20.忍び寄る悪意
ここから新章突入です。いつもより長くなっています。いつものコミカルな話と変わってちょっと重いです。
セントラール王国のある中央大陸。
その中央大陸の北部には、いくつかの国が集まった連合国家がある。
その内の一つ、マインステート王国は小さな国であった。
それほど裕福とも言えない国だったが、マインステート王国南部には大きな湖があり、そこでは豊富な漁獲量を誇った。魚が絶滅してしまわないよう、決して捕りすぎず、また漁業により一定の魚が増えすぎないでいるという食物連鎖の中に人間がいた。決して豊かとは言えないが、自然と人間との共存がそこにあった。
北国で食料のあまり取れない連合国家の中では、国民の不満の少ない国であると言える。
"神速の剣"と呼ばれた剣士インフェルノは、マインステート王国の中の貴族の一人であった。
貴族ともなれば国内だけでなく、連合国家全体との交流もあったが、彼の剣の腕はその連合国家一と称された。
彼の剣のその比類なき強さは、初速の速さによるものである。
彼は刺突剣使いであった。旋回して相手に向かう斬撃剣に比べ、彼の剣は相手に向けて真っすぐ最短距離を進む。
ただでさえ比類なき動体視力と反射神経を誇る彼の肉体能力に加え、その剣の特性は1対1での決闘において常勝無敗、それを人類最強と評するものもいた。
そんな誰もが羨む栄光を手にした彼にも、どうしようもない悩みがあった。
眠り病と呼ばれた謎の病魔に侵された彼の妹である。
その名の通り、眠ったまま目を覚まさないという病気である。
彼の妹がベッドで眠りから覚めなくなってから、まもなく1年になる。
国内のあらゆる医者、治療魔法士などに診てもらったが、原因は不明。
医療による点滴での栄養補給で生き続けてはいるが、目を覚ます可能性はほぼない。
いっそ死なせてあげた方がよいのではないかと言う者もいた。そういう人間の気持ちも分かったのだが、そう言われる度にインフェルノは激怒した。彼は諦める気は一切なかったからだ。
妹さえ目を覚ましてくれれば、他に何もいらない。自分の持っているもの全てを投げ出しても良い。それがたとえ自分の命だとしても。悪魔に魂を売っても良いと思う。悪魔教という邪教集団があると聞く。そいつらに自分の魂の代わりに妹を蘇らせてくれと頼みに行こうかとまで考えたこともある。
しかしある治療魔法士に言われた。妹の魂も心もまだ体の中にあり、肉体も魂も死んでいないという事。ただ単に永遠に続く眠りが続いているだけだという事。だとしたら悪魔による死者蘇生の魔術でも目が覚めるわけではないのだと。
呪いを解くことができるという解呪師、夢の中に入ってゆけるという潜心師、そういった異能力者の名称を知り、現在も探しているが、もしかしたらその異能力名も空想上のものの可能性が高い。
だが僅かでも妹が目を覚ます可能性があるのならば、どんな力にでも頼るつもりだ。それが例え邪悪なものだとしても。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼は大きな扉を開けて帰宅した。肩に雪が積もった外套を脱ぎ、執事に預ける。外套を脱ぐと表れたのは、黄色い刺繍のラインが入った紺色の威厳あるナポレオンコートだった。肩や腕には金属製の防具が付いており、腰から1本のサーベルを下げている。いついかなる時でも戦闘に入れる装備で、それでいて貴族としての風格あふれる装いであった。
金色の髪は、横は短く刈り揃えられ上は荒々しく後ろへ流れるよう立てている。鋭く獲物を狙う猛禽類のようなまなざし。
背の高く精悍な顔つきのその男こそ、この連合国家最強と名高い"神速"のインフェルノである。
インフェルノは、今日も妹の病気の治療に関する情報を求めて人と会って来た。今日会ったのは、大陸の東からやってきたという旅人で、旅人の故郷から道中の国々について、非常に珍しい話が聞けた。しかし結果から言えば、彼の求めている情報については一切有益な情報は得られなかった。
それでも彼は諦めない。世界のまだ知らぬ土地から来る者たちから様々な情報を集める事を続けている。たとえそれが無駄だとしても。
廊下を歩きながら、ふと窓の外の雪景色を見つめる。しんしんと雪の積もる、この国で毎年見られる風景だ。今日でちょうど1年になる。妹が目を覚まさなくなった日を思い出す。あの日も今日と同じ雪が積もった寒い日だった。
朝、暖炉に当たりながら、いつも早起きの妹が今日はなかなか起きて来ないなと考えていたら、顔を青くしたメイドが慌てながら呼びに来た事を思い出す。
あの日以来、自分の全ての時間も止まってしまった気がする。もしかしたらそれは永遠に続くのかもしれない。
少し弱気になり、そしてすぐに気を取り直し、必ず妹を助けるのだと自分に言い聞かせ再び歩き出す。
いつものように妹の部屋へ、様子を見に。
ただこの日はいつもと様子が違った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
妹の部屋の扉を開けると、インフェルノは返事があるわけがない妹へ向けていつものように話しかける。
「体調はどうだ?フローレンス。」
大丈夫だと声を聞かせてほしい。いつもそんな事を思いながら。
すると、妹の側に付き添うメイドの様子がおかしい事に気付く。
彼女はいつものように妹のベッドの横の椅子に座っている。
身の回りの世話や、時々本を読んだり、話しかけてもらったりしているのだが、今日はなぜか椅子の上でガクガクと震えているのだ。
「どうしたメアリー?」
何事かと、メイドに声をかける。
すると彼女は恐怖に引きつった顔で振り返って、言った。
「お……お坊ちゃま……。」
インフェルノに助けを求めるかの表情。慌てて駆け寄る。
「どうしたと言うのだ?!」
メイドの横まで来ると、それまでなにもなかった空間に突然人の気配がした。
咄嗟に剣に手を掛け、そちらを睨む。
何もない空間が一瞬向こうの景色がぼやけたかと思うと、突然黒いもやのようなものがかかり、それは人の形へと変わった。
それはローブを着た魔術師のような、地獄から現れた死神のような、例えるならそんなものだった。
深く被ったフードに隠された顔は痩せ細っていて、まるで骸骨のような男だった。
「何者だ?!いったどこから現れた?!」
インフェルノの問に、その男は返答する。
「何者かと問われても、実体を持たない我は何者でもない…。そう、強いて呼んでもらうとすれば、亡霊と呼んでもらって結構だ…。」
それは正に亡霊であった。薄っすらと透けた姿、足は地に着いておらず宙に浮いているようだ。とは言え足は完全に見えていないため、足があるのかどうかも分からない。見るだけで恐怖を与えるその姿。メイドのメアリーが怯えるのも仕方がない。
亡霊は続けて語った。
「どこから現れたかの問に対しては、我は最初からここにいたとも言えるし、どこにも存在していないとも言える。我は物質界の存在ではない…。」
この亡霊は対話できるようだ。一方的に敵意を持った存在ではないのか?もし敵意をもって襲ってくるのであれば、たとえ実態を持たない存在であろうが戦うしかない。そう思ってインフェルノは臨戦態勢を崩さない。そもそも自分の武器が相手に通用するのか分からないが…。
「ファントムよ!何の目的で我が館へ現れた?!何か恨みでもあるのか?!」
「フフフ…若き勇敢な剣士インフェルノよ。我はこの世に未練を残し成仏できなかった怨霊ではない。我がここに現れた理由はただ一つ。お前の妹を救ってやっても良いと思ってだ。」
「なんだと?!」
亡霊の提案に、インフェルノは声を荒げる。
もし本当に妹が助かるのならば渡りに船だ。しかしそれはどうやって妹を助けるというのか?もしかして妹の死を救いと呼んでいるのか?いまだ亡霊の本意は悟りえない。
「もう一度言おう。インフェルノよ。我はお前の妹フローレンスを眠り病から解放し、目を覚まさせてやってもよいと考えている。」
「…?!どうやって?医療でも魔法でも助ける方法はないと言われているのだぞ?!」
「フフフ…、魔法だと?そんな陳腐な手品と私の力を同一に考えてもらっては困る。我は最強の精神能力使い。我のPPは魔法の力を凌駕する。」
「サイコパワー?!」
サイコパワー・・・妹を助けるため世界各地の超常現象についての情報に詳しくなったインフェルノでも、そんな言葉は聞いたこともなかった。確かに魔法とひとくくりに呼ばれている力も、様々な種類があるという事は知っている。地水火風の精霊の力を行使した精霊魔法、精霊とはまた違う神の力を行使するという神聖魔法、魔界などの異世界の門を開き異世界の者を現世へ呼ぶという召喚魔法、その他さまざまな魔法について聞いてきたが、サイコパワーなどという言葉を耳にするのは初めてだ。
「聞いたことがないのであろう。それは仕方がない。所詮おまえは我が存在する次元より劣等する物質界に生きているのだからな。それよりも、どうだ?妹が助かるというのだ、悪い話ではなかろう?」
「見返りに何を求めるのだ、亡霊よ?!」
明らかにそれは善の存在ではない。どう見ても邪悪な属性の存在だ。だとしたら妹を助ける見返りを求めるに決まっている。だが、確かに悪い話ではない。なぜならインフェルノは、妹を助けるためなら自分の命ですら投げ出してよいと思っているのだから。
「話が早いな、若き剣士よ…」
やはり…妹を助ける代わりの交換条件があった…ではそれは何だ?
「この国から南方にある、中央大陸最大の王国セントラール。その国に伝わる龍の宝珠を手に入れてこい。手段は問わぬ。」
「龍の宝珠?」
セントラール王国のことは当然知っている。しかし龍の宝珠というものの存在は初めて聞いた。当然そんなものがセントラール王国にあるという話も聞いたことがない。そもそもどういったものなのか?
「もちろん貴様は龍の宝珠についても知らぬのであろう。あの国はその存在を隠しているからな。龍の宝珠は、ドラゴンの力の根源であるエネルギー体だ。地上最強の生物たるドラゴンの力の全てが詰まっている。そんな神の力を、一つの人間の国が保有していてよいはずがないだろう?だから神に近い存在である我が所持してやろうというのだ。」
「亡霊よ!貴様はドラゴンの力を得て、魔王にでもなろうというのか?」
「フフフ…それも良いな…。だとしたらどうする?この世界は売れんかインフェルノよ?だが貴様は逆らえん…」
そう言うと亡霊はフードを外す。現れたのは髪の毛の1本もない、やせこけたガイコツのような顔。その顔の額の真ん中が輝く。額にはもう一つの目があった。三つ目。そしてその第三の目の正体は邪眼。悪意を持って睨みつけることにより、見つめられたものに呪いを掛けるというそれであった。
「亡霊よ。そんな呪いは無駄だ…。」
「むっ?!」
初めて亡霊が焦りの表情を見せる。邪眼による行動強制が効かなかったのか?と思ったからだ。そしてインフェルノの口が開く。
「呪いをかけずとも、その交渉に乗ろう。俺が龍の宝珠を持ってきたら、フローレンスの眠りを覚ましてくれるのだな?!」
「世界がどうなろうともそれより妹の命が大事か?フフフ…約束しようインフェルノよ。おまえが私のもとへ龍の宝珠を持ってきたら、お前の妹を永遠の眠りから覚めさせてやろう。そしてその後お前が望む栄光を与えてやっても良い。インフェルノよ。どうやって龍の宝珠を手に入れるつもりだ?」
「小細工するつもりはない。正面突破だ。剣の力だけで乗り込む。」
「フハハハハ…。良いだろう。これを持って行け。」
亡霊が右手を差し出すと、その手には一つのネックレスが握られていた。
中央に真っ赤な宝石が飾られ、金属のチェーンで宝飾されている。
インフェルノはそれを受け取る。そのネックレスに実体はあり、掴むことができた。半透明のこの亡霊には実体があるのだろうか?どうなっているのかは分からない。
「これは…?」
「それは魔法具だ。それを装備することで、飛び道具や魔法が届かない投擲物魔法防御壁を発生させる。そして貴様が望む時に、魔法の全身鎧が貴様の全身に装着される。その魔法の鎧と貴様の剣術で、セントラールを落としてくるのだ。」
インフェルノは迷わずその首飾りを首にかける。呪いがかかっているかどうかは関係ない。もはや躊躇することはないのだ。
その首飾り、赤鉄鎧の首飾りを掛けると、鎧を召喚する言葉が頭に浮かんでくる。迷わずその言葉を呟くインフェルノ。
「装着!」
瞬時にインフェルノの全身に魔法の鎧が展開される。
首回りに毛足の長い真っ白いファーがついた真っ赤なマントを羽織り、全身を固い魔法の金属の鎧が覆った。その面当ては左右と上部に長く角のように伸び、まるで3本の角の生えた無表情の悪魔のようであった。
その右腕にはフルーレと呼ぶにはいささか大きく槍と呼ぶには小さい剣が握られていた。それは魔法剣、悪意の刺突剣。
インフェルノは全身に人間を凌駕する力がみなぎるのを感じた。
「さあ、その鎧でセントラールを滅ぼせ。そして龍の宝珠を私のもとへ持ってくるのだ、インフェルノよ!」
そう言い残し亡霊はその姿を消した。
その場には、インフェルノとメイドのメアリーが残された。
目の前で起こった理解できない出来事に微動だにできないメアリー。
「装着解除」
そう唱えると、目の前の禍々しい鎧の男が、いつものインフェルノぼっちゃんの姿に戻る。
「おぼっちゃま…」
何かを訴えるように声をかけるメアリー。しかしそれ以上何て言えばよいか分からない。
「メアリー。しばらく留守にする。フローレンスのことは頼んだぞ。」
いつもの優しいインフェルノの声でそう言うと、彼は静かに妹の部屋から出て行った。
メアリーには彼を止めることも、それ以上声をかけることもできなかった。




