ある旅行者の見聞録
遅れてごめんなさい。
一日投稿日付間違ってました。
気づくの遅くて二時間半遅れです。
「ふーん。まあまあな景色だけね、この国は」
アデルはひどくガッカリしていた。
王城近くのこの丘からは、美しい景色が見られると聞いたのに。確かに美しい眺めだった。けれど、沢山の国を見てきたアデルにはさして感動もない。
大陸から1ヶ月近くかけてやって来たのに、この国は雰囲気が暗いし、特にこれというものもなかった。お陰で見聞録に書くこともないのだ。
「これじゃ、侯爵に申し訳ないわ」
アデルは旅行が趣味だ。大陸のとある国出身で、実家は名ばかりの子爵家。寄り親の侯爵家は由緒ある名門で、風変わりで足の悪い老侯爵とは個人的に仲がいい。
家族はせっつくが、まだまだ旅がしたいから結婚なんてしたくない。相談に乗ってくれた侯爵が、諸外国の見聞録を届けるという仕事をくれた。跳ねっ返りのアデルに、間諜など務まるはずもないから、本当に只の諸国漫遊記でしかないけれど、それで許してくれる老侯爵には感謝しきりだ。
「こんなことなら、他の国へ行けば良かった──あら? あの人、具合でも悪いのかしら」
海に面したベンチに、ひどく草臥れた青年がいた。
─まだ若そうだし着ている物も上等だけれど、まるで老人のような雰囲気ね。
「あの、お加減でも悪いの?」
「……私かい? 私なら問題ないよ、ありがとう」
他に誰かいるのかと、辺りを見回していた青年が返事を寄越す。
─そうは言っても、問題ないようには見えないわ。
「……君は外国の人だね。仕事でこの国に来たのかな?」
まだ心配されてることに気づいた青年が、苦笑して話しかけてきた。
「仕事といえばそうだけど、ほとんど趣味ね。私、旅行が好きなの」
「君のような若い女性が?」
「ええ。年をとってからじゃ、行きたくても行けない国もあるでしょう?」
「そうかもな。羨ましいよ」
「どうして? 貴方だって行こうと思えば行けるじゃない、まだ若いんだし」
「いや。いいんだ私は」
「どうして?」
「ある人の最後の願いを叶えると誓ったから。まぁ、二度と彼女には会えないんだけれど、けっして逃げるつもりはないんだ。
ただ、商船事業に失敗してね。わかっていたけど他に道が思いつかなかったんだ。それでも、まだ共に頑張ると言ってくれる者達もいて。そんな彼等の前で途方に暮れる姿を見せるわけにいかないからここに来たのさ。もう一度、彼女に叱ってもらおうと思ってね」
商船事業なら失敗も然もありなんと思った。昔は裕福だった家の御曹司なのかもしれない。二大巨頭がほぼ独占している業界に割り込もうなんて、無謀もいいとこだ。
でも、そんなこと彼だってわかっていたはず。草臥れきっている青年を、アデルは責める気になれなかった。
「あの、二度と会えないって……」
「ああ、違う違う。彼女は幸せに暮らしていると思うよ。昔、愚かだったせいで、十年も苦労させた婚約者を捨ててしまったんだ。気づいた時には取り返しがつかなくなっていたけれど、それでも私は、彼女に胸が張れるようになりたくてね」
そう言って、青年はまた西の海を見た。
その彼女と何があったのかはわからない。でも、彼がけして誓いを破るつもりがないことだけはわかった。
「そういや、君は旅行が趣味だと言ったね。旅行をする人はそんなに増えているのかな? 君から見て、この国はどう思う?」
気を遣ってくれたのだろう。青年が、黙り込んだアデルに話題をくれた。
「そうね、特筆すべきものが何もない、ってとこかなぁ。立派な港が沢山あること以外は」
「そうか、何もないか……」
「ご免なさいね、あなたの祖国なのに」
「いや、他の国からどう思われているのか知れて良かったよ」
「そう言ってくれると楽だわ」
「本当さ。それより君ならどんな国に行きたい? 何があれば行こうと思う?」
「えっ? う~ん、驚いたり、ワクワクさせてくれて退屈しなくて、他で体験出来ないことが出来る国?」
「他には?」
さっきまで、草臥れた老人のような雰囲気だった青年が、年相応に活き活きしてきた。それどころかちょっと前のめりな気もする。
「えっと、そうね。来る度に新しい発見が出来て、雰囲気が明るくて治安も良い国かしら」
「君のような旅が趣味の人でなくても?」
「だいたいはそうよ。でも、お年寄りはいざという時のことを一番に考えて行き先を選ぶだろうし、子供がいる家族連れなら、宿が気になるんじゃないかしら。恋人同士なら、道中だって大切な思い出にしたいと思うでしょうね」
「そうか……良かったら、君の名前を教えてくれないか?」
「アデル。アデル・ウィンスゲートよ。あなたは?」
「ジョシュアだ。アデル、頼みがある。君が見て来た国に何があったか、どんなことにワクワクしたか知りたい。もっと聞かせて欲しいんだ」
「いいわよ。最初に何が訊きたい?」
伏し目がちだった青年が、元気を取り戻したことがアデルは嬉しかった。
─私の旅が彼の励みになるのなら、いくらだって話そう。
そう思ったアデルは何もないと思ったこの国に、結局、一週間も滞在することになった。
その後も文通を続け、旅に出る度にジョシュアにも見聞録を送った。彼が特に熱心に聞いてきたことに注意して見聞きするようになってからは、老侯爵にも褒められた。
数年後に届いた紋章付きの招待状にアデルは腰が抜けた。
『迂闊なお前が悪い』と老侯爵に尻を叩かれ再びやって来た、かの国。
あんなにどんよりしていた国とは思えないほど、活気に満ちている。
カラフルな建物に溢れた港。振り返ればホテルのような豪華旅客船。歓迎する楽団の演奏に、降り立った旅行者がステップを踏んでいる。
案内所には各領地のガイドブックが所狭しと並んでいて、どこも胸躍るような魅力でいっぱい。秘境探検がお勧めの領地に、工芸家だらけの領地では弟子入り体験が出来る。ミニチュアの街で巨人になれる領地があると思えば、海の底を歩き人魚気分を味わわせてくれるところもある。街並みだって領地ごとに違うから、一度で沢山の国に来たような気分になれるそう。
─あぁ、あそこに行きたい。あ、そことここにも。どうしよう、全部廻れるかしら?
ガイドブックを抱えて悩んでいると、案内人が、国の外周を回るクルーズ船と、行きたい領地に一足飛びに行ける定期船を教えてくれた。
─明日から忙しくなるわって、これが宿?!
景色の良い場所に建てられた「宿」は、まるで小さな離宮のよう。その宿では、王宮で教育を受けたという執事やメイド達が世話をしてくれるときた。
─わぁ! 侯爵様の本邸にいるみたい。どうしよう、何から書けばいいのか多過ぎてわからない!
専門店で貴族が着るようなドレスを借りれば、王城の見学ツアーに参加出来る。驚くことに、年に二回、抽選で本物の舞踏会に出席が出来るらしい。身支度はすべて城の使用人お任せの至れり尽くせりの企画だ。
おまけに、この国で結婚式を挙げた夫婦には、本物の離宮への宿泊が許される。
─全部、全部よ! 国すべてが宝箱なんだわ!
興奮し過ぎてふらふらになっていると、城の従僕が迎えに来て、一瞬で楽しい気分が吹き飛んだ。口から胃が出そうになるくらい緊張していたら、いつの間にか謁見の間。
少しして、コツコツと靴音をさせてやって来た人が玉座にかけた。
招待状でジョシュアのフルネームを知ったアデルは、その人物の靴しか見られない。
─どうして? 何で裕福な商家の御曹司だなんて思ったの? あぁ、あの時ちゃんと名前を聞いておけば、不敬にならずに済んだのに!
「ウィンスゲート嬢、よく来てくれた」
「あ、あの、わたくし」
「〝君は旅行が趣味だと言ったね? 君から見てこの国はどう思う?〟」
思わず顔を上げると、あの青年が破顔して玉座から下りてきた。
「君の見聞録で作った国だよ。アデル」
手を取られても、アデルの口はハクハクするだけ。
「ありがとう、アデル。やっと彼女に胸が張れる」
次回は、最終話です。