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ホルムズ海峡は遠すぎた。だから町は、近所のおじいちゃんを犯人にした ――令和版・舌切り雀 煽り屋と呼ばれた男――

✦ホルムズ海峡は遠すぎた。

 だから町は、

 近所のおじいちゃんを

 犯人にした


――令和版・舌切り雀 

  煽り屋と呼ばれた男――


………


昔話の舌切り雀では、

意地悪ばあさんが、

雀の舌を切った。


令和の町では、

誰もハサミを持たない。


その代わり、

スマホを持つ。


そして、

人の言葉の信用を切る。


「煽り屋」

「デマ屋」

「不安を広げる人」

「町を乱す人」


そう呼べば、

その人の言葉はもう、

半分●ぬ。


二〇二六年の春。


六十七歳の

元証券会社勤務の

おじいちゃんは、

二月からずっと言っていた。


ナフサが危ない。

包材が危ない。

肥料が危ない。

紙が危ない。


お米で起きたことは、

ほかの商品にも広がる。

だが、誰も聞かなかった。


誰も買わなかった。

誰も動かなかった。

誰も信じなかった。


ところが、

棚が薄くなった瞬間、

町の人々はこう言い始めた。


「あの人が煽ったからだ」


違う。

現場が先だった。

棚が次だった。

SNSは最後だった。


けれど令和の大衆は、

遠いホルムズ海峡を

叩けない。

ナフサも叩けない。

肥料も叩けない。

物流も叩けない。

冷凍倉庫の

在庫量も叩けない。


だから、

いちばん近くで

警告していた人間を叩いた。


これが、

令和版・舌切り雀の

始まりだった。


………


★目次


■第一章 

 彼が言った時、

 誰も買わなかった


■第二章 

 一七〇円の麻酔を

 疑った男


■第三章 

 二・七%の現場を見た男


■第四章 

 棚の奥行き


■第五章 

 百軒ばあさん登場


■第六章 

 ナフサという眠たい単語


■第七章 

 お米は戻らなかった


■第八章 

 冷凍庫の中の不安


■第九章 

 食料が資産に見えた日


■第十章 

 買い置きと

 買い占めの境界線


■第十一章 

 オルテガの棚


■第十二章 

 犯人探しが始まった


■第十三章 

 煽り屋と呼ばれた男


■第十四章 

 すみれの質問


■第十五章 

 令和版・舌切り雀


❥Z世代のあなたへ


★あとがき

 ホームズとワトソンの、

 やすきよ漫才風・

 笑いと涙の締め


………


■第一章 

 彼が言った時、

 誰も買わなかった


二月の初め、

六十七歳の元証券会社勤務の

おじいちゃんは、

スマホに向かって、

ひとりでつぶやいた。


「ナフサが危ない」

誰も反応しなかった。


「包装材が危ない」

いいねは二つだった。


そのうち一つは、

たぶん指が

当たっただけだった。


「肥料が危ない」

反応はなかった。


「お米で起きたことが、

 今度は全商品で

 起きるかもしれん」


誰も店へ走らなかった。


誰も缶詰を

箱買いしなかった。


誰も冷凍庫を

買い足さなかった。


誰も信じなかった。


むしろ、

彼の言葉は

タイムラインの

底へ沈んでいった。


画面の上では、

犬の動画が走っていた。

芸能ニュースが流れていた。

投資の自慢が光っていた。


ラーメンの写真が

並んでいた。

「今日も平和」

という言葉が

軽く流れていた。


おじいちゃんは、

人を驚かせたかっ

たわけではない。


昔、証券会社にいた時から、

数字の後ろを

見る癖があった。


株価より前に、

受注を見る。


決算より前に、

在庫を見る。


ニュースより前に、

現場の違和感を見る。


だから彼には、

少しだけ早く見えていた。


ガソリンだけではない。

ナフサ。

エチレン。

包装材。

肥料。

紙。

冷凍倉庫。

在庫量。

棚の奥行き。


全部が、

少しずつ同じ方向を

向き始めていた。


だが、

警告は早すぎると、

ただの妄想に見える。


現実より早く来た言葉は、

いつも嫌われる。


おじいちゃんは、

そのことをまだ知らなかった。


■第二章 

 一七〇円の麻酔を疑った男


三月。


ガソリンは、

一七〇円前後に

抑えられていた。


テレビはそれを、

安心材料のように伝えた。


「政府は国民生活への影響を

 抑えるため、

 燃料価格対策を継続します」


町の人は言った。


「ほら、大丈夫じゃん」

「政府がなんとかするんよ」

「またあのおじいさん、

 騒ぎすぎ」


おじいちゃんは、

ガソリンスタンドの

表示を見ながら、

ひとりで思った。


「これは安心じゃない。

 麻酔じゃ」


一七〇円。


それは、

痛みが消えた数字ではない。

痛みを感じにくくした

数字だった。


本当はもっと高い。

本当はもっと苦しい。

本当は誰かが

後ろで払っている。


国か。

企業か。

未来か。


麻酔が効いている間、

人は傷を見ない。


けれど、

傷は治っていない。


燃料が高い。

船が遅い。

保険が高い。

包材が高い。

肥料が高い。

電気が高い。

トラックの運転手が

足りない。


それでも、

レシートの数字だけを見て、

人は安心した。


「まだ大丈夫」


この言葉は、

危機の初期にいちばん

よく売れる薬だった。


おじいちゃんは投稿した。


一七〇円は

麻酔かもしれん。

痛みを止めとるだけで、

傷は治っとらん。


その投稿にも、

ほとんど反応はなかった。


ただ一人だけ、

近所の百軒ばあさんが、

画面を見て鼻で笑った。


「また始まったわ。

 あの人、ほんまに

 不安を広げるのが好きね」


■第三章 

 二・七%の現場を見た男


おじいちゃんが

次に引っかかった数字は、

二・七%だった。


塗装事業者八五〇社のうち、

シンナーや関連資材を

通常どおり入手できると

答えた割合。


二・七%。


これは、

「少し困っている」

数字ではない。


普通が、

ほぼ●んだ数字だった。


しかし、

この数字は

町では響かなかった。


シンナー。

塗料。

接着剤。

溶剤。

樹脂。


そんな言葉は、

スーパーの棚には並ばない。

冷蔵庫にも入っていない。

スマホのトレンドにも

上がらない。


おじいちゃんは投稿した。


二・七%という数字は怖い。

目に見える商品より、

見えない中間材が先に死ぬ。


また反応は薄かった。


一人の若者が、

「で、何を買えば

 儲かるんですか?」

と書いた。


別の人は、

「不安を

 煽らないでください」

と書いた。


おじいちゃんは、

ため息をついた。


彼が見ていたのは、

儲け話ではなかった。

社会の継ぎ目だった。


塗料が入らなければ、

住宅設備が遅れる。


接着剤が入らなければ、

箱が閉じない。


樹脂が入らなければ、

食品トレーも、

薬の包装も、

物流フィルムも詰まる。


食べ物そのものがあっても、

包めなければ出荷できない。


紙があっても、

接着できなければ

本にならない。


現代社会は、

完成品でできているように

見えて、

本当は中間材でできている。


その中間材の悲鳴を、

二・七%という数字が

先に出していた。


だが、

町の人には見えなかった。


見えないものは、

存在しないものとして

扱われる。


そして、

見える形で困り始めた時、

人は必ずこう言う。


「なんで誰も

 教えてくれなかったの?」


■第四章 棚の奥行き


四月半ば。

おじいちゃんは、

孫のすみれと

スーパーへ行った。


棚は空ではなかった。

だから、

普通の人なら安心する。


米袋はある。

冷凍食品もある。

缶詰もある。

サバもある。

豆腐も納豆もある。


しかし、

おじいちゃんは足を止めた。


「おかしい」


すみれが聞いた。


「何が?」


「棚の奥行きじゃ」


「奥行き?」


「前はな、

 奥まで詰まっとった。

 今は前だけ

 きれいにしとる」


すみれは、

冷凍食品の棚をのぞき込んだ。


前列には、

餃子、唐揚げ、うどん、

炒飯、ブロッコリー。


きれいに並んでいる。

けれど、

奥は少し暗い。


商品はある。

でも厚みがない。


おじいちゃんは言った。


「売り切れより怖いのはな、

 棚が薄くなることなんじゃ」


すみれは、

まだよくわからない顔をした。


近くで、

百軒ばあさんが

買い物をしていた。


彼女は棚を見て言った。


「ちゃんとあるじゃない。

 大げさなのよ、あの人は」


そして彼女のカートには、

缶詰がいつもより多く入っていた。


お米も一袋。

冷凍うどんも二袋。

トイレットペーパーも一つ。


彼女にとって、

自分の買い置きは

管理能力だった。


他人の買い置きは、

買い占めだった。


おじいちゃんは、

そのカートを見て黙った。


すみれだけが、

小さな声で聞いた。


「おじいちゃん、

 あのおばあさんも

 買っとるじゃん」


おじいちゃんは、

何も言わなかった。


■第五章 百軒ばあさん登場


町には、

百軒ばあさんと呼ばれる

女がいた。


本名ではない。

本当に百軒あるかどうかも、

誰も正確には知らない。


ただ、

親の代から田畑を持ち、

相続税対策で借家を建て、

気がつけば町のあちこちに、

彼女の家の貸家があった。


元庄屋というほどではない。

大地主というほどでもない。


平たく言えば、

土地を持っていた

百姓の家だった。


その土地が宅地になり、

家賃になり、

名士の顔になった。


彼女は六十五歳。


元公務員の娘。

PTA会長も務めた。

町内会にも顔が利く。

寺にも顔を出す。

仏壇には毎朝手を合わせる。


だが、

周囲ではひそひそ

声が絶えなかった。


「ようできた人に

 見えるけどな」


「人の気持ちは

 わからん人じゃ」


「家を守るためなら、

 何でもする」


「仏壇には

 手を合わせるけど、

 仏心は

 置いてきたんじゃろう」


彼女の怖さは、

悪人の自覚がないことだった。


家を守っている。

土地を守っている。

先祖を守っている。

借家を守っている。

名誉を守っている。


だから、

多少の意地悪は、

彼女の中では正義になる。


彼女にとって、

他人の不安は迷惑だった。

自分の不安は備えだった。


他人の発信は煽りだった。

自分の噂話は注意喚起だった。


百軒の家は持っていたが、

一つも仏心は

持っていなかった。


その百軒ばあさんが、

おじいちゃんを嫌い始めた。


理由は簡単だった。


彼が、

町の平和な顔に

ヒビを入れる言葉を、

何度も投稿したからだ。


■第六章 

 ナフサという眠たい単語


おじいちゃんは、

また投稿した。


ナフサが詰まると、

食品包装、医療資材、

物流フィルムまで効いてくる。

ガソリンだけの話じゃない。


反応は少なかった。


「ナフサって何ですか?」

「難しい」

「また横文字」

「不安商法?」


ナフサという言葉は、

眠たい。

エチレンも眠たい。

ポリエチレンも眠たい。

ポリプロピレンも眠たい。


眠たい言葉は、

SNSでは負ける。

怒りやすい言葉が勝つ。


「買い占め」

「転売ヤー」

「デマ」

「煽り屋」


こういう言葉は速い。

ナフサは遅い。


だが、

眠たい単語ほど、

社会の深いところにある。


ナフサからエチレン。

エチレンから樹脂。

樹脂から包装材。

包装材から食品トレー。

食品トレーからスーパーの棚。

スーパーの棚から食卓。


この長い道を、

人は見ない。

長すぎるからだ。


百軒ばあさんは、

町内会の集まりで言った。


「そんな難しいことを言って、

 不安を広げる人が

 一番困るんです。

 普通の人は

 普通に暮らしているのに」


その言葉に、

何人かがうなずいた。


普通。


この言葉もまた、

麻酔だった。


■第七章 お米は戻らなかった


お米は、

日本人の最後の安心だった。


そのお米が高くなった。


備蓄を出せば戻る。

新米が出れば戻る。

政府が動けば戻る。


人々はそう思った。

だけど戻らなかった。


おじいちゃんは、

その時から言っていた。


「お米は例外じゃない。

 予告編じゃ」


誰も聞かなかった。

米には米の事情がある。

ほかの商品とは違う。


そんなふうに片づけられた。


けれど、

おじいちゃんには

同じ構図に見えた。


ある。

けど届かない。


届く。

けど遅い。


遅い。


けど人は待てない。

待てないから買う。


買うから、

また薄くなる。


そして社会は言う。


「誰が煽った?」


おじいちゃんは、

すみれに言った。


「お米で起きたことはな、

 これからいろんなもので

 起きるかもしれん」


「サバも?」

「サバも」


「バターも?」

「バターも」


「冷凍うどんも?」

「うどんも、

 袋がなければ出せん」


すみれは黙った。

おじいちゃんは続けた。


「原因が消えたら、

 価格が戻ると

 思ったらいけん。

 一度乱れた流通は、

 記憶を持つんじゃ」


価格は蛇口ではない。

ひねれば下がるものではない。


お米は戻らなかった。

そしてそれは、

町がまだ理解していない

警告だった。


■第八章 冷凍庫の中の不安


日本の冷凍食品消費量は、

三〇二万九千トンを超えた。


一人あたり、

二四・六キロ。


おじいちゃんは

その数字を見て、

「便利」だけではないと

思った。


これは、不安の数字だ。

人々は口では言わない。


「食料危機が怖い」

「物流が止まるのが怖い」

「お米がまた上がるのが

 怖い」

「サバが買えなくなるのが

 怖い」


そんなことを言えば、

笑われる。


だから人は、

黙って冷凍庫を埋める。


餃子を一袋。

冷凍うどんを二袋。

ブロッコリーを一つ。

唐揚げを一つ。

冷凍ご飯を少し。


百軒ばあさんも、

表ではこう言った。


「買い占めは迷惑です」


だが裏では、

貸家の空き部屋に

水を置き、

自宅の冷凍庫を

もう一つ増やし、

缶詰を箱で買っていた。


それを彼女は、

買い占めとは呼ばなかった。


「家を守るための管理」


と呼んだ。


おじいちゃんは思った。


生活防衛と

買い占めの境界線は、

棚の厚みで変わる。


棚が厚い時は、

備蓄は賢い。


棚が薄くなると、

備蓄は罪になる。


そしてその罪を、

人は誰かのせいにしたがる。


■第九章 

 食料が資産に見えた日


昔、

資産といえば、

株だった。

土地だった。

金だった。


最近では、

ビットコインだった。


けれど、

二〇二六年の春、

おじいちゃんには

食料も資産に見え始めた。


米が上がる。

サバが上がる。

バターが上がる。

缶詰が備蓄される。

冷凍食品が増える。


安い時に買う。

寝かせる。

腐らせずに持つ。

必要な時に使う。


これは、

金融商品とは違う。

けれど、

どこか似ている。


すみれが言った。


「食べ物が

 資産って変じゃね」


おじいちゃんは答えた。


「変じゃ。

 けど、

 変な時代には

 変なことが起きる」


「ビットコインは

 食べられんもんね」


「そうじゃ。

 金も食えん。

 株も食えん」


「じゃあ冷凍うどんの方が

 強いじゃん」


おじいちゃんは笑った。


「疲れた夜にはな」


だが、

この笑いは軽くなかった。


食料が資産に見える時代とは、

未来の食卓を

人々が信じられなくなった

時代だ。


百軒ばあさんは、

それを理解していなかった。


理解していないまま、

自分だけは多めに持った。


そして、

他人が持つと怒った。


■第十章 

 買い置きと

 買い占めの境界線


昔、

在庫は悪だった。


持たない方が賢い。

倉庫代を減らす。

必要な分だけ仕入れる。

決算で余計な在庫を抱えない。

税金も抑える。

ジャスト・イン・タイム。


平時の美しい正義だった。


だが有事には、

その正義が薄氷になる。


在庫を持たない会社は

すぐ止まる。

在庫を持ちすぎる会社は、

買い占めと叩かれる。


海外では、

一部石化品で

在庫の積み上げが規制され、

前年同期比

八〇%超が問題視された。


おじいちゃんは、

そのニュースを見て思った。


「持たなければ止まる。

 持てば叩かれる。

 難しい時代になった」


百軒ばあさんは、

町内会で言った。


「みなさん、

 買い占めはやめましょう。

 必要な分だけにしましょう」


その夜、

彼女の家には宅配便が届いた。


水。

米。

缶詰。

冷凍食品。

トイレットペーパー。


配達員は、

段ボールを何箱も下ろした。

彼女は玄関で小声で言った。


「これは家の管理ですから」


他人の備蓄は買い占め。

自分の備蓄は管理能力。


それが、

令和の意地悪ばあさんの

正義だった。


■第十一章 オルテガの棚


おじいちゃんは、

古い本棚から

一冊の本を取り出した。


オルテガ『大衆の反逆』。


文明の恩恵を

当然のように受け取り、

それを支える仕組みに

無関心な人間。


おじいちゃんは、

スーパーの棚を思い出した。


棚に物がある。

当たり前。


ネットで頼めば届く。

当たり前。


病院に行けば治療できる。

当たり前。


冷凍食品がある。

当たり前。


米がある。

当たり前。


バターがある。

当たり前。


その裏側に、

ホルムズ海峡がある。


ナフサがある。

肥料がある。

包材がある。

トラックがある。

冷凍倉庫がある。

電力がある。

人がいる。


けれど大衆は、

由来を問わない。

便利の由来を問わない。

支えている人の顔を見ない。


そして崩れた時、

最初に言う。


「なんで誰も

 教えてくれなかったの?」


おじいちゃんはつぶやいた。


「情報は出ていた。

 見なかっただけじゃ」


百軒ばあさんも同じだった。


彼女は、

自分が享受している

便利の由来を問わなかった。


だが便利が揺れると、

原因ではなく犯人を探した。


オルテガが見た大衆は、

令和のスーパーの

棚の前にも立っていた。


■第十二章 

 犯人探しが始まった


四月の終わり、

町の空気が変わった。


棚が薄い。

値段が高い。

入荷未定が増えた。

冷凍食品がよく売れる。


紙の話が出る。

肥料の話が出る。


だが、

原因は複雑だった。


ホルムズ海峡。

ナフサ。

エチレン。

肥料。

包材。

船舶保険。

JIT。

在庫規制。

冷凍倉庫。

人口減少。


複雑すぎた。

人は、

複雑なものに

長く耐えられない。


だから、

簡単な犯人を求めた。


転売ヤーが悪い。

買い占め客が悪い。

外国人が悪い。

政府が悪い。

店が隠している。

メーカーが出し惜しみしている。


SNSが煽った。


もちろん、

悪い行動はある。


だが、

それだけでは説明できない。


構造問題は、

いつの間にか

道徳問題にすり替わった。


人はナフサを叩けない。

肥料を叩けない。

ホルムズ海峡を叩けない。


だから、

近くの人間を叩く。


百軒ばあさんは、

待っていたように言った。


「ほら見なさい。

 あの人が

 不安を広げたから、

 こうなったんよ」


町は、

犯人を見つけたがっていた。


彼女は、

その欲望に名前を与えた。


煽り屋。


■第十三章 

 煽り屋と呼ばれた男


おじいちゃんのスマホに、

通知が増えた。


「煽るな」

「不安を広げるな」

「お前みたいなのが

 買い占めを起こす」

「普通に暮らしている人を

 混乱させるな」

「責任取れるのか」


おじいちゃんは、

画面を見て黙った。


二月に言った時、

誰も買わなかった。

誰も信じなかった。

誰も動かなかった。


それなのに、

現場が動き、

棚が薄くなり、

ニュースが追いついた途端、

彼は犯人になった。


本当の順番はこうだった。


現場が先だった。

棚が次だった。

SNSは最後だった。


だが世間は、

順番を逆にした。


SNSが騒いだ。

人が買った。

棚が薄くなった。


そう考えた方が楽だからだ。


おじいちゃんは、

すみれに言った。


「人はな、

 難しい原因より、

 近い犯人の方が

 好きなんじゃ」


すみれは聞いた。


「おじいちゃん、

 悪いことしたん?」


おじいちゃんは、

少し笑った。


「してないつもりじゃ」


「じゃあ

 なんで怒られるん?」


おじいちゃんは

答えられなかった。


未来を

少し早く読んだ人間は、

未来が来るまで嫌われる。


そして未来が来た時、

今度は責任を

押しつけられる。


それが、

煽り屋と呼ばれた男の

罪だった。


■第十四章 すみれの質問


ある夕方、

すみれはおじいちゃんに聞いた。


「百軒ばあさんは、

 なんであんなに怒るん?」


おじいちゃんは、

しばらく考えた。


「あの人も怖いんじゃろうな」


「怖い?」


「借家をいっぱい持っとる。

 でも修繕費は上がる。

 給湯器も高い。

 塗料も入らん。

 空き家も出る。

 相続もある。

 名士の顔も守らんといけん」


すみれは言った。


「じゃあ、

 おばあさんも困っとるん?」


「めちゃくちゃ困っとる。

 でも困っとると

 言えん人なんじゃ」


「なんで?」


「名士じゃけえ」


すみれは首をかしげた。


「名士って、

 困ったって言ったら

 だめなん?」


おじいちゃんは、

少し笑った。


「ほんまは言ってええ。

 でも、あの人は

 言えんのじゃろう」


すみれは、

しばらく黙ってから言った。


「じゃあ百軒ばあさんは、

 家を

 守りたかったんじゃなくて、

 怖かったんじゃね」


おじいちゃんは、

胸を突かれたような気がした。


そうかもしれない。


彼女は悪い。

意地悪だ。

人の心がわからない。

仏壇に手を合わせても、

生きている人間の痛みは見ない。


けれど、

ただの悪人ではなかった。


怖いから叩く。

不安だから犯人を作る。

家を守ることでしか、

自分を守れない。


おじいちゃんは思った。


令和の舌切り雀の

意地悪ばあさんは、

雀の舌を切ったのではない。


自分の不安を見ないために、

他人の言葉を切ったのだ。


■第十五章 

 令和版・舌切り雀


昔話の舌切り雀では、

おじいさんは雀を助け、

意地悪ばあさんは

雀を傷つけた。


令和の町では、

雀は鳥ではなかった。


それは、

小さな警告だった。


ナフサが危ないという言葉。

肥料が高いという数字。

棚の奥行きが薄いという観察。

冷凍倉庫の在庫量という沈黙。

米は戻らなかったという記憶。


それらは、

小さな雀のように鳴いていた。


「気づいて」

「見て」

「まだ間に合う」

「棚の奥を見て」 


だが、

百軒ばあさんは

その声が嫌いだった。

町も嫌いだった。


聞くと不安になるからだ。

だから、

その声を切った。


「煽り屋」

「デマ屋」

「町を乱す人」


そう呼ぶことで、

警告の舌を切った。


しかし、

舌を切っても、

現実は黙らない。


棚は薄くなる。

米は戻らない。

サバは高い。

バターは高い。

肥料は来年の棚を削る。

冷凍庫は不安で埋まる。


そして町は、

また別の犯人を探す。


おじいちゃんは、

ノートに最後の一文を書いた。


棚を薄くしたのは、

彼の言葉ではなかった。

彼の言葉は、

ただ棚が薄くなる未来を、

少し早く

読んでしまっただけだった。


だが社会は、

未来を読んだ人間を許さない。


なぜなら、

未来を読まれると、

今まで

見ないふりをしてきた

自分が、

ばれてしまうからだ。


これが、

令和版・舌切り雀だった。


雀の舌を切ったのは、

意地悪ばあさんだけではない。


便利の由来を問わず、

見たくない現実を

語る人間を嫌い、

構造ではなく

犯人を欲しがった、

町そのものだった。


………


❥Z世代のあなたへ


この物語の怖さは、

食料不足だけじゃない。


本当に怖いのは、

社会が原因を

理解できなくなった時、

誰かを犯人にして

安心しようとすることだ。


現場が先だった。

棚が次だった。

SNSは最後だった。


でも人は、

その順番を簡単に逆にする。


なぜなら、

複雑な構造を見るより、

わかりやすい悪者を

叩く方が楽だから。


ホルムズ海峡は遠い。

ナフサは難しい。

肥料は地味。

冷凍倉庫は退屈。

在庫量は眠たい。


だから、

目の前の人間が

犯人にされる。


あなたには、

その順番を

見失わないでほしい。


タイムラインの怒りより、

現場の順番を見てほしい。


誰かが早く警告した時、

すぐに

「煽り屋」と呼ぶ前に、

一度だけ考えてほしい。


その人の言葉が

物を消したのか。

それとも、

物が消え始めたから、

その人の言葉が

急に目立ったのか。


令和の舌切り雀で

切られるのは、

鳥の舌ではない。


不都合なことを言う

人間の信用だ。


でも、

信用を切っても、

現実は黙らない。


未来を溶かすのは、

不安を語る人ではない。


見たくない現実を、

みんなで黙らせることだ。


………


★あとがき

 ホームズとワトソンの、

 やすきよ漫才風・

 笑いと涙の締め


✲ワトソン


「先生、

 今回は舌切り雀ですか?」


✲ホームズ 


「令和版じゃ」


✲ワトソン


「昔は雀の舌を

 切ったんですよね」


✲ホームズ


「令和では、

 人の信用を切る」


✲ワトソン


「怖っ。

 ハサミよりSNSの方が

 切れ味ええですやん」


✲ホームズ


「煽り屋、

 デマ屋、

 町を乱す人。

 そう呼べば、言葉は黙る」


✲ワトソン


「でも実際に

 棚が薄くなっとるなら、

 言葉のせいとは

 限りませんよね」


✲ホームズ


「その通りじゃ。

 現場が先。

 棚が次。

 SNSは最後」


✲ワトソン


「先生、

 それ今日の合言葉ですね」


✲ホームズ


「現場が先。

 棚が次。

 SNSは最後」


✲ワトソン


「三回くらい言うた方が

 ええですね」


✲ホームズ


「現場が先。

 棚が次。

 SNSは最後」


✲ワトソン


「ほんまに三回言うた!」


✲ホームズ


「人はナフサを叩けん。

 肥料も叩けん。

 ホルムズ海峡も叩けん」


✲ワトソン


「だから

 近所のおじいちゃんを

 叩く」


✲ホームズ


「近いからな」


✲ワトソン


「近いというだけで

 犯人にされたら、

 たまったもんじゃない

 ですわ」


✲ホームズ


「だが群衆は、

 遠い原因より

 近い犯人を好む」


✲ワトソン


「百軒ばあさんも、

 なかなか強烈でしたね」


✲ホームズ


「百軒の家は持っていたが、

 一つも仏心は

 持っていなかった」


✲ワトソン


「先生、それ言い過ぎ

 ……いや、

 ちょっと名文です」


✲ホームズ


「仏壇に手を合わせても、

 生きている

 人間の痛みに

 手を合わせられん

 人はおる」


✲ワトソン


「刺さりますね」


✲ホームズ


「だが、

 彼女もまた

 怖かったのじゃ」


✲ワトソン


「怖いから叩く。

 不安だから犯人を作る」


✲ホームズ


「その通り」


✲ワトソン


「じゃあ先生、

 希望はありますか?」


✲ホームズ


「ある」


✲ワトソン


「どこに?」


✲ホームズ


「順番を見る目じゃ」


✲ワトソン


「現場が先、

 棚が次、

 SNSは最後」


✲ホームズ


「そうじゃ。

 因果の順番を守ることは、

 文明を守ることに近い」


✲ワトソン


「今日はええこと

 言いましたね」


✲ホームズ


「いつもじゃ」


✲ワトソン


「それは違います」


✲ホームズ


「読者諸君。

 誰かを煽り屋と呼ぶ前に、

 少しだけ考えてくれ」


✲ワトソン


「その人が物を消したのか。

 物が消え始めたから、

 その人の言葉が

 目立ったのか」


✲ホームズ


「そこを間違えると、

 また雀の舌を切る」


✲ワトソン


「令和の雀は、

 警告の声なんですね」


✲ホームズ


「そうじゃ」


✲ワトソン


「じゃあ最後に一言」


✲ホームズ


「未来を読んだ人間を叩くな。

 未来を読めなかった自分を、

 少しだけ疑え」


✲ワトソン


「……それが一番痛いわ」


✲ホームズ


「痛いところに、

 まだ麻酔が

 効きすぎていない

 証拠がある」


✲ワトソン


「笑って終わるつもりが、

 最後に泣けますね」


✲ホームズ


「笑ってもええ。

 泣いてもええ。

 ただ、

 雀の声だけは切るな」


✲ワトソン


「令和版・舌切り雀、

 ここに完結です」

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