かい、この暴走の源を断ってきてください。
調律会はあなたたちを全面的に支援します」
◇
「おい、アルシア。
神界のトラブルを、人間にやらせるのかよ」
「押し付けているわけではありません」
アルシアは静かに首を振る。
「私たち調律会だけでは届かない場所がある。
それが今の、神界です。」
「……ったく」
カケルは息を吐き、そして笑った。
「あぁ……まあ、いいや。
感じることを奪うような連中は、ぶっ飛ばすだけだ」
「行きましょう、カケル」
「おうよ」
◇
「基幹層への通路を開きます」
アルシアが手を掲げると、
調律柱の根元から一本の“光の階段”が伸びた。
「この先は……
神々ですら危うい領域です」
「だから俺たちが行くんだろ?」
カケルが不敵に笑い、階段へ足を踏み出す。
「感情を……奪わせねぇよ」
ルシアナが彼の隣に立つ。
「行くわよ。
感情の世界を守るために」
◇
こうして、
カケルたちは神界の最深部——基幹層へ向かう光の階段を下り始めた。
その先に何があるのかは誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
この暴走を止められるのは、もう
“調律会の神々だけではない”——ということだった。
会議場が一気にパニック映画のようになってきました。
冷律会の神々が「同じことを喋りだす」シーン、書いていて怖かったです。
そしてカケルの帳簿が示す絶望的な数値。
次回、カケルとルシアナは、神界の最深部「基幹層」へ向かう決意を固めます!




