第9話 凡庸な男爵家次男は、中立という名の檻に入れられたくない
前回まで:
リオネルは、ギルバートから「友人だ」と言われ、その言葉に一瞬重さを感じながらも、彼の不器用な誠実さを少しだけ受け取ることにしました。
一方で、ユリウス・クラインベルク主催の上級生交流勉強会に、相談制度や火種に関わった新入生たちが招かれます。
主な登場人物:
リオネル・アルバート……男爵家次男。静かに暮らしたいが、火種を見ると放っておけない。
ギルバート・レイヴン……伯爵家嫡男。リオネルを友人として隣に立とうとしている。
セシリア・グランベル……侯爵令嬢。リオネルの傷と距離感を静かに見ている。
ユリウス・クラインベルク……侯爵家嫡男。善意で人を正しい場所へ導こうとする上級生。
ローレンス・ベルティエ……ユリウスの周囲にいる伯爵家次男。丁寧な笑顔で距離を詰めてくる。
ニール・ロイド……平民出身の奨学生。優秀さゆえに注目され始めている。
上級生交流勉強会。
その名前だけ聞けば、健全な響きだった。
上級生が新入生の学習を支援する。
学院に慣れない者たちに、助言と交流の場を与える。
身分を越えて学ぶ学院らしい催し。
表向きは、そういうものだ。
だが、招待者の顔ぶれを見た時点で、俺はそれを素直には受け取れなかった。
俺。
ギルバート・レイヴン。
ニール・ロイド。
エリーゼ・ベネット。
アメリア・ロッセ。
ミリア・ハーゼン。
ダリオ・ガードナー。
最近、相談制度、読書会、戦術基礎、派閥の噂。
何かしらの火種に関わった者たちばかりだ。
偶然ではない。
絶対に偶然ではない。
これは勉強会ではなく、観察の場だ。
誰が誰と話すのか。
誰が誰を守るのか。
誰が誰に従うのか。
誰が、どちらへ傾くのか。
それを見るための場。
俺は招待状を前に、しばらく沈黙した。
行きたくない。
心から行きたくない。
だが、行かなければ見えない火種もある。
そして見えない火種ほど、後で大きく燃える。
本当に、この性分が一番面倒くさい。
「アルバート」
背後から声がした。
振り返ると、ギルバートが立っていた。
制服はきちんと整っている。
表情はいつもより少し硬い。
どうやら彼も、今回の勉強会がただの親切な集まりではないと分かっているらしい。
「行くのか」
「内容によります」
「もう内容は届いているだろう」
「では、実際の内容によります」
ギルバートは一瞬黙り、それから小さく笑った。
「便利な返事だな」
「最近、便利すぎて困っています」
「俺も行く」
「レイヴン様も招待されていますからね」
「そうではない」
ギルバートは俺をまっすぐ見た。
「お前が行くなら、俺は隣に立つ」
友人として。
彼はそう言わなかった。
だが、聞こえた気がした。
胸の奥が少し重くなる。
けれど、前よりは冷えなかった。
ギルバートは俺を使おうとしているわけではない。
囲おうとしているわけでもない。
ただ、守り方をまだよく知らないまま、隣に立とうとしている。
それは時々、火種になる。
かなりの確率で火種になる。
だが、鎖とは少し違う。
「助かります」
俺がそう言うと、ギルバートは目を見開いた。
「本当にか?」
「はい」
「俺は火種を増やすかもしれないぞ」
「その時は止めます」
「分かった」
素直だった。
本当に、彼は少しずつ変わっている。
その変化を嬉しいと思ってしまう自分に、少しだけ戸惑った。
上級生棟の第二講義室は、想像していたより広かった。
壁には古い戦術図や歴代学院長の肖像画が掛けられ、窓際には細長い机が並んでいる。
中央には大きな円卓。
すでに何人かの上級生と新入生が集まっていた。
部屋に入った瞬間、視線が集まる。
まずギルバートへ。
次に、俺へ。
その順番が、今日の状況を物語っていた。
俺はギルバートの後ろに隠れているわけではない。
だが、彼が隣に立つだけで、周囲は俺を見る時にレイヴン家の影を意識する。
これが盾の力だ。
そして、檻の始まりでもある。
「リオネル様」
ニールが控えめに近づいてきた。
隣にはエリーゼ・ベネットがいる。
平民出身の奨学生二人。
彼らも緊張している。
それも当然だ。
この部屋には、上級生の高位貴族が何人もいる。
彼らの笑顔の裏には、親切だけでなく、値踏みも混じっている。
「大丈夫ですか」
俺はニールに尋ねた。
ニールは少しだけ苦笑した。
「大丈夫、とは言い切れません」
俺は思わず彼を見た。
その返し方。
どこかで聞いた気がする。
ニールは少し照れたように言った。
「以前、リオネル様がそうおっしゃっていたので」
困った。
非常に困った。
俺の言葉が、人に移っている。
それは影響だ。
影響は、時に責任になる。
だが、ニールの顔は少しだけ楽になっている。
大丈夫と言い切らなくてもいい。
そう思えるだけで、人は少し息ができる。
それなら、悪いことばかりではないのかもしれない。
「良い返事だと思います」
俺がそう言うと、ニールはほっとしたように笑った。
その瞬間、部屋の奥から穏やかな声がした。
「皆、集まってくれてありがとう」
ユリウス・クラインベルクだった。
銀髪。
整った顔立ち。
柔らかな微笑み。
彼が立ち上がっただけで、部屋の中心が決まる。
そういう人間だ。
人を従わせるために声を荒げる必要がない。
ただそこにいるだけで、周囲が配置されていく。
俺は、その自然さが少し怖かった。
「今日は堅苦しい会ではない」
ユリウス先輩は言った。
「上級生と新入生が互いに知り、学び、必要であれば支え合うための場だ。家格や出自に関係なく、学院で学ぶ者同士として話せればと思っている」
言葉は完璧だった。
本当に、完璧だった。
家格や出自に関係なく。
その言葉に、ニールとエリーゼが少しだけ顔を上げる。
一方で、上級生の何人かは微かに視線を交わした。
言葉と現実は違う。
皆、それを知っている。
ユリウス先輩も知っている。
その上で、完璧な建前を置く。
建前は、使い方次第で人を守る。
同時に、逃げ道を塞ぐこともある。
「まずは簡単な意見交換から始めよう」
ユリウス先輩が円卓を示す。
「議題は、学院における中立の価値について」
俺は、その言葉を聞いて内心で固まった。
中立。
なぜ、その議題なのか。
偶然ではない。
絶対に偶然ではない。
ギルバートが横で小さく息を吐いた。
セシリア嬢は、少し離れた席からこちらを見ている。
彼女も気づいたのだろう。
これは勉強会ではない。
俺への問いだ。
ローレンス・ベルティエが、にこやかに口を開いた。
「学院では、派閥に属することが悪いわけではありません。むしろ、誰と学び、誰と協力するかは、将来の立場にも関わる大切な選択です」
数人がうなずく。
「一方で、どの派閥にも属さない者もいる。いわゆる中立ですね」
ローレンス先輩の視線が、こちらへ来た。
隠す気がない。
隠す気がないなら、まだましだ。
「皆さんは、中立とはどのような立場だと思いますか?」
最初に答えたのは、ダリオ・ガードナーだった。
騎士家の長男。
以前、ニールと戦術案でぶつかった少年だ。
「どちらにも属さないということは、必要な時に自分で判断するということだと思います」
率直で、良い答えだった。
次に、ミリア・ハーゼン男爵令嬢が小さく手を上げた。
「中立は、どちらの派閥にも敵意を向けない立場だと思います。争いを避けるためには、必要な距離でもあるのではないでしょうか」
彼女らしい。
失敗を恐れながらも、慎重に言葉を選んでいる。
エリーゼは少し考えてから言った。
「私は、中立は難しい立場だと思います。どちらにも属さない分、誰にも守られない可能性があります」
部屋の空気が少し変わった。
平民出身の彼女だからこそ、そう見えるのだろう。
守られないことの怖さ。
それは、彼女にとって現実だ。
ユリウス先輩が微笑んだ。
「良い視点だね」
エリーゼは少し緊張しながら頭を下げた。
そして、ローレンス先輩が俺を見た。
「アルバート君はどう思う?」
来た。
全員の視線が集まる。
逃げたい。
心から逃げたい。
だが、逃げれば逃げたで意味を持つ。
貴族の場では、沈黙も発言になる。
俺はゆっくり息を吸った。
「中立には、二種類あると思います」
「二種類?」
ローレンス先輩が楽しそうに聞き返す。
「はい。誰にも関わらないための中立と、誰とでも話すための中立です」
部屋が静かになる。
俺は言葉を選んだ。
「前者は孤立に近い。自分を守るために距離を置く形です。後者は調停に近い。どちらにも扉を閉じない形です」
ユリウス先輩の目が、わずかに細くなった。
ギルバートが横で黙っている。
セシリア嬢は、静かに聞いている。
「ただし、どちらにしても危険はあります」
「危険?」
今度はユリウス先輩が聞いた。
「はい」
俺は答えた。
「誰にも属さない者は、自由に見えます。ですが、同時に“まだ誰のものでもない”ようにも見られます」
その言葉に、ニールが顔を上げた。
セシリア嬢の指が、机の上で止まる。
「つまり?」
ローレンス先輩が促す。
「中立は、守られていない立場であると同時に、どちらにも転ぶ可能性がある立場です。だから、周囲から見れば価値になります」
言っていて、嫌になった。
これは俺自身の話だ。
俺はどちらにも属していない。
ユリウス派でも、レイヴン派でもない。
だが、そのせいで、どちらにも転ぶ可能性があるように見られている。
俺本人は、どちらにも転びたくない。
ただ、端で静かに立っていたいだけだ。
しかし貴族社会では、端に立つことにも意味がつく。
意味がついた時点で、平穏は死ぬ。
ユリウス先輩が静かに笑った。
「では、アルバート君。君は中立かな」
来た。
やはり来た。
俺は微笑んだ。
「私は、ただの男爵家次男です」
「答えになっていないね」
「はい。答えないための答えです」
部屋の空気が止まった。
ギルバートが少しだけ肩を揺らした。
笑いを堪えたのだろうか。
セシリア嬢は目元を伏せている。
たぶん、こちらも少し笑っている。
ユリウス先輩は、楽しそうだった。
「正直だ」
「嘘をつくと、後で火種になりますので」
「火種、か。君は本当にその言葉が好きだね」
好きではない。
見えてしまうだけだ。
「では、私が代わりに言おう」
ユリウス先輩は、周囲を見渡した。
「アルバート君は、今のところどの派閥にも属していない。だからこそ、彼の言葉はどちらにも届く可能性がある」
やめてほしい。
そう言おうとしたが、言えなかった。
ユリウス先輩は続ける。
「中立とは、弱い立場ではない。ときに、最も価値のある立場だ」
その言葉が、部屋に落ちた。
価値。
また、それだ。
値段をつけるより先に信用を得るべき人間。
中立は最も価値のある立場。
この人は、何でも価値に変える。
人の立場も。
言葉も。
傷も。
逃げたいという願いさえ。
俺は、喉の奥に冷たいものを感じた。
「ただし」
ギルバートが口を開いた。
全員の視線が彼へ向く。
「価値があるからといって、誰かが勝手に持っていっていいわけではありません」
静かな声だった。
だが、芯があった。
ユリウス先輩がギルバートを見る。
「レイヴン君は、アルバート君を守りたいのかな」
また、その問いだ。
守りたいのか。
庇護か。
所有か。
派閥か。
ギルバートは、以前なら詰まっていただろう。
だが、今回は違った。
「守りたいと思っています」
部屋が少しざわめく。
俺の胸も少し重くなる。
だが、ギルバートは続けた。
「ですが、俺のものにしたいわけではありません」
その言葉に、俺は思わず彼を見た。
ギルバートは、俺ではなくユリウス先輩を見ている。
「友人として、無理に連れて行かれそうなら止める。それだけです」
不器用だ。
やはり不器用だ。
だが、今の言葉は間違っていなかった。
所有ではない。
庇護でもない。
派閥でもない。
隣に立つ。
彼は、それを自分の言葉で言った。
胸の重さが、少しだけ変わる。
重い。
けれど、冷たくはない。
ユリウス先輩は、しばらくギルバートを見ていた。
そして、微笑んだ。
「君も変わったね」
「アルバートのせいです」
なぜ俺のせいになる。
だが、否定しづらい。
ローレンス先輩が横から笑った。
「では、アルバート君はレイヴン君という盾を得たわけだ」
「盾ではありません」
俺は即座に言った。
「では?」
「友人です」
言った。
今度は、自分から。
その瞬間、ギルバートが目を見開いた。
俺も少し後悔した。
いや、後悔ではない。
驚いた。
自分でその言葉を選んだことに。
友人。
まだ重い。
怖くないわけではない。
だが、今この場でギルバートを盾と呼ばせるよりは、友人と呼ぶほうがましだった。
彼は俺を守ろうとしてくれている。
なら、俺も彼の面子を守る。
それだけだ。
たぶん。
ローレンス先輩は、面白そうに目を細めた。
「なるほど。では、友人として隣にいる、と」
「はい」
「それは、レイヴン派と見られても仕方ないのでは?」
来た。
ここだ。
ギルバートが反応しそうになる。
俺は先に言った。
「誰かと友人であることと、その家の派閥に属することは同じではありません」
「貴族社会では、同じように見られることもある」
「見られることはあります」
俺は認めた。
否定しすぎると、嘘になる。
「ですが、見られ方を理由に、すべての個人的な関係を派閥に置き換えるなら、学院で学友を持つこと自体が不可能になります」
ローレンス先輩の目が少し動く。
マティアス先輩が、部屋の隅で小さく頷いた。
そういえば彼もいた。
静かすぎて忘れかけていた。
「学院は、家同士の関係だけでなく、個人として学ぶ場でもあるはずです」
俺は続けた。
「そうでなければ、平民出身の奨学生がここにいる意味も、下位貴族が上位貴族と机を並べる意味も、すべて形だけになります」
ニールの表情が変わった。
エリーゼも、少し息を飲んだ。
セシリア嬢の目が、静かに俺を見ている。
言いすぎたかもしれない。
だが、言わなければならなかった。
この場で友人を派閥の別名にされたら、今後すべての関係が政治に飲まれる。
それは嫌だった。
前世でも、人間関係はすぐ別の意味に変えられた。
優しさは好意に。
好意は所有に。
友人は義務に。
沈黙は同意に。
今世でまで、友人を派閥の別名にされたくなかった。
ユリウス先輩は、楽しそうに言った。
「理想論だね」
「はい」
俺はあっさり認めた。
「ですが、学院が理想論を掲げる場所なら、利用する価値はあると思います」
ユリウス先輩の笑みが深くなる。
「君は本当に面白い」
褒めないでほしい。
その言葉は、たいてい次の面倒の前触れだ。
「では、ここで一つ試してみよう」
嫌な予感がした。
「中立である者、あるいは派閥に属さない者が、どうすれば信頼されるのか」
ユリウス先輩は円卓を見渡した。
「アルバート君。君なら、どう答える?」
また俺か。
また俺に聞くのか。
俺は内心で頭を抱えた。
だが、ここで黙ると別の意味がつく。
本当に、貴族社会は面倒くさい。
「一貫性だと思います」
「一貫性?」
「はい」
俺は言った。
「誰に対しても同じ態度を取る、という意味ではありません。身分や立場によって言葉遣いや距離は変えるべきです」
「では?」
「何を守るかを変えないことです」
ユリウス先輩の目が少し細くなる。
「面子を守るのか。学ぶ権利を守るのか。相談者を守るのか。制度を守るのか。自分の立場を守るのか」
俺はゆっくり言葉を置いた。
「その優先順位が場面ごとに変わりすぎる人間は、信用されません」
部屋が静かになった。
これは、誰か特定の人間を刺したわけではない。
だが、全員に刺さる言葉だった。
もちろん、自分にも。
俺は静かに続けた。
「私は、派閥には属していません。属する予定もありません」
言った。
明確に。
これでまた逃げ道が狭まる。
だが、曖昧にすればもっと狭まる。
「ですが、誰か一人に責任を押しつける形や、相談を利用して人を追い落とす形や、友人という言葉を派閥の印に変える形には、できるだけ関わりたくありません」
できるだけ。
その言葉に、俺の弱さが出た。
絶対に、と言えない。
見えてしまえば、たぶん関わってしまうからだ。
ユリウス先輩は、その弱さにも気づいただろう。
「できるだけ、か」
やはり拾われた。
「君らしいね」
「できない約束をするよりはましかと」
「とてもいい」
よくない。
この人に評価されるたび、俺の平穏が遠ざかる。
だが、今回はギルバートが隣にいる。
セシリア嬢が斜め前で見ている。
ニールやエリーゼも、聞いている。
一人ではない。
そのことが、少しだけ俺の呼吸を楽にした。
勉強会は、その後も続いた。
表向きは和やかだった。
上級生が新入生に資料を配り、授業の進め方や試験対策を話す。
ダリオは戦術基礎の上級資料を見て目を輝かせた。
ニールは古代史の参考文献について上級生と話し込んでいた。
エリーゼは最初こそ緊張していたが、セシリア嬢がさりげなく話を振ると、少しずつ意見を出せるようになった。
アメリアは、以前よりも「私一人では決められません」と言えるようになっていた。
ミリアは、エリーゼに質問をしていた。
それだけ見れば、良い会だった。
本当に。
問題は解決したように見える。
だが、俺は知っている。
この場で、ユリウス先輩は見ていた。
誰が誰を庇ったか。
誰が誰の言葉に反応したか。
誰がどこまで踏み込めるか。
誰が、どの言葉で揺れるか。
そして俺もまた、見られていた。
中立を名乗る男爵家次男。
レイヴン伯爵家嫡男に友人と言われ、グランベル侯爵令嬢に観察され、平民奨学生から信頼され、相談制度に名を残した新入生。
どう考えても、普通ではない。
俺は普通でいたかっただけなのに。
会が終わる頃、ユリウス先輩が近づいてきた。
「アルバート君」
「はい」
「今日の君の答えは、とてもよかった」
「恐れ入ります」
「中立とは、何も持たない立場ではない。何を守るかを問われる立場だ」
ユリウス先輩は、そう言って微笑んだ。
「君は、ますます貴重になった」
ぞわりと、背筋が冷えた。
貴重。
価値がある。
高く売れる。
信用を得るべき。
貴重。
この人の言葉は、形を変えて同じ場所に戻ってくる。
俺を、人としてではなく、配置すべき資源として見る場所へ。
「クラインベルク様」
「何かな」
「私は、貴重品ではありません」
ユリウス先輩は一瞬黙った。
そして、静かに笑った。
「そうだったね。失礼」
本当に失礼だと思っているかは分からない。
だが、少なくとも俺は言った。
言えた。
それだけでも、前よりはましだ。
ユリウス先輩が去った後、ギルバートが隣に来た。
「お前、よく言ったな」
「言わないと、次は金庫に入れられそうでした」
ギルバートは一瞬黙り、それから吹き出した。
珍しい。
彼が声を出して笑うのは、あまり見ない。
「貴重品だからか」
「笑い事ではありません」
「いや、すまん」
ギルバートはまだ少し笑っている。
その笑い方が、妙に普通で。
少しだけ、安心した。
セシリア嬢が、斜め前からこちらを見ていた。
目が合うと、彼女は小さく微笑んだ。
それは、よく言えましたね、という顔だった。
言葉にされなかったことに、少し救われた。
その夜。
俺は兄への手紙を書いた。
『兄上。
上級生交流勉強会に参加しました。
表向きは学習支援でしたが、実際には新入生同士の関係や派閥の距離を見る場でもあったように思います。
私は、どの派閥にも属する予定はないと明言しました。
ただし、その結果、中立という立場そのものに価値があると言われました。』
ここまで書いて、手が止まった。
中立。
価値。
貴重。
嫌な言葉ばかりだ。
俺は続けた。
『レイヴン様は、今日も隣に立ってくださいました。
火種を増やすこともありますが、少しずつ守り方を覚えようとしてくださっています。
友人という言葉はまだ少し重いですが、すべてが鎖になるわけではないのかもしれません。』
書きながら、自分で少し驚いた。
兄にこんなことを書く日が来るとは思わなかった。
俺は、誰にも好かれたくなかった。
誰にも頼られたくなかった。
友人という言葉も、期待という言葉も、できれば避けたかった。
それでも今、俺はギルバートを完全には拒絶していない。
セシリア嬢の距離を、少しだけ楽だと思っている。
ニールの真剣な目を、怖いだけではないと感じている。
これは、良いことなのか。
悪いことなのか。
まだ分からない。
最後に一文を足した。
『ご心配には及びません。
ただ、茶葉はもう少し多めにあると助かります。』
封をしてから、俺は深く息を吐いた。
問題は解決した。
少なくとも、勉強会は表面上は無事に終わった。
だが、俺の平穏は死んだ。
中立でいたいと宣言した結果、中立そのものに価値を見出されてしまった。
そして次に迫る影は、さらに大きい。
ユリウス先輩は、まだ俺を諦めていない。
むしろ、今日のやり取りで、俺をより面白がった。
窓の外には、王都の夜が広がっている。
明るい。
領地の夜よりも、ずっと。
だが、その明るさが、少し怖かった。
光は、人を照らす。
だが、当てすぎれば逃げ場を奪う。
俺はまだ、そのことをユリウス先輩に言えていない。
言うべき日が来るのだろうか。
来てほしくない。
だが、来る気がした。
俺は兄の茶葉を取り出し、湯を沸かした。
まず茶を飲む。
それから考える。
考えてもどうにもならない時は。
その時は、たぶんまた、内容によります、と答えるしかないのだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、ユリウス主催の上級生交流勉強会と、「中立」という立場の危うさを扱う回でした。
どの派閥にも属さないはずのリオネルですが、逆に“どちらにも転ぶ可能性がある人物”として見られ始めています。
ギルバートは少しずつ、リオネルの隣に立つ友人になりつつあります。
ただし、リオネルの平穏はまた一歩遠ざかりました。
逃げたいのに逃げきれないリオネルを、ブックマークや評価で見守っていただけると嬉しいです。




