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第1話 冷間起動(Cold Boot)

エレーナ・ハルゼイ……帝都シュトラールブルク第三工廠に所属する若き技師

ヴィクトール・ハルゼイ……帝国の兵器開発を支える天才設計主任であり、エレーナの父

帝国軍特殊鎮圧部隊《鋼鉄の拳》指揮官……機械の「最適解」を力で強いる、冷徹な軍事エンジニア


 帝都シュトラールブルクの最下層、陽光すら届かぬ地下に位置する帝国中央技術局・第三工廠は、巨大な鉄の心臓部だった。天井を這う無数の蒸気配管からは、絶え間なく高圧の蒸気が漏れ出し、シュウシュウという湿った悲鳴を上げている。床を揺らすのは、工廠の深部で駆動する巨大なピストンだ。ドォン、ドォンという規則的な地響きは、帝国の繁栄を支える鼓動であると同時に、そこに囚われた技師たちの精神を削るメトロノームでもあった。


 時刻は午前二時を回ったところ。通気口からは石炭の燃える重苦しい臭いと、焼けたオイルの香りが混ざり合って漂っている。


「……お父様、これを見て。第十二関節のフィードバック・ループ、〇・〇〇五秒の短縮に成功したわ。これで生体割り込み(バイオ・インタラプト)の演算周期より、一歩早く動ける」


 作業台に突っ伏していたエレーナ・ハルゼイが、カサついた声を上げた。十九歳という若さに似合わぬ鋭い眼光。その白い頬には、黒いグリスが勲章のように付着している。彼女が手にしているのは、極細の研磨棒(エメリー)だ。彼女が見つめる先にあるのは、複雑に組み合わされた真鍮の歯車群――G系機能調律試作『アリア』の姿勢制御ユニットだった。

 父ヴィクトール・ハルゼイは、愛用の拡大鏡を片目に嵌めたまま、微動だにせず回路図を覗き込んでいた。彼は娘の報告を聞くと、ようやく深く刻まれた眉間の皺を緩め、静かに頷いた。


「素晴らしい、エレーナ。これで『アリア』は、操縦者の思考より先に動く。神経を介した信号の遅延を、物理的な機構の最適化(ジオメトリ)で相殺したわけだ。……だが、急がねばならん。外の足音が、いつもより騒がしい」


 ヴィクトールが懸念していたのは、技術的な不具合ではなかった。彼らがここで成し遂げようとしているのは、帝国の軍事ドクトリンに対する根本的な「拒絶」だったからだ。


 帝国が推し進める次世代型鋼鉄騎兵(アイアン・ハサー)の核心技術は、通称『鋼鉄の拳』と呼ばれる強硬派が主導する「生体割り込み(バイオ・インタラプト)」にある。それは、操縦者の脳に直接プラグを打ち込み、人間を文字通り機械の「演算器(プロセッサ)」として使い潰す非道な代物だった。

 対してハルゼイ父娘が提唱したのは、徹底した「幾何学的最適化」と、()()()を用いた低負荷な同調。

「人間を部品にする必要などない。機械が正しく設計されていれば、人はその翼を広げるだけでいい」

 それが、ヴィクトールの、そしてエレーナの矜持だった。

 だが、その理想の核心である精霊銀は、帝国においては禁制品に等しい。ヴィクトールが闇ルートでかき集めたそれは、廃棄された旧式機から抽出された、鉄の塵や不純物が混じった濁った銀――不純銀――でしかなかった。


「純度が足りない分は、私の調律(チューニング)で補える」


 エレーナはそう言って、不純物ゆえに鈍く黒ずんだ銀の配線を、愛おしそうに研磨棒(エメリー)で撫でた。


 その理想が踏みにじられる瞬間は唐突に訪れた。


 工廠の重厚な鉄扉が、外部からの高圧蒸気カッターによって焼き切られた。オレンジ色の火花が闇を切り裂き、轟音と共に扉が内側へ倒れ込む。


「――そこまでだ、ハルゼイ局長」


 立ち込める白煙の中から現れたのは、帝国の紋章を黒く塗りつぶした「鋼鉄の拳」の特殊鎮圧部隊。その背後には、実験機と思わしき異様な姿の騎兵(ハサー)が、蒸気を吹き出しながら控えていた。

 その機体のコックピットは、本来あるべき装甲が取り払われ、剥き出しになっていた。中には、無数の高純度銀線(シルバー・ワイヤー)に繋がれた「生きた人間」が――いや、それはもはや人間とは呼べない、単なる生体演算器だった。焦点の合わない瞳は虚空を見つめ、微かに震える指先は、ただ銀線を通じて伝わる論理回路(ロジック)に応答し続けている。


「……生体割り込み。……狂ってるわ。そんなの、ただの処刑椅子じゃない!」


 エレーナが絶句する。指揮官の冷酷な声が、工廠の壁に反響した。


銀線論理(シルバー・ロジック)の最適化など、まどろっこしいのだよ。人間を部品にすれば、機械は完璧に動く。個人の意志などという不安定な『変数』は不要だ。局長、貴殿の『帝国の基幹原簿(マスター・レジストリ)』を渡してもらおう。それを我々の新システムに統合し、全軍の鋼鉄騎兵(アイアン・ハサー)を『完全』なものにする」


 ヴィクトールは静かに立ち上がり、震える娘の肩を抱き寄せた。その手は温かく、同時に鋼のような決意に満ちていた。


「……断る。私の娘が命を削って削り出した()()()は、人を壊すためのものではない。……エレーナ、行け。あの子(アリア)を連れて」


「でも、お父様! あなたを置いてなんて……!」


「これはバグ取り(デバッグ)だ、エレーナ。帝国の歪んだ数式を、お前が正してこい。お前の研磨棒(エメリー)で、この国の狂った制御回路を削り取ってやるんだ」


 ヴィクトールが制御盤(コンソール)の隠しスイッチを叩いた。次の瞬間、工廠の中央演算閣(セントラル・コア)を司る巨大な歯車計算機が、キリキリという悲鳴を上げて逆回転を始めた。内部の真鍮盤(パンチカード)が次々と破砕機(シュレッダー)にかけられ、火花と共に帝国が積み上げたデータが物理的に粉砕されていく。


「貴様ッ! 何を……! 撃て! 局長を拘束しろ!」


 兵士たちが一斉に銃を構える。エレーナは、父の穏やかな微笑みを最後に目に焼き付けた。

 彼女は泣かなかった。泣けば、父が守ろうとした「精密な視界」が曇ってしまうから。代わりに、作業着の裏地に縫い付けられた真鍮盤(パンチカード)の手触りを確認した。そこには、父が命を賭けて託した、世界の最適化(プログラム)の種が刻まれている。


「……起動(ブート)、アリア! 目を覚まして!」


 エレーナが叫びながら、フレーム剥き出しのプロトタイプに飛び乗った。

 まだ簡易的な装甲しか持たず、安価な鉄のギアが露出したままの未完成機。冷え切ったシリンダーに火が灯り、滞留していた重油が熱を得て、アリアの全身を巡る配管が「カチ……カチ……」と、熱膨張による金属音を上げ始めた。それは沈黙していた巨大な鉄塊が、外界の冷気を拒絶して内側に熱を溜め込み、強制的に初期化されていく咆哮だった。

 アリアは、エレーナの指先から伝わる電気信号に呼応し、重厚なオイルの涙を流しながら目を覚ました。


「警告――第八関節の同期率にエラー。油圧系に未調整の変数(パラメータ)を検出」


 機体モニタに踊る真っ赤な警告ログ。アリアはまだ、産声を上げたばかりの不完全な赤子だった。だが、エレーナは叫びながら制御盤を叩いた。


「そんなの、今すぐ直してあげる!――論理バイパス、強制パッチ適用(ホットフィックス)!」


 彼女は操縦桿を握る左手とは別に、右手に持った研磨棒(エメリー)を、露出したギアの歪みに強引に噛ませた。火花が飛び散り、物理的な摩耗がエラーを「削り殺す」。

 次の瞬間、アリアは爆発する工廠の壁を突き破り、雨の降る帝都の夜へと躍り出た。


 降りしきる冷たい雨の中、背後で第三工廠が巨大な火柱を上げる。父の姿も、あの醜悪な生体割り込みのデータも、すべてが炎の中に消えていく。

 追撃してくる鋼鉄騎兵(アイアン・ハサー)のサーチライトが、雨のカーテンを切り裂き、逃亡者の背中を追い詰める。アリアの鉄の関節は摩擦熱で赤く染まり、一歩ごとに悲鳴を上げている。


 エレーナは、操縦席で歯を食いしばりながら、父からの贈り物である研磨棒(エメリー)を、自らの魂であるかのように握りしめた。


「見てなさい……。あなたたちの煤塗れの鉄塊(ジャンク)が、どれだけ無意味か……私の旋律(コード)で教えてあげるから!」


 雨水と涙が混じり合い、風となって後ろへ流れていく。

 アリアは加速した。未調整のエンジンが火を吹き、真鍮のギアが限界を超えて噛み合う。

 追撃する騎兵(ハサー)の放つ熱線が、アリアの装甲をかすめる。その衝撃で、粗悪な精霊銀の回路が激しく火花を散らした。本来ならシステムがダウンするほどのノイズ。だが、エレーナが幾千回と研磨棒エメリーを走らせ、あらかじめ「遊び」を作っておいた鋼鉄の歯車が、その過負荷を物理的な振動として逃がしていく。

 計算され尽くした不純物の混じり。それは理論上の最適解ではないが、現場で叩き上げられた彼女たちにしか制御できない、強靭な「不協和音」だった。


 彼女は、輝かしい歴史の表舞台から消え、一人の「亡霊調律師(ファントム)」として、狂った世界を修正するための孤独な旅路へと歩み出した。

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