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第2話 不協和同期(Discordant Synchronization)

エレーナ・ハルゼイ……帝都を追われ、父の遺志を抱く「亡霊調律師(ファントム)

帝国第零技術師団 指揮官……石切場に現れた三機のハサーを操縦する、「適合個体」

帝国中央工廠 主任技師……かつてエレーナの才を認め、今は帝国の「歪んだ最適解」を紡ぎ続ける筆頭技術者

 帝都シュトラールブルク。その外縁部を守護する巨石の障壁は、薄汚れた朝靄の向こう側で、巨大な墓標の群れのように霞んでいる。

 午前六時〇〇分――。夜の底から這い出してきた薄明(トワイライト)の光は、決して逃亡者にとっての福音などではない。それは潜伏場所を暴き出し、唯一の味方であった闇を奪い去る、冷酷なサーチライトの代用でしかなかった。


 エレーナ・ハルゼイの駆るG系機能調律試作機『アリア』は、打ち捨てられた石切場の最深部で、断続的な喘鳴を吐き出していた。


「……ハァ、ハァ……ダメね。冷却系が、熱源を隠しきれてない」


 コンソールに並ぶのは、無慈悲な警告灯の群れ。昨夜の死に物狂いの逃走劇で、アリアの冷却パイプの一部に致命的な亀裂が入っていた。精霊銀の欠落を補うために高圧で回し続けた蒸気が、その小さな傷口を抉り、シュウ、シュウ……と白い「血」を撒き散らしている。

 身を切るような朝の冷気と、漏れ出す廃熱が混ざり合い、アリアの真鍮フレームは異様な蒸気の衣を纏っている。それはまるで、高熱に浮かされた鉄の巨人が、最期の命数を振り絞って立ち尽くしているかのようだった。


 その「異常な熱源」が、帝国の広大な捜索網の一点に、逃れようのない穴を開けた。岩肌を震わせ、石切場の縁に鋼鉄騎兵(アイアン・ハサー)が姿を現す。


「見つかった……!?」


 数は三機。だが、その動きを見た瞬間、エレーナの指先が凍りつく。三機が、一瞬の迷いもなく同時に機体を傾け、銃口をこちらへ向けたのだ。まるで一つの神経系に繋がれた、三つの巨大な手足のように。


 石切場の空気は、目に見えない巨大な槌で叩かれたように、重く震え始めた。三機の騎兵(ハサー)の背面にある真鍮製の拡声筒が、肉眼では捉えきれない高速の振動を繰り返し、一人の指揮官の脳から発せられる「殺意の命令(パケット)」を物理的な圧力へと変換していく。


「……指向性音波パルス。同期(リンク)してるわ。一人の指揮官が、三機を直接制御(ダイレクト・リンク)してるんだわ」


 エレーナの背筋に、冷たい戦慄が走った。

 かつて帝国中央工廠で、軍部から極秘に持ち込まれた「複数機体同期案」の試験場。一人の脳で二機の騎兵(ハサー)を操るという野心的な試みは、あくまで次世代の先行研究であり、実戦投入などまだ何年も先の話だと思っていた。


「二機の同期すら、ようやく試験環境で形になったばかりだったはずなのに……。三機同時!? 帝国は、あの中に何を詰め込んだっていうの……!」


 三機が、一分の一秒の狂いもなく同時に機体を傾ける。それは、エレーナがかつて「現実的ではない」と断じたはずの、工学的な禁忌を越えた悪魔の旋律だった。

 不意に、三機の拡声筒から地響きのような重低音の唸りが漏れ出した。それは言葉ですらなかった。生体割り込みによる、問答無用の「支配」。逃げ場はないと、その圧倒的な出力の増大(ブースト)が告げている。


 崖の上の指揮官機が、蒸気ハンマーの安全弁を一気に開放した。

 プシュゥゥゥッ! と、高圧蒸気が牙を剥くような音を立てて噴き上がり、それを合図に左右の随伴機が退路を断つように肉薄する。一斉攻撃。アリアの予測プログラムは「全方位に回避不能」という絶望的な演算結果を弾き出し、壊れた万華鏡のように何重もの偽の軌道を描き出した。


 モニターの警告灯が、血の混じったような赤色で明滅する。その規則的な点滅を見つめているうちに、エレーナの意識は、同じように赤黒いランプが灯っていた過去の実験棟へと引き戻された。


 ――そこは、石切場のような冷たい風の吹く場所ではない。油と紙の匂いが満ちた、帝国中央工廠の実験棟だ。

 二機の騎兵(ハサー)を試験同期させ、流れるデータログを見つめていた主任技師が、隣に立つ自分に「感想」を求めた、あの日。


『どうかな、エレーナ君。同期誤差は〇・〇一ミリ秒。君の理論通り、音響パルスによる直接制御(ダイレクト・リンク)は完成したと言っていいはずだ。これで実戦化への道が開けた』

『……ええ。二機なら、完璧です。でも、主任……』


 エレーナは、モニターに流れる整然とした波形の、さらに奥にある「わずかな揺らぎ」を指でなぞった。


『この波形の重なり方……もし、ここにさらなる「ノイズ」が乗ったら……。いえ、具体的に何がとは言えないんですけど。何か、致命的な「淀み」が生まれる気がするんです』

『……「淀み」、か。君の言うことはいつも無視できないが、今の構成でそれを再現するロジックが見当たらないな。現状、二機での運用が最終要求だ。今は「最適解」としてこのまま進めるよ』


 主任技師はエレーナの肩を叩き、自信に満ちた笑みを浮かべていた。彼は真面目に、その時点での「完成」を目指していたのだ。

 肩の薄い生地越しに伝わる、その生温かい手の感触が、不意に、鋭烈な金属音によってかき消された。


 ――ガツンッ!


 アリアの装甲を、追撃の砲弾が掠めた衝撃。その振動が、肌に纏わりついていた残熱を剥ぎ取るようにして、操縦席のエレーナを現実へと突き戻す。


(……主任。あなたの「最適解」は、現場の無理な拡張に耐えられる設計じゃなかった。帝国は、研究段階だった技術を、強引に三機連結まで押し進めたんだわ!)


「アリア、左の『瞳』を澄ませて。……奴らの不協和音を、私に聴かせて!」


 エレーナがコンソールのキーを激しく叩く。アリアの左目の奥で、時計仕掛けのアイリスがカシャリと音を立てて全開になった。

 琥珀色に燃える右目に対し、左の瞳は精霊銀の膜が励起され、冷酷なコバルトブルーの光を帯びる。本来、帝国軍の暗号化された音響パルスは、一般のセンサーではただの雑音として処理される。だが、アリアの左目に組み込まれた精霊銀の膜は、その雑音の裏側に潜む、指揮官の脳が発する「次の一手」の波形を克明に描き出していた。


「……読めたわ。三機への命令が渋滞(スタック)してる。優先順位の低い二番機、三番機への信号に、あの時の『淀み』が出てる!」


 三機一斉の同時攻撃(フルバースト)を仕掛けるその瞬間。指揮官の意識が三分割され、同期パルスの転送レートが物理的に限界を迎える。その「意識の切り替え遅延(ラグ)」という名の脆弱性。

 エレーナは操縦席の防護カバーを蹴り開け、剥き出しになった回路の一部に、研磨棒(エメリー)を迷わず滑り込ませた。


 キィィィン!


 鋭く響く金属音。精霊銀の削り屑が蛍のように舞い、アリアの全身に火花が走る。

 アリアの左目、銀青色の瞳が、一瞬だけ超新星のように輝いた。指揮官が一番機の操作を「完遂」し、二番機へ意識を「切り替える」その無防備な空白。一番機が重いハンマーを振り下ろそうとした、その「切り替えの淀み」をエレーナは逃さなかった。


「……ほらね。やっぱり、無理があるのよ」


 エレーナの唇が、皮肉げな弧を描く。

 アリアの真鍮の腕が、計算機上の予測軌道を無視し、あり得ない角度で突き出される。


 ――ザンッ。


 重厚な金属音が石切場に木霊した。

 最初の一機の、蒸気シリンダー接続部。それが、構造上の最短経路を穿たれたかのように正確に、かつ無慈悲に切断されていた。断末魔のような蒸気が噴き出し、一トンを超える鉄の塊が泥濘に崩れ落ちる。


 静寂が、石切場を支配した。

 崖の上に立つ指揮官機が、一瞬、凍りついたように動きを止める。

 同期が強制的に切断されたショックか、あるいは理解不能な事態への戦慄か。残された二機の騎兵(ハサー)の背面にある拡声筒が、キィィン……と耳を刺すような高いハウリング音を吐き出し、制御を失った音響パルスが空虚に夜明けの空を震わせた。


 エレーナは、汗で張り付いた銀髪の間から、琥珀と青の瞳で残る二機を射抜いた。

 アリアの回路は過負荷で悲鳴を上げている。だが、彼女の口元には、かつて第三工廠で誰も見たことのない、狂気すら孕んだ技術者の笑みが浮かんでいた。


「……まずは一機、修正(フィックス)。――次はどの子?」


 エレーナの手が、流れるような動作で次のコンソールキーを叩く。

 アリアの左目、精霊銀の瞳が青い火花を散らし、逃げ場を失った二番機を冷徹にロックした。

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