婚約してやる
控え室を出て歩いていると、先程の青年が柱の影から出てきた。
「……やっと見つけたよ、モーリー。まさか君がこのパーティの主役だなんて、思いもしなかったよ。」
さっきから“モーリー、モーリー”って……
私はもう“マーノ”なのに!
不機嫌な私のことなんて気にもせず、青年は先程と同様、一方的に話しかけてきた。
というか、警備隊に引き渡されてたのにどうしてここにいるんだろう、この人。
「一度は引き裂かれたおれたちだけど、おれは……君のことを許すよ。
どんな罪深い君でも、おれの両親にちゃんと、誠心誠意込めて謝罪すれば、きっと君のことを許してくれる!
おれも一緒について行ってあげるからね。
あと論文の名前は、おれのものに変えよう!
女だとバカにされるからね。君だって困るだろう?
褒賞金の半分で、おれの名前を貸してあげる。おれはなんて優しいんだ!
それから、君まだ独り身だろ?君ともう一度、婚約してあげてもいいよ!
近々、キャロラインとは別れるから、それまでは彼女に内緒で会おうね!」
最後の言葉で、思い出したくもない記憶が呼び起こされる。
……こいつ、元婚約者か。
もし、次にこいつと会ったら、言いたかった暴言をノート一冊にびっしりと書いていたのに
いざ目の前で、理解の及ばないことを言われると、何も出てこなくなるんだな、と客観視する自分がいた。
思考をフル回転させて、なんとか言葉を絞り出す。
「……お前ともう一度、婚約なんて、たとえ王家命令だとしても、死んでもお断りだ。」
こういう時、ヴォーチェさんの流れるように紡がれる暴言の数々が羨ましく思える。
……“記憶量拡張装置”を付けてこれば良かったな、なんて考えてしまう。
「……おれがこんなに謝ってるのに!下手に出てれば、つけ上がりやがって!」
左手で肩を押さえられ、右手が振りかぶる元婚約者。
元婚約者は、こんなに沸点が低かっただろうか?
……元の本性が“これ”だとしたら、そのまま結婚しなくて良かったな、なんて考えながら痛みを覚悟する。
「いつまでも帰ってこないと思ったら、こんなとこで何やってんのよ。」
元婚約者の後ろにヴォーチェさんと……知らない男性が居た。
知らない男性が、元婚約者の手首をギリギリと掴む。
「なにをするんだ!ッい、は、離せ!痛い痛いッ!離してくれ!」
元婚約者が悲鳴に近い声で訴えるも、聞き入れない男性。
ヴォーチェさんが、ため息をつきながら私に話しかける。
「アンタも、下等生物ごときに好き勝手やられてるんじゃないわよ。」
「ヴォーチェさん、私も下等生物なんですけど……」
「……フンッ!」
「もう、素直じゃないな、ヴォーチェは。」
あれ?この声は……?
「いいから、アンタもさっさと、その男の手首折ったらあ?――“オルソ”?」
「うーん、そうしたいのは山々だけど、ここに招待されてるってことは、貴族だろうしなぁ……でも、うちの大事な研究員に手を出すってことは、自分が同じ目に遭う覚悟があるって事だよな?」
元婚約者の手首がミシミシと音を立てている。
“そんなことより”
「えっ、この男性、オルソさんなんですか?」
ナチュラルブラウンの髪色、少し長めの前髪で目元はよくわからない。
大柄で、170cmぐらいの元婚約者より、はるかにガタイがしっかりしている。
まさに“クマっぽい人”
「あはは、やっぱりこの姿だと、わかんないよな。このパーティ、表彰式のくせにして、ダンスの項目があったから、いつもの姿より、人っぽい方がいいとヴォーチェがね。」
“私の実験試作の失敗薬を飲ませたの”と、なんてことない顔で言うヴォーチェさん。
人間から幻想種にする薬が失敗したら、獣人から人間にする薬ができるのか。
こんなに穏やかに会話してる中でも、元婚約者の手首をギリギリと締め上げるのをやめないオルソさん。
そろそろ骨にヒビが入っても、おかしくないのでは?
「痛いッ痛いッ痛いッ!離してくれッ!なんだお前は!?……おい、モーリーッ浮気かッ?!おれというものがありながら、ふしだらな女めッ!お前とせっかく婚約し直してやるという、おれの優しさを踏みにじりやがってッ!こんなことなら、愛人のままだからなッ!それが嫌なら早くこいつを止めろッ!!グァッ!離せッ!頼むッッ!!」
オルソさんに、ミシミシと手首を掴まれてるのに、よくこんな長々と話せるな……
「“婚約してやる”とか、“愛人のまま”とか言ってるけど、浮気しようとしてるのは、アンタの方じゃない?」
「違うッ!モーリーは元々おれの婚約者だッ!……今はキャロラインといるが、モーリーと婚約し直せば浮気じゃなくなる!それに……あの時は、キャロラインがしつこかったし……「“婚約者だって許してくれますよ”」って迫ってきたし……そもそも、モーリーがおれを蔑ろにしなければ、おれはキャロラインになびかなかった!だから悪いのは、モーリーだッ!!」
……呆れた。
こいつ、散々自分の仕事を私に丸投げしといて、他所に女を作った理由が、『構ってくれなかったから』なのか。
「……だったら、ご自身の仕事を私に任せず、ご自身で、こなせばよろしかったのではないですか?そうしたら、私だって時間は取れました。」
「……?だってモーリー、書類仕事、好きだろ?」
パキャッ
「ぐああぁぁぁ!!」
「あっ、力加減ミスっちゃった。……人間って脆すぎるなぁ。」
視界が戻ってきた。
人って怒りの限界突破をすると視界が白くなるんだな。
初めて知った。なるほど、これが知識を得る快感か。




