番外編・災いなるかな幸いなるかな
一見すると、それは行き止まりの様に見えるのだろう。
けれど、細かく紐解けば。
どこかで何かは繋がっている事もある、もしかしたら目的地まではとても遠いかも知れないけれど。どこにも繋がっていない事は滅多にあるものではないのだから。
だから。
ねえ、君?
甘く見ないで舐めないで、人は思うよりも人に見られているし。貴方が思うより人は貴方に興味を持っていないのだよ。
「彼」は、知っていた。
己の中に、得体の知れない「ナニカ」が存在している事を。
正確に言うのならば、「ソレ」は形がないものであり離れないものであり。
どれだけ、気持ちが悪く恐ろしいものであったとしても引きはがす事は出来ないと言う事だけは、どれだけ「母親」に訴えた所で意味もないものだと言う事だと言うのは、割と早く理解することが出来た。
何しろ、体の中。頭の中に存在するのだ。他の人には見えないし、それを理解する事が出来るのはそんじょそこいらの人ではない……悲しい事に、それを理解できる存在と出会えた事は何よりも幸運だった。
知覚。
簡単に言えば、聞いたり見たりする事。知ると言う事だし、感じると言う事と言っても良いだろう。
術師と呼ばれる者が持ち合わせていなければ使用することが出来ないと言われる、そんな「力の塊」とも言えるもので言葉にする事は出来ない。何故なら、そんなものに名前などないのだから。
人によっては六番目の感覚……第六感と言ったかも知れないが「彼」にはそんな言葉も知らなかった。
当然かもしれない、それを知っている者は須らく術師かその関係者への道を歩むことになる。どれだけ小さな「力」であっても、必ず一度でも二度でも、何度でも「力」は持つ者と持たぬ者に決して乗り越える事の出来ない壁やら溝やらを作り出す……誰が悪いわけでもない、単に「どうしようもない」と言うそれだけの事なのだ。
「彼」は己の力を少しは把握できるようになると、貪欲に知識を求めた。
まるで砂漠に水を落とすように、何かを飢えて死にかけた獣の様に、ただただ欲した。
己の「母親」と言う存在が「おかしい」と言うのは知覚する以前から外に出れば知れたし。己の境遇が決して褒められた環境ではない事も理解していたし、事のついでで「父親」と呼ばれる存在についても調べたら自分達はとんでもない所に巻き込まれていた事がよく判った。
女は自分が産んだ事は判るから「私の子」だと言う事が出来るが、男の方にしてみれば腹の中にあったわけでもなければ命を懸けて産むわけでもないのだから実感がわかないのも致し方が無いだろう。ましてや、巧妙にも複数の男達を手玉に取っている以上は女の方が一枚どころか何枚も上手なのだ。
幸か不幸か、己の血筋は「父親」のものだと言うのは理解した。しかし、貴族として登録されているわけではない以上。この国で貴族として生きられる可能性はゼロに等しい事も理解していた。
よくて、どこかの貴族の従者として生きるか。悪くて「母親」のあおりを食らって一蓮托生と言う可能性もある……現在、最大の可能性として頭痛を覚えるレベルだ。
流石に、生まれて間もない妹くらいは助けてやりたいと感じてはいたものの。どうやら「彼」と異なり己によく似た成長をしそうな、それでいて父親が正妻の子と間に心が揺れ動いてしまう程度に「使える」と思ったからなのか。極力関わらせない様にされてしまった。
仕方がない、とも思う。教育するのが誰であれ、成長を遂げるだろう妹がどんな人生を選ぶのかは本人が自分で選ぶ事だ。関わる事も出来ぬのならば、己が生き残る事を前提に考えるしかない。
「……だからと言って、どうしてこうなるのか判らないのだけれど?」
「仕方がありません、他に手だてを思いつかなかったので。
ああ、礼儀作法を知らぬご無礼をお許しください。貴方の夫とその愛人が、世間的に容認されていないが排除もされない息子への教育を怠っているのが原因ですので」
「……ごめんなさいね、と言うべきなのでしょうね」
と言うわけで「彼」は「正妻の姫君」の元へと訪れた。
当の姫君もそう思ったし、その繋がりから権力者へも話が伝わって当人達は期せずして最初に思った……「どうしてこうなった」と。
「でも、残念ながら正解なのよね。その考え方」
くすり、と笑った姫君は……確かに儚げで今にも消えそうで。
だが、それでも可愛らしい笑い方の方が記憶に焼き付いた。
そうなのだ、姫君は「知って」いたのだ。己がこうなる事も、夫が優柔不断で愛人を作り掌の上でころっころ転がされる事もすべて知っていた。
「彼」と同じく姫君も術師としての才能を持っていたからだ。
術師、とは術死。
多くの事を見聞きして、知って、行う事が出来る存在は遺伝ではない。ある日、突然現れる。
故に、長い歴史の中にあって囲い込もうとする者よりも排除しようとする者の方が多かったし。同じ程度には怖がる者が多かった。人工的に作ろうと画策したものは呆れる程に失敗を重ね、どちらにしても「関わるとろくな目に合わない」と言う風潮が世間にまかり通った。
そして、多くの術師は奇跡の代償だと言われるかの様に短命だった。
体に、合わないのだ。そして、多くの情報を取り入れる事で精神が保てないのだ。
とても「し」と近い所に生まれながら存在していると言う事と意味を理解出来るのは、同じ才能のを持つ者だ。
何故なら、同じ体験をする可能性が高いからだ。それでも、力の有る無しで計れる様な事でもないのだけれど。
しかも、才能が現れるのはいつ、どこで、誰に現れるのか何て判らない。故に、誰もが持っているかも知れない可能性を権力者たちは目を閉じ口を噤む。
誰だって、隣にある存在が。昨日まで普通に笑って泣いて怒っていた存在が、ある日からいきなり「化け物」に為り変るかも知れないとは思いたくない。
「良いでしょう、あの男に一泡吹かせてやりましょう……。
ですが、良いのですか? あの男を、アレを見捨てても?」
「問題はありません、私には守るべきものも守ってくれるものもありません。
ならば、好きなように生きるだけです……出来れば、貴女のお嬢様を守って生きていきたいのですが……」
「私も非常に残念だけど、それはね……血が濃いから勧められないわ」
「いや、そう言うわけじゃないんですけど……」
「判っているわ、でも死んでも言われ続ける事になるのだから人として母として勧めたくはないわね。
まあ良いわ、挨拶代わりに各地へ回ってちょうだい。あと、娘に顔を見せてやってくれない?」
大丈夫だろうか、と思ったのには理由がある。
それは「彼」のせいではないがまともな神経の持ち主で事態を理解出来るのであれば、存在しているだけで「彼」は排除されるべきだろうものだ。単に「理解出来ない」と最初から理解すると言う事を諦めている者達にとっては、単に「それだけの理由」で。ましてや、正妻とも仲を深めた時点で泥棒と罵られた所で文句は言えないのである。
どちらを指して言われるかは不明だが……恐らく、言うのは「愛人」だろう。
加えて、「彼」は己の時間をまた少し恨みたくなった。
外れて欲しい勘ではあるが……どうやら、姫君との邂逅は一生に一度だけで二度目は無さそうである。特に根拠はないが、何となくそうではないかと言う勘が告げると言う奴だ。
無論、だからこそ暴言に乗ったのかも知れないけれど。
挨拶代わり、と言うのは何のことはない。
貴族夫人の配達と言う形であちこちの国に回って上位貴族との顔を繋いでいたのだ。その為、数日間どころではなくろくに顔を合わせなかった割に帰っていれば「あら、いたの」と言われる始末。確かに、無駄に広い屋敷の中ではあるので一日や二日くらいなら顔を合わせなくても不思議はないだろうが……。
知らない間に使用人達の顔ががらりと変わっていたのは焦りを覚えたが、それでも古くから居る使用人達がいないわけでもない……だからこそ、「彼」は忘れ形見となった小さな姫君とわずかに残った使用人達に耐える事になる事を亡くなった奥方からの手紙を添えて伝えた。
流石に、即座に信用して貰えるとは思わなかったが乗り込んでいた愛人と娘の横暴ぶりに疑わしくても託すしかないと判断したらしい。
加えて、思いの外すんなりと小さな姫君が「彼」の事を信用したのがありがたかった。
小さな姫君には姫君の様な、術師としての才があると言う話はついぞ聞いたことがないが、かと言って昨日まで隣で普通に過ごしていた存在をがらりと変質させてしまう事もある。もしくは、すでに変質していても気が付かれない可能性もある以上は、そうであるともないとも言いきれないのでもあるが……その辺りを気にする必要はないだろう。
会えるのは一度きり、二度めなど存在しないのだから。
たった一人残された小さな姫君は、大人達のやる事に不満を口にする事は無かった。
部屋を取り上げられても、側付きの使用人を取り上げられても、代わりに与えられた粗末な部屋に文句を言う事は無かったし。側付きではない使用人がいたから、困る事はあまり無かったと言うのもある……次第に、部屋から出られぬ様になったり。食事を「わざと」忘れられる機会が増えた事は、確かだったけれど。
それでも、一日二食になったり、一食になったりしても、生き延びている以上は不満が出てもおかしくはないのに。
数年、そんな事が続いた。
世間の人達は王家の血を受け継ぐ時の王の従妹の姫君の事は記憶の片隅に追いやるのに十分な時間で、無関心で無責任な人々の間で揶揄される「あの家の娘」と言えば傲慢で人を踏みつける事が生きがいの様な存在と言うのが定説になっていた。息子の方は若干マシだったが、それでも若干であって差があると言うのは難しいだろうとも。
しかし、その状況に待ったをかけた人物がいた。
時の国王と他国へ嫁いだ果たしたもう一人の従兄妹、隣国の王族だった。
血縁があるとは言え、他所の家の話ではある。
母親を亡くしてショックのあまり寝込む事もあるだろう、それは否定しない。
だが、かと言っていつまでも引きこもりよろしく公的行事に参加意欲さえ見せぬ事があるだろうか? しかも、自称あの家の娘だと名乗った人物は貴族年鑑にも載っていない人物だ。その娘に正当な権限を持つ娘の事を尋ねれば「娘は自分だけ」だと言い切るのだ。
そんな折り、兄の方が懇意にしている隣国へと婿養子前提で姿を消した。
疑惑の目を向けられ始めてはいたものの、子供が犯罪を犯すと言う事はないだろうと言う意見の一致を見て見逃されていたとも言える。実際、疑いの目を紐解いてみると「彼」が生まれる前の出来事から掘り返さなければならないのだ。しかも、かつてあの家で使用人をしていた者達は口をそろえて「愛人と娘は……息子はともかく」と思わせぶりなセリフを吐いていた。しかも全員がだ。
貴族としてのお披露目の場に、呼ばれもしないで現れた妹は……本来の正当なる娘の事をあらゆる人々に言われて機嫌を損ねた。
「うちの娘は私だけだよ!」
礼儀もない娘、場を騒がせた平民として、父親が呼び出されて事態が発覚した瞬間だった。
実際、後から口にしたが入り込んだ家の正当な跡取りである自分達の妹であり姉の姿を一度見た気もするが。当時は豪華な調度品溢れる屋敷が今日から家だと言われて興奮していた為に、母親を亡くしたばかりで意気消沈していた娘の事など目にも入らなかったし、仮に覚えていたとしても葬儀を終えた直後だったので色見の暗い服の為に使用人の娘程度の事しか考えなかっただろう。
そんな事を、平然と母娘は揃って口にしていた。
可哀想だと周囲から同情されたのは、そんな母娘を担当した取調官であって。白い目で見つめられたのは、愛人と娘の教育をろくにしない上に正妻の姫君を殺害したのではないかと疑惑の目さえ向けられていた「父親」だった。
当然、その家の悪事は悉く露見した。
自国の貴族程度ならば何とかかわせるとしても、いきなり国王と他国の王族が現れたら。そうして、何年も姿を見せない従姉妹を思ってきたのだと言われたら、しかも騎士に身柄を押さえつけられたりしたら……それはもう、招くとか招かないとか言う問題ではないだろう。
まるで討ち入りかと言う状態で現れた騎士達に、当然屋敷の者達は狼狽えた。
その家の使用人達も少しずつ、「誰か」の采配でほとんどが昔と入れ替えられたりして、正当なる娘の存在さえ知らない者も少なくは無かった。
屋敷を支配していた者達……婿入りした男と、その男に引き入れられたと言われているが実際には押しかけて来た女と子供は一まとめにされた。
流石に、すでに家を出ていた「彼」についてはお咎めなしとなった……帰る|家(爵位)がなく家族を失った事が、彼に対しては十分な罰となるだろう。帰って来た所で行く当てもないのならば追放と言う形で十分だと。
捕まった最初こそ、悪い意味で絵に描いた様な女と醜悪な模造品の娘は甲高い声で叫んでいた。しかし、騎士達の中に時の国王と他国の王族があると言われるとあっさり口を閉ざした。だが、その状態で一気にやつれた姿の父親を見て……ある程度の状況を把握した様だ。
助け出された……文字通り、離れの部屋に監禁されていた娘は、艶のない手入れのしていない髪と。青白い肌、体型はもう一人の娘と異なり成長と言う言葉を忘れたような子供……栄養不足でがりがりの手足。
ろくに湯浴みも出来なかったのだろう、それでも可能な限り体を拭いていたとか言う事で生活が忍ばれる。
使用人が入れ替えられて、どんどん世話をする頻度が減った事。その為に食べ物も二日に一度が最近のルーティンだと言う事、水で飢えを凌いだ事、部屋から出られないので太陽の光も花を見る事さえ出来なくなったと、これは本人の口からもそうだが屋敷を追い出された古参の使用人達が国王の命令で探された事により判明した結果だった。
乗っ取り。
彼らの行動による結果を総合判断すると、その一言で終わってしまうと言うのが現実だった。
血を受け継いでいない者は、家を継ぐことは出来ない。
しかも、その家は王家の血に連なる者……時の流れ次第では、王になる事も不可能では無かった。
だが、それは許されない。
正当なる主を殺害した疑いを持たれているのは正当な後継者である娘を殺そうとした事実がある以上、まったくの無罪だと言う言葉は説得力に欠けている。ましてや、小さな姫君を虐待していたのは事実なのだ。その罪により、本来ならば全員惨殺と言うのが普通のやり方だが……ここで待ったをかけたのは例の他国の王族と件の小さな姫君である。
表向きこそ、母を失い父に蔑ろにされていた自分は。もう誰かが失われるのは沢山だと言われているものの。実際にはあっさり殺してやるほど親切などする事はない、どうせ家は継母達の趣味で元の姿を失いすっかり下品な調度品で埋め尽くされてしまった。ほとんど閉じ込められていたので、母親と過ごした愛着さえ失ってしまった事が本音だった。
変わりすぎた世界に、娘は愛を失った。
否、ろくに会った記憶もない母親と。ろくに顔も会わせる事もなくなった父親に、本当に愛情があったのかと問われれば小さな姫君に応える術はなかった。
言葉は、嘘をつく事も嘘になる事もあるのだから。
それならば、と提案したのは他国の王族だ。
彼らを一生あの家の者として縛り付ける。本来ならば恐れ多い事ではあるが、爵位を犯罪貴族に落として男には死ぬまで、そして子に爵位を売る事も土地家屋を売ることも許さず死ぬまで貴族として代々生きろ。ただし、本来ならば持っていた他の領地や経営権などはすべて本来の持ち主への返還。売り払った分の金額を負債として返還義務を「どんな手段を用いても」行わなければならない。
期限は一00年……問題は、それでも返しきれるかどうか微妙な線引きだ。返済が終わったら、家が存続する限り特定の金額を人数分、ぎりぎり食べて生きていけるだけの金額を国から支払う。期限を過ぎても返済できない場合は利息が増える、雪だるま式に増えるので期限内に返済し終える事が一家にとっては最低限の刑と言うことになるのだろう。
随分と甘い沙汰ではあったが……そして一家は知らぬ事ではあったが、これは家を出た「彼」が裏で提案した事で関係のない部分で一家は長く苦しむ事になる。
家の借金の関係で使用人を解雇し、調度品を売り払い、家族の衣服も何枚かを残して売り払い、それまで上げ膳据え膳で威張り散らして暮らしていた一家は一転して家だけがある貧乏になった。状況が悪化したのは、使用人達の何人かが共謀して価値のありそうに見える調度品を持ち出して逃げたのも一つの理由である……残念ながら、ほとんどが子供の小遣いくらいの金額にしかならなかったので誰もかれもが罰が当たったと言う事なのだろう。
最初、ある意味当然だが女と娘は嫌がった。父親を責めたし、暴力を起こしたりした。
その事で騒ぎが起きた関係で、いつでも駆けつけられるように騎士や兵士の詰め所が設置されたのは皮肉だろう。通常ならば町の警護であっても勝手に他人の家に踏み込むのは良しとされていないのだが、勝手に死ぬ権利はないと国王に言われてしまえば逆らう事は出来ない。
父親は……ノイローゼになってしまった。悪人では決してないと思っていたのだが、それでも善人と言うわけでも無かった。誰でもやっている事と思って父親にとどめを刺したのは「誰か」の「そんなに愛人が良かったなら貴族を辞めて愛人のヒモになれば良かったのに」と言う言葉だった。
女と娘は、しばらくして渋々内職の仕事を始めるようになった……負債は毎月特定の金額を収めなければならない。それが出来たら一か月生きられるだけの対価を貰える事になる、つまり働かない者には対価がない。
国から派遣された者が、屋敷に上がり込んで日々の仕事ぶりや言動を記録して国に収められていると聞いたのが理由だ。見栄っ張りと言うのもあるし、悔しい気持ちでいっぱいだったからだと言うのもある。
体を売る、と言う事は娼館や娼婦達に断られた。ケチが付いた家の呪いを自分達や客につけられても困ると言う言い分だったのもあるが、子供はまだ体が出来ていなかったし愛人の方は体を売るほどの肉体では無くなっていたからとも言える。
確かに、やった事は悪い事だ……己の娘と初めて見比べて罪悪感を言うものに駆られたと言えばウソになる程度には興味が無かっただけだ。それでも、もし死なれでもされれば寝覚めが悪い。何より、己の娘と挿げ替えるには己の娘は頭が良くなかった……学ばせなかった弊害もあるが、同じ程度に本来の資質もあるのだろう。
更に言えば、己の手を汚すと言う意味で殺人者になるのはごめんだった。娘は更に嫌がったが無理に働かせたのは、働かなくてもものを食べなければ死んでしまうので分け与えれば、それだけ自分達働いている者の取り分が減るからだ。
ノイローゼになった父親はいつでも嘲笑されている事で心を壊し、けれど実務能力は残っていると言う中途半端さ加減に周囲は病気であると気が付かず……けれど。嘲笑するのは町中の、恐らく国中の、そして屋敷を監視している騎士や兵士、平民、貴族の全てだろう。
父親にしてみれば、どこへ行っても嘲笑され。何をしても冷たい目で見つめられ、時に今や王家に引き取られ姫として扱われている娘を持ち出され、聞こえる様に噂で正当な妻の話をされ、正気を保つのが難しいのに自殺も出来ず、かと言って……と言う感じの生き地獄なのだから当然と言うものだ。それでも、誰か一人でも同情してしまえば同類とみなされて同じ目に合わされるので仮に父親え同情する者があったとしても口に出す事は無かっただろうが。
気が狂うなど出来れば、または自ら生きる事を諦めれば簡単だったのではないか? でも、そうはいかない理由があった。呪われたからだ。
要するに……だ、誰もかれもがなめていたに過ぎないのだ。
当主の連れ合いとされていた人物は、己の心の弱さと同時に齎される行動の結果を。
愛人は、己の頭の良さと貪欲な行動の果てに起こる結果を。
妹は、考える事を放棄する楽さに逃げた先の結果に。
努力と言う言葉から目を背けた者と、努力する方向の見誤った者と、努力を放棄した事の行動のツケを支払いしたに過ぎなかった。
その為、時の国王の怒りは事情が暴かれれば暴かれる程に天井知らずだったおかげで頑張りすぎた。
先祖は、決して気が触れる事も自ら死を願う事も出来なくなったのだ。姫に悪意があったのではない……小さな姫君本人に言わせれば、自分の母は理由はどうあれ亡くなってしまった。己と大差のない異母兄妹から両親を奪う事は止めて欲しいと言うのは可愛らしい願いだろう。咀嚼して利用して八つ当たりの道具にしたのは、当時の国王と他国の王族だ。
呪い、とは言っても魔法と言うわけではない。呪術でもない。そう言うものがないとは言わないし、かつての時代の方が呼吸と変わらぬほどに出来たと言われているけれど見た事はない。
社交界に存在すると言われている様に、平民の間にだって社交と言うものはある。当然、社交と言う名前のご近所付き合いや商売に出てくるのは化け物「噂」だ。
正当なる世継ぎの血を引く姫君を殺そうとした、それでも姫君に助けてもらったふてぶてしい一家。
しかも、王家は土地家屋を罪人に与え姫君には新たなる爵位と直轄領を。乗っ取った一家は死罪を免れた。
でも、事実はそれだけではない。
決して家を絶やす事なく、仮に絶える可能性が出て来た時は「どんな手を使って」でも生き残らせると王家は定めたと言われている。
その為、領地を持たぬ罪人の一族でありながら国から収入を得ている……死なない程度、食べていけるだけの金額を一定額。
王家とは、国とは何も知らずに出来るものではない。必ず、何かしらそこには手段を講じて実行する者達が存在する……意図して行う事もあるだろうが、時に意図しない所で勝手に個々が動いた結果として生じるものが存在するのは確かだ。つまり、特別に飢饉が起きたと言うわけでもない程度には少しばかり実りが潤いを持たぬ収穫に少しばかりの悪意と言う名のスパイスを振りかけて、そこに罪人一家が国から生きる為の糧を得ていると言う噂を振りまけば、どうなるか。
返済期限は一00年後、彼らの戦いは死んでも続く。
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「と言う事が、私の先祖にありましてね」
「まさかの前口上が素晴らしく長いんですけど……」
「何か、ご不満でも?」
「イイエありません」
「ちなみに、彼女も同族ですよ」
「て、貴方達血縁者っ?」
「縁戚と言って」
と言うわけで、現在乳母をしている女性と、他家の側付きと護衛がまさかの遠い親戚だと言う事が判明した瞬間である。
最初、三人は護衛達の元へ行く道すがらの世間話として「貴方達は、彼女とどれくらい付き合いがあるの?」と話を振ったのは現乳母にして将来の後継者候補の一人の生みの親だ。残念な事に正当なる跡取りだった子息は籍を入れる前に事故死してしまった為に妻と言う立場になる事は出来ないが、子供だけは引き取ってもらえる事になった……乳母と子供を見つけた功労者の計らいで、乳母としての役割をいただいて実家から出る事が出来る様になったのはありがたい事だ……。
そう、とてもありがたい事なのだ。
相手が10歳の女の子だと思わなければ。
「しかも、ワタシの先祖とルーツが同じですかあ……」
「我々は家を出た子息の子孫ですね」
「枝分かれ」
ついでに言うと、彼らとお嬢様との付き合いはそれなりに長い。
10歳児の娘にとって長いと言うのもあるが、一般的にはそれだけ長い時間を共に過ごす「他人」がどれだけあるのかと言う疑問にはなかなか答えずらいだろう。
あっさりと言ってしまえば、お嬢様が生まれる前からの付き合いだ。
生まれや育ちが、どうひねくれたのか不明な二人の出自は暗殺者である。しかも、最初はお嬢様のお家の当主……つまり、お父君を狙ってきたらしい。あっさり返り討ちにしたあげく「失敗したら死だろうけど使えるから、君たちは今日からうちの子」と強引に引き入れたのである。
……引き入れたと言うか、引きずり込んだと言うか。
実際、失敗した事で罰則として命の危険があったのも事実なのだ。それでも、若かった事も手伝って命は助けられた……何故、そこで暗殺対象から「今日からうちの子」扱いされるのか血縁者二人はない知恵を絞って考えても理解は出来ずに放棄することにした。
実際、当主の言動は周囲を振り回すことで定評がある。身近な存在からしてみれば痛い定評であるが、その妻たる存在も別の意味で振り回す事が多いので似たもの夫婦だ。
方向性こそ異なるが、今や結婚して実家を(本人が知らぬ間に)喜んで見送られた長女は普通の貴族的に人を振り回すし、その妹である件のお嬢様は斜めの方向に人を振り回す天才だ……要するに、はた迷惑な部分があるけれど誰もが人を振り回す貴族一家である。
最も、特権階級にある者は大なり小なり人を振り回すと言うのは通常仕様ではあるのだが……斜めに振り回すと言う意味ではお嬢様の人を振り回す加減は絶品と言うか絶妙と言うか。
そんな折に、生まれた娘を見せると当主が言ったのである。
二人揃って。
別に、当主の娘を見たいなどと言った事は一度もない二人である。それでも、何故かこう言う所に無駄に拒否権を認めない当主と何故か許しを与えた当主夫人……その時に姉は居なかったのだが、そんな中で引き合わされた出来立てほやほや、生まれたてで新品の赤ん坊を見ていた二人が固まったのである。
しかも、何を思ったのか二人を娘の側付にすると言い出したのだから……さあ大変。
色々……自分達は本来は暗殺者だとか、こんな赤ん坊の子守は無理とか言ってはみたものの「すぐに側付なんてさせない。勿体ないから、娘が大きくなるまで修行してらっしゃい」と言われて始まったのが使用人教育と騎士教育で、二人とも一定数の太鼓判は取れたがどちらも出来ると言う事でお嬢様の側仕えと言うより家の暗部担当と言う使われ方の方が多い……今は。
そうして、乳母は「どんな環境ならそんな風になるんだろう?」と疑問にもならない声で口にした所で起きたのが長い前口上である。
「とりあえず……先祖がろくでもないと子孫は苦労するって事かな?」
「ええ、我々の様な血筋も育ちも個性的なものが集まってしまう以上は。お嬢様の負担も大きいでしょうね……平均的な一般的な人類である場合は」
「でも勝てない、理不尽」
乳母を除いたこの二人、何故か天才的なまでに戦闘技術を持つお嬢様によって日々「遊ばれる」と言う運命が日課になっている。不憫とも言う。
立場的に、乳母も最近は巻き込まれた。
理不尽と言う言葉を、思い切り今日も噛みしめた。
恐らく、これからも幾度となく噛みしめる事になるのだろう……ただ、今の生活になっていなかったら以前までの生活だった。人によっては毎日を生き残る事に費やし、人によっては誰かを犠牲にする日々を過ごしていたのだろう、賢い生き方を選択した場合、それもそれで無しではないのかも知れない。変わらぬ日々と言うのは、ある程度は対処をする方法がないわけではないからだ。
ただ、どちらがより不満かと言われたら。
神のみぞ知る、と言う事なのだろう。
簡潔に言えば、作中にははっきり出ていませんが。
かつて、隣国に亡命した(ことになる)犯罪貴族となった家の戸籍の入っていない子息は、あえて言うなら魔力的な何かを持っていました。彼は外に遊びに出た時に繋がって繋がって同じような体質の持ち主から己の才能を知らされました。その時点で母親である愛人とは別の生き物になったと言っても過言ではありません。判りやすく言うと、息子の方が生みの親を飛び越えて大人になってしまったと言うのが近いかも知れません。ただ、それがどう言う事なのか知らない間に一足飛びに起きてしまった為に親達の認識が追いつかなくなったと言うのが近いでしょうか?
正妻の姫は世間的な儚げな印象とは異なりなかなかの性格だった様ですが、体が追いつかなかった事で親を止められずに婚姻を止められなかった事で死期を早めたとも言えます。ちなみに、正妻の両親である先代は娘の婚姻が済んで帰る途中に事故で亡くなっています。一応、貴族の慣例として親の言う事を聞くのが婚姻の普通ですから。かと言って、平民が自由恋愛出来るかと言えばそうでもないのですが。
ちなみに、隣国で乳母になった彼女とその子供(性別未設定)と男の家は血縁があります。影で暗躍しているお嬢様一家は繋がっていませんが、お嬢様の使用人二人は乳母さん達と血縁があります。
とりあえず、27時間テレビで明石家さんまの背後に鎮座ましましてるロボホンちゃんが気になって視線を向けてしまいます……サブには素人が入ってるのかしらん?