となりの家が、まだ建たない ――2027年、ホルムズ封鎖の夏―― 40歳のひろしが、借金とともに煮えていく物語
✦となりの家が、まだ建たない
――2027年、ホルムズ封鎖の夏――
40歳のひろしが、
借金とともに煮えていく物語
………
去年の夏、
となりの家は壊された。
春が来ても、
梅雨が来ても、
基礎ひとつ打たれんかった。
遠い海峡が詰まっただけじゃ、
人はまだ
「まあ何とかなるじゃろ」
いう顔をする。
けど、
うちの町ではもう、
更地のまま動かん土地の方が、
TikTokの
「新築マイホーム」
より先に、
ほんまの意味で
トレンド入りしとった。
………
★目次
■第一章
更地は、
TikTokより正直じゃった
■第二章
八千万の家が、
八千万で建たん日
■第三章
断熱材四十万円の通知
■第四章
生コンが来ん。
軽油も重油も、
世界が止まる
■第五章
姉歯の亡霊は、
DMより先に現場へ戻る
■第六章
壁は薄いのに、
ローンだけは五十年
■第七章
三億の修繕が、
三億で済まん夜
■第八章
理事長は笑う。
四十歳は丸投げする
■第九章
家宅の火は、
値上げ通知の形で来る
■第十章
茹でガエルは、
夢のマイホームで微笑む
★あとがき
ホームズとワトソンの
Z世代漫才
………
■第一章
更地は、
TikTokより正直じゃった
その町には、
2026年の夏から、
ずっと更地のままの
土地があった。
40歳のひろしは、
毎朝スマホで
インスタのストーリーを
流し見しながら、
その土地を見よった。
普通のサラリーマンじゃ。
妻がおる。
小学生の息子がおる。
住宅展示場へ行ったら、
営業に
「いま一番多い
モデルケースですね」
言われる側の男じゃった。
古い家は、もう壊された。
黒うなった柱。
小さい庭。
春になると、
梅の匂いが
少しだけした家じゃった。
「ああ、新しい家が
建つんじゃろうなあ」
みんな、そう思うた。
白うて、四角うて、
窓だけ妙に大きゅうて、
壁はなんとなく軽そうで、
でも広告には
✲耐震等級3
✲ZEH
✲スマートホーム
とか書いてある。
秋が来ても、
冬が来ても、
春になっても、
そこは更地のままじゃった。
雑草だけが先に生えて、
工事看板の端っこだけが、
風にカタカタ鳴りよった。
テレビでは連日、
ホルムズ海峡。
封鎖。
原油。
LNG。
海上保険。
迂回。
供給不安。
価格改定。
そんな言葉が踊りよる。
けど、
ひろしには分かっとった。
ほんまに先に止まったんは、
ニュースの中の海峡やのうて、
町のとなりの更地なんじゃと。
更地は何も言わん。
けど、何も言わんもんほど、
人を不安にさせるもんはない。
TikTokより、
更地の沈黙のほうが、
ずっと正直じゃった。
建たんもんは、建たん。
その無音だけが、
2027年の日本で
いちばん信用できるニュースじゃった。
❥章末メモ
・遠い海の詰まりは、
町の更地として現れる。
・「何も起きてないように
見える景色」
が、
いちばん怖い。
・更地は、平和なふりをしとる
時代の沈黙の字幕じゃ。
■第二章
八千万の家が、
八千万で建たん日
昔は三千万いうたら、
「背伸びしたら届く夢」
じゃった。
駅からちょっと遠い。
庭は狭い。
壁はちょっと軽そう。
でも新品。
ローン組んで、家族で住む。
そんな
“まあ現実的な夢”
が三千万じゃった。
けど今は違う。
木造住宅の建築費は上がり、
RCの集合住宅も上がり、
職人の手間賃も上がり、
断熱材も、ガラスも、
セメントも、生コンも、
電線も、水回りも、塗料も、
運送費も、足場も、
みんなで仲よう上がってしもうた。
つまり、
家を作るための全部が、
一斉に重たゅうなっとる。
なのに広告はまだ言う。
✲月々十五万円台〜
✲今が買い時
✲家族の夢を応援
誰を応援しとるんか、
よう分からん。
少なくとも、
現場の人間は応援されとらん。
今の八千万の家いうんは、
八千万で建つ家やない。
八千万で受けたら、
どこかが泣く家なんじゃ。
営業が泣く。
現場監督が泣く。
下請けが泣く。
最後は、
住んだひろしが泣く。
しかも怖いんは、
その涙がすぐには見えんことじゃ。
完成引き渡しの日は、
みんな笑う。
鍵も受け取る。
家族写真も撮る。
「やっと自分の城!」
いうて、
ストーリーに上げまくる。
泣くんはそのあとじゃ。
三年後。
五年後。
壁の向こうで。
屋根の裏で。
床下の奥で。
じわじわ出てくる。
今の家の怖さは、
最初から壊れとることやない。
最初はちゃんと
夢に見えることなんじゃ。
❥章末メモ
・家が高いんじゃない。
・安う受けたら、
誰かが泣く時代になった。
・夢の値札の裏に、
現場の赤字が貼りついとる。
■第三章
断熱材四十万円の通知
夕方、LINEが来る。
「お世話になっております。
○○工務店です」
低姿勢な文面。
ろくなもんはない。
「工事は順調なんですが……
ご相談が……」
相談やない。
通告じゃ。
「断熱材がこのたび
40%値上げになりまして……
追加で四十万円ほど……」
壁の中へ消える、四十万円。
ひろしは黙る。
怒鳴る一歩手前の、
あの黙り方で。
「契約しとるじゃないですか」
「社会情勢により
価格変動する場合が……」
「そんな小さい字、
誰が読むんですか」
施工会社も苦しい。
社長は机を見つめる。
営業は唇を噛む。
現場監督は図面を見つめる。
そして、
誰かが小さい声で言う。
「……どこかで帳尻、
合わせるしかねえな」
その“どこか”が怖い。
断熱材の厚みを落とす。
ボルトの本数を減らす。
防水シートを短うする。
見えん所の養生を雑にする。
全部、ちょっとずつじゃ。
家は“ちょっと”の束でできとる。
人間は、最初から大悪党やない。
「今回はこれくらいで」
「たぶん大丈夫」
「そこまで分からんじゃろ」
その“少しだけ”が、
家の寿命を削る。
人間の悪は、
たいてい大声で来ん。
小さい合理化の顔をして来る。
❥章末メモ
・四十万円は、旅行代やない。
壁の中へ消える金じゃ。
・値上げ分を誰が飲むかが、
そのまま品質の話になる。
・悪はたいてい
「少しだけ」
で始まる。
■第四章
生コンが来ん。
軽油も重油も、世界が止まる
町の生コン屋も、黙り始めた。
生コンは、空から降ってこん。
セメントがいる。
骨材がいる。
ミキサー車がいる。
軽油がいる。
工場を回す燃料がいる。
道路がいる。
時間がいる。
どれか一つ詰まっても、来ん。
「今日、生コン来んらしいです」
「またか」
「軽油が……
向こうの工場も燃料代で……」
ホルムズ海峡は、
日量二千万バレル規模の
石油が通る、
世界最大級の詰まりどころじゃ。
遠い海が止まると、
町の生コンが止まる。
そういう時代なんじゃ。
みんな死ぬ言うとる。
けど、家族がおるから
仕事を止められん。
だから、偽装。薄め。
先送り。見て見ぬふり。
人間は苦しくなると、
急に悪うなるんやない。
もともと中におった“ずるさ”が、
生活のために
前へ出てくるだけなんじゃ。
❥章末メモ
・戦争はニュースで始まらん。
配送遅延で始まる。
・遠い海峡の封鎖が、
町の生コンを止める。
・生活を守るための小さい嘘が、
現場に増え始める。
■第五章
姉歯の亡霊は、
DMより先に現場へ戻る
図面は立派。
パンフも綺麗。
モデルハウスも綺麗。
営業の笑顔もTikTok映え。
ただ、現場だけが痩せる。
違法か合法か、
その薄い線の上で、
家が少しずつ軽うなる。
昔はあった。
耐震偽装。
牛肉偽装。
産地偽装。
賞味期限の改ざん。
人間は、追い込まれると
正しさより先に生活を守ろうとする。
姉歯の亡霊は、
いまもう、計算書より先に
現場へ戻っとるのかもしれん。
真面目な会社もおる。
誠実な職人もおる。
けど、町の普通の
40歳のひろしには分からん。
展示場は同じ。
広告も同じ。
営業トークも同じ。
違うんは、
五年後に天井裏で
泣くかどうかだけじゃ。
❥章末メモ
・怖いのは、
一発でバレる偽装より、
じわじわ薄まる施工。
・見た目は同じでも、
中身は同じとは限らん。
・夢の皮をかぶった不安が、
いちばん見分けにくい。
■第六章
壁は薄いのに、
ローンだけは五十年
ひろしと妻が、見学に来る。
小学生の息子を連れて。
「今の家賃より安いですよ」
そりゃそうじゃろう。
家賃は逃げられる。
けどローンは
逃がしてくれん。
✲【フラット50】
最長50年。
ひろしは40歳。
単独じゃしんどい。
そこで工務店が囁く。
「親子リレー返済を使えば……」
「ペアローンなら……」
「奥様と二人なら、
借入額も広がりますよ……」
人間、そんな劣悪な
住宅を買うために
生まれてきたわけやなかろうに、
夢のために、
人生ごと、
家族ごと差し出す。
壁は薄い。
見た目は綺麗。
断熱は怪しい。
中身は誰にも見えん。
その上に、五十年乗る。
ひろしは、
贅沢したくて買うんやない。
不安から買う。
家賃が怖い。
老後が怖い。
息子の将来が怖い。
だから
「今のうちに」
けど今は、
“今のうちに”が
いちばん危ない時代かもしれん。
世界が戦争になっても、
借金だけは
地獄の果てまで追いかけてくる。
❥章末メモ
・払えるように見せる工夫と、
幸せになれる設計は別もんじゃ。
・親子リレー返済は、
夢の延長やのうて
鎖の延長かもしれん。
・ローンだけは、防水完璧じゃ。
■第七章
三億の修繕が、三億で済まん夜
マンションは、もっと怖い。
買う時は
「共同体」。
直す時は
地獄の寄り合い。
理事会の机に、見積書が置かれる。
三億。
去年なら、
息をのんで済んだかもしれん。
けど今は違う。
マンション修繕費指数は上がり、
一戸あたり平均修繕費も、
昔よりだいぶ重とうなった。
しかも、仮設足場だけで
全体の二割ちょっと食う。
「条件次第では
三億五千万近くになる
可能性があります」
老人が黙る。
共働きが下を向く。
ローンの残っとる住戸が固まる。
みんな本音は同じ。
理事長なんか、やりたくない。
だから“詳しい顔した誰か”
に丸投げする。
そこが、一番危ない。
❥章末メモ
・修繕費は静かに膨らむ。
・足場だけで二割超。
そこからもう逃げ道がない。
・三億の見積もりは、
住民の胃袋まで重たくする。
■第八章
理事長は笑う。
四十歳は丸投げする
ここから先は、
ニュースにならん怖さじゃ。
理事長が熱心に仕切る。
住民は喜ぶ。
「ありがたい」
「任せよう」
でも、国も警告しとる。
✲利益相反。
✲不透明な利益の収受。
✲発注側と受注側が、
実質同じ側に寄りすぎる危険。
見えん工事は、
いくらでも盛れる。
裏で
阿吽の呼吸が生まれる。
「先生、今回もよろしく」
「うまくやりましょう」
帳簿には出にくい。
議事録にも残りにくい。
でも、
見積もりのふくらみ方と、
工事の中身の薄まり方だけは、
あとで静かに残る。
それを昔から人は
✲キックバック
と呼ぶ。
各マンションで必ずそうじゃ、
と断定はできん。
けど、国が
「不透明な利益の
収受に注意せよ」
言うとるいうことは、
そういう匂いが入り込む余地が、
十分ある世界いうことなんじゃ。
腐敗は、悪意から始まらん。
面倒くささと丸投げ、
そして小さい見返り
から始まる。
40歳のひろしは、
その理事会資料を読んでも
よう分からん。
だから、また丸投げする。
それが、一番悲しい。
❥章末メモ
・キックバックは、
帳簿に出にくい。
・見えん工事と、
見えん関係は相性が悪い。
・いちばん怖い共犯者は、
住民の無関心かもしれん。
■第九章
家宅の火は、
値上げ通知の形で来る
町は静かに縮み始めとる。
物価高倒産は増える。
建設業の倒産も目立つ。
住宅着工も減り始める。
それでもみんな言う。
「まだ大丈夫」
「専門家がおる」
「日本は何とかなる」
タコが自分の足を
一本ずつ食うみたいに、
補助金で延命し、
値上げを先送りし、
赤字を未来へ飛ばし、
最後は歩く足まで食う。
それでも「うまい」と言う。
家宅の火は、
値上げ通知の形で来る。
追加請求で来る。
更地で来る。
工期延期で来る。
修繕積立金不足で来る。
それでも、
人はまだ平気な顔をする。
❥章末メモ
・火は見えんけど、
数字はもう燃えとる。
・「まだ大丈夫」は、
だいたい一番遅い言葉じゃ。
・時代が壊れる時は、
静かに壊れる。
■第十章
茹でガエルは、
夢のマイホームで微笑む
ひろしは、
完成した家で、
妻と息子と写真を撮った。
「やっと自分の城!」
ストーリーに上げた。
いいねが180件ついた。
けどその夜、
遠くで空襲警報みたいな
サイレンが鳴る。
ニュースは、
✲ホルムズ完全封鎖。
✲日本経済マイナス成長。
✲燃料高。
✲資材高。
先行き不安。
電気代は重い。
生コンは来ん。
断熱材の薄い壁から、
じわじわ冷気が忍び寄る。
借金だけは、
地獄の果てまで追いかけてくる。
世界が戦争になっても、
家が崩れても、
ローン表だけは
一ミリも薄うならん。
ひろしよ。
これは警告じゃ。
夢のマイホームに、
全財産と人生を賭けるな。
固定資産は、
時に足枷になる。
長期ローンは、
地獄の鎖になる。
更地を見たら、
景色やのうて時代を疑え。
コミュニティを、
資産にせえ。
スキルと経験を積め。
家は崩れても、
自分の頭と手は残る。
無関心を捨てろ。
理事長に丸投げするな。
契約書は最後まで読め。
五年後の自分を想像せえ。
近所に住む、
六十七歳の元証券会社勤めの
おじいちゃんは、
朝、またコーヒーを飲みながら
更地を見る。
何も言わん。
けど、
あの更地だけは正直じゃ。
建たんもんは、建たん。
払えんもんは、払えん。
削ったもんは、
いつか音を立てる。
ホルムズ海峡の封鎖は、
もう遠いニュースやない。
町のとなりで、
草の生えた更地として、
とうに始まっとるんじゃ。
となりの家が、
まだ建たない。
それが、
この国の土台に入った、
最初のヒビなんじゃった。
❥章末メモ
・茹でガエルは、
ぬるいうちは笑う。
・けど数字はもう、
警報を鳴らしとる。
・「気づくこと」だけが、
最後の防災かもしれん。
………
★あとがき
ホームズとワトソンのZ世代漫才
✲ワトソン
ホームズ君、
大変やで!
断熱材40%アップ、
生コン供給危機、
修繕費はずっしり、
ローン50年、
更地はそのまま……
もう夢のマイホームやのうて、
長期分割ホラーやがな!
✲ホームズ
せやから言うたじゃろ。
今の家はな、
住む前から泣くか、
住んでから泣くか、
修繕会議で泣くかの
三択なんじゃ。
✲ワトソン
増えとるがな!
希望の選択肢ゼロやんけ!
✲ホームズ
希望はある。
契約書を最後まで読むこと。
更地を見たら
「時代を疑う」こと。
理事長に丸投げせんこと。
親子リレーで50年なんて
甘い罠に飛び込まんこと。
そして一番大事なんは、
今すぐ買わんことじゃ。
✲ワトソン
……笑うとる場合やないけど、
ちょっとだけ笑うて、
ちょっとだけ泣いて、
一回深呼吸してから考えようや。
✲ホームズ
その深呼吸が、
この国でいちばん安うて、
いまのところまだ
値上げされてない防災じゃ。
✲二人
――となりの家が、
まだ建たない。
ほれ、それが町に届いた
最初の警報なんじゃ。――
(完)




