第32話:アルトの正体開示
夜は、深かった。
人の気配はなく。
灯りもまばらで。
世界は、静かに沈んでいる。
「……」
中庭の端。
昼とは違う顔を見せる場所。
影が濃く、境界が曖昧になる。
——その中にいる。
アルト。
変わらず。
何も持たず。
ただ、そこにいる。
「……来ましたのね」
自分から来た。
理由は、はっきりしている。
聞かなければならないから。
避けてはいけないから。
「はい」
短い返答。
それ以上は、続かない。
沈黙が落ちる。
だが。
今回は、それで終わらせない。
「……あなたは」
息を整える。
言葉を選ぶ。
逃げないように。
「何を、知っていますの?」
核心。
遠回しにせず、ぶつける。
「……」
アルトは、少しだけ目を伏せる。
考えている。
どう言うべきかを。
そして。
ゆっくりと、口を開く。
「全部、ではありません」
曖昧な入り。
だが。
その先は、曖昧ではなかった。
「ただ」
視線が上がる。
こちらを見る。
まっすぐに。
「違っていることは、分かります」
「……違っている?」
問い返す。
確認するように。
アルトは、頷く。
「はい」
そして。
静かに、言葉を重ねる。
「全部同じに見えて」
「一度も同じじゃなかった」
空気が、止まる。
理解は、できる。
だが。
受け入れられない。
そんな言葉。
「……そんなはずは」
否定が、口をつく。
反射的に。
だが。
続かない。
思い当たるから。
ズレ。
違和感。
再現されない現実。
「……」
言葉を失う。
その隙間に。
アルトが続ける。
「最初は、小さい違いでした」
「言葉の順番とか」
「視線の動きとか」
「誰も気にしない程度の」
淡々と。
感情を乗せずに。
だが。
確実に積み上げるように。
「でも」
一拍。
間を置く。
「戻るたびに」
「増えていった」
静かな断言。
逃げ場のない事実。
「……」
息が、浅くなる。
心臓が、重く打つ。
分かっている。
もう、否定できない。
それでも——
「……それは」
かろうじて、言葉を絞り出す。
「修正、ではありませんの?」
最後の確認。
最後の逃げ道。
アルトは、迷いなく首を振る。
「違います」
即答。
そして。
決定的な言葉を、落とす。
「あなたは戻ってるつもりで」
「毎回、別の世界を壊してる」
その瞬間。
思考が、止まる。
「……」
理解が、拒絶する。
受け入れられない。
そんなはずがない。
そんなこと、あり得ない。
——そう思いたい。
だが。
言葉は、続く。
容赦なく。
「同じじゃないなら」
「それは別です」
「別の積み重ねで」
「別の結果で」
「別の世界です」
一つ一つ。
切り分けるように。
逃げ道を、潰していく。
「……」
膝が、わずかに揺れる。
立っているのが、辛くなる。
今までのすべてが。
揺らぐ。
否定される。
「……そんな」
声が、震える。
初めて。
明確に。
崩れる。
「……では、私は」
言葉が、途切れる。
続けるのが、怖い。
だが。
止められない。
「……何を、していたのですの?」
問い。
答えが欲しくて。
だが。
聞きたくない問い。
「……」
アルトは、少しだけ目を伏せる。
そして。
静かに言う。
「選び直していた、んだと思います」
一瞬、救いのある言い方。
だが。
すぐに、続く。
「そのたびに」
「前の選択を」
「なかったことにしながら」
——終わる。
完全に。
「……」
息が、詰まる。
なかったこと。
消したつもりの選択。
失敗した結果。
やり直した世界。
そのすべてが——
“存在していた”。
「……」
頭の中に、浮かぶ。
過去。
何度も繰り返した場面。
笑顔。
言葉。
選択。
そして。
消したはずの結末。
——消えていない。
ただ。
“置き去りにされただけ”。
「……」
視界が、揺れる。
足元が、不安定になる。
これは。
救済ではなかった。
やり直しではなかった。
ただの——
消費。
「……」
小さく、息を吐く。
否定できない。
もう。
すべてが繋がってしまったから。
「……」
かすれた声で、呟く。
自分に向けて。
確認するように。
「……全部、本物だった?」
問い。
だが。
答えは、すでに出ている。
アルトは、静かに頷く。
「はい」
それだけ。
それだけで——
十分だった。
「……」
崩れる。
内側から。
音もなく。
積み上げてきたものが。
すべて。
意味を変える。
「……」
手を握る。
震えが、止まらない。
今まで。
正しいと思っていたもの。
最適だと思っていた選択。
それが——
“壊していた”行為だったとしたら。
「……」
息が、乱れる。
だが。
逃げない。
もう、逃げられない。
「……」
ゆっくりと、顔を上げる。
アルトを見る。
変わらない存在。
だが。
今は、はっきりと分かる。
この人だけが。
“覚えている”。
このズレを。
この違いを。
この現実を。
「……あなたは」
小さく、問う。
最後の確認。
「どうして、分かるのですの?」
アルトは、少しだけ間を置く。
そして。
簡単に答えた。
「消えないからです」
「違和感が」
「ずっと、残っていた」
それだけ。
特別な力ではない。
ただ。
“忘れなかった”。
それだけ。
「……」
沈黙が落ちる。
深く。
重く。
逃げ場のない形で。
その中で。
ひとつだけ、はっきりする。
もう。
戻れない。
戻ってはいけない。
これは。
やり直しではなかった。
最初から。
ずっと——
別の世界を、積み重ねていただけだった。
「……」
夜が、深くなる。
静かなまま。
だが。
確実に、何かが終わった。
そして。
何かが、始まろうとしている。
(第32話 終)




