第1話 潮時と祝杯(前編)
本日二話目をお届けいたします。
この話からご覧いただいているお方は、第一話 プロローグからご覧いただければ幸いです。
クルドの街――冒険者ギルド併設の訓練場。
剣と剣がぶつかる乾いた音が絶え間なく響き、クランのメンバーをはじめ、腕試しをする冒険者たちがそれぞれの区画で汗を流している。
掛け声と足音が入り混じり、石畳の床には練習時についた傷跡が幾重にも刻まれていた。
熱気と砂埃が混じる中、誰もが己の課題に集中している。
「――で、話ってのは何ですか」
木剣を肩に担いだまま、ライアン・ローデンが振り返る。
短く刈った黒髪。
鍛え上げられた長身。
額にはうっすらと汗が浮かび、その灰色の瞳は鋭く周囲を見渡している。
立っているだけで、周囲の空気が自然と締まる。
その顔はもう、“少年”ではなかった。
けれど――
ケイトから見れば、いつまでもはなたれ小僧のガキのままだ。
――決して口にはしないけどな……
「大した話じゃないさ」
壁に寄りかかりながら、ケイトは肩をすくめる。
漆黒の長い髪を首の後ろで無造作に束ね、切れ長の緑の瞳で訓練場を静かに見渡していた。
日に焼けた肌には、長年の戦いを刻んだ細かな古傷がいくつも残り、細身ながら引き締まった身体には一切の隙がない。
ただ立っているだけで、歴戦の冒険者だと分かる――そんな独特の圧があった。
そんな彼女は腕を組んだまま、軽く顎で示す。
「とりあえず…その稽古、終わらせな。どうせ長くなる」
「……最初からそう言ってくださいよ」
苦笑しながらも、ライアンは相手に合図を送る。
構え直した相手が踏み込み、ライアンもそれを迎え撃つ。
乾いた剣戟が二、三度響いたかと思えば、もう勝負は決していた。
なんだかんだ言っても、数手で勝負を決めるあたり、さすがはクラン〈翼〉の代表だ。
その様子を眺めながら、ケイトは小さく息を吐いた。
訓練場に響く打撃音や掛け声の中でも、ライアンの動きだけは妙に落ち着いて見えた。
無駄な踏み込みが減り、攻防の切り替えも滑らかになっている。
以前のような迷いの癖も、もうほとんど残っていない。
――いい育ち方をした。
技も判断も、かつて自分が口を挟まなければならなかった頃とは違う。
今ではもう、細かく指示を出す必要もほとんどない。
それが、少し誇らしくて――同時に、胸の奥にわずかな空白を残す。
「それで……?」
稽古を終えたライアンが、汗を拭いながらこちらへ歩み寄ってきた。
戦い終わりの呼吸のまま、まだ完全には気が抜けていない様子だった。
「話ってのは……?」
その問いに、ケイトは一拍だけ間を置き、あまりにも簡単に核心を落とした。
「クランを抜けるよ」
――空気が変わったのが分かった。
訓練場では、まだ稽古の途中だった隊員たちが何人か動きを止めていた。
剣を振る手が中途半端な位置で止まり、視線だけがこちらへと集まっている。
それまで響いていた打撃音や掛け声が、断続的に途切れ、妙に間延びした静けさが広がっていた。
(あいや〜、一気に注目集めたな)
視線を上げると、ライアンがこちらを見ていた。
表情が固まり、言葉を探すように揺れている。
「……冗談、ですよね」
「こんなこと冗談で言うほど、悪趣味じゃねーよ?」
呆然としていたライアンの視線が、次の瞬間には鋭く変わる。
だが、ケイトはその圧を真正面から受けても、肩をすくめるだけだった。
「そろそろ潮時だよ」
どこか乾いた声だった。
「お局がいつまでも居座るもんじゃない。今はまだ“煙たい”で済んでるが、そのうち“邪魔”になる」
「そんなこと、誰も――」
最後まで言わせず、ケイトが言葉を重ねた。
「思ってるさ」
迷いも間もない呆気ない即答だった。
「口に出さないだけでな」
口先だけの姦しい奴なんてどこにでもいる――
沈黙が落ちる――
ライアンの喉が一度動き、言葉を探すように視線が揺れた。だが、うまく形にならない。
「昔なら気にもしなかったけどな。跳ね除けて、黙らせて、それで終わりだった」
軽く笑うその声には、かつての覇気の名残がある。
「……でももう、そういう気力も体力もない」
それは冗談ではなく、ただ事実を並べたような静かな声音だった。
「設立のときの連中も、もう……いないしな」
ぽつりと落とした言葉に、ライアンは完全に言葉を失う。
空気が重く沈む。誰も割って入れないまま、時間だけが流れていく。
「……だから、もう…終わりだ」
ケイトはそう結論づけるように言った。
「お前ももう一人前だ。いや、とっくにだな……」
短く視線を向ける。
「もっと、もっと、いいクランにしてくれよな――〈翼〉を………」
言い終える前から、それが別れの言葉だと分かるほどには、ケイトの声は静かだった。重さも押しつけもなく、ただ事実だけを置いていくような響きだった。
「……嫌です」
低く、しかしはっきりとした声だった。
「勝手に決めないでください」
「勝手でも何でもないさ。あたしの進退だ」
「なら、なおさらだ――」
ライアンが一歩踏み込む。距離がわずかに詰まる。
「あなたがいなくなったら、〈翼〉は――」
「困りゃしないさ!」
言葉を被せるように、ケイトは断言した。
「困りゃしない、お前がいるだろ。それで十分だ」
「……!」
言い返す言葉が見つからない。
言い返そうとしても、喉のところで言葉が止まる。
(期待されている……)
ライアンの胸の奥に、それが当然のことのように沈んでいく。
それが分かっていて、ケイトはわざと軽く笑った。
「心配すんな。消えて無くなるわけじゃない」
手をひらひらと振る。
「……まあ、この機会に、ちょっと故郷に顔を出してくるつもりだけどな。イプザの町で妹が家を継いでるからさ」
「……どれくらいで戻るんですか」
――少し弱い声。
「さあな。半年くらいか…な」
「半年……」
「その頃には落ち着いて、あたしがいなくてもちゃんと回ってるさ」
そう言って、背を向ける。
「じゃあな、ライアン」
「待ってください!」
呼び止める声――
ケイトは振り返らない。
「……ちゃんと、戻ってきますよね」
一瞬だけ、足が止まる。
だがすぐに――
「……気が向いたらな」
軽く手を振って、そのまま歩き出した。
振り返らない――
振り返れば、おそらく――少しだけ面倒なことになる。そんな予感があった。
(……もう、十分だろ)
胸の内で、そう静かに呟く。
やるべきことはやった。残すべきものは、きちんと残してきたはずだ。
だからもう、ここからは静かに退くべきだろう。
――そう思っていた。
自宅に戻る。
クルドの街はずれの一角。
長年使い続けてきた、少し古びた家。
扉を開けると、いつも通りの空気。
「……」
静かだ――
使い慣れた椅子。壁に残る細かな傷……
剣を立てかける位置も、荷の置き場も、何一つ変わらない。
変わっていないのに――
「……ま、いいか」
ぽつりと呟く――
棚から荷袋を引っ張り出し、必要なものを詰めていく。
着替え。保存食。道具。
――そして、愛用の大剣。
柄に触れた瞬間、自然と力が入る。
重みも、癖も、すべて身体が覚えている。
「……こいつが唯一のお供か……」
軽く振ってみて、そのまま背に収める。
……ふと、手が止まる。
棚の奥。埃をかぶりかけた一枚の板――魔導写真。
二十年前のクラン〈翼〉設立当時のものだ。
まだ六つの子供だったライアン。
無駄に勢いだけあった連中。
そして、今より少しだけ若い――二十歳そこそこだった自分。
「……」
しばらく、それを眺める。
「……ずいぶん、いなくなったな」
誰に聞かせるでもなく呟いて……手に取る。
――少しだけ迷って。
「……いや」
そっと、元の場所に戻した。
代わりに、軽く埃を払う。
ほんの少しだけ、見やすい位置に立てかけ直す。
それだけだ――
それ以上は……しない。
「……戻るつもりだしな」
言い訳みたいに小さく呟いて、荷を背負う。
――扉へ向かう。
一瞬だけ、振り返る。
整えたばかりの部屋と、魔導写真。
「……じゃあな、行ってくる」
誰にともなくそう言って、扉を閉めた。
本日、あと一話お届けします。
……明日以降も毎日アップします。




