夕日
①「・・・ねえ、ねえてっば。眼、醒めた?」
おぼろげに、意識が醒めていく。青天井が、一面に広がり、草や花は風に揺られている。
そんな風景をぼんやり見ていると、また声が聞こえる。
「やっと目が覚めたのね。あいつらひどいわよ。寄って、たかって君を殴るんだから。ほんと野蛮よ。」
やっと意識がはっきりした。声の主もすぐに分かった。彼女の名前は緑川香菜。幼いころから同じ道場に通う仲だが、あんまり話したことは無かった。それが僕を慰めるということは、今の僕の姿は、本当に惨めなんだろうか・・・。
「手ぬぐい、川で冷やしてきたから、痛みが引いてきたら、傷を冷やしてね。」
彼女はそういって手ぬぐいを渡してくれた。
「あ、ありがとう。」
彼女はニッコリ笑って
「もう、またしょぼくれた顔してる。よくないよ、そんな顔しちゃ!」
彼女の笑顔を見たら、少しだけ元気が出た。そのお蔭で、起き上がって、帰ることができた。彼女も一緒に帰ってくれた。
「もう、あの暴漢どもを追っ払うのとっても大変だったんだから。感謝してよね。」
「え、君一人で追っ払ったの?」
「当然よ。群れると強くなる奴らってね、本当はとっても弱いのよ。ちょいちょいとやったら、皆逃げて行ったわ。」
「すごいなあ。やっぱり師匠に一目置かれているだけのことはあるね。」
「当たり前よ。あなた一人守るなんて安いもんだわ。」
「そうか・・・。女の子に守られるなんて、僕は弱いな・・・。」
彼女は首を勢いよく首を横に振った。
「そんなことないよ。人を守るのに、男も女もないでしょ!助けられるときに助けてさ。助けられるときは、甘えちゃえばいいのよ!」
「そうか・・・。そうだね。」
「それに、君がいつも堅の良い男子に立向かって竹刀を振るう姿をいつも見てるよ。私は一番それがカッコいいと思う。」
「・・・。どうして?」
「どんな困難にも立向かっているから。そのために努力もしてる。」
「でも僕は弱いよ・・・。」
「自分が弱いと自覚してる人ほど、強いのよ。」
香菜と出会わなかったら、帰り道を薄ら照らす夕日も、綺麗だとは思わなかっただろう。お盆も終わった薄らと涼しい季節に、僕たちは仲良くなった。
②「そうなのです。会長は、記憶に囚われているのですよ。」
私の主治医である萩原医師は、おかしなことを言う。
「記憶に囚われている?何を言っているんだ。記憶が蘇るなど、誰にでもあるじゃないか。」
「それはそうです。しかし、貴方は今まで私のところに問診することは滅多になかった。しかし、ここ最近ひっきりなしです。」
そういえば、そうかもしれない。精神科である萩原医師には、もう、25年診てもらっているが、1年に1回診てもらうか、もらわないかしかなかった。
「そういえば、そうだ。何故だろう?」
萩原医師は、静かに語る。
「あなたのような世代の人は皆そうです。子供のころから、世間や社会に振り回されて、自分を振り返り、顧みた経験が少ないのですよ。この半世紀で、歴史上とてつもない社会変動が起こり、若いころからその渦中に飛び込みざるおえなかった。そうして、大体の社会的責任を終えて、高齢になり、様々なトラウマや記憶が蘇る。こういった人たちを私は何人も見ているのですよ。」
そうか、思ってみれば、そうかもしれない。
「でも、それは良い傾向です。自分の過去を振り返り、場合によっては精算する。心を癒すには、またとない薬となります。」
「・・・しかし、私の意志とは無関係に記憶が蘇るのだ。それに、決して気持ちいものでばかりではないのだが・・・。」
萩原医師は、少し思慮した後、静かにこう言った。
「とにかく。今は様子をみましょう。大丈夫。本当に思い出したくない記憶から、人は逃げられるようにできていますから。」
私は、幾何の不安を抱えながらも、萩原医師の言葉に勇気づけられた。外はもう暗くなっている。社長の座を譲ってから、外の景色の変化に目を向ける機会が多くなった。
「それでは、お気をつけて。」
ぼんやり浮かぶ照明に照らされながら、萩原医師の診断は終わった・・・。




