第9話 ユリエラ、野良ポップを警戒する
わたしは誓った通り、夕方に御者のカイルに頼み込んで、馬車で酒場に連れてってもらった。
酒場に着き、わたしは馬車を降りて背伸びをする。
ん~~~っ。
「それではユリエラさま、馬を裏へ預けて参ります」
「うん、お願い」
酒場は宿屋も兼任していて、裏に厩があった。
余り広さは無いから、馬だけを預ける。
馬車から馬を外し、手綱を引いていくカイルを見送ってから、わたしは改めて店から漏れる暖かな光を見つめた。
酒場の名前は「赤いエビの切り身亭」
木の扉を押し開けると、わたしの恋したざっくばらんな空間がそこにあった。
わたしはここでひと時「悪役令嬢ユリエラ」ではなく、ただの世間知らずなお嬢様になる。
店のお姉さんとかお客さんは、ちょっと風変わりな金持ちの娘がまた来たなあ。
その程度にしか思ってない。
それが嬉しかった。
一般の人々にとって、貴族社会など雲の上の話で何にも知らない。
ユリエラと言う名前は結構一般的で、眼の前の娘が、この国の第一王子の許嫁だなんてこれっぽちも思わない。
わたしは学園のことなど忘れて、人と人との触れ合いが溢れる、アットホームなひと時を過ごす。
存分に楽しんで、もうここがホームで良いかなと、思いかけてるわたしがいた。
そんな癒しの時間は、あっという間に過ぎて……
向かいに座るカイルが懐中時計を取り出し、わたしに声をかける。
「ユリエラさま、そろそろお時間です。帰りましょう」
「んー、今何時?」
「10時過ぎです。11時には帰りたいのですよね」
「んー、帰りたくない」
「少し飲み過ぎですよ」
「わたしが飲んでるのはホットワインだもの、お酒じゃないわ」
「お酒ですよ」
「うふふふふ」
「さあ、帰りましょう。私は馬車に馬を繋げてまいります」
「しょうがないなあ」
わたしが席を立つと、周りのお客さんが名残惜しんでくれる。
それはからかい半分のものだけど、そんなやり取りが嬉しかった。
「何んだもう帰っちまうのかい、寂しいなあー」
「うふふ、また遊びにきますわ」
私は支払いに、金貨2枚余分に差し出す。
すると店のお姉さんが、困ったような顔をした。
「ユリちゃん良いんだよ、こんな奴らの酒代まで支払わなくても。
甘やかしちゃだめさあ」
店のお姉さんは、結構口が悪い。
「すみません、じゃあ今回が最後で」
「んまあ、しょうがないねえ。おい聞いたかい皆っ。
今夜の酒は、ユリちゃんのおごりだよっ」
それを聞いた他の酔っ払いたちが、拍手喝采で湧きあがった。
「ユリちゃん、最高ー!」
「お嬢さんっ、ごちそうさま!」
「ごちになります!」
「やったぜジョッキ2つ、追加ー!」
わたしはカイルの馬車に揺られて、学園寮へと戻る。
門限はとっくに過ぎているけれど、そんなのわたしには関係ない。
ユリエラとしての「私」が、完全に門番を買収して手懐けてある。
こういう所はさすが悪役令嬢といった感じで、頼りにしたくないけど頼りになる。
わたしは門番にワイロをはずんで、ぽんと馬車を降りた。
「カイルさん今夜もありがとうございます。お陰で癒されました」
「いえ、仕事ですので」
「また連れてって下さいね、お休みなさい」
「お休みなさいませ、ユリエラさま」
わたしは馬車を引いてくれた、馬の首を撫でて自室へと戻った。
専属メイドのアイナが、ポーカーフェイスで迎え入れてくれる。
きっと怒っているんだろうなあ。
着替えを手伝ってくれて、髪をとかしてくれる。
就寝する仕度がすむと、時計はだいたい11時50分くらい。
わたしはベッド脇に置いてある、アンティークな魔法仕掛けの時計を見つめた。
手を胸の前で合わせて、しばらくじっと待つ。
時計は11時55分。
5分を切った。
わたしはそわそわしだす。
時計は11時59分。
あと1分ー!
チクチクチク カチリ。
12時ぴったりとなった。
日付が変わった。
わたしはその瞬間を体感して、辺りを見回した。
「何も変化は……ないよね?」
わたしが階段から転げ落ちてからの、イレーネ退学取り消し。
その「イベント」が終わって、「時間ジャンプ」とかしてないよね?
これで一昨日、昨日、今日と3日間、時間が続いている。
急に1ヶ月とか時間が飛んでない――と思う。
まだ確かじゃない。
確かじゃないけど、わたしはほっと胸を撫で下ろした。
「昨日は危なかったなあ。朝一で行動して良かった。
もたもたしていたら、イベントを王子たちが先にクリアしてる所だった」
いえいえ、それがゲームなら普通なんですけどね。
悪役令嬢のたくらみで、主人公のイレーネがピンチになる。
すると必ず、王子たちが立ち上がってリカバリーに走る。
そうしてピンチを救われて、主人公と王子たちの絆が深まり、そのぶん悪役令嬢へ憎しみが溜まる。
そのヘイトがどんどん溜まって、のちのち卒業記念パーティーでの「ユリエラ断罪」に繋がっていく。
断罪イベントなんてこりごりなわたしは、できるだけヘイトを溜めずに卒業式を迎えたい。
そうしたら無事に卒業できて、その後も「魔王に寝返る」イベントなんか起きなくて、普通に生活できるかもしれない。
というか、どうしてもそうしたいっ。
でも一つ、気になることがあった。
「今回の階段を転げるからの、退学取り消しイベント……
こんなイベント、ゲームにあったかなあ?」
わたしは前世で、ゲームを「4年生編」まで進めていたけど、今の「3年生」でこんなイベントをやった記憶がない。
「隠しイベント的な感じ?」
そう思いたい、わたしがいる。
けれど多分違うと思ってる、わたしがいる。
ここはゲームの世界だけど、完全にゲームと同じじゃない。
イベントとイベントの間。
数ヶ月とか時間ジャンプしないし、ちゃんと毎日が飛ばずに進んでいる。
その飛ばずに存在する「毎日」は、ゲームからすれば勝手にポップアップした部分で、実際のゲームには無かった部分だ。
毎日の日常が、勝手に野良ポップしてる。
「だったらイベントだって、野良ポップしてる?」
わたしの知らない、野良イベントのポップ。
そうなるとわたしのゲーム知識が、ほとんど役に立たない。
「ええ……う~ん。
知らないイベントがたくさん発生するんじゃ、先回りして防ぐ何てことができないのか……」
わたしは置き時計を抱きしめて、ベッドに寝転んだ。
腕の中でチクタクと、時間が飛ばずに流れている。
時間が飛ばないのは、わたしにとって良いことなの? 悪いことなの?
「うう~ん……」
何だか今日も眠れない。




