第14話 ユリエラさま 今のままで良いのです
「赤い海老の切り身亭」で飲む。
わたしは向かいに座る御者のカイルを、ちらちらと観察した。
カイルの瞳の色は赤。
髪の色はダークブルー。
よくよく見れば、御者にしては体ががっしりしている気がする。
全身に無駄が無い感じ。
年齢は、27~28歳くらいかなあ。
御者のふりして、わたしの実家に報告してたんだ。
お父様に。
ユリエラって、本当に信用されてないなあ。
まあユリエラは実家の公爵領でも、裏で色々とやっていたから仕方がない。
わたしはそう納得しようとしたけど、ちょっと恨めしげな眼をしていたみたい。
「どうしたのです、ユリエラさま?」
「ん、何でもないわ」
ちょっとカイルを、ジト目で見つめすぎた。
カイルの顔に、警戒の色が浮かんでる。
最近はかなりわたしに慣れてくれたけど、悪役令嬢ユリエラがじっと見つめる視線は怖い。
自分で言うのも変だけど、何を考えているか分からないところがある。
霧島ゆりの記憶を取り戻す前は、そんな眼つきをしているとき。
だいたい相手をどう壊そうか考えている時だから、怖がるのは正解だった。
でも今は違うのに。
イレーネは言ってた。
正体を知っても元のユリエラは、カイルを問い詰めずに泳がせていたって。
そして今のわたしも同じ事をしている。
カイルを問い詰めない。
今夜も普通に、赤い海老の切り身亭に連れてきてもらってる。
何で問わないのか?
だってこれ、問い詰めたらいいことあるのかな。
カイルは更迭されて、メイドみたいに新しい御者がきて、またわたしは新しい御者を疑うの?
そしてまた問い詰めるの?
わたしは霧島ゆりで、ゲームのユリエラじゃない。
ユリエラみたいに、追い詰めるのを楽しめない。
そんなの苦痛でしかない。
だからといって黙っていると、もやもやする。
モヤモヤするけどそれは置いといて、カイルに別のモヤモヤを打ち明けた。
「ちょっと相談に、乗ってくれますか?」
「私で良ければ」
わたしは唐突に切り出し、カイルはジョッキを飲み干して背筋を伸ばした。
「わたしを、慕ってくれる子たちがいるんです。
違います。
ウソ付きました。
わたしを怖がって、服従してくれる子たちがいるんです。
わたしはもうそんな関係はよくないから、解放してあげたいんです。
だけど駄目なんです。出来ないんです」
「……なぜでしょうか」
「グループを解散したら、その子たちは学園で公爵家のユリエラに、見捨てられたって噂を立てられます。
一度張られたレッテルは、なかなか剥がれません。
貴族社会は面子が命です。
その子たちがそんな偏見を背負って、学園生活を送るなんて、心が耐えられないと思うんです。
だから解散できないんです」
「なるほど」
「今のグループを持続させたまま、その子たちに和気あいあいしてもらう。
その方法が、わたしにはよく分からなくて……遠慮なく言ってもらえると嬉しいです」
「分かりました。
できるだけ率直に、お答えさせていただきます」
「よろしくお願いします」ぺこり
「うっ」
「どうしたんです?」
「ユリエラさま、その頭を下げる仕草はおやめ下さい。
心臓に悪いです。
それではまるで、主と従が逆転したようです」
「ああ……そうね」
霧島ゆりの記憶を取り戻してから、お辞儀が無意識に出るようになっていた。
その姿はこの世界では異様なようで、カイルのような反応を引き起こす。
イレーネもやってたし、この世界の男子生徒はどう思っているのかな?
コンプリート厨のイレーネさんの事だから、相手に自分を印象付けるためワザとやってるかも。
カイルが気を取り直して、咳払いした。
「では早速。
ユリエラさまがその方々に親しくすると、逆に警戒される。
相手へ下手に優しくできず、距離感が悩ましいという事ですか?」
「えっとそれなんですけど、わたしなりに考えて、何回か優しく接してみました。
そうしたら皆が泣き始めたんです。
異常な光景でした。もう洗脳みたいです」
「……それは恐怖による支配から、一段拘束力が上がってますね。
洗脳みたいではなく、洗脳が完了していますよ。
恐らくですが……
その状態で、もし誰かが抜けたいと思ったとしましょう。
ですが仲間を残して去るのは、裏切り行為だと感じるはずです。
心に罪悪感が芽生えるレベルまで、行ってますね。
ユリエラさまの飴と鞭の下で、その方々はある意味強く団結しております」
「わたしも、そう思いました」
「憚らずに言えば、新興宗教ですね」
「はい、宗教だと思いました」
カイルは、前のめりになっていた姿勢を戻す。
「ユリエラさまは、どの域までお望みなのでしょうか?」
「どの域ですか?」
「その方たちと、お友達になりたいのですか?」
「できれば……」
「無理です」
「うっ」
軽く心が抉れた。
速攻で全否定は、切れ味が良すぎる。
わたしは恨みがましく、カイルを見つめてしまう。
カイルは、わたしの眼を冷静に見つめ返してくる。
少し雰囲気に違和感があった。
そこに居たのは御者のカイルさんではなく、御者のカムフラージュを捨てた別の顔。
そのように感じた。
「ユリエラさまが下手に友達のように接すると、その方々は大変な不安を覚えるでしょう。
支配者は一度その席に着くと、降りる事はできません。
降りればその組織は、バラバラになります。
今回はそのグループの消滅を避けねばなりませんので、お友達になるのは諦めて下さい」
「うぐぐ……」
「それを受け入れて下さるのであれば、方法はあります」
「どうすれば良いのでしょうか?」
「今のままで良いのです」
「今のまま!?」
「今は高い緊張感のまま、安定しています。
安定しているならば、緊張度の強弱はあまり関係がありません。
この問題はユリエラさまの外にあるように見えて、実はユリエラさまの中。
ユリエラさまの心にあると思います。
申し訳ないと強く思っているから、ユリエラさまは必要以上に、問題が大きく見えているのです」
「えええっ」
「わたしはこのままで良いと思います。
新興の宗教。
それで良いではありませんか。
これはあと2年半が経ち、ユリエラさまが学園をご卒業なされば、自然消滅する関係性です。
学生にとって2年半はとても長いかもしれませんが、社会にとって2年半は一瞬ですよ」
「うわ……」
「ですが私は、ユリエラさまの御者。
主のユリエラさまのお心も、軽くしたいと思います」
そう言ってカイルは、エールのジョッキを追加注文した。




