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配分国家ニッポン【その①】 ――ミサイルより恐ろしい “静かなる危機”

✦配分国家ニッポン【その①】


――ミサイルより恐ろしい

 “静かなる危機”。

 戦時配給、コロナ、ウクライナ、

 ベネズエラ、ホルムズ海峡。

 そしてAIの順番待ちまで見抜いた、

 六十七歳の元証券マンが

 Z世代に残した最後の非常口――


………


本当の恐怖は、

空から爆弾が降ることじゃない。


スーパーの棚に商品は並んでいる。


スマホはつながる。


AIは即答する。


銀行アプリの残高も、

昨日と同じように

数字を光らせている。


それでも、

ある朝ふと、

胸の奥がきゅっと縮む。


「俺……本当に、

 自由に選んで買えているのか?」


ガソリン。


電気。


薬。


食パン一斤。


AIの計算力。


飛行機の座席。


病院の手術の順番。


そして、

君の未来。


それら全部が、

誰かの巨大な表の中で、

静かに優先順位を

つけられ始めていた。


日本は沈没していない。


スーパーも空っぽではない。


電気も完全には止まっていない。


ただ、

自由市場の仮面をかぶったまま、

配分国家へと

静かに変貌を遂げていた。


そして、

その異変に最初に気づいたのは、

テレビの専門家でも、

霞が関の官僚でも、

AI企業の社長でもなかった。


朝のスーパーで、

卵パックを手に取った、

六十七歳の元証券マンだった。


彼の名は、

黒崎隆一。


かつて兜町で数字を追い、

顧客の顔色を読み、

相場の匂いを嗅いで生きてきた男。


今は、

少しとぼけたじいさんに見える。


だが、

その目だけは、

まだ死んでいなかった。


なぜなら彼は、

棚の奥に、

歴史の幽霊を見ていたからだ。


………


★目次


■第一章

 卵パックの中に、

 戦時配給の幽霊がいた


■第二章

 コロナは、

 配分国家の最終リハーサルだった


■第三章

 ウクライナの炎が、

 日本の暖房を奪う日


■第四章

 ベネズエラの黒い海が、

 制裁の檻に沈む


■第五章

 ホルムズ海峡が息を止めた夜、

 ツナマヨが消えた


■第六章

 サハリン2

 ――北の最後の酸素ボンベ


■第七章

 商社マンは、

 名刺を握りしめた徴兵兵だった


■第八章

 352兆ドルの借金が、

 君の給料を食い始める


■第九章

 AIは雲じゃない。

 水を飲み、電気を貪る鉄の怪物だ


■第十章

 歌声までナフサになった瞬間


■第十一章

 AI小説家は、

 人生の“原盤”で勝負する


■第十二章

 同じ棚の前で、

 僕だけ“空白”を見ていた


■第十三章

 八十歳の自分が、

 六十七歳の俺を詰問する


■第十四章

 百軒ばあさんの昭和地図が、

 令和に引き裂かれる


■第十五章

 Z世代、

 AIを杖に壊れた世界を疾走する


■最終章

 日本は沈没しなかった。

 ただ配分表に名前を刻まれた


………


■第一章

 卵パックの中に、

 戦時配給の幽霊がいた


朝のスーパー。


黒崎隆一は、

卵パックを手に取った瞬間、

指先を止めた。


十個入り。


透明なふた。


白く並んだ卵。


値段は、

以前より確かに高い。


だが、

隆一が見ていたのは、

値札ではなかった。


透明なふたの向こうに、

別の景色が見えていた。


ナフサの匂い。


タンカーの汽笛。


制裁の鉄の鎖。


港湾労働者の汗。


冷蔵トラックの残燃料。


包装工場の電気代。


そして、

スーパーのバックヤードで、

黙って棚を埋める店員の

疲れた背中。


「また卵で難しい顔してるの?」


妻の美代子の声が、

遠くから聞こえた。


隆一は、

卵パックを

目の高さまで持ち上げた。


「卵じゃない」


「は?」


「これは、

 文明がここまで届いた

 最後の証拠じゃ」


美代子は、

完全に聞き慣れた顔で

ため息をついた。


「朝からまた始まった」


だが、

隆一の頭の中では、

もう一つの映像が走っていた。


昭和十五年。


砂糖とマッチ。


切符制。


米穀通帳。


配給所の前に並ぶ人々。


町内会。


隣組。


「今日は米が来るのか」


「砂糖は何グラムか」


「子どもの分は足りるのか」


人々は財布を握っていた。


だが、

財布だけでは買えなかった。


必要だったのは、

金ではない。


切符だった。


通帳だった。


順番だった。


隆一は、

卵パックを見つめながら、

小さく言った。


「昔の人は知っとったんじゃ」


「何を?」


「物は、

 店に並んでいるから

 買えるんじゃない。

 国が、船が、工場が、燃料が、

 そこまで運ぶことを

 許した時だけ、

 ようやく買えるんじゃ」


美代子は、

少し黙った。


「戦争中みたいな話?」


「そうじゃ。

 でもな、美代子。

 戦争中の話は、

 昔話ではない」


隆一は、

卵パックをカゴに入れた。


「歴史はな、

 同じ服では戻ってこん。

 今度は配給切符ではなく、

 アプリの在庫表示、

 ポイントカード、

 本人確認、

 予約画面、

 抽選販売、

 AIの利用制限という顔で

 戻ってくる」


美代子は苦笑した。


「卵一つで、そこまで行く?」


隆一は、

店内を見渡した。


明るい照明。


整った棚。


流れる音楽。


親子連れの笑い声。


どこにも戦争はない。


どこにも配給所はない。


しかし隆一には、

見えていた。


この豊かさは、

薄い透明なふたの上に

乗っている。


卵パックのふた。


文明のふた。


それが割れた時、

人はまた、

お金より順番が大事な世界へ戻る。


隆一はノートに書いた。


「戦時配給は終わった。

 だが、配分という幽霊は、

 卵パックの透明なふたの中で

 眠っていた」


………


■第二章

 コロナは、

 配分国家の最終リハーサルだった


隆一の記憶は、

コロナの時代へ戻った。


マスクが消えた日。


消毒液が消えた夜。


体温計に行列ができた朝。


病床が足りなくなり、

救急車が

病院を探して街を走った時間。


ワクチンの予約サイトに、

人々が殺到した日。


「医療従事者が先です」


「高齢者が先です」


「基礎疾患のある人が先です」


「あなたの順番は、まだです」


それは、

令和の配給切符だった。


違いは、

紙ではなく画面だったこと。


配給所ではなく、

予約サイトだったこと。


隣組ではなく、

自治体のシステムだったこと。


隆一は、

当時の自分を思い出す。


スマホを持ち、

予約画面を開き、

何度も何度も更新した。


空きはない。


つながらない。


順番が来ない。


金を積んでも、

先に打てない。


病院があっても、

入れない。


薬があっても、

届かない。


医者がいても、

手が足りない。


あの時、

日本人は一度だけ、

本当のルールを見た。


平時のお金社会は、

幻想だった。


危機の本質は、

配分だった。


隆一は、

練馬に住む娘のさおりへ

電話した。


「お父さん、どうしたの?」


「さおり。

 コロナの時、

 ワクチンの予約、覚えとるか」


「覚えてるよ。

 全然つながらなかった」


「その時、

 何が大事だった?」


「え?」


「金か?」


「違うね。

 順番と予約枠」


「そうじゃ」


隆一は、

少し声を低くした。


「あれが、

 これから来る社会の

 リハーサルだったんじゃ」


「また怖いこと言う」


「怖いことじゃない。

 見方の話じゃ」


さおりは黙った。


隆一は続けた。


「これからは、

 油も、

 電気も、

 薬も、

 AIも、

 病院も、

 飛行機も、

 順番がつく」


「全部?」


「全部じゃないかもしれん。

 でも、

 大事なものから順番がつく」


電話の向こうで、

さおりのため息が聞こえた。


「お父さん。

 うち、

 子ども部屋にする予定だった

 六畳間、

 非常用の水と食料と、

 ひろしさんの就活資料で

 いっぱいなんだよ」


隆一は、

目を閉じた。


コロナの予約画面。


戦時中の配給切符。


令和の子ども部屋。


それらが、

一本の線でつながった。


隆一はノートに書いた。


「コロナは

 病気だけを

 運んできたのではない。

 配分という言葉を、

 家庭の食卓と子ども部屋まで

 運んできた」


………


■第三章

 ウクライナの炎が、

 日本の暖房を奪う日


練馬の二LDK。


さおりは、

電気料金の明細を

テーブルに置いた。


夫のひろしは、

ノートパソコンの前で

求人サイトを開いたまま、

指を動かせずにいた。


画面には、


「AI関連」


「クラウド基盤」


「データセンター運用」


「DX推進」


という言葉が並んでいる。


どれも未来っぽい。


どれも成長しそうだ。


だが、

ひろしには妙な違和感があった。


未来の仕事なのに、

自分の足元はどんどん細っていく。


さおりが言った。


「今月、電気代きついね」


ひろしは笑おうとした。


「在宅仕事だし、仕方ないよ」


「仕方ない、が増えすぎてない?」


その言葉に、

ひろしは黙った。


ウクライナの戦争は、

最初、

遠い国の炎だった。


テレビの中の戦車。


地図の中の国境。


専門家が語る軍事作戦。


SNSに流れる爆発映像。


しかし、

その炎は、

少しずつ日本の家庭に

入り込んできた。


電気代。


ガス代。


小麦。


肥料。


LNG。


ガソリン。


食パン。


パスタ。


カップ麺。


戦争は、

砲弾ではなく、

請求書の数字になって

練馬の部屋に届いた。


さおりは、

六畳の部屋を見た。


そこは本当なら、

いつか子ども部屋にする

つもりだった。


いまは、

水の箱と非常食と、

ひろしの就活資料が置かれている。


「ねえ」


「うん?」


「ここ、もう物置でいいよね」


ひろしは、

すぐに返事ができなかった。


その言葉は、

小さかった。


でも、

爆弾より重かった。


その夜、

隆一は練馬からの電話を受けた。


さおりの声は明るかった。


だが、

父親にはわかる。


明るくする人間ほど、

奥で何かを我慢している。


電話を切った隆一は、

ノートを開いた。


そして書いた。


「正義は声明で語れる。

 だが、

 暖房は声明では動かない」


次の行に、

こう足した。


「戦争は遠くで起きる。

 だが、未来を諦める声は、

 六畳間で聞こえる」


隆一は、

ペンを止めた。


ウクライナの炎は、

練馬の子ども部屋を、

静かに物置へ変えていた。


………


■第四章

 ベネズエラの黒い海が、

 制裁の檻に沈む


隆一は、

ベネズエラのニュースを

見るたびに、

妙な寒気を覚えた。


あの国には油がある。


地面の下に、

黒い海が眠っている。


だが、

油があることと、

油を売れることは違う。


そこに、

隆一の証券マン時代の感覚が

戻ってくる。


株も同じだった。


資産がある会社が、

必ず強いわけではない。


売れない資産。


換金できない資産。


担保に入っている資産。


法律で縛られた資産。


それは、

帳簿の上では宝物でも、

現実には檻になる。


ベネズエラの石油も同じだった。


油田がある。


だが、

タンカーがいる。


港がいる。


保険がいる。


銀行がいる。


決済がいる。


買い手がいる。


制裁をくぐる道がいる。


どれか一つでも詰まれば、

黒い海は商品になれない。


隆一は、

スーパーのサラダ油の棚の前で

立ち止まった。


「油はな」


隣にいた高校生の蒼太が、

怪訝そうな顔をした。


蒼太は、

百軒ばあさんの借家に住む

少年だった。


AIで宿題を調べ、

YouTubeで

退去費用の知識を学び、

大人より先に

世の中の割れ目を

見つけ始めている。


「油が、どうしたんですか?」


隆一は、

サラダ油のボトルを指さした。


「油いうんは、

 地面から出たら

 油になるんじゃない」


「え?」


「銀行と海軍と保険会社と、

 制裁の網を通って、

 初めて油になる」


蒼太は、

少しだけ目を細めた。


「つまり、

 物があるだけじゃ

 ダメってことですか?」


「そうじゃ」


隆一はうなずいた。


「出口がなければ、

 資源は資産じゃない。

 檻じゃ」


蒼太は、

スマホにメモした。


《出口を失った資源国》


隆一はそれを見て、

思わず笑った。


「お前、ええ言葉を拾うな」


蒼太は照れた。


「AIに聞いたら、

 もっとかっこよくなります」


「AIに聞くのはええ。

 だが、

 最初に気づくのはお前じゃ」


その夜、

隆一はノートに書いた。


「ベネズエラの黒い海は、

 地面の下ではなく、

 制裁の檻の中に沈んでいた」


そして、

その下にもう一行。


「日本も、

 買う金があるだけでは

 足りない時代に入った」


………


■第五章

 ホルムズ海峡が息を止めた夜、

 ツナマヨが消えた


夜のコンビニ。


隆一は、

冷えたおにぎり棚の前で

立ち尽くしていた。


ツナマヨが少ない。


最初は気のせいだと思った。


一日目。


棚の隅が少しだけ空いていた。


二日目。


別の商品が横に広げられていた。


三日目。


ツナマヨの札はあるのに、

商品が二つしかなかった。


四日目。


ツナマヨは消えた。


かわりに、

同じ昆布おにぎりが、

妙に広く並べられていた。


隣の若い店員が、

明るい声で言った。


「おじいちゃん、

 何探してるんですか?」


隆一は、

棚から目を離さなかった。


「戦争じゃ」


「は?」


「戦争が、

 ここに来とる」


店員は笑いかけた。


「いやいや、おにぎりですよ」


隆一は、

ゆっくり振り向いた。


その目が鋭かったので、

店員は笑うのをやめた。


「ホルムズ海峡が詰まった。

 ツナ缶。

 マヨネーズ。

 包装フィルム。

 トラックの軽油。

 工場の電力。

 冷蔵センター。

 全部、一本の油でつながっとる」


店員は、

少しだけ不安そうな顔をした。


「でも、他のおにぎりはありますよ」


「そこが怖い」


「え?」


「全部消えるなら、

 誰でも気づく。

 だが本当の危機は、

 種類から消える。

 選択肢から消える。

 そして人間は、

 棚が埋まっとるから大丈夫だと

 勘違いする」


隆一は、

空になったツナマヨの札を見た。


「次に消えるのは、

 君の好きな

 エナジードリンクかもしれん」


店員の顔から、

笑いが消えた。


「え、なんでですか?」


「缶。

 糖液。

 香料。

 輸送。

 電気。

 冷蔵。

 広告。

 全部、油と電気と

 物流の上に立っとる」


店員は、

自分の手元のスマホを見た。


スマホの中では、

ゲームの通知が光っていた。


何も変わっていないように見える。


だが、

棚の前に立つ老人の声だけが、

妙に現実だった。


その夜、

隆一はノートに

血を吐くように書いた。


「本当の戦争は、

 爆音ではなく、

 スーパーの棚から一つずつ、

 音もなく消えていく音で始まる」


そして最後に、

赤ペンで囲んだ。


「ツナマヨは、

 未来の警報機だった」


………


■第六章

 サハリン2――北の

 最後の酸素ボンベ


四月三日。


政府は言った。


「事実ではない」


官房長官も、

外相も、

同じ調子で否定した。


ロシアへの経済訪問団など、

事実ではない。


隆一はテレビを見ながら、

ノートに書いた。


《事実ではない》


その横に、

小さくこう足した。


《まだ言えない、

 という意味の場合あり》


美代子が言った。


「また疑ってるの?」


「疑っとるんじゃない。

 言葉の賞味期限を

 見とるんじゃ」


五週間後。


報道が出た。


政府訪ロ団。


五月下旬。


三井物産。


三菱商事。


商船三井。


経済課題を協議。


隆一は、

その企業名を見ただけで、

背中に冷たいものが走った。


これは観光旅行ではない。


友好訪問でもない。


商社。


海運。


原油。


LNG。


タンカー。


保険。


決済。


制裁。


船腹。


日本が、

燃料を買い、

運び、

通し、

怒られないようにするための

役者が、

きれいに揃っていた。


美代子が不安そうに聞いた。


「ロシアって、

 制裁してるんじゃないの?」


「しとる」


「じゃあ、なんで行くの?」


隆一は、

しばらく答えなかった。


テレビの中では、

評論家が淡々と話している。


だが、

隆一の頭の中には、

冬の病院が見えていた。


透析装置。


暖房。


救急車。


冷凍倉庫。


下水処理場。


食品工場。


物流センター。


ガソリンスタンド。


全部が、

燃料を食っている。


「人間も国もな」


隆一は、

ようやく口を開いた。


「息が苦しくなると、

 きれいごとだけでは

 呼吸できんようになる」


サハリン2。


その名は、

隆一には、

北の最後の酸素ボンベに見えた。


触れば政治的に熱い。


近づけば制裁の目が光る。


だが、

背に腹はかえられない。


隆一はノートに書いた。


「日本はロシアを

 許したのではない。

 ただ、タンクの底が見え始めた」


その一文を書いた瞬間、

隆一は自分の手が

震えていることに気づいた。


これは小説ではない。


小説にしなければ、

伝わらない現実だった。


………


■第七章

 商社マンは、

 名刺を握りしめた徴兵兵だった


東京の会議室。


大きな窓の外には、

まだ平和そうな街が広がっていた。


スーツ姿の男たちが、

資料を前に黙って座っている。


三井物産。


三菱商事。


商船三井。


その名前は、

日本経済の太い血管のような

ものだった。


政府からの打診は、

丁寧な言葉で届いた。


「役員以上でお願いしたい」


だが、

それは命令に近かった。


行けば、

制裁リスク。


行かなければ、

国家からの無言の圧力。


契約すれば、

米国の目。


契約しなければ、

日本の燃料不足。


ある商社マンは、

名刺入れを開いた。


白い名刺。


肩書。


会社名。


電話番号。


いつもと同じ名刺だった。


だが、

その日だけは違った。


その薄い紙に、

日本の冬が乗っていた。


病院の電気。


工場のボイラー。


下水処理場の重油。


コンビニ配送の軽油。


飛行機のジェット燃料。


食品包装のナフサ。


名刺は、

パスポートより重かった。


隆一は、

このニュースを読んだ時、

証券会社時代を思い出した。


顧客の前では笑顔。


支店長の前では冷静。


だが、

胃の中では、

数字が燃えている。


商社マンも同じだ。


彼らは、

「行ってまいります」と言う。


だが本当は、

国の矛盾を背負って歩いている。


隆一は書いた。


「その出張は、

 出張ではなかった。

 名刺を持った徴兵だった」


ひろしがそれを読んで言った。


「かっこいいですね」


隆一は首を振った。


「かっこよく書いたらいけん。

 これはな、

 民間企業に国

 家の胃痛を飲ませる話じゃ」


ひろしは黙った。


自分もまた、

会社で壊れた人間だった。


組織は、

いつも人間にきれいな言葉で

重荷を渡す。


「挑戦」


「成長」


「国益」


「責任」


その裏で、

誰かの胃が削られていく。


………


■第八章

 352兆ドルの借金が、

 君の給料を食い始める


世界の借金が、

三百五十二兆ドルを超えた。


日本円で約五・五京円。


数字が大きすぎて、

もはや怪獣の名前のようだった。


ひろしは笑った。


「五・五京円って、

 もう現実味ないですね」


隆一は言った。


「大きすぎる数字はな、

 人間の心を麻痺させる」


「じゃあ、

 どう考えたらいいんですか?」


隆一は、

紙に書いた。


国債。


利払い。


税金。


社会保険料。


住宅ローン。


家賃。


電気代。


給料明細。


「こうすれば見える」


ひろしの表情が変わった。


世界の借金は、

遠いニュースではない。


最後は、

若者の給料明細に貼りつく。


社会保険料として。


増税として。


物価高として。


金利として。


家賃として。


奨学金返済として。


電気代として。


国家は破産しないかもしれない。


だが、

破産しない代わりに、

若者の未来から

少しずつ回収していく。


隆一は、

百軒ばあさんの話をした。


「借金五十億円。

 金利が一%上がるだけで、

 年間利払いは五千万円増える」


ひろしが目を見開いた。


「五千万円……」


「百軒の家賃を

 一戸五千円上げても、

 月五十万円。

 年六百万円じゃ。

 ぜんぜん追いつかん」


「国家も同じってことですか?」


「そうじゃ。

 借金の怖さは元本やない。

 利息が走り出すことじゃ」


隆一はノートに書いた。


「世界は破産しなかった。

 ただ、若者の給料明細を

 少しずつ食い始めた」


ひろしは、

自分の過去の給与明細を

スマホで見た。


控除額。


税金。


社会保険料。


家賃。


通信費。


電気代。


未来は、

すでに毎月、

引き落とされていた。


【その① ここまで】

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