第8話 再び立ち上がる力2
夜の帳が下りる頃、
七海と坂井は、それぞれ温かいラテを手に、カフェを出て近くの公園へと向かった
二人は木製のベンチに腰掛けた。七海は温かいカップの側面に手を添え、時折横目で坂井の様子を窺っていたが、急かすことなく、坂井が自ら口を開くのを静かに待っていた
長い沈黙の後、コーヒーを持つ坂井の手が微かに震え、絞り出すような声で呟いた
「実は……妹が昨日、突然の停電のせいで……交通事故に遭ったんだ。今も病室で眠っている。」」
七海の瞳が微かに揺れ、真摯な同情の色が浮かんだ。「大変だったわね……」
「……この世界に、もう意味なんてないような気がした。」坂井は目元に込み上げる涙を必死に堪え、声を震わせた。「今まで私がやってきたことのすべては、妹に不自由のない暮らしをさせるためだった。なのに……今の私に、一体何ができるっていうんだ?」
七海はそっと手を伸ばし、坂井の肩へ優しく、しかし確かな力強さで添えた。
「私のせいだ……私さえあんなことをしなければ……」自責と後悔の念が、怒涛のように坂井を呑み込んでいく。
「そんな風に思わないで。」七海は彼の言葉を静かに遮った。その声は限りなく優しかった。「絶対に、あなたのせいなんかじゃないわ。」
「じゃあどうしてこんなことになったんだよ?!」坂井の感情が一気に爆発した。「もしあの時、私が学校へ迎えに行っていれば……私が別の選択をしていれば……!」
七海は反論することなく、ただ静かに彼の隣に寄り添い、坂井の言葉を遮ることなく、ただ静かに耳を傾けていた。
坂井は振り向き、絶望と迷いに満ちた瞳で七海を見つめた。「七海……教えてくれ、私は一体どうすればいい? 私は……これからどうすればいいんだ……?」
目の前で苦しむ坂井を見つめ、七海の瞳は深沈として穏やかだった。彼女は少しの間沈黙した後、静かに語りかけた。
「私ね……幼い頃に両親を亡くしているの。。だから、あなたの悲しみは私にとって遠いものじゃない。今あなたがどれほど苦しいか、よく分かるわ。私の前で無理に強がらなくていいの……泣きたい時は、泣いていいんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、坂井は歯を食いしばっていたが、やがて堰を切ったように涙を流した。彼は深く頭を垂れ、長い間しゃくりあげながら沈黙の中に沈んでいった。
七海は多くを語らず、ただ静かに彼の傍らに寄り添い続けた。
しばらくして、坂井は漸く顔を上げ、袖口で涙を拭うと、七海に向かって深く頷いた。「ありがとう……七海。」
七海は温かい微笑みを浮かべ、穏やかに背中を押した。「辛いのは重々分かってる。でも、私たちは顔を上げて前に進まなきゃいけないの。私はあなたを信じてるわ、坂井。」
二人は立ち上がり、公園をあとにした。交差点での別れ際、坂井は今日、話を聞いてくれたことへの感謝を込めて七海に深く一礼し、一人静かに家路へとつき始めた。
「あの……!」坂井の背中を見つめていた七海が、突然声を張り上げた。
坂井は困惑した様子で振り返った。
七海は少し決まり悪そうに手をこすり合わせ、視線を泳がせながら苦笑した。「連、連絡先……交換しない? これから何か困ったこととか、落ち込むことがあったら、いつでも話を聞くから……正直私、友達って呼べる人があんまりいなくてさ。」
坂井は一瞬呆気にとられたが、その口元に久しぶりの微かな笑みが浮かんだ。「もちろんだよ……私も、友達なんてほとんどいないから。」
二人は互いに連絡先を交換し、お辞儀を交わして別れた。
坂井は一人、自宅のアパートの下まで辿り着いた。しかし、玄関前には見覚えのある人影が立っていた。
「橋本? なんでこんな所にいるんだ?」
壁に背を預けていた橋本は腕を組み、口元にからかうような笑みを浮かべた。「七海ちゃんとのデートはどうだったかしら?」
「な……?!なんで知ってるんだよ!それにデートじゃない!」坂井は慌てたように声を上げた。
「病院にいた時より、ずいぶん元気を取り戻したみたいじゃない。」橋本はくすりと笑うと、背を向けて自らアパートのドアを開け、中へと入っていった。
坂井はその場に立ち尽くした。「ちょ……ちょっと待て! なんで開けられるんだよ!?」
「リラックスしなさいよ、鍵を掛けずに出て行ったのはあんたでしょ。」橋本は手をひらひらさせ、まるで自分の家であるかのように手慣れた足取りでリビングに上がり、腰を下ろした。
坂井が後を追って入ってくると、室内の空気は再び重く沈み込んだ。橋本は笑みを消し、真剣な眼差しで彼を見つめた。「それで、あんたはこのまま諦めるつもり?」
坂井は下を向いたまま、冷ややかな自嘲を込めて呟いた。「私に何ができるっていうんだ? もう戦う理由すら残っていないのに。」
「本当にないと言い切れるかしら?」橋本は片眉を跳ね上げた。
坂井は不快そうに舌打ちをした。「仮にジャック一家を倒したとして、私に何の得がある? 私の無謀な行動のせいで妹は重傷を負ったんだ……これ以上、私のせいでどれだけの無辜の人間が傷つくことになるんだよ!?」
その言葉を聞いた橋本は、一転して低く笑い声を漏らした。
「何の得があるか、ね……ふふっ、坂井、あんた不思議に思わなかったの?」橋本は目を細め、声を低く潜めた。「あんたの妹は一週間も高級集中治療室に入院しているのよ。なのに病院側から一度だって請求書を突きつけられたこともなければ、保証金の督促すら受けていない。一切疑問に思わなかったわけ?」
坂井の思考が停止した。彼は弾かれたように顔を上げ、ここ数日の出来事を高速で脳裏に巡らせた——そうだ! 病院の看護師から医療費の話をされたことなど一度もなかった!
「妹が傷ついたから戦う理由を失った、とでも思っていたの?」橋本は立ち上がり、坂井の目の前まで歩み寄ると、その瞳に鋭い光を宿らせた。「違うわ……真逆よ。教えてあげる。この物語はね……今まさに始まったばかりなのよ。」
橋本は坂井の肩をポンと叩き、意味深な言葉を残した。
「明日の朝、いつもの場所で会いましょう。」
翌朝。
坂井は一刻の猶予も惜しむように、市立総合病院の受付へ駆け込んだ。
「すみません! 妹の『桜』の入院費や治療費について確認したいのですが……!」坂井は息を切らしながら問いかけた。
「少々おまちください。」受付の看護師はパソコンのキーを叩き、やがて顔を上げて丁寧なお辞儀をした。「坂井様、桜様の手術費、入院費、集中治療室での治療費、および今後の経過観察にかかる費用まで、すでに全額のお支払いが済んでおります。。お客様がお支払いいただく費用は一切ございません。」
看護師の言葉を聞き、坂井は言葉を失った。
巨大な謎と、隠されていた真実が脳内で爆発的に弾けた!
彼は迷うことなく身を翻し、持てる限りの速度で橋本の秘密基地へと走った。
基地の中、キーボードを叩く音が止まった。橋本は入口で肩を上下させる坂井を振り返り、口元を微かに持ち上げた。「来たわね。システムのアップデートは完了したわ。これで次のアクションに移れる。」
橋本が画面をタップすると、マップの上に赤く明滅する正確な座標が表示された。
「次のターゲットは——ここよ。。」




