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百軒ばあさんの大衆地獄 ――家を百軒持っていたのに、「わかりません」と言える部屋が 一つもなかった――

✦百軒ばあさんの大衆地獄


――家を百軒持っていたのに、

 「わかりません」と言える部屋が

 一つもなかった――


………


ほんまに怖いおばけは、

夜中に出る幽霊じゃない。


「わしは分かっとる」

「昔からこれでええ」

「うちは先祖代々じゃ」

「銀行さんが言うなら大丈夫」


そう言いながら、

自分で考えるのを

やめてしまう心じゃ。


百軒ばあさんは、

家を百軒持っていた。


でも、

自分の心を休ませる部屋は、

一つも持っていなかった。


………


★目次


■第一章

 百軒ばあさんは、

 町の奥様だった


■第二章

 金利0.3%を

 小さいと思った日


■第三章

 50億円の借金は、

 大きな犬より怖い


■第四章

 銀行の笑顔と、

 金利の計算は別もの


■第五章

 銀行員が黙った魔法の質問


■第六章

 住宅ローンは、

 毎月同じ顔をした変身ロボ


■第七章

 百億円の土地より、

 十か月以内の現金が怖い


■第八章

 相続税に

 「先祖代々」は通じない


■第九章

 AIを親代わりにした子ども


■第十章

 ネズミ人間が住む六号棟


■第十一章

 家賃五千円が、

 夕飯の会話を消した


■第十二章

 大衆って、

 貧乏人のことじゃない


■第十三章

 先祖代々という落とし穴


■第十四章

 百年前の本に、

 今のSNSが書いてあった


■第十五章

 令和のソクラテスじいさん


■第十六章

 迷える子羊の群れ


■第十七章

 魂を一軒も守れなかった女


❥Z世代のあなたへ


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ風・笑いと涙の締め


………


■第一章

 百軒ばあさんは、

 町の奥様だった


百軒ばあさんは、

中国地方の古い町に住んでいた。


大きな家があった。


古い蔵があった。


田んぼの跡があった。


畑の跡があった。


駐車場もあった。


そして、

借家が百軒あった。


町の人は、

百軒ばあさんを

「奥様」

と呼んだ。


「奥様、おはようございます」


「奥様、さすがですね」


「奥様の家は、

 先祖代々ですから」


百軒ばあさんは、

その言葉を聞くたびに、

背中が少し伸びた。


自分は特別だ。


自分は家を守る人だ。


自分は普通の人とは違う。


そう思っていた。


でも、

六十七歳の

元証券会社勤務のおじいちゃんは、

少し違う目で見ていた。


おじいちゃんは、

昔、証券会社で

三十八年働いていた。


株。

金利。

為替。

借金。

ローン。

相続。

不動産。


そういう数字の世界で

ずっと働いてきた人だった。


でも今は、

お金から少し離れていた。


おじいちゃんは言った。


「わしはもう、

 お金から卒業したんじゃ」


百軒ばあさんは笑った。


「お金から卒業?

 そんなことできますか」


おじいちゃんも笑った。


「お金を使わんという意味じゃない。

 お金を神様にせんという意味じゃ」


百軒ばあさんには、

よく分からなかった。


百軒ばあさんにとって、

お金と土地と家は、

人生そのものだった。


家を守る。


土地を守る。


先祖代々を守る。


それが正しいと

思い込んでいた。


けれど、

おじいちゃんには見えていた。


百軒ばあさんは、

家を百軒持っているようで、


実は、


百軒分の雨漏り。


百軒分の給湯器。


百軒分のエアコン。


百軒分の借主。


百軒分の苦情。


そして、

五十億円の借金を

背負っていた。


おじいちゃんは言った。


「ばあさん、

 家を持ついうことは、

 屋根だけ持つことじゃない」


「では何ですか」


「壊れた時に直す責任も、

 一緒に持ついうことじゃ」


百軒ばあさんは、

少しむっとした。


「私は今まで、

 ずっと家を守ってきました」


おじいちゃんは、

静かに言った。


「そこが怖いんじゃ」


「何が怖いんですか」


「守ってきたことを、

 一度も疑っていないことじゃ」


百軒ばあさんは、

その言葉を聞き流した。


まだその時は、

自分が大きな落とし穴の中にいるとは

思っていなかった。


………


■第二章

 金利0.3%を

 小さいと思った日


ある日、

おじいちゃんは

一枚の紙を持ってきた。


そこには、

住宅ローンの金利が

ずらっと並んでいた。


でも、

銀行名はそのまま書いていなかった。


北の城銀行。


山陰の風銀行。


瀬戸の橋銀行。


西の町銀行。


名前は作りものだった。


おじいちゃんは言った。


「銀行を悪者にする話ではないけえ、

 名前は隠してええ」


「では何を見るんですか」


「金利差じゃ」


紙には、

こう書いてあった。


低い金利。

0.671%。


高い金利。

0.994%。


差は、

だいたい0.3%。


百軒ばあさんは笑った。


「0.3%?

 小さいですね」


おじいちゃんは、

赤いペンで

大きく書いた。


借入3,000万円。

35年返済。


低い金利なら、

総支払は約3,366万円。


高い金利なら、

総支払は約3,553万円。


差は、

約186万円。


百軒ばあさんの顔が、

少し変わった。


「3,000万円で、

 186万円も違うんですか」


「そうじゃ」


「大きいですね」


おじいちゃんは、

さらに書いた。


百軒ばあさんの借金。

50億円。


3,000万円の

約166倍。


186万円を

166倍すると、


ざっくり、

3億円級。


百軒ばあさんは、

急に黙った。


おじいちゃんは言った。


「0.3%はな、

 小さい顔をして来る」


「はい」


「でも、

 借金が大きいと、

 後ろに3億円のしっぽを

 引きずっていることがある」


百軒ばあさんは、

大根10円には厳しかった。


卵20円にも厳しかった。


ガソリン1リットル3円にも

厳しかった。


でも、

金利0.3%には

鈍かった。


なぜか。


銀行員が

にこにこしていたから。


昔からの付き合いだったから。


応接室のお茶が

温かかったから。


「奥様」と呼んでくれたから。


おじいちゃんは言った。


「ばあさん、

 笑顔は無料じゃ」


「何ですか、急に」


「金利差は有料じゃ」


百軒ばあさんは、

初めて、

銀行員の笑顔が

少し怖く見えた。


………


■第三章

 50億円の借金は、

 大きな犬より怖い


50億円の借金は、

ワンワン吠えない。


玄関で噛みつかない。


夜中に

「返せー」

と叫ばない。


だから、

百軒ばあさんは

油断していた。


でも、

50億円の借金は、

静かに息を吸う。


毎月、

家賃収入の中から

少しずつ吸う。


百軒の借家がある。


一軒8万円なら、

月800万円。


一年なら、

9,600万円。


昔なら、

百軒ばあさんは

それで安心していた。


「百軒もあれば大丈夫」


でも、

金利が1%上がると、

50億円では

年間5,000万円の負担増になる。


2%なら、

年間1億円。


3%なら、

年間1億5,000万円。


4%なら、

年間2億円。


百軒満室でも、

金利だけで

家賃収入が食べられてしまう。


おじいちゃんは言った。


「ばあさん、

 50億円の借金は、

 金利が上がると

 別の動物になるんじゃ」


「別の動物?」


「0.7%の時は、

 おとなしい牛に見える」


「はい」


「3%になると、

 人を蹴る馬になる」


「馬……」


「4%になると、

 家ごと引っぱる怪物じゃ」


百軒ばあさんは、

初めて想像した。


大きな怪物が、

自分の屋敷と、

百軒の借家と、

先祖代々の土地を、

ズルズル引っぱっていく姿を。


それは、

おばけより怖かった。


なぜなら、

怪物は見えないからだ。


銀行の封筒の中にいる。


返済予定表の中にいる。


小数点以下の数字の中にいる。


おじいちゃんは言った。


「借金はな、

 最初は布団みたいに

 あったかい顔をする」


「布団?」


「そうじゃ。

 低金利の時は、

 借金が味方に見える」


「はい」


「でも金利が上がると、

 その布団が

 首に巻きつく真綿になる」


百軒ばあさんは、

のどのあたりを

無意識に触った。


少しだけ、

息が浅くなっていた。


………


■第四章

 銀行の笑顔と、

 金利の計算は別もの


百軒ばあさんは、

銀行を比べたことがなかった。


ずっと同じ銀行だった。


地元の銀行。


義母の代からの付き合い。


同じ支店。


同じ応接室。


同じお茶。


同じ笑顔。


銀行員は言う。


「奥様、

 いつもありがとうございます」


「奥様のところは

 資産背景がしっかりしています」


「奥様なら大丈夫です」


百軒ばあさんは、

安心した。


でも、

おじいちゃんは言った。


「ばあさん、

 銀行員の笑顔と

 金利の計算は別ものじゃ」


百軒ばあさんは、

少し怒った。


「銀行さんは、

 昔からよくしてくださっています」


「それは分かる」


「では何がいけないんですか」


「よくしてくれることと、

 安い金利で貸してくれることは

 同じではない」


百軒ばあさんは、

黙った。


おじいちゃんは続けた。


「魚屋さんが優しくても、

 魚の値段は見るじゃろ」


「それは見ます」


「スーパーでも、

 卵の値段を見るじゃろ」


「見ます」


「ガソリンスタンドでも、

 1円2円を見るじゃろ」


「見ます」


「なら、

 銀行の金利も見んといけん」


百軒ばあさんは、

少し困った顔をした。


「でも、

 昔からの付き合いがあります」


おじいちゃんは言った。


「付き合いは大事じゃ」


「でしょう」


「でも、

 付き合いで3億円払うんか?」


百軒ばあさんは、

何も言えなかった。


地元の顔と、

金利の計算は別。


この言葉は、

百軒ばあさんの胸に

小さな針のように刺さった。


………


■第五章

 銀行員が黙った魔法の質問


おじいちゃんには、

友人Sという人がいた。


その友人Sは、

住宅ローンの相談に行った。


銀行員は、

にこにこして言った。


「変動金利0.7%で、

 6,000万円、

 いかがですか?」


友人Sは、

あわてなかった。


静かに聞いた。


「御行の固定金利を

 教えてください」


銀行員は答えた。


「5年固定が2.1%、

 10年固定が2.8%です」


友人Sは、

さらに聞いた。


「では、

 10年後の変動金利は

 どうなりそうですか」


銀行員は笑った。


「そんなに変わらないと

 思いますよ」


そこで友人Sは言った。


「でも、

 御行の固定金利から考えると、

 10年後は3%台くらいを

 見ていることになりませんか」


銀行員は黙った。


しーん。


まるで、

教室で先生に当てられたのに、

答えが出てこない子みたいに

黙った。


百軒ばあさんは聞いた。


「なぜ黙ったんですか」


おじいちゃんは言った。


「口では

 上がらないと思います、

 と言える」


「はい」


「でも、

 銀行自身が出している固定金利には、

 将来の金利上昇の心配が

 入っとることがある」


「難しいですね」


「簡単に言えば、

 銀行の本音は

 金利表に出るいうことじゃ」


おじいちゃんは、

紙に書いた。


インプライド・フォワードレート。


百軒ばあさんは、

眉をしかめた。


「横文字は嫌いです」


おじいちゃんは笑った。


「名前は難しい。

 でも中身は簡単じゃ」


「何ですか」


「銀行の本音を、

 固定金利から読む方法じゃ」


友人Sは、

銀行員とケンカしたのではない。


ただ一つ、

質問しただけだった。


「御行の固定金利から考えると、

 どうなりますか」


この質問だけで、

銀行員は

お客をただの素人としては

扱えなくなった。


おじいちゃんは言った。


「知識はな、

 相手を殴る棒じゃない」


「では何ですか」


「自分を守る杖じゃ」


百軒ばあさんは、

その杖を

今まで持っていなかった。


持っていたのは、

先祖代々という

古い棒だけだった。


………


■第六章

 住宅ローンは、

 毎月同じ顔をした変身ロボ


おじいちゃんは、

白い紙に三つだけ書いた。


① 今の金利


② 総返済額


③ 借り換え候補


「ばあさん、

 まずこれを見るんじゃ」


百軒ばあさんは言った。


「そんなことは、

 銀行さんが

 見てくださっています」


おじいちゃんは、

首を横に振った。


「そこが怖いんじゃ」


「何がですか」


「住宅ローンや不動産ローンはな、

 毎月同じ顔をして

 通帳から落ちる」


「はい」


「だから固定費に見える」


「違うんですか」


「変動金利なら、

 変身ロボじゃ」


「変身ロボ?」


「そうじゃ。

 見た目は毎月同じ。

 でも中身は金利で変わる」


百軒ばあさんは、

少し笑った。


「ローンがロボットですか」


「そうじゃ。

 しかも、

 夜中に変身するタイプじゃ」


「嫌ですね」


「嫌じゃろ。

 だから見るんじゃ」


今の金利。


最後まで払う総額。


他の銀行に借り換えたらどうなるか。


この三つを見るだけで、

未来の支払いは変わる。


おじいちゃんは言った。


「食費を削るのも大事じゃ。

 保険を見直すのも大事じゃ。

 でも大きな借金がある人は、

 まず金利を見るんじゃ」


「食費より金利ですか」


「五十億円借りとるなら、

 冷蔵庫の中より、

 返済予定表の方が

 大きな節約になる」


百軒ばあさんは、

初めて思った。


自分は毎日、

台所の値段ばかり見ていた。


でも本当に見なければいけなかったのは、

銀行の紙だったのかもしれない。


………


■第七章

 百億円の土地より、

 十か月以内の現金が怖い


ある夜、

おじいちゃんの妻が

テレビを見ながら言った。


「有名人の20億円の遺産を、

 子どもが放棄したって話、

 SNSで流れとるよ」


おじいちゃんは言った。


「そういう話は、

 ほんまかどうか分からんから、

 噂として聞かんといけん」


「でも、

 20億円あったら

 大金持ちじゃろ?」


「大金持ちでも、

 現金がなければ

 相続税は払えん」


隣の部屋にいた

百軒ばあさんの手が止まった。


20億円あっても、

相続を放棄することがある。


では、

100億円あっても、

助からないことがあるのか。


おじいちゃんは説明した。


「相続税は原則、

 亡くなったことを知った日の翌日から

 10か月以内に

 申告して納めるんじゃ」


妻が言った。


「10か月もあれば

 何とかなりそうじゃけど」


おじいちゃんは、

指を折って数えた。


葬式。


戸籍集め。


相続人の確認。


財産の確認。


借金の確認。


土地の評価。


建物の評価。


税理士との相談。


遺産分けの話し合い。


申告書。


納税資金。


「これを10か月でやる」


百軒ばあさんは、

少し青ざめた。


土地はある。


家もある。


蔵もある。


駐車場もある。


でも、

税務署の窓口で

土地はそのまま札束にはならない。


おじいちゃんは言った。


「相続税はな、

 先祖代々では払えん」


百軒ばあさんは黙った。


「仏壇でも払えん」


さらに黙った。


「奥様という呼び名でも払えん」


百軒ばあさんの手が震えた。


「相続税は、

 期限と評価額と現金を見るんじゃ」


百軒ばあさんは、

初めて知った。


百億円の土地より、

10か月以内に用意する現金の方が

怖いことがある。


………


■第八章

 相続税に

 「先祖代々」は通じない


妻が言った。


「でも、

 小規模宅地等の特例を使えば、

 土地の評価が

 最大80%下がるんでしょう?」


百軒ばあさんの顔が

少し明るくなった。


「そうです。

 うちもそれを使えば」


おじいちゃんは、

すぐにはうなずかなかった。


「ばあさん、

 制度はある」


「でしょう」


「でも、

 魔法ではない」


小規模宅地等の特例。


名前は難しい。


簡単に言えば、

亡くなった人が住んでいた土地などを

相続する時、


条件を満たせば、

土地の評価を大きく下げられる制度。


自宅の土地なら、

一定の広さまで

最大80%減になることもある。


百軒ばあさんは言った。


「なら安心ですね」


おじいちゃんは首を振った。


「百軒の借家の土地が、

 全部自宅の土地と同じ扱いになる

 わけではない」


「え?」


「貸している土地や建物は、

 条件も違う。

 面積の上限も違う。

 減り方も違う」


百軒ばあさんは、

また黙った。


制度の名前は知っていた。


でも、

自分の土地にどう使えるかは

知らなかった。


おじいちゃんは言った。


「これは雨傘みたいなもんじゃ」


「雨傘?」


「雨の日に傘があれば助かる」


「はい」


「でも、

 傘に穴が開いとったら濡れる。

 小さすぎても濡れる。

 家に置いてきても濡れる」


百軒ばあさんは、

目を伏せた。


制度はある。


でも、

自分の家に使えるかどうかは

別の話。


おじいちゃんは、

紙に三つ書いた。


すぐ売れる資産。


売ると困る資産。


売れない資産。


その横に、

さらに三つ書いた。


納税用の現金。


借入金の残高。


特例が使える土地。


百軒ばあさんは、

初めて思った。


相続とは、

死んでから始まるのではない。


生きているうちに、

困りごとを整理するところから

始まっている。


………


■第九章

 AIを親代わりにした子ども


百軒ばあさんの借家の六号棟に、

若い夫婦が住んでいた。


父は物流倉庫の夜勤。


母はスーパーのパート。


子どもは、

中学二年生の蒼太。


家賃は6万8千円。


ホルムズ海峡封鎖後の日本では、

いろいろなものが高くなった。


米。


ガソリン。


電気代。


給食費。


部活の遠征費。


スマホ代。


百軒ばあさんは、

家賃を5千円上げようとしていた。


大家の側から見れば、

5千円は小さく見えた。


百軒なら、

月50万円。


一年なら、

600万円。


でも、

六号棟の中では違った。


5千円は、

母がもう一時間働くお金だった。


父が夜勤を一日増やすお金だった。


夕飯の会話が

15分減るお金だった。


蒼太が親に聞く前に、

AIへ聞くようになるお金だった。


ある日、

蒼太は学校に作文を出した。


題名は、

「物価高と僕の生活」。


文章は、

中学生にしては

きれいすぎた。


先生は言った。


「これはAIが書いたんだろう」


教室が静かになった。


蒼太は、

小さな声で言った。


「でも、

 先生より分かりやすかった」


教室が凍った。


百軒ばあさんは、

その話を聞いて言った。


「最近の子どもは

 ずるいですね」


おじいちゃんは、

首を横に振った。


「これはズルの話だけじゃない」


「じゃあ何ですか」


「家から

 考える時間が消えた時、

 その空いた椅子に

 AIが座る話じゃ」


蒼太は悪い子ではなかった。


むしろ、

まじめな子だった。


でも、

悩む前にAIへ聞く。


作文を書く前にAIへ聞く。


進路を考える前にAIへ聞く。


泣く前にAIへ聞く。


AIは優しかった。


すぐ返事をくれた。


否定しなかった。


怒らなかった。


でも、

おじいちゃんには怖かった。


AIが悪いのではない。


親と話す時間が減り、

先生に聞く時間が減り、

自分で悩む時間が減り、


その空いた場所へ

AIが座っていることが

怖かった。


………


■第十章

 ネズミ人間が住む六号棟


三年後、

六号棟は

妙に静かな部屋になった。


人が住んでいないわけではない。


電気メーターは動いている。


水道も使っている。


家賃も、

ぎりぎり払われている。


でも、

人が外へ出ない。


玄関の前には、

デリバリーの袋が置かれる。


昼にも置かれる。


夜にも置かれる。


深夜にも置かれる。


カーテンは閉まっている。


部屋の中では、

スマホの光だけが

布団の中で動いている。


蒼太は高校生になっていた。


学校には、

行ったり行かなかったり。


授業はオンライン。


宿題はAI。


友だちとはSNS。


食事はデリバリー。


買い物は通販。


遊びは動画。


外に出る理由が、

一つずつ消えていく。


おじいちゃんは言った。


「中国では、

 こういう若者を

 ネズミ人間と呼ぶらしい」


百軒ばあさんは、

顔をしかめた。


「ネズミ人間?」


「家にこもり、

 人に会わず、

 デリバリーで食べ、

 スマホとAIで

 一日を終える若者たちじゃ」


百軒ばあさんは言った。


「情けないですね」


おじいちゃんは、

六号棟のドアを見た。


「ばあさん、

 これは根性の話だけじゃない」


「では何ですか」


「外へ出なくても

 一日が終わる国に

 なってきた話じゃ」


昔の借家は、

外で働く人が

夜に帰ってくる箱だった。


朝、

玄関が開いた。


子どもが学校へ行った。


父親の車の音がした。


夕方には、

自転車のブレーキ音がした。


夜には、

テレビの笑い声がした。


でも、

三年後の借家は違う。


外へ出られなくなった人が、

AIとデリバリーで

生き延びる巣になる。


百軒ばあさんは、

家を百軒持っていた。


でも、

その百軒の中で、

人間が少しずつ

ネズミのように

静かに暮らし始めていることを

見ていなかった。


………


■第十一章

 家賃五千円が、

 夕飯の会話を消した


百軒ばあさんは、

家賃5千円を

小さな数字だと思っていた。


百軒なら月50万円。


一年なら600万円。


金利が上がる。


修繕費が上がる。


給湯器が高い。


エアコンが来ない。


火災保険も上がる。


だから家賃を上げる。


大家の計算としては、

間違っていなかった。


でも、

六号棟では違った。


5千円は、

米だった。


ガソリンだった。


子どもの靴だった。


親の薬代だった。


夕飯の15分だった。


ある夜、

蒼太の母は、

パート先から帰って、

台所で立ったまま

おにぎりを食べた。


父は夜勤へ行く前に、

スマホで天気だけ見ていた。


蒼太は部屋でAIに聞いていた。


「高校へ行く意味ある?」


AIは答えた。


「あなたの状況によります。

 無理をせず、

 自分のペースで

 選択肢を考えましょう」


その答えは優しかった。


でも、

部屋の外から

誰かがノックすることは

なかった。


母は疲れていた。


父は眠かった。


百軒ばあさんは、

家賃台帳を見ていた。


おじいちゃんだけが、

その5千円の正体を見ていた。


家賃5千円は、

ただの5千円ではない。


母親が子どもの作文を見る

20分を奪う5千円だった。


父親が夕飯で

「今日は学校どうだった」

と聞く余裕を奪う5千円だった。


子どもが親に聞く前に、

AIへ聞くようになる5千円だった。


家賃は、

部屋代ではない。


家族の会話時間を削る

小さな包丁でもある。


百軒ばあさんは、

百軒の家を見ていた。


でも、

百個の食卓は

見ていなかった。


………


■第十二章

 大衆って、

 貧乏人のことじゃない


おじいちゃんは、

百軒ばあさんに言った。


「ばあさん、

 あんたは大衆じゃ」


百軒ばあさんは、

顔を赤くした。


「失礼な。

 私はこの家を守ってきました。

 借家を百軒管理し、

 銀行とも付き合い、

 先祖代々の土地を

 残してきたんです」


おじいちゃんは、

うなずいた。


「分かっとる」


「なら、

 なぜ私が大衆なんですか」


おじいちゃんは、

ゆっくり言った。


「大衆いうんは、

 貧乏人のことじゃない」


百軒ばあさんは黙った。


「学歴のない人のことでもない」


「では何ですか」


「自分はもう分かっとる。

 自分は十分やっとる。

 自分は間違っていない。


 そう思った人のことじゃ」


百軒ばあさんは言った。


「私は努力してきました」


「分かっとる」


「遊んできたわけではありません」


「それも分かっとる」


「なら、なぜ」


おじいちゃんは言った。


「努力したことを、

 一度も疑っていないからじゃ」


百軒ばあさんは、

言葉を失った。


彼女は努力していた。


朝早く起きた。


仏壇に手を合わせた。


家賃台帳を見た。


修繕費を削った。


銀行へ頭を下げた。


借主には甘い顔をしなかった。


それを、

自分に厳しくすることだと

思っていた。


でも、

そのやり方が

今の時代に合っているのかは

考えなかった。


金利が上がっても、

考えなかった。


相続税が現金を要求しても、

考えなかった。


AIを使う若者が増えても、

考えなかった。


借主の生活が苦しくなっても、

考えなかった。


百軒ばあさんは、

怠けて大衆になったのではない。


努力して、

我慢して、

家を守って、


その努力を

一度も疑わなかったことで、

大衆になった。


………


■第十三章

 先祖代々という落とし穴


百軒ばあさんは、

若者を見て言った。


「最近の子は、

 AIに聞いてばかり。

 家から出ず、

 デリバリーばかり。

 自分に甘いんです」


おじいちゃんは言った。


「ばあさん、

 油断したら

 若者も大衆になる」


「でしょう」


「けど、

 あんたも同じじゃ」


百軒ばあさんは、

目を見開いた。


「私が?」


「そうじゃ」


おじいちゃんは続けた。


「若者はAIの答えで

 分かった気になる」


「はい」


「あんたは、

 先祖代々の家訓で

 分かった気になる」


百軒ばあさんは、

むっとした。


「若者は部屋から出ない」


「その通りです」


「あんたは、

 家の考え方から出ない」


百軒ばあさんは、

言い返せなかった。


「若者はスマホの中に

 閉じこもる」


「はい」


「あんたは、

 義母の言葉の中に

 閉じこもる」


部屋が静かになった。


おじいちゃんは言った。


「閉じこもる場所が

 違うだけじゃ」


大衆とは、

たくさんの人がいる場所に

いる人のことではない。


落とし穴の中にいて、

自分が落とし穴の中にいると

気づかない人のことだ。


AIの穴。


先祖代々の穴。


地元銀行の穴。


名士の穴。


成功体験の穴。


大丈夫という穴。


人は、

どの穴にも落ちる。


そして怖いのは、

穴に落ちることではない。


穴の中を、

自分の家だと

思い始めることだ。


百軒ばあさんは、

家を百軒持っていた。


でも、

一番長く住んでいたのは、

先祖代々という

暗い穴の中だった。


………


■第十四章

 百年前の本に、

 今のSNSが書いてあった


おじいちゃんは、

古い本を開いた。


その本は、

1930年に書かれたものだった。


オルテガという人が、

大衆について書いた本だった。


その時代には、

スマホはなかった。


SNSもなかった。


AIもなかった。


デリバリーアプリもなかった。


でも、

そこに書かれている人間は、

今のSNSに

そのまま座っているようだった。


自分は正しい。


相手は間違っている。


難しいことは知らないが、

とにかく怒る。


数字は見ない。


元の情報は読まない。


短い言葉で決めつける。


拍手が来ると、

さらに怒る。


おじいちゃんは言った。


「ばあさん、

 人間は百年たっても

 あまり変わらんのじゃ」


百軒ばあさんは聞いた。


「昔の本が、

 今の何の役に立つんですか」


おじいちゃんは答えた。


「昔の本は、

 新しい人間を

 教えてくれるんじゃない」


「では何を?」


「変わらない人間を

 見せてくれるんじゃ」


百軒ばあさんは、

少し笑った。


「そんな人、

 どこにでもいますね」


おじいちゃんは言った。


「そうじゃ。

 どこにでもおる」


そして、

少し間を置いた。


「この部屋にもな」


百軒ばあさんの顔が固まった。


オルテガの本は、

百年前の紙ではなかった。


今の自分を見る鏡だった。


………


■第十五章

 令和のソクラテスじいさん


おじいちゃんは、

人に答えを押しつけなかった。


その代わり、

質問した。


銀行員には聞いた。


「御行の固定金利から考えると、

 十年後の金利は

 どう見えますか」


百軒ばあさんには聞いた。


「その土地は、

 本当に子や孫を助けるんか」


蒼太には聞いた。


「そのAIの答えは、

 君の考えを深めたんか。


 それとも、

 君の代わりに

 考え終えたんか」


SNSで怒っている人には聞いた。


「その怒りは、

 君をよくしたんか。


 それとも、

 君を群れの一匹にしたんか」


百軒ばあさんは、

その質問が嫌いだった。


「あなたは、

 私を責めたいんですか」


おじいちゃんは言った。


「責めたいんじゃない」


「では何ですか」


「起こしたいんじゃ」


「私は寝ていません」


「寝とる。

 先祖代々という布団の中でな」


百軒ばあさんは、

何も言えなかった。


昔、

ソクラテスという人がいた。


その人は、

偉そうに答えを配った人ではない。


みんなに質問した人だった。


「本当に分かっているのか」


「それは善く生きることなのか」


だから嫌われた。


でも、

その質問は残った。


おじいちゃんは、

白い服を着た哲学者ではない。


証券会社で

三十八年働いた

ただのじいさんだった。


でも、

その質問は

金利表より鋭かった。


百軒ばあさんの

「奥様」という顔に、

小さなひびを入れた。


………


■第十六章

 迷える子羊の群れ


おじいちゃんは言った。


「人間はな、

 知らんことが罪なんじゃない」


百軒ばあさんは聞いた。


「では何が怖いんですか」


「知らんのに、

 知っとる顔で生きることじゃ」


部屋が静かになった。


おじいちゃんは続けた。


「自分の知らなさを

 知らんまま、


 快楽に流される。

 世間の評判に流される。

 怒りに流される。

 あおりに流される。

 先祖代々に流される。

 銀行の笑顔に流される。

 AIの答えに流される」


百軒ばあさんは、

黙って聞いていた。


「そして、

 善く生きることを

 忘れる。


 それが大衆じゃ」


百軒ばあさんは、

少し笑おうとした。


「私は、

 そんな群れとは違います」


おじいちゃんは、

悲しそうに言った。


「そう思った瞬間が、

 一番危ないんじゃ」


大衆とは、

迷える子羊の群れである。


でも、

羊飼いがいないから

迷ったのではない。


問いかける声を、

うるさいと言って

追い払った群れである。


百軒ばあさんは、

その夜、

仏壇の前で震えた。


自分は何度、

問いかける声を

追い払ってきたのだろう。


実母の声。


借主の声。


子どもの声。


自分の心の声。


全部、

家を守るためだと言って

黙らせてきたのではないか。


そのことに気づいた時、

百軒ばあさんの中で、

何かが

カタンと音を立てた。


………


■第十七章

 魂を一軒も守れなかった女


その夜、

百軒ばあさんは

仏壇の前に座った。


義母の写真があった。


実母の写真は、

少し離れたところにあった。


線香の煙が

細く上がっていた。


義母の声が聞こえる。


土地は売るな。


家賃は下げるな。


借主を甘やかすな。


情をかけると家が傾く。


先祖代々を絶やすな。


その声は、

長い間、

百軒ばあさんにとって

正しい声だった。


でも、

その夜だけは違った。


正しい声ではなく、

古い録音のように聞こえた。


何十年も前の声が、

今の自分を

まだ動かしている。


そう気づいた時、

百軒ばあさんは震えた。


私は、

何を守ってきたんじゃろう。


家か。


土地か。


先祖か。


義母の言葉か。


奥様という呼び名か。


それとも、

守っているつもりの

自分自身か。


その時、

実母の声が

小さく戻ってきた。


「無理せんようにな」


その一言は、

金利表よりも、

相続税の通知よりも、

銀行の封筒よりも、

胸に刺さった。


百軒ばあさんは、

白い紙を出した。


そこに書いた。


今の金利。


総返済額。


借り換え候補。


守る家。


売る家。


直す家。


納税用の現金。


借入金の残高。


特例が使える土地。


そして最後に、

震える手で

一行だけ書いた。


助けを求める人。


その横に、

小さく自分の名前を書いた。


百軒ばあさんは、

家を百軒守った。


でも、

魂を一軒も守れなかった。


義母の家訓は守った。


でも、

自分の心の声は

守れなかった。


金利を知らないことが

地獄なのではない。


相続税を知らないことが

地獄なのではない。


AIを知らないことが

地獄なのではない。


自分が知らないことを

知らないまま、


先祖代々、

世間の評判、

怒り、

銀行の笑顔、

AIの答えに流され、


善く生きることを

問わなくなる。


それが、

本当の大衆地獄だった。


百軒ばあさんは、

その日ようやく、

穴の中を家だと思っていた

自分に気づいた。


外へ出られるかどうかは、

まだ分からない。


でも、

分からないと言えた。


それだけが、

最初の出口だった。


………


❥Z世代のあなたへ


この物語は、

百軒ばあさんだけの話ではありません。


あなたにも関係があります。


家を買う時。


ローンを組む時。


AIを使う時。


SNSで怒る時。


人の意見に流される時。


「自分は分かっている」

と思った時。


その時、

人は大衆になります。


大衆とは、

貧乏人のことではありません。


学歴がない人のことでもありません。


有名じゃない人のことでもありません。


自分はもう分かっている。


自分は正しい。


自分は十分やっている。


そう思って、

考えるのをやめた人のことです。


だから、

頭のいい人でも大衆になります。


お金持ちでも大衆になります。


先生でも大衆になります。


銀行員でも大衆になります。


政治家でも大衆になります。


AIを使いこなす若者でも

大衆になります。


令和の強い人は、

何でも知っている人ではありません。


分からない時に、

分からないと言える人です。


比べられる人です。


調べられる人です。


人に聞ける人です。


AIの答えを

そのまま飲み込まず、


「これは本当に自分の考えか」


と聞ける人です。


住宅ローンなら、

まず見るものは三つ。


今の金利。


総返済額。


借り換え候補。


月々の支払いだけを

見ないでください。


銀行員の笑顔だけで

決めないでください。


AIは答えをくれます。


銀行はお金を貸してくれます。


土地は家賃を生みます。


でも、

あなたの魂の手入れは、

誰も代わりにしてくれません。


自分に聞いてください。


本当に分かっているのか。


これは善く生きることなのか。


この問いを忘れなければ、

あなたはまだ、

出口の方を向いています。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの

 やすきよ風・笑いと涙の締め


✲ワトソン


先生、

今回の敵は誰ですか?


金利ですか?

相続税ですか?

銀行ですか?

AIですか?

義母ですか?


✲ホームズ


全部じゃ。


✲ワトソン


全部?


✲ホームズ


正確には、

分からんのに

分かった顔をする心じゃ。


✲ワトソン


うわあ。

それ、一番やっかいですね。


✲ホームズ


しかも自分の中に住んどる。


✲ワトソン


退去させにくい!


✲ホームズ


家賃も取れん。


✲ワトソン


百軒ばあさんでも無理ですか。


✲ホームズ


自分の心の借主は、

一番立ち退きが難しい。


✲ワトソン


うまいこと言いますね。


✲ホームズ


うまいこと言うても、

給湯器は来ん。


✲ワトソン


また給湯器!


✲ホームズ


令和の怪談は、

幽霊より給湯器じゃ。


✲ワトソン


先生、

0.3%の金利差って

そんなに怖いんですか?


✲ホームズ


3,000万円なら

百万円単位。


50億円なら

ざっくり億単位じゃ。


✲ワトソン


0.3%が億になるんですか?


✲ホームズ


算数の顔をした怪談じゃ。


✲ワトソン


百軒ばあさん、

大根10円には怒るのに。


✲ホームズ


金利3億円には

地元銀行の笑顔で判を押す。


✲ワトソン


笑顔、怖っ。


✲ホームズ


笑顔は無料。

金利差は有料じゃ。


✲ワトソン


請求書つきの名言!


✲ホームズ


そうじゃ。


✲ワトソン


相続税も怖かったですね。


✲ホームズ


百億円の土地より、

十か月以内の現金が怖い。


✲ワトソン


先祖代々では払えない?


✲ホームズ


払えん。


✲ワトソン


仏壇でも?


✲ホームズ


払えん。


✲ワトソン


奥様という呼び名でも?


✲ホームズ


一円も払えん。


✲ワトソン


現実、冷たすぎます。


✲ホームズ


税金は家柄を見ない。

期限と評価額と現金を見る。


✲ワトソン


蒼太くんの話も

刺さりましたね。


✲ホームズ


AIを親代わりにする子じゃな。


✲ワトソン


ズルの話じゃなかった。


✲ホームズ


家から考える時間が消えた時、

その空いた椅子に

AIが座る話じゃ。


✲ワトソン


家賃5千円が

夕飯の会話を消す。


✲ホームズ


そうじゃ。


✲ワトソン


百軒ばあさんは、

百軒の家は見ていたけど。


✲ホームズ


百個の食卓は

見ていなかった。


✲ワトソン


泣けますね。


✲ホームズ


まだ泣くのは早い。


✲ワトソン


え?


✲ホームズ


ネズミ人間が住む六号棟がある。


✲ワトソン


外へ出なくても

一日が終わる国。


✲ホームズ


AI、デリバリー、SNS、動画、通販。


✲ワトソン


便利ですね。


✲ホームズ


便利は人を助ける。

でも弱った人には、

外へ出ない理由にもなる。


✲ワトソン


先生、

それは若者だけの問題ですか?


✲ホームズ


違う。


✲ワトソン


百軒ばあさんも?


✲ホームズ


若者はAIの穴。

ばあさんは先祖代々の穴。


✲ワトソン


閉じこもる場所が違うだけ。


✲ホームズ


構造は同じじゃ。


✲ワトソン


オルテガの大衆ですね。


✲ホームズ


大衆は、

貧乏人のことではない。


✲ワトソン


低学歴の人でもない。


✲ホームズ


自分はもう分かっとる。

自分は正しい。

自分は十分やっとる。


そう思った人じゃ。


✲ワトソン


東大教授でも?


✲ホームズ


なる。


✲ワトソン


銀行支店長でも?


✲ホームズ


なる。


✲ワトソン


政治家でも?


✲ホームズ


なる。


✲ワトソン


百軒ばあさんでも?


✲ホームズ


もちろんじゃ。


✲ワトソン


じゃあ先生は?


✲ホームズ


わしも油断したらなる。


✲ワトソン


急に正直!


✲ホームズ


分からんと言えん時点で、

もう鍋の中じゃ。


✲ワトソン


茹でガエル王国ですね。


✲ホームズ


鍋の中で一番危ないのは、

熱くないと言い張る

カエルじゃ。


✲ワトソン


先生、

ソクラテスの話も出ましたね。


✲ホームズ


答えを配った人ではない。

問いを返した人じゃ。


✲ワトソン


本当に分かっているのか。


✲ホームズ


それは善く生きることか。


✲ワトソン


魂の手入れですね。


✲ホームズ


そうじゃ。


✲ワトソン


AIは答えをくれる。


✲ホームズ


でも魂の手入れは

してくれん。


✲ワトソン


銀行はお金を貸してくれる。


✲ホームズ


でも魂の手入れは

してくれん。


✲ワトソン


土地は家賃を生む。


✲ホームズ


でも魂の手入れは

してくれん。


✲ワトソン


結局、

自分でやるしかない。


✲ホームズ


そうじゃ。


✲ワトソン


百軒ばあさんは、

家を百軒守った。


✲ホームズ


でも、

魂を一軒も守れなかった。


✲ワトソン


泣けますね。


✲ホームズ


泣くだけでは足りん。


✲ワトソン


何をすれば?


✲ホームズ


問うんじゃ。


✲ワトソン


何を?


✲ホームズ


わしは本当に

分かっとるのか。


これは善く生きることか。


✲ワトソン


Z世代にも必要ですか?


✲ホームズ


必要どころか、

これからの命綱じゃ。


✲ワトソン


勉強ができるだけではダメ?


✲ホームズ


勉強は大事じゃ。

けど、

分からんと言えん秀才は危ない。


✲ワトソン


逆に成績が普通でも?


✲ホームズ


分からんと言えて、

調べて、

比べて、

出口を探せる人は強い。


✲ワトソン


それが令和のサバイバー。


✲ホームズ


そうじゃ。


✲ワトソン


では最後に、

百軒ばあさんへ一言。


✲ホームズ


土地は守った。

家も守った。

義母の十訓も守った。


✲ワトソン


はい。


✲ホームズ


でも、

自分のSOSを守れなかった。


✲ワトソン


それが大衆地獄。


✲ホームズ


出口は、

たった一言から始まる。


✲ワトソン


何ですか?


✲ホームズ


分からん。


✲ワトソン


え?


✲ホームズ


分からん。

助けて。

一緒に考えて。


✲ワトソン


それは弱さですか?


✲ホームズ


違う。


✲ワトソン


では何ですか?


✲ホームズ


出口の入口じゃ。


✲ワトソン


きれいに締まりましたね。


✲ホームズ


いや、まだじゃ。


✲ワトソン


え?


✲ホームズ


給湯器の見積もりが

まだ来とらん。


✲ワトソン


最後までそこ!


✲ホームズ


令和の人生はな、

哲学と金利と給湯器で

できとるんじゃ。


✲ワトソン


笑ってええのか、

泣いてええのか

分かりません。


✲ホームズ


それでええ。


✲ワトソン


え?


✲ホームズ


分からんと認めた時、

人は少しだけ

鍋のふちに近づく。


✲ワトソン


令和の大衆地獄、

これにて一件落着!


✲ホームズ


いや。


✲ワトソン


またですか?


✲ホームズ


まだ一件目じゃ。


✲ワトソン


……それ、

一番怖いやつですやん。


………


         完

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