今
数時間後——
扉が開く音がした。
(早いな)
時計の針は、まだ十時を指していない。
扉が閉まる音に顔を向ける。
「お疲れ」
彼女は気まずそうに目を逸らした。
「……お疲れ」
(なんか、怒ってる?)
どうしたらいいのかわからず、言葉を探す。
「明日は休みなんでしょ?ゆっくり寝る準備してきなよ」
「あ、うん」
返事は案外、あっさりしていた。
(……気のせいか)
シャワーの音が部屋に響く。
その間も、どう説明するべきか考え続けていた。
(起きたらハムスターになってて、どうにもできなくて、気づいたらここにいた…とか?)
突拍子もなさすぎる。
何をどう説明しようとしても、不自然になる。
気が付けば、シャワーの音は止んでいた。
ほどなくして彼女が部屋へ戻り、ベッドに腰を下ろす。
本を閉じ、彼女を見る。
「まぁ、気づいたらハムスターになってて。戻んないし、なんとなく新幹線乗って、なんとなくここに来たら、羽柴さんがいたって感じ」
結局、こうなった。
「うん。すごい話だし、すっごい簡潔だね」
真顔で返される。
(苦手なんだよな、こういうの)
彼女なら、もっと分かりやすく、いくらでも言葉を並べられるんだろう。
「戻れてよかったね」
その返しは、意外だった。
「うん」
沈黙が流れる。
居たたまれなくなって、逃げるように床へ視線を落とした。
「てか、今日どうやって寝る?」
「あ~」
(確かに)
そこで、朝のことを思い出す。
「…というか、昨日俺が言ったこと覚えてる?」
「言ったこと?」
(やっぱ、忘れてる)
ちょっとだけショックだった。
でも、どこか納得もしていた。
少し考え込んだあと、彼女の頬がゆっくり赤く染まり始める。
「あ、え?え、」
一度俺を見て、視線を左へ逃がす。
それからもう一度、こちらを見た。
(こっちまで、恥ずいわ)
いつもより速い鼓動が、自分でも分かる。
「え、でも私、振られてるよね?」
(いや)
「振った覚えはないけど」
「はぁ?」
初めて見る反応だった。
「あ、ごめん思わず本音が…」
「ひどいわ~」
わざとらしく肩を落とし、おどけてみせる。
彼女は苦笑しながら続けた。
「いやいや、『友達って感じかな』って言ってたじゃん」
「どう思ってるか聞かれたから、答えただけ」
(付き合ってほしいとか、言われてないし)
だから、振ったつもりはない。
「え?恋愛対象じゃないってことじゃないの?」
(まぁ、それは確かにそうだった……のか?)
「……あの時は、何とも言えなかったんだよね」
「なんそれ」
呆れたような声。
内心、焦る。
(……)
「……今は、好きだよ」
壁を見たまま、そう言った。
俺には、それが限界だ。
「…………」
返事がない。
さすがに、これ以上心臓が耐えられる気がしない。
横目で彼女を見ると、固まっている。
「何か、言ってくんない?」
顔を覗き込みながら声をかける。
「あ、ごめん。ありがと」
その声に、引き戻されたように言った。
「……えっと、その、じゃあ恋人になってくれる……ってこと?」
震えた声で尋ねてくる。
(え、まさか)
「…まぁ」
彼女の状態が気になりながらも、素直になりきれない。
もう一度彼女を見ると、目尻には、今にも溢れそうなほど涙が溜まっていた。
(え)
「え」
一筋の光が頬を伝う。
「え、そんなに?」
困惑して、とっさに出た言葉が、それだった。
(もっと他にあるだろ)
自分でも思う。
彼女が、自分のどこをそこまで好きになってくれたのか。
今でも、本当に不思議だった。
「そんなにだよ…ぉ…」
(……)
「泣くなって。……って言っても、無理か」
泣き始めると、何かで気が逸れない限り止まらない。
それはもう、周知の事実だった。
逆に言うと、逸らしてしまえば、止まる。
「うっ…」
(どうにかして、気を逸らさないと…)
必死に頭を回した。
結果、意外にも俺は、両手で彼女の頬を包み込み、こう告げた。
潤んだ瞳を見つめながら。
「てことで、一緒に寝ようか」
「え?」
最後に、一筋だけ涙が零れる。
それ以上、涙は増えなかった。
(よし)
ミッション成功だ。
そして、逃げるようにベッドへ潜り込む。
「え、待って無理だって」
「なんでよ、今更じゃん」
(もう、知らない)
言ってしまったものは、もう戻せない。
今の俺にできるのは、全力で逃げることだけだ。
「それに…これからずっと一緒でしょ」
ぼそっと呟く。
「今なんて?!」
勢いよく乗り出してきた。
俺のキャパシティは、とっくに限界だ。
「もう、はよ寝なさい」
ベッドの端へ追いやられていた布団を広げ、そのまま彼女を包み込む。
「え、ちょっ……」
そして、横へ寝かせる。
「わっ!ちょ、ちょっと!」
「はい、おやすみ」
布団を整えながらそう言うと、彼女は少しだけ口を尖らせた。
どこか渋々といった様子で、小さく笑う。
「……おやすみ」
俺に起きた奇跡は、今を掴む機会をくれた。
もしかしたら——
俺も負けないくらい、彼女のことを想っているのかもしれない。
不定期で更新する、スピンオフ「詩乃とハムオ、ときどき一颯」もよろしければ是非。




