第3話:架空世界と創造主たち~後編~
魚住の目の前に過去の光景が浮かび上がった。岸田の部屋にて、テレビゲームをする2人の姿だ。大昔のハードウェアになるファミコンである。当時2人の間では、レトロなゲームをして遊ぶことが流行っていた。そしてやっていたソフトは『アイスクライマー』というもので、これまた2人が産まれる前の大昔に流行ったものだ。
ゲームのボーナスステージを終えて、2人は自分達でゲームを作ろうという話を始めた。アイスクライマーをした後だからか、氷山のような場所を舞台にしたものを作ることに決めた。画用紙を広げて、様々な絵や文章を描き出した。小屋の位置や登場キャラクターなどは魚住が手掛けて、ゲームの設定などは岸田が考察していた。2人の表情には笑顔が溢れていた。
「岸田……」
目を覚ますと、魚住は病室にいた。傍で目を潤ませる小倉が居た。
「魚住君? 目が覚めたの? 良かったぁ! 良かったよぉ!!」
小倉は、魚住に縋りついて泣き崩れた。魚住は、確かに現実世界に戻ったようだ。咄嗟のことだったので唖然とするしかなかったが、落ち着くと「小倉……」と呟いて彼女の頭を撫でた。どのくらいここに居たのだろうか? 病室周辺がとても賑やかになるのが目に見えた。何だか生きた心地を取り戻したようだ。いや、本来これを『生きた心地がある』と言うのだろう。
魚住はひとまず安心した。
病院での生活はしばらく続いた。面倒な精密検査を受けていくばかりの日々。その中で、学校関係者や基本他人行儀の従兄など様々な友人知人がお見舞いに来てくれ、それが心の支えとなっていた。特に小倉に至っては、ほぼ毎日のように魚住の側でくっついているようだった。やはり、現実の喜びに勝る優越感はない。そう言い切れる者は、魚住純一を除いてはきっとそういないだろう。
病院生活では、聞きたくもない事実を知ることもあった。岸田の家族全員が謎の行方不明となったこと。そして魚住が意識を回復した同時刻に、加藤が同じ病院で息を引き取ったということ。川西が、浜辺で謎の綺麗な漂流死体として発見されたこと。もちろん魚住には全て心当たりがあり、全て赤裸々には話せないことばかりだった。しかし、一人だけある程度の事実を話した男がいた。
男は年齢が30半ばの髭面の巨漢な記者だった。どこかアイザックに似ていて、魚住としては顔を合わせるのもウンザリするような男だった。しかし妙に自分の話を聴いてくれるところがあり、魚住としては満更追い返す気にもならなかった。
「やぁ。だいぶ元気になったのかな?」
「ああ。嫌でも元気にならなきゃならないだろ? 今日は何を聴きに来た?」
「う~ん。何だろうね。充分聞いてきたけど、やっぱり“夢の話”だね」
「ホラー作家にでもなるのか? 言った筈だ。昔作ったゲームの夢を見ただけだよ」
「いや~どうも学校が監視カメラの記録を削除したらしくて困っていてね」
「そう? それは学校の対処を褒めるべきだな。残すべきものじゃなかったのだろ」
「ね、怪しいだろう? どうやってあの屋上に上ったのかが闇に葬られたのだよ!」
「残念だったな。オレが見た夢の中に答えがあるとでも言うのか?」
「そうだと言ったら怒るかな?」
岸田が、学校の校舎を蜘蛛のようによじ登った事実は、記録に残っていたようだ。そして、男はその点をしつこく追い求めている人間だった。しかしこの瞬間に、その事実が現実世界から消されることとなった。男としては決定的な痛手になったのだろうが、岸田による一連の怪奇現象を心底から嫌悪する魚住にとって、これは有難い朗報だった。もちろん、『ICEISLAND』クリア後のモニター鑑賞の話はしていない。魚住は目を閉じて、穏やかに思考を巡らせた。
「怒らないよ。だって何もわからないもの」
「本当かね? 君はゲームクリア後に岸田君と決闘をしたのだろ?」
「ああ。でもどうやって屋上に行ったかなんてきっとオレにはどうでもいい話さ」
「うむ……」
「おや、お困りなのか? いい加減もっと話題性のあるネタを探したらどうだよ?」
「おじさん、仕事はとっくに辞めたよ。いや。無くなったと言った方がいいかな……」
男の思わぬ発言に、魚住は流石に驚いた。しかし仕事を辞めた今も何故、この件をここまでしつこく追い求めているのだろうか。魚住の顔は真剣なものになった。
「何で仕事が無くなってまで岸田のことを知りたがるのさ?」
「真実を知りたいからさ。真実を広めたいからさ。だからそんな仕事をしていた」
「そうか。じゃあ何でもとことん調べなきゃ、気持ちが落ち着かないのかよ?」
「ああ。特に今回のことばかりはね……心が自然と求めて止まないのさ」
「あっそ。それでアンタこれからどうするの?」
「別の仕事しながら調査を続けようと思っている。おじさん最近嫌われていてね」
「じゃあ忠告しとく。余計なことに頭突っ込まない方がいいよ。苦しむだけだぞ」
「?」
「わからない? アンタ根本的に色々履き違えている。誰からも愛されなくなるよ」
魚住が毒を吐いたと同時に、病室のドアが開いた。ドアから入ってきたのは、男の天敵である小倉だった。小倉は男を発見すると、猛烈な罵声と暴力を振るいあげた。男にとって毎度のことであるが、今回のそれはいつもに増して過激なものであった。それが原因となったのか、この件以降から男と二度と出会うことはなかった。
魚住が現実に還ってきて、岸田による一連の怪奇現象はそのほぼ全てが“存在しないもの”となっていた。『ICEISLAND』のチケットから岸田のPCのデータ。そしてチケットを渡してきた年配のタクシーの運転手まで、その存在そのものが消えていた。このたびは、岸田の怪人振りが記録されたものまで消されたと言うのである。ここまでくると、魚住も何かの恐怖にとりつかれそうにもなったが、彼は目の前の今を全力で生きようと改心した。過去は過去でしかないのだ。
やがて魚住は病院を退院した。そして、中部高校で卒業式を迎えた。
卒業式の日。魚住は桜が満開に咲く木の下で、小倉に抱き続けていた想いを告白した。案の定だったが、小倉は嬉しさのあまり大泣きした。この時に小倉が「本当のこと」を打ち明けてきたが「実は知っていました」なんてことは言わず、魚住は迫真の演技で驚いてみせた。きっと一生真実を話すことなんてないのだろう……。
それから魚住は東京の専門学校へ進学し、自ら希望していた進路へ向けて日々努力を重ねていった。また、長続きが難しいかと思っていた小倉との遠距離恋愛も、順調に交際を続けられた。中部高校のパソコン部は無くなってしまったが、二人の間で築いた絆はそう容易く崩れるものではなかった。
あっという間の学生生活が終わって、予てから希望していたゲーム制作会社の就職も決めた。決して大手ではないが、クリエイターとして確実に成長できる場所だ。昔から思い描いていた夢が掴めた瞬間だった。大人になってやっと親しくなれた従兄も、心から祝福してくれた。入社して着実にキャリアを積み、やがて小倉を東京に呼んで同棲を始めることにもなった。
ざっと話してしまえば、何と理想的な人生なのだろう。もちろん何もかも順風満帆だったワケではない。冷たい世間の風も、その身に浴びるほど受けてきた。かつての親友が言ったように、現代の日本は言うなれば極寒の島国かもしれない。だからこそ、彼は現実社会の中で生きることを放棄したのかもしれないが……。
ふと目が覚める。近くで料理を作る彼女に魚住は問いかけてみた。
「なぁ加奈子。最近夢を見たりしたか?」
「え? 急に何?」
「いや。氷の世界みたいなさ。南極大陸みたいなヤツ」
「見ないよ? そんなの。今度のゲームの参考にでもするの?」
「え? ああ! そうだよ! 今度制作スタッフの中心になってさ」
「知っているよ。大変なところ任されちゃったね」
「気にしてはないよ。アイデアなんて肝心な時になかなか出てこないものだよ」
「ごめんね。何もできなくて。でも大出世だね! この子も喜んでいると思うよ」
「ああ……」
彼女のお腹には新しい命が宿っていた。しかし、魚住たちの交際関係は誰しもに認められたものではなかった。彼女が地元を去って、悲しみ怒る者も確かにいた。それに魚住たちが悩まされているのも事実だ。やはり、世の中は寒く険しい所なのだろうか。魚住の抱える苦しみは両手では抱えきれないほど、他にも山のように存在する。家を出た魚住は、今にも雪が降りそうな曇り空を仰いだ。
12月になると思い出す場所がある。そして、あそこで出会った少年少女をふと思い浮かべる。それからつい彼女に、氷の世界の夢を見てないか確認をしてしまう。答えはきまって「ない」だ。そのたびにとても安心をしてしまうのも自分の癖だ。
チラチラと粉雪が降り始めた。ふと後ろに視線を感じて振り向くと、窓越しに笑顔で手を振る彼女の姿が見えた。魚住は微笑んで、そっと手を振り返した。
過去も未来も罪も痛みもきっとひとつだ。全て抱いて今日も人間は生き続ける。やがて魚住は再び歩き出した。白い吐息が止まらない。今日はとても寒いようだ。
会社に出勤した魚住は、後輩でありチームの中心でもある加藤と挨拶を交わして、さっそく打ち合わせを開始した。後輩の加藤と言うとどこか寂しい気持ちにもなりそうだが、こっちの加藤にもやっと慣れてきたところであった。
これはとても皮肉な話になるが、この加藤慎二という1つ年下の後輩は、あの加藤明人と瓜二つの顔をしていた。もちろんあの加藤と親戚ではない。だが魚住宅に遊びに来た時に、彼女が驚愕して大はしゃぎしたのは無理もない話だった。だからなのか、魚住たちはこの加藤を家族同然のように慕った。ただ彼からしてみたら、不思議だとしか言いようがなかったようである。無理もないだろう。
また残念なことに、性格や人間的な部分はあの加藤と違ってとても生真面目な青年だった。それがあるからこそ、魚住もこの加藤に何とか慣れたのだろうが……。
そして魚住の仕事は、来年発売予定の人気ゲームの続編に繋がる番外編の制作を任された。主人公を含む主要キャラクターは、既に概ね決まっている。本編では脇役だった主人公が、本編とは違う孤島を舞台にサバイバルをしていくという言わばスピンオフものだ。前作の制作に関わった中心人物は鬱病にかかり、長期休暇の為にこのような形で制作決定となった。孤島脱出がコンセプトなゲームだ。制作上で重要なのは、やはりどのような孤島を舞台とするかになる。魚住にとって千載一遇のチャンスだ。加藤との打ち合わせにも、どこか力が入るようだ。
「それで、どういう孤島を舞台にします? 孤島じゃない選択肢もありますが?」
「それだよな。ずっと考えていてね。彼女にまで相談をしてしまったよ」
「奥さんに仕事をさせてどうするの? これは魚住さんの仕事でしょう?」
「奥さんじゃないよ。今も。加藤、ちょっと話題を逸らすが世の中は寒いよな?」
「え? まぁ、雪も降っていますし……」
「気持ちだけでも、温かくしてみたいものだろ? それが思いついたコンセプトさ」
「?」
「今にも噴火しそうな火山島なんてどうだよ?」
―完―