アリアとスノウの過去
「カイ、大丈夫だったのか!?」
しばらく剣を抱いたままだったエアが、カイとダンプに駆け寄る。先ほどのカイの言葉は、ジオにしか聞こえなかったようだ。『災厄の姫君』。不可思議なものもこの数十年で少なくない数を扱ってきた。その中でちらりとだけ聞いたことがある。ジオは、俺は何も聞いていないという顔を装うことで、この件は任せる、ということをダンプに示した。ダンプもエアにわからないように小さく頷く。
「あなたは、自分の身を案じてください。まったく、顔に傷をつけるなんて。いいですか? 腕がもげようとも、足が折れようとも顔だけは死守してくださいよ。帰ったら薬草で傷パックです」
「腕もげたり足折れたりする方が重症だろうが!」
「そうだよ、こんなのツバつけときゃ治るだろ」
エアがほおをゴシゴシとこする。
「ああ、ダメです。化膿します!」
カイが急いでエアの手を止める。
「ところで、アリアはどうした?」
ジオが周りの黒装束たちを縛りあげる。息はあるみたいだが、こと切れたようにまったく動かない。スノウの暴走によって深手を負った男もいつのまにか気絶していた。
「もしかして、グリムに――!?」
スノウが声を荒げる。カイの手を剣ごとグイグイと引っ張って、二階に上がろうとする。
「いや、二階に寝かせてるんだけど……」
ダンプが濁した言葉をカイが引き継いだ。
「体は生きています。けれど、生気が感じられません。正確に言うと、魂が抜けています」
「は?」
エアが惚けた声をだす。
「なんで、あんたたちが二人もいて、アリアを守れないのよ!」
「スノウ、スノウちょっと落ち着けって!」
カイトダンプに食ってかかろうと鞘ごと剣先を向けるスノウをエアが押しとどめる。
「仕方ないだろ! 俺たちだって奴がそんなことできるとは思わねえし!」
「てかさ」
やっとのことで、スノウを抑えたエアが息をつきながら、疑問を口にする。
「さっきから、グリムグリムって誰?」
「私たちが戦っていた男です。アリアとスノウを捕まえにきた、死神です」
死神、という言葉に反応したかのように翡翠の石が明滅した。
「俺も聴きたいな。グリムって奴はどんだけやばいんだ?」
ジオの言葉にスノウがエアの手をくいくいと引っ張る。
「エア、またここから出してくれる? その方が説明しやすいから」
エアがスノウを翡翠の石から引っ張り出して具現化すると、先ほど幻影のように見えた、血の色に染め抜かれていた髪の毛はいつもの艶やかな白銀に戻っていた。
黒装束の男たちを入り口まで皆で放り投げてから話を聞く。
「グリム・リーパー。奴の通称よ。本名は誰も知らない。あいつ自身もそう名乗っている。趣味の悪い収集癖と慈悲のない管理方法で、収集家の間で死神と呼ばれたのがはじまりらしいわ」
「収集家、ですか。アリアのことはペットと呼んでいましたが」
収集家というと、普通は宝石や武器などの道具の類をいうが、グリムは違う。
スノウはそう説明した。
「趣味が悪いって言ったでしょ。奴は、人間や魔物を主に収集しているの。トリミングだと言って、全ての皮を剥がされた人もいれば、牙を向けた魔物の口をしつけだと言って本当の意味で縫い付けたりね。しかも、改造が大好き。口には出せないほどのおぞましい実験が毎日繰り返されているわ。それだけでも最悪だったのに、奴は悪魔まで召喚し始めた」
グリムの背後に現れた狂気の塊。
「マーラですね」
スノウは一つ頷くと唇を噛み締めた。
「奴がどうやってあのマーラを手懐けたのかはわからない。けれど、あのマーラを召喚してから、確実にグリムは人間の域を超えたの」
魂を吸うようになったという。
「夜にね、人間や魔物を一匹だけ呼び出すの。椅子に拘束したまま、涙でぐちゃぐちゃになった顔をマーラが飲み込むんだ。吐き出された時には、目の焦点が定まってなくて……、やがて動かなくなるの。そのまま目が開かなかった人や魔物たちは全員倉庫に重ねて置かれている」
まるで魂を抜かれた屍のようだったという。
「なぜ、スノウはそこまで詳しいんですか?」
ゴクリと唾を飲み込む音は聞こえないはずなのに、スノウが息を呑んだのがわかった。
「全部、見てたから。私は、グリムのペンダントにはめ込まれた石に宿ってたんだ」
気づいた時には、スノウはそこにいた。その前のことは何も覚えていない。自分が何者だったのか、どうして体がないにも関わらず、自我があるのか。
「随分長いこと黙ってたんだけどね。グリムにはわかってたみたい」
見せつけられるように繰り返された悲惨な行いの後には、いつもスノウに話しかけていた。粘りっこい絡まるような口調を思い出して、スノウは片手だけで自身の体を抱きしめる。
ぎゅっとエアがスノウの手を強く握ってくれた。エアの心配気な表情に笑いかけてスノウはまた話し出す。
「アリアは一度、私を盗んで逃走したことがあるんだ。捕まっちゃったけど」
売り払う気だった。アリアはそう言ったらしい。
「いるのは人間や魔物だけ。お金になりそうなものは何もなかったから。その時、初めて話してみたの。あなたすごいことするね、って」
アリアの驚きようと言ったらなかった。
「宿で話しかけたんだけどね。ベッドからひっくり返って落ちちゃって。敵じゃないってわかってもらうまで大変だったな」
その時のことを思い出したのか、スノウが口元に手を持ってきて笑う。
「3日くらいは逃げられたかな。でも、頼ってた人を殺されて、アリアは戻ることにしたの。私はいつか逃がしてあげられるまで待ってって言ってたな」
拷問よりも酷い仕置きに耐え、アリアはじっと我慢した。
「6年。初めて逃げてから6年経ってた。その時には、アリアは霊を取り込める存在として、グリムのお気に入りになっていて、ある程度は自由に出かけられるようになってたの」
自分の体も駆使して巷の情報を集めること。それがアリアに課せられた役目だったという。
「マーラの魂喰いから逃れたと?」
うん、とスノウが頷く。
「私もよくわかってないんだけど、魂は1回食べられて戻されたんだって。でも、1回魂が抜けることを覚えると、別の魂をいれられることができるようになったって言ってた。その頃は、私もみんなと一緒に倉庫に押し込められてたからよくわかんない」
にわかには信じがたい。けれど、マーラのあの禍々しさを見ればありえない話ではない。
「アリアは一時期正気を無くしてたことがあるの。その魂喰いのあとね。あの操られた時みたいに」
けれど、アリアは戻ってきた。一緒に捕まっていた人たちを傷つけ、自分の手を焼き焦がし、狂いながらも精神を壊しきる前に戻ってきた。
「成功だ、ってグリムは言ってた」
「お前、ずっとそのこと黙ってたのか?」
アリアもずっと、5年間もの間。
ダンプの言葉にスノウが首をすくめる。
「ごめん。だって、あんたたちがどういう人か私わからなかったし。それに、途中は具現化とかで頭いっぱいになっちゃって」
スノウを無事に売ったあと、アリアがどうしてこの武器屋に戻ってきたのかもスノウはよくわかっていなかったという。
「ずっと黙ってろ、って言われたし。アリアは逃げるからって」
「最初から自分は捕まるつもりだったみたいですよ」
カイが蛇に憑かれていたことを皆に話す。
「だから、スノウのもともとの宝石も持って行ったと言っていました。どこまでごまかせるかはわかりませんが、少しの間はその石にまだスノウがいると思わせられるかもしれないですからね」
そっか、とスノウが俯く。
「倉庫にいた私をアリアはたまに内緒で外に連れてってくれたの。グリムはわかってたかもしれないけど、何も言われなかった。どうせ帰ってくるだろうと思ってたんだろうね。アリアはその頃、グリムの言うことはなんでも聞いてたから」
人を騙すことも傷つけることにも、ためらわなかった。
「アリアと一緒に外に出た時、エアを見かけたの。そしたら私、なんだか変になってね。エアの剣に吸い寄せられると言うか、勝手にペンダントが浮いちゃって」
翡翠の石に反応している、と気づくまでそんなに時間はかからなかったと言う。
「アリアと計画を練ったわ。近づけば移れるって言うのは、本能っていうのかな? わかってた。だから、アリアに剣を盗んでもらって、私が剣に移ったらアリアはその剣を売ったお金で逃げようって」
一ヶ月。準備にそれだけかかった。エアたちがあの街から出て行かなかったのは、スノウたちにとって僥倖だった。
「でも、アリアは捕まる気だったんだね……」
スノウが右手でスカートをぎゅっと握る。
スノウを慰める言葉は誰も持っていない。
「抜かれた魂がどうなるかは知っていますか?」
沈黙を破るかのようなカイの問いに、スノウは首を横に振った。
「でも、無理やり何かに宿らせることはできるみたいだよ。だから、アリアも操られてたし」
ふむとカイが考え込む。
「なぜ、あの死神がアリアの体ごと連れて行かなかったのかが気になりますね」
「カイたちがいたからじゃないの?」
「いや、俺たちなんていつでも殺せただろうな」
ダンプが槍の先をエアに見せる。切っ先にはヒビが入っていた。
「これでもうちで一番硬い鉱石使ってたんだけどな」
「アリアが魂だけ抜かれたのはよくわからんが、殺すならそんな面倒なことしないだろう。だから、奴が何かしらの理由で何かに宿らせる気があるのかもな」
それは、もしかしたら。
ジオはスノウを見る。白銀の可愛らしい女の子。スノウが関係あるのだとしたら。
そこまで考えて首を振った。縁起でもない。
「じゃあ、探しに行こうよ! カイならできるだろ?」
エアとスノウが期待を込めた眼差しでカイを見上げる。カイは一つため息をついた。
「先ほど、猫の霊も召喚してみたんですが、アリアの行き先らしき方向に顔を向けた後、霊界に戻ってしまいました」
「マジで役に立たねえのな。あの猫」
「震えてただけのあなたよりましです」
「なーにが、震えてただ! 武者震いだってえの!」
「はいはい、うるさいです。アリアはまだこの世にいます。おそらくジオのいう通りです」
カイが腕を組む。
「しかし、見つけるのはかなり難しそうですね。グリムのアジトとかがわかればいいんですが」
スノウの顔を見ると力なく首を振っている。
ペンダントとして移動していたスノウには場所はよくわからないらしい。ただ、と言葉を続ける。
「本当かわからないけど、次に狙ってるのは魔王だってアリアが言ってた。どうせ途中で気づかれるだろうけど、それに夢中になってれば逃げきれるかもって」
「じゃあ、アリアもそのために連れ帰ったのか?」
「霊ではなくアリアを憑かせるということですか。魔物も捕まえているなら、あり得るかもしれませんね」
エアの言葉にカイが頷いて見せる。
アリアを憑かせた魔物をスパイとして送り込む。
ほとんど話すことのできない霊と違って、アリアならば会話が成り立つ。それに、魔王の近くまでのし上がるには非情さと賢さを併せ持つ者でないと務まらない。
「じゃあ、魔王を目指せば、アリアが見つかるかもしれないってことか」
エアがカイを見つめる。無言の問いかけにカイは手を振って応えた。
「はいはい、わかってますよ。良いです。魔王を倒しに行くついでにアリアを探しましょう。その代わり、ちゃんと働いてくださいね」
「やった!」
エアとスノウが嬉しそうに顔を見合わせる。
「じゃあ、早く行こう! 早くアリアを助けなくちゃ!」
スノウが剣に戻してとエアにせがむ。エアは言われるがまま、スノウを剣におさめた。
「慌てなくても、魔王が捕まるまではアリアもひどいことはされないと思いますよ。魔王もそんなにヤワではありませんし。というよりも、仲間を増やさないことには討伐にもいけないですね」
「ダンプ、お前はどうするんだ?」
カイの意味ありげな言葉に、ジオが眉をあげてダンプに問う。
「うちのことなら心配するな。どうせ母さんももうすぐ帰ってくる」
「え!? ダンプのお母さんっていないんじゃ……」
スノウを具現化する際に壊れた道具を持ち上げて、寂しげに俯いたダンプの姿にすっかりそういうことだと思っていた。エアの驚きように、ジオが訝しげな顔をする。
「いや、うちのカカアはバリバリ元気にやってるぞ。現役の建築屋でな。この家もカカアが建ててくれたんだ。家を建てるとなると時間がかかるから長期不在なことが多くてなあ」
この惨状を見たら。そう続けた言葉に重なるように、玄関から大声が響いた。
「コオラアアア!! バカ息子、ボケ亭主! 私の大事な家になにしとんじゃあああああ!!」
「ああやって怒られるんだ」
ジオとダンプが大きくため息をついた。




