第一章 マリアンヌ、猫になる。
この世界は12体の神に守られている。
主神を除いた12の神が12の国を守護し、時々諍いはあれど、それなりに平和な時代を導いてくれている。
結婚と貞節の女神ザラ。
彼女が守護し見守っているのは、帝国ゼラティーヌ。
彼女の名前を戴くのは不敬かと、少しもじった名前にしている、穏やかな国であるが、彼女の力の通り不倫や不貞に厳しく、ナーバスな問題がない限り、国王陛下でも愛妾を持つ事が禁じられている。
そんな帝国ゼラティーヌには世界で一番有名な猫がいる。
名前はマリアンヌ。
優美なジャム猫である。
緑の瞳に、クリーム色の毛並み。
耳の先と尻尾の先が茶色である。
彼女は世界で1番有名な猫である。
国中、世界中の街中に張り紙がある。
街の広場には彼女のポスターが絶対にある。
普通の猫と同じ扱いをしてはいけない、国王命令であり、破った者は重罪である。
外見は普通の猫であるからして、どうやって彼女を彼女と見分けるかと言うて、両耳の先にあるエメラルドのピアス。
そして、尻尾の付け根にある、これまたエメラルドのリングである。
「ローズマリー。降ろしてちょうだい。旦那様を見下ろすなんて失礼だわ」
それまで柔らかくマリアンヌを抱きながら、さりげなくマリアンヌを猫吸いしていた侍女のローズマリーは名残惜しそうにマリアンヌを絨毯の上に降ろした。
上手に二本足で立ったマリアンヌは、一人がけのソファで目をひんむいている旦那様。
ジャック ・トリバーチ氏の目の前に立つと、片足を後ろに引き、猫だからか、とても優雅なお辞儀を披露してくれた。
今日のマリアンヌの服装は優雅な青のスタライブのドレスだ。
お尻の辺りには尻尾専用の穴が空き、そこから優雅に揺れる尻尾が覗いている。
首輪、いや、ネックレスは銀の鎖にエメラルドの宝石がついている。
瞳の色に合わせたのだろうか、だとしたら彼女の専属デザイナーは腕がいい。
しかし、俺が贈るとしたらベルベットの首輪にエメラルドの宝石がいいな。
そこまで考えて、ジャック氏は首を振る。
私は一体何を考えているのだ。
「今宵から、貴方の妻になりましたマリアンヌでございます。どうぞ末長く可愛がって下さいまし」
マリアンヌはジャック氏に瞳を合わせると、そのオッドアイの瞳に好意を滲ませて多分微笑んだ。
多分と言うのは、ジャック氏は犬派ゆえ、犬の表情は読めるのだが、猫の表情はあまり分からない。
それに可愛がるとは猫的にか新妻としてなのか、頭が混乱して来る。
マリアンヌは身分は侯爵令嬢であった。
本当なら、ジャックごとき子爵家当主の男の元に嫁いで来る様な女性ではなかった。
夜会や式典で何度か見たマリアンヌは、緑の瞳に金の髪、白い肌が美しく。
優雅な所作、気品溢れる雰囲気と皇太子の婚約者に相応しくも優雅な貴婦人であった。
しゃなりしゃなりと歩く姿は猫の様にしなやかで、まさに高嶺の花とジャックはいつも見ていたものだ。
見ていたと言っても、そこには恋慕など無く、美しく花を見る様な気持ちで見つめていただけだ。
だが、皇太子がいかん。
それは全国民、全貴族の総意だろう。
女性と言う花を見れば追いかけ、蜜を吸わずにいられない蝶の様に女性の間を飛び回る皇太子殿下。
マリアンヌ様が苦労するのが見えている、マリアンヌ様が可哀想。
皆がそう思っていたし、我が国の神もそう思っていた。
かと言え皇太子殿下は別にマリアンヌを蔑ろにする訳でもなく、あれはあれ、これはこれとちゃんとマリアンヌを大事にしていたと思う。
本人的には。
だが、他人はそう思わなかった。
女性は特に、女神様も特に。
そんな中、事件は起こった。
「マリアンヌ。お前との婚約を破棄する。わたしはこにいるリリーと結婚する」
とある王宮主催のお茶会で、皇太子が茶会に集まった人々の前でそう宣言したのだ。
皇太子の腕の中にいるリリー子爵家令嬢は空気が読めるので真っ青だ。
ふるふると首を振っている。
リリー子爵家令嬢は皇太子の恋人として、甘い汁を飲めたらいいだけで、結婚とか侯爵家に喧嘩売りたいとか考えて無かったからだ。
そんな中、空気が読めなくてどうしようと評判の公爵令嬢マリアルイーズ・フォルマン公爵嬢がマリアンヌに喧嘩を売った。
マリアルイーズ嬢はちょっと空気が読めない。
空気は読む物ではなく吸う物だとしか思っていない。
彼女の周りの思惑も流れも読まない性格は社交界では時に騒動を起こしている。
しかし、顔面が抜群ゆ良く愛嬌があり、錬金術師と言われる位お金を増やすのに長けている彼女は一部から熱烈な指示をうけている。
失敗を指摘したらきちんと治せる令嬢だ。
治せるのはその場限りだが。
失言も多いが、愛嬌と失言した自覚が無いので、何と無く許されている。
王族に継ぐ公爵家の令嬢でもあるし。
彼女が無理な人はそっと距離を置くし、平気な人はなんとなく付き合っていた。
マリアンヌはマリアルイーズ嬢とは何故か仲が良かった。
そんなマリアルイーズ嬢がマリアンヌに喧嘩を売った。
多分、売ったつもりは無かった。
「マリアンヌ様が婚約破棄とか言われるのは、女としての魅力が無いのかも知れませんね」
茶会の場が凍った。
高位貴族のみの茶会であったし、その瞬間までそんな話はしていなかった。
いつもはお喋りなマリアルイーズ様が今日は大人しいなと皆が思っていた。
皇太子も王妃もいた、マリアンヌもいた。
そんな中での爆弾発言であった。
あっ!
マリアルイーズは慌てて口を押さえたが、時はもう既に遅し、出た言葉は返らない。
場が凍る中、女神が顕現した。
キラキラと天から日差しを差し込む中。
50年ぶりの顕現である。
女神教の我が国であれば、僥倖と祝う所だが、宗教画にある所の女神像にそっくりな彼女は両手を腰に当ててご立腹だ。
ふいっと綺麗に整えられた指先を皇太子に向けた。
「我が国自慢の令嬢であるマリアンヌが侮辱されれのは、お前が悪い。獣以下の馬鹿め。お前に相応しい姿にしてくれるわ」
女神ビーム!とでも言いそうな、人差し指から煌めく光の筋が伸びた。
「獣のごとき男よ。そに相応しい身体になるが良い」
その光は確かに皇太子の胸を貫くはずだった。
しかし、実際には皇太子を庇う様に抱きついたマリアンヌの背中を貫いていた。
「マリアンヌ!」
「マリアンヌ様!」
各自が悲鳴を上げ、女神ビームの太陽のごときの輝きに目を閉じ、それがおさまった時、マリアンヌのドレスが地に散らばり、そこには世にも美しい猫がいた。
「あらまぁ」
人語を話す世にも奇妙な猫、マリアンヌの誕生であった。
マリアンヌな後に語る。
「王族の方を守るのは貴族の勤めですわ」
その言葉に王も王妃も皇太子も苦虫を噛み下した様な顔をした。
王家も侯爵家もマリアンヌの呪いを解こうと尽力したものの、当の女神は大神官曰く「ご自分のなさった失策に何処かに閉じこもっておいでで、呼びかけにも応じてくれません」
他国の神に頼もうと使いを出してみたら。
「俺が解呪したりいじったら、女神が嫌な思いをするだろ?人ンチのカレーに味が足りんとトマトいれたりコーヒーぶち込んだら嫌なもんだ」
女神が鬱から晴れるのを待つしかないな、との事だ。
と言う事で、マリアンヌはしばらく猫の姿のままになる事になったが、さすがに皇太子との婚約は円満に解消になったのである。




